クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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2月11日(土)晴れ

 ここのところ日中は随分暖かくなってきた。昨日は最高気温が8℃。今日も春を思わせる陽気だった。(もっとも朝夕はまだびっくりするほど冷える。昨日の最低気温は何と−9℃だった。夜はまだしっかり冬なのだ。)

 それでも1週間前の2/4は最高気温が−3℃。急に暖かくなってきたのだ。僕にとっては今日が今年の「体感」立春!そして僕にとっての立春の曲はブラームスの1番だ。

 厳冬を思わせる第1楽章からの緊迫感迫る曲想が続いた後、第4楽章フィナーレの冒頭に現れる朗々としたあのホルンの旋律が僕にとって、この曲の一番の聴きどころだ。

 まるでブラームスの故郷北ドイツの冬の厚い重苦しい雲間の中から立ち現れ、待ち望んだ春がやがて来ることを高らかに告げる音楽のように僕には聞こえる。 

 その有名なホルンの旋律には、実は「高き山より、深き谷間より、あなたに千回の挨拶を贈ります」というブラームスがクララ・シューマンに宛てた歌詞がついていたという記事が、先日の朝日新聞土曜版の特集に載っていた。(1/14「愛の旅人」) 

 私がこのことを初めて知ったのは『吉田秀和作曲家論集ゥ屮蕁璽爛后戞焚山敘畦Ъ辧2002年)を読んだ時だった。

 この曲についてはよく知られた曲であるため、ベートーヴェンの交響曲を越えるべく、慎重居士のブラームスが慎重の上にも慎重を重ね、構想から20年もの歳月をかけた曲であるとか、

 そのフィナーレの主題がベートーヴェンの第九の有名な「歓喜の歌」によく似たものであり、その意味からベートーヴェンの「第9番」に続く「第10番」の交響曲といわれるとか、有名なエピソードも多い。

 が、ここではそのホルンの旋律に付けられた「高き山より…」の歌詞をめぐる話題を中心に論じてみたい。

 以前にも書いたようにブラームスは20歳前後に、その人生が決定づけられてしまうような大きな出来事に遭遇している。

 1つは彼が20歳の1853年の9月、初めてシューマン夫妻を訪ね、自作のピアノ曲を激賞され、音楽界に華々しくデヴューする。しかしそれからわずか5ヶ月後、シューマンがライン河に投身、自殺未遂をはかる。

 音楽家としての経歴としては前者の方が重要だろうが、ブラームスの人生、そして彼の作品に込められた音楽的モティーフとしては断然後者の方が重い意味を持ったと思う。

 とるものもとりあえずクララのもとに駆けつけた、美しい髪と青く澄んだ目をしたまだ21歳にならぬ青年ヨハネスは、遺された母子のために父親代わりから子守、走り使いのすべてにわたって奔走する。

 半年前に人生で初めて出会った眩しいほど高貴な女性のすぐ傍で、その人のために献身する。この時期、彼の作品として完成されたものはほとんどない。

 が、しかし急速にクララとの親密の度合いを増した彼の、クララへの尊敬が愛情に変わっていく喜びと苦しみが込められ、内面化され、音符となったとしかいいようのない旋律たちが、楽器編成を何度も変えながら、その後名曲の数々となっていく。

 「ピアノ協奏曲第1番作品15」「ピアノ五重奏曲作品34」「ピアノ四重奏曲第3番作品60」そしてこの「交響曲第1番」はその最後の例である。

 「ピアノ協奏曲第1番」が、最初4楽章形式の2台のピアノのためのソナタとして(おそらくはクララとの連弾を想定して)書かれたということはよく知られているが、それが一応書き上げられたのは1854年の4月9日だったという。

 シューマンの投身事件からわずか1ヶ月余の時点ということになる。

 そしてその曲の終楽章(「勝利のフィナーレ」)として構想された旋律(モティーフ)が、交響曲第1番フィナーレのあの主要主題なのである。

 つまり20年の長きにわたった交響曲第1番の成立過程はこうである。

 最初にフィナーレがあった。(2台のピアノのソナタの「勝利のフィナーレ」)それは暗い戦いの後の明るい前進を意味した。

 次いでハ短調の第1楽章の主要部が構想された。勝利のフィナーレに辿り着くためにくぐり抜ける苦闘と苦悶として。

 しばらくしてフィナーレを母胎として、第2、第3楽章が書かれた。その時までに第1楽章にあの求心的な導入部が加えられ、それによって残りの楽章との結びつきはより顕在化してきた。

