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モーツァルト ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450(1784年 モーツァルト28歳)
滝田栄は文学座、劇団四季出身の俳優。NHK大河ドラマ「徳川家康」の主演をされて以来久しぶりにそ
の姿を拝見したが、その誠実そうなお人柄を感じさせるとともに、家康の頃から全然変わらない若々しさ
に脱帽した。その滝田氏がモーツァルトのピアノ協奏曲第15番についてこう語っている。
「僕は長野県の蓼科の森の中に住んでいるんですけど、その森の中でね、たとえば春の雪解けの水のせ
せらぎの音とか、新緑の緑の喜びとか、空の色とか、あと、深い森に沈んでいく太陽の輝きの荘厳さとか
そういう自然の喜びとか自然の中の命というものと、モーツァルトの曲のメロディが共鳴しあっているの
がよーく分かるんですね。『ひとつだ』と。『あぁこれひとつだ』という感じがすごくするんです。で、
果たして自然に対する讃歌だけなのかなっと思うとそうじゃなくて、この曲が自然を讃えながらなおかつ
もしかしたら一人の美しい女性に捧げたラブレターなんじゃないかって、フッと思うような感じもするん
ですね。非常に面白いですね。そういうことを感じさせてくれるんです。」(NHK-FM「毎日モーツァル
ト」)
毎日を高原の森の中で暮らし、そこで音楽を聴く喜びに触れていればこその言葉。梯剛之にとっての
ピアノ協奏曲12番のように、これはまさに「滝田栄のクラシック音楽歳時記 in 信州蓼科」だ。
しかもこの15番、時期的に近いこともありその12番に印象が大変よく似ている。したがって梯の12番へ
の賛辞、たとえば「若葉が芽吹いてきて、若葉が育っていくような明るい感じ、天から光が注いで来るよ
うな、何か軽い香りがしてくるような感じ、小鳥もホントに啼いていたり」というような形容が、そのま
まこの15番の第1楽章にも当てはまる。
つまり滝田氏のように信州の自然の中で、森の木々のそよぎや匂い、動物たちの気配、季節の移り変わ
りを間近に肌で感じて毎日を過ごしている人や、都会といいながらも未だモーツァルトが生きていた時代
との連続性を日々感じ取ることができるウィーンという街に身を置く梯さんのような人には、本当に自然
に身近に感じられる「生活のBGM」のような曲なのだろう。
自然であること、ナチュラルであること、自分に正直であること。そうで在る人にとってはモーツァル
トの音楽は空気のように心地良い、また無くてはならないもの。またそのような人はいつまでも若々しい
久しぶりに見た滝田栄が昔とまるで変わらないように見えたのは、きっとそのせいだろう。(彼のHPで彼
が仏教に大変造詣が深く、仏陀の足跡を訪ねながら足かけ3年インドで禅修行を重ねたことなどを知りま
した。)
さて我らがモーツァルトが音楽の都ウィーンに出てきて3年。彼のピアノ協奏曲やハルモニー・ムジー
ク(当時流行った管楽アンサンブル)を主要レパートリーとする、彼個人の予約演奏会が大盛況。加えて
演奏者としても当代一のヴィルトゥーゾ・ピアニスト、人気ピアニストとして華々しい活躍ぶり。彼のウ
ィーンでの人気の絶頂の時期といっていいでしょう。
この頃ハイドンはモーツァルトを「人柄においても名声においても、私の知っている最大の作曲家」と
称したといわれるし、モーツァルト研究家のアルフレッド・アインシュタインはこの84年から2年くらい
が「モーツァルトの器楽作曲の頂点」と呼んでいる。
その高揚感が、この曲の両端楽章に見られるような溌剌さ、元気のよさ、陽気さに出ているような
気がする。
そういえば、あの映画「アマデウス」にもこの曲の第3楽章が登場する。人気絶頂で、お小遣いもタッ
プリなモーツァルトが夜通し遊びまくって、大道芸人の見世物などで雑踏賑わう休日のウィーンの街を朝
帰りする場面に使われていた。つまり「お気楽モーツァルト」のテーマソングという訳だ。この辺りの
ミロス・フォアマンのモーツァルトの作品の使い方は心憎いばかりだ。(ただし、片手にワインボトル握
って、天下の公道で歩きながらワイン ラッパ飲みのご帰還シーンは、やり過ぎの感あり。モーツァルト
は冗談好きでも、決してこんなデリカシーのない輩ではないと個人的には信じています。)
もうひとつ、この15番の第3楽章アレグロ・ロンドは、後の22番のピアノ協奏曲(これも涎が出るほど
大好きな協奏曲!)の第3楽章によく似ている。いや、そっくりだ。全く同じリズム、節回しを15番では
音階が上から降りてくるのに対し、22番は下から上がっていくだけの違い。「お気楽モーツァルトさん」
はひとつの旋律で2つの名曲を書き分けてしまう。この省エネぶりはまさに天才だ。「毎日…」で脳科学
者、茂木健一郎が交響曲「リンツ」を4日で書いてしまったモーツァルトの作曲の速さを「彼の頭の中に
は既にいろんなメロディの引き出しが一杯あって、作曲とはいうものの、実はそれらを必要に応じて
