クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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 モーツァルトがハイドンに捧げた6曲のストリング・カルテットのうちの第2曲、弦楽四重奏曲第15番ニ

短調は1783年モーツァルト27歳の年の6月、妻コンスタンツェが最初の子ライモンドを出産した頃書かれ

た曲だという。(と「毎日モーツァルト」で言っていた。)

 「へぇーそうなんだ、初めて聞いた!」と思ったけれど、このことは結構有名らしく、ものの本にもレ

コードの解説にも書いてあった。知らなかったのではなく、気にとめていなかったのだ。

 しかもコンスタンツェの証言があり、この曲の第3楽章メヌエットは陣痛のさ中に作曲されたという。

6月17日深夜1時過ぎ、コンスタンツェの陣痛は始まった。「その晩は二人とも休むことも眠ることもでき

ませんでした。…4時に僕は義母を迎えにやり、それから産婆さんを呼びにやりました。」(6月18日付

父への手紙)

 モーツァルトはその夜、妻のそばを片時も離れなかった。妻が苦しむたびに傍らで励まし、落ち着くと

再び楽譜に向かい、メヌエットを書き上げたという。

(妻の出産に立ち会った作曲家というと、すぐに思い出すのはマーラーだ。彼は傍らの妻アルマが陣痛

に苦しむのを見て、少しでも和らげてやろうと一冊の書物を取り出し、妻に読んで聞かせてやった。が

その時マーラーが取り出し朗読したのは、何とカントの『純粋理性批判』だったという。)

 朝6時半、ついに丸々とした元気な男の子が生まれた。モーツァルトは父親になった喜びを、真っ先に

父レオポルトに伝える。「おめでとう!あなたはおじいちゃんになりました。愛する妻が大きくて元気

な、ボールのように丸々とした男の子を無事出産しました。」(同6月18日付の手紙)

 あわせて父との和解のため、産まれてきた子の名前に父レオポルトの名をもらう許しを乞い、モー

ツァルトの長男は「ライムント・レオポルト・モーツァルト」と名づけられた。


 以上が先日の「毎日モーツァルト」の内容であったが、改めてこの曲について考えてみた。

 この曲は6曲の「ハイドン・セット」のうち、唯一の短調の弦楽四重奏曲である。なぜ短調なのか、な

どということをあまり考えずに今まで聴いてきた(季節でいうとやっぱり9月中旬から下旬の、秋の長雨

が始まる時分に聴くことが多かった)が、こう見てくると妻の出産、長男の誕生という出来事と関連づけ

られそうだ。(無論モーツァルトの作品は、そういった曲の成立事情や背景に関するエピソードを全て抜

きにして、完璧なものとして存在しているのだが、凡人はモーツァルトを我々と同じ生身の人間として、

彼がどんな思いや状況下で作品を書いたのかと、あれこれ詮索してみたくなるのだ。)