 そして最後にホルンによるフィナーレのための導入部が書かれ、曲の精神的中核であった21歳になろうとした青年ブラームスのクララへの遠い山からの愛の呼びかけが、ついに形となって現れた。

 「高き山より、深き谷間より、あなたに千回の挨拶を贈ります」

 これは1868年9月にブラームスがクララに送った手紙の一節である。ブラームス35歳。クララ49歳。シューマンの自殺未遂事件から、実に14年の歳月が流れていた。

 以上は、前述の吉田秀和の『作曲家論集 ブラームス』より知ったことである。

 この作品は聴き終えた後、非常な満足感がある。迷宮入りの事件が、最後の最後に急転直下胸のすくように解決された推理小説の読後感のようなカタルシスを覚える。

 それは上記のような、この曲がほとんどフィナーレから遡って作曲されたという事情によろう。

 作品のすべての部分が、フィナーレに向かって、フィナーレと関連づけられて作られた、しかも20年の長きにわたって推敲に推敲を重ねて完成した傑作なのである。

 1月のベートーヴェンの作品のところで触れたことと、全く同じことがブラームスにもいえる。両者の作品から受ける完璧さ、重厚さは(重すぎてもたれることもあるが)、この堅固なフィナーレの印象から来るのである。

 モーツァルトやシューベルトとは全く性格の違う名作がここにある。

 以下、各楽章に関連した個人的感想を簡単に述べる。

  第1楽章 ハ短調。冒頭のウン・ポコ・ソステヌートの導入部の求心力の強さには驚かされる。

 いきなりのオーケストラのトゥッティ(全奏)。しょっぱなから100%の全力疾走というか、キャンバスに塗り残しのない油絵のような分厚さが、ブラームスのブラームスたる所以といえば所以だ。

 その後の主部アレグロも含めて、これほど哲学的思弁と形容したくなるような音楽もちょっと見当たらない。実は学生の頃、集中力を高めて論理的に思索しなければならない時とか、おまじないのようにこのレコードの第1楽章ばかり聴いていた。

 第2楽章 ホ長調の緩徐楽章(アンダンテ ソステヌート)。緊張感のつづくこの曲全体の中のホッとする中間部であり、美しい旋律が印象的だ。

 特に最後のコンサートマスターによる、消え入るように長く尾を引くヴァイオリンのソロはため息が出るほどだ。

 思い出すのは学生時代NHKホールで聴いた、チェリビダッケが指揮したロンドン交響楽団の来日公演。私が今まで聴いてきたすべての演奏会の中で、オーケストラの音が最もきれいだった。

 絹のような弦、とありふれた表現しかできないのが悔しいほどだが、とにかく不純な音を含まないpureな音色だった。それだけチェリビダッケがオーケストラに要求するものが高かったというべきか。

 チェリビダッケの演奏はその時1度限りだったが、とにかく恐ろしく耳のいい指揮者なのだなと思った。

 余談だが、その演奏会にまだ10代の千住真理子が江藤俊哉氏のレッスンの帰りだったのか、ヴァイオリンケースを抱えて聴きに来ていた。

 たぶん先生に「あのコンサートマスターの音を聴いておいで」と言われたのだろうか。 最前列の席で聴いていたことを、この曲のこの部分を聴くといつも思い出す。

 第3楽章 変イ長調。冒頭のクラリネットの息の長い旋律が好きだ。ブラームスは旋律の魅力に乏しいという通説に、異を唱えたくなる。

 そして第4楽章 ハ短調の導入部。テインパニーの乾坤一擲。北ドイツの冬の重苦しい雲のように、再び1楽章の悲愴さが戻ってくる。

 その暗雲の中から、件(くだん)の悠然たるホルンの旋律が高らかに聞こえてくる。(他の楽器はすべてピアニッシモであることから)このクララへの挨拶がいかに曲全体の中で重要なものか、お分かりいただけるだろう。