取換えひっかえ、入れたり出したりしているに過ぎないのではないか」と言ったのを思い出させる。
そういえば番組の中でこんなエピソードが紹介された。あるピアニストがモーツァルトの演奏に驚き、
こう言った。「僕は汗をかくほど努力しなくてはダメだ。それでいて全く拍手が来ない。ところがあなた
ときたら、ただ遊んでいるだけだ。」モーツァルトはこう答えた。「僕だって努力を必要としましたとも
これ以上、努力しなくてすむようにね。」
第1楽章 アレグロ 冒頭の第1主題は「モーツァルトの最もschalkhaft(茶目っ気な)ムード」とドナル
ド・フランシス・トヴィが呼ぶもの。冒頭からホルンが活躍するところが、森における狩りの場面を連想
させる曲で、そこが当時の上流階級の人間には人気だったのかも。そこまで読んでいたとすれば、やはり
恐るべしモーツァルト!主部に入ると曲想が、先ほどもいった12番のコンチェルトの第1楽章との類似を
感じさせる。佳境に入ると、これでもかといわんばかりのヴィルトゥーゾな演奏技巧を要求する部分の連
続。本当にこの頃のモーツァルトって、ノリにノっていたんだね。
第2楽章 アンダンテ 一転してピアノとオーケストラの弦セクションが交互に、美しく落ち着いた旋
律を奏で合う。殿方が狩りの森で獲物を馬に乗って追いかけ、やんちゃに駆け回っているのを、日傘をさ
して、遠くから微笑ましそうに見つめる貴婦人のテーマ曲のイメージ?
第3楽章 アレグロのロンド 従前よりさんざん語ってきたように、モーツァルトの陽気さ、快活さの
サンプルのような魅力的な楽章。後の名作22番を予告する、愛すべき音楽である。フィナーレには曲冒頭
に登場した「狩りの場面」を告げるホルンの響きが、再び勇壮に鳴り響いて締めくくる。弦楽四重奏曲に
「狩り」というニックネームを持つ作品(17番 変ロ長調K.458)があるが、僕に名づけさせてもらえば
この曲こそ「狩りの協奏曲」だ。
演奏はロベール・カザドシュのピアノ、ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団。(LP:CBS SONY
13AC1066) はっきりいって録音は良くない。何せ1968年のものだから。しかしこのカザドシュ/セルのコ
ンビのモーツァルトのピアノ協奏曲のシリーズは、皆好きだなぁ。件の22番も。
セル/クリーブランドの、伝説の完璧演奏ぶりが、モーツァルトの音楽作品の完璧さを際立たせている
からだろうか。思いの外、愉悦に満ちた愛すべき演奏である。
(最近の演奏をお聴きになりたい方はモダン・ピアノではなくて、当時の楽器ハンマー・フリューゲル
で弾いているものをおススメします。曲想がHfにマッチしていると思います。)
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1784年には変ホ長調K449、ト長調K453、ニ長調K451、変ロ長調K456、ヘ長調K459、そしてご紹介の変ロ長調K450と、つまりP協奏曲No14〜19の6曲もモーツァルトは書き上げ、しかもこれら作品すべてに大きな自信を持っていたそうですね。真の天才です!モーツァルトは♪
2006/6/25(日) 午後 5:06
junozaさん、まさにそうですね。14番〜19番は20番以降の大きさはありませんが、モーツァルトの名人芸とウィーンの聴衆の好みとがマッチし、芸術的にも興行的(世俗的)にも成功した時代の頂点といえますね。20番以降、モーツァルトは芸術的により深い、より自分に忠実な作品を書いていくため、次第に聴衆から離反されていきます。昔から17番が好きだった私ですが、今回12番や15番が今まで以上に好きになれたのは「毎日モーツァルト」のお蔭です。
2006/6/27(火) 午前 5:48
古典ピアノで是非演奏してみたいものです。滝田氏の言葉に感動しました。この記事を読ませていただき幸せです!心からのお礼を!CHU☆
2006/6/28(水) 午前 8:31
3楽章に「狩」と名づけるなんて、GUSTAVさんのセンス、さすが。この時代のホルンは、「狩」のイメージがありますもんね。私は、モダンピアノでしか聞いたことがないので、ハンマー・フリューゲルでの演奏も聞きたいです。
2006/6/28(水) 午後 0:10
フィオーレさん、CHU☆なんてキャー、もじもじ(//・_・//) 沖縄の女性は情熱的ですね、やっぱり。是非ハンマー・フリューゲル(フォルテ・ピアノ)奏でてみて下さいね。 ではこちらもCHU (^з^)-☆
2006/6/28(水) 午後 10:27
たぶさん、第1楽章の最初の方で活躍し、終楽章の最後の最後でもう一度華やかにホルンが登場ってことは、最後に見事、獲物を仕留めたってことでしょうかね?
2006/6/28(水) 午後 10:30
滝田さんって「介護の人」ってイメージがあったので驚きでした☆でもモーツアルトにも言及できると知ってうれしく