 父の反対を押し切りその承諾を得ないまま、約1年前コンスタンツェと結婚し、彼女との間に待望の赤

ん坊が産まれる。予約演奏会などの仕事もまだうまくいっていた時期であるから、世間的にいえば幸せ

の絶頂にあったはずである。その誕生に前後して書かれた曲がなぜ短調なのか?ゲストの村上陽一郎も

(思ったより語りがへたですね、この教授)、父親になる喜びは第3楽章メヌエットの中間部トリオの長

調の部分に示されているけれども、全体として短調なのは、父親になっていくことへの不安ではないのか

な?と言っていた。

 まぁそうなんでしょうけど…、一般的には当時の衛生状況からいって、出産というのは新しい生命の誕

生を心待ちにするという気持ちよりも、それに伴う危険で、赤ん坊が死んでしまうことはもちろん、場合

によっては母親の生命をも奪いかねない危険な時であるという意識の方が強い時代ではなかったか。鋭敏

なる神経を持ち、その上新妻のコンスタンツェをベタ愛していたモーツァルトなれば、その思いは一層だ

ったろう。

 しかし、妻を失いかねないという不安が、そこから一歩進んで「今元気に生きていたとしても、明日は

どうなっているか分からない」人間存在そのものの持つ不安へと高められている。その真実をモーツァル

トは妻の陣痛を聞きながら、汲み取ったのではないだろうか。それほどまでに、この曲は深い悲しみを宿

した傑作であると改めて思った。

 第1楽章 アレグロ  sotto voce(密やかに柔らかく)という発想記号がついた、オクターブ下降で始

まる第1主題は、やがて2オクターブ以上にわたって、空気を引き裂くような悲痛な叫びを上げる。この2

オクターブにもわたる極端な音の上昇、跳躍はこの頃のモーツァルトのお気に入りだったのか、例のハフ

ナー交響曲(第35番)K.385(1782年)の冒頭や、次の弦楽四重奏曲になる第16番変ホ長調K.428(17

83年)冒頭でも顕著にみられる。極端とも思える高い音と低い音の対比。これが池内紀のいう「主題を強

く押し出すようになったウィーン時代のモーツァルトの曲の特徴、魅力だろうか。とにかく一度聴いたら

忘れられない。

 第2楽章 アンダンテ ヘ長調  言い知れぬ不安、激情を秘めた前楽章からすると、この楽章は「慈

愛」ともいうべき静かな、穏やかな優しさに満ちている。旋律と旋律をつなぐ第1ヴァイオリンが奏でる

上昇する三連符「タラララン」(楽譜がないと何だか分かりませんよね)が限りない憧れの気持ちを詠

う。

 第3楽章 メヌエット コンスタンツェが陣痛に苦しむ中、書き上げたという件の箇所である。悲痛と

憂愁とに彩られた鮮明なリズムのメヌエット。三部からなるこの楽章の中間部トリオは、他の三声部が単

純なピチカートをはじく中(モーツァルトの弦楽四重奏曲でピチカートが現れるのは、実はこの曲のこの

トリオが唯一のもの)、ひとり第1ヴァイオリンが逆付点に乗って奏でる長調の旋律は「天上の音楽」と

呼ばれるほど、あまりにも美しい。その美しい第1バイオリンのソロが魅力で、弦楽四重奏団のアンコー

ル曲として、このモーツァルトの15番の第3楽章は単独で演奏されることが多い。(僕もかつて信州丸子

町でのベルリン弦楽四重奏団の演奏会のアンコールで聴いた。)

 しかしレコードであれ実演であれ、このトリオの美しさ、僕には何かこの世のものとは思われぬ怖さを

感じる。確かに美しいことは限りなく美しいのだが、それは例えていえば、「天上の音楽」というより

は、「地獄の漆黒の闇」から伸びてきて、この地上に姿を現した「蓮の花」の美しさのような感じがす

る。

 「闇に咲く花」去年の4月にシューベルトの弦楽四重奏曲を語る時、シューベルトの音楽をそう評し

た。(2005 4/15 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1501598.html 参照)その同じ表現が、この曲の

このトリオにも言えると思う。表面的な明るさ、美しさの背後にあるとてつもない闇…。シューベルトの

音楽にはそれがあり、またモーツァルトの音楽にもそれが見え隠れしている。いや、モーツァルトの持つ

その闇の部分を、シューベルトが受け継いだというべきか。たとえ長男の誕生という喜ばしい場面におい

ても、どんなsituationにおいても顔を出すモーツァルトの心の闇の表出としての音楽、それはやはり彼

の後半生、ウィーン時代の作品に多いような気がする。

 第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ  シチリアーノ風の主題と4つの自由な変奏からなる。フィ

ナーレをヴァリエーション、すなわち変奏曲で締めくくるのも、弦楽四重奏ではこの曲だけなのだが、こ

の優雅さ、儚さはどうだろう。第1変奏は第1ヴァイオリンの16分音符によって彩られ、第2変奏は二つの

ヴァイオリンがそれぞれ全く違ったシンコペーションを奏でる。第3変奏は珍しいヴィオラの独奏。ヴィ

オラの全音域にわたって奏でられる、しっとりとした変奏である。そして第4変奏は、ちょうど第1楽章を

受けた第2楽章のような、しみじみとした長調に。そして最後テンポを速め、決然とした短調のシチリア

ーノで全曲を閉じる。第1ヴァイオリンのあの悲痛な高音の叫びを伴って…。

(最近モーツァルトやシューベルトの変奏曲がますます好きになってきた。特にこの曲の第4楽章の変奏

曲は、短調だけにより強く聴いている僕の胸を打つ。繰り返し繰り返し、形を少しずつ少しずつ変えなが

ら、曲は前に進む。「どんなに辛くても、悲しくても一人ぼっちでも、人は前に進んで行かなくちゃなら

ないんだ。」って我々に語りかけているようだ。)