 そしてオーケストラ全休符の後、ハ長調の主部、「歓喜」の、「勝利」の、「解決」の旋律がやって来るのだ。(調性的にもハ短調で始まった曲が、ハ長調で終わる。)

 演奏は、フルトヴェングラーが1952年2月10日に、ベルリンのまだバラックのようなティタニア・パラストで、ベルリン・フィルを指揮したライヴをずーっと聴いています。(LP:DG 2530 744)

 聴衆の咳払いも心なしか緊張しているような、あの時代だからこそ、またフルトヴェングラーとベルリン・フィルのコンビだからこそ可能だった演奏だと思う。

 世情評価の高いミュンシュ/パリ管やカラヤン/ベルリン・フィル(1987年)を押さえて、かろやん(kalos1974さん)が第一に推していた気持ち良く分かります。

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ふじやんのおっしゃることもよくわかります。なるべく録音が良く音がきれいな方が良いでしょう。でも最終的には我々は音響ではなく、音楽を聴くのではないでしょうか。たとえば「第九」もバイロイト盤は薦めませんか?

2006/2/13(月) 午前 7:39 gustav 返信する

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いやぁ、やっぱりフルトヴェングラーは決して薦めませんね。まず音の鮮明なものを選べんだほうがいいといいます。細部まで鮮明に聞こえるものです。人それぞれでしょうが、わたしは中学や高校時代、昔の演奏の音の不鮮明さや、オケの技術的な欠陥、演奏の個性の強さに惑わされ、曲のよさを素直に感じられなかった経験を持っていますから。

2006/2/14(火) 午後 6:30 zar*th*s*rafu*i 返信する

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ふじやんのいうこと本当によくわかりますよ。ただいっくら録音が良くても弦セクションと管セクションを別々に録ってレコードにするような、信じられない輩のレコードが巷で推薦されたりしているのを見ると、音楽って何だろうと思ってしまったりするわけです。整形美人に恋するほどばかげたことはないと思うのです。ん〜む、僕としてはブラ1の作品論を語りあいたいなぁ。

2006/2/14(火) 午後 8:09 gustav 返信する

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ふじやんのご忠告もあり、文末の表現若干変えました。ところで録音の良いこの曲のおすすめの演奏といったらどれになりますかな?

2006/2/14(火) 午後 8:22 gustav 返信する

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最後に私の名前が出てきてびっくり! 議論にもびっくり! 他人に CD を薦めてほしいといわれたとき、私は、いちばん感動したものをえらびますね。「これは!」とおもったものを一枚と、それにつぐものを何枚か。「ビギナー」とか、録音の古さとかいったことはあまり考えません。新しい録音でもつまらないものを紹介するのは嫌だし、どんな録音であっても生の演奏会には敵いませんから。あとは薦めてくれといった本人の問題です。

2006/2/14(火) 午後 8:34 kal*s*974 返信する

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かろやんが論争に加わって面白くなってきました。もう一言いわせて!ふじやんは新しい録音は「細部まで鮮明に聞こえるものです」と仰いますが、僕の経験ではワルターやセルの60年代前半の録音が「細部まで鮮明に聞こえて」実に面白いのです。聴くたびに新鮮な発見があって。

2006/2/14(火) 午後 8:57 gustav 返信する

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ブラームスの第1番には、クララへのそんなに深い思い入れがあったんですかーーー勉強になりました。

2006/2/16(木) 午後 11:14 yyk*c1*6 返信する

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記事を変更させてしまって、恐縮しきりです・・・。わたしが最初にあんなコメを入れてしまったばっかりに、また他の人が記事の本文・曲に関するコメを入れにくくなってしまっただろうということに関しても、申しわけなく思っています。しかしカロやんも加わり多勢に無勢(でもないが)。−わたしはまず整形美人を好きになったらいいと思うんですよ(美咲嬢は整形でないんだろうか)。いろいろ聞いて、のちにやっぱり整形美人はよくないなって気づくかもしれないし、やっぱり音が鮮明じゃないとダメだって思うかもしれない。