 振り返って、前述の池内紀の言葉通り主題(テーマ)、旋律の押し出しが強く、極めてインパクトが

あり、加えて第1楽章からフィナーレまで、実に統一感のある作品である。「宿命のト短調」交響曲40番

や「疾走する哀しみ」の弦楽五重奏曲第4番など、モーツァルトの短調をこよなく愛する方には是非じっ

くりと聴いていただきたい一曲です。
 

  演奏  アルバン・ベルク四重奏団(1977年録音の旧盤)(LP:TELEFUNKEN K17C-8318)


P.S. この曲を聴き直して、改めてロマン派音楽とはベートーヴェンでもシューベルトでもなく、モーツ

ァルト(の短調の曲)から始まる という思いを強くしました。

 

 



 

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「実存の不安」とは、名言です!傑作ボタン、押させていただきます

2006/6/12(月) 午後 5:45 スピンネーカ

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スピンさんもお仕事お忙しいでしょうに、いつもコメントありがとうございます。妻を失いかねない不安、そこから一歩進んで人間存在そのものへの不安を汲み取って音楽に表現する。ウィーンに移り住んだモーツァルトは芸術家として短期間のうちにさらに進化(深化)したのでは、というのがタイトルに込めた思いなのですが、うまく表現できたか分かりません。が、少なくともスピンさんには分かっていただけたのかなって思っています。

2006/6/13(火) 午後 10:06 gustav

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名曲の裏に隠された真実なんですね。(でも、有名な話なんですか?)とってもいい話を読むことができました。改めてこの弦楽四重奏曲第15番を聴いてみようと思います。

2006/6/13(火) 午後 10:25 JUNOZA

私も、手元にはないので、近いうちに聴くことにいたします。

2006/6/15(木) 午前 3:37 Fiore

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長男ライムントはわずか2ヶ月でなくなっていますよね。まさか、それを予見して、ってことはないでしょうけれど、短調の暗さ、というよりは緊張感がある、という曲に感じます。

2006/6/15(木) 午前 11:16 そにあ♪

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フィオーレさん、是非聴いてみて下さい!沖縄が梅雨明けする前の方がいいかもしれませんね。いつも言ってることだけど、弦楽四重奏曲はモーツァルトの中でもとび抜けて傑作が多い(14番以降ですが)ジャンルなのに、一般的にはあまり聴かれていないのが残念でなりません。

2006/6/15(木) 午後 9:17 gustav

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たぶさんのおっしゃるとおりです。で、自分の子どもの死を予見したような曲を書いたといえば、直ぐに思い出すのがマーラーですね。まだ娘が生きているのに、「子どもの死の歌」(亡き児をしのぶ歌)なんて歌曲作って、数年後本当に娘は死んでしまう。奥さんにしてみればこんなダンナ、嫌だったでしょうねぇ。15番の「緊張感」に賛成!特に第4楽章の凛とした居住いには、いつも何だか泣けてしまいます。(僕の場合)

2006/6/15(木) 午後 9:31 gustav

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junozaさん、この曲は前から好きでしたが(僕にとっては特別な存在の曲でしたが)コンスタンツェのお産のさ中に作られたというのは、正直知りませんでした。拙いブログを読んでいただいて、本日もありがとうございました。(「その時歴史が動いた」の松平アナみたいになってきたナァ)

2006/6/15(木) 午後 9:38 gustav

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GUSTAVさんのこの曲に対する敬愛の深さがつたわってきました。この曲を聞いたときは「なんという悲しい音楽なんだ」と思いました。まさに「地獄の漆黒の闇」からのびてきた… なぜこんなに暗いのか、背景には亡くなってしまう長男のこととか、病気のこととか、いろいろな説があるみたいですね。モーツァルトが自分の心境を素直に綴ったんだと思うのですが、それをこんなにきれいな音楽に表すことができるとは、すごいものですね。

2006/12/30(土) 午前 8:28 [ - ]

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kazuさん、古い記事を丁寧に読んでいただいてありがとうございます。個人的にはモーツァルトのケッヘル400番台には一番傑作が多いような気がします。また聴きたくなったなぁ。お正月にゆっくり聴こう!

2006/12/31(日) 午前 11:09 gustav


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