2006/2/17(金) 午後 0:28 zar*th*s*rafu*i 返信する

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わたしだって古い演奏を楽しんでいる人間です。自分が楽しむには、あるいは何年か聞いている人に勧めるには第1にフルトヴェングラーですよ(世評高いミュンシュは好きではありません)。最近の録音で、特に好きな演奏を持っているわけでない。しかし「第9」なんか最後音が混乱してひしゃげてしまっているではないですか。ビギナーがあの音をスリコんでしまうより、整形美人の演奏の方が「音」を素直に楽しめると思います。弦管別録りは、演奏家がそれのほうが自分の理想の音を作れるんでしょう。

2006/2/17(金) 午後 0:29 zar*th*s*rafu*i 返信する

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所詮は「レコード芸術」なんじゃないんですか。フルトヴェングラーのドキュメントはそうじゃないところでスゴイんですけど、「お勧めは」と聞くビギナーは「レコード芸術」を求めていると思うんですよね。−すみません、また長々と。これでおしまいにします。多分・・・。この曲の作品論はわたしの領分ではないようですので、カロやんにお任せしておきます。一番最初のコメ消しておきました。漢字の変換ミスもありましたね。

2006/2/17(金) 午後 0:31 zar*th*s*rafu*i 返信する

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ふじやん、いろいろ気ぃ使ってもらってすみません。結局は僕がLPを中心に聴いているので、1980年代後半以降の新録音に疎いという事情が、話の風通しを悪くさせてしまっていますね。このブラ1は誠実な指揮者に名演奏が多いような気がします。ベーム、アバド、ヴァント、最近のN響定期のブロムシュテットも良かったよ。それから確かにバイロイトの第九は最後メチャクチャだね、音的には。

2006/2/17(金) 午後 7:59 gustav 返信する

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Vergineさま、僕も最近吉田秀和読むまで知りませんでした。しかしこの間の朝日の記事は吉田氏の本を読んだとしか思えないなぁ。まぁgood timingでした。

2006/2/17(金) 午後 8:06 gustav 返信する

いつもながら、とても勉強になる記事ですね。遅蒔きながら、TBさせていただきます!!!

2006/5/7(日) 午後 5:34 ヒルティ 返信する

記事の御紹介ありがとうございます。とても勉強になります。同じ曲の聴き比べ、結構面白いですよね。こんなに違うものか!と思うくらい違うものもあったりして。これからも覗かせていただきます。

2006/5/8(月) 午前 8:26 ban*d*neonn 返信する

3日前くらい、焼肉屋でホルン隊と飲んでいて、あそこのメロディーには歌詞がついてるんだよね、なんだっけー、と言ってたところでした(笑)ますます、切ないですよね。ああ、でもヤダヤダ片思いなんて!

2007/4/21(土) 午前 1:07 noriko 返信する

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のりこさん、ブラームス本番お疲れさまでした。またブログの記事楽しみにしています。それから2日遅れですが、お誕生日おめでとうございます!1つ年をとってしまったと皆さんおっしゃいますが、誕生日というのは それはそれでやはり嬉しいものじゃないかな。僕の誕生日もあとひと月くらいでやってきます。

2007/4/22(日) 午後 2:50 gustav 返信する

しっかり読ませて頂きました。そんなに深くいつまでも心に留めて、また家族の為に奔走して、彼の苦悩と昇華された歓喜でしょうか。今これからブラ1を聞き直してみます。2楽章がすきだったのですが、1楽章あってですね。バイオリンのソロの音を聞いて見ます。CDはフルベン(ウイーン)、カラヤン(ベルフィル)、トスカニーニ(NBC) があります。

2007/11/1(木) 午後 8:01 Konnichiha 返信する

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kyokoさん、この世で男と女が愛し合い、結ばれれば、その愛の結晶として授かるのが子どもなのでしょうが、決して結ばれることのないブラームスのクララへの想いの数々が結晶となったものが、彼の珠玉の音楽作品なのではないでしょうか。

2007/11/4(日) 午後 2:09 gustav 返信する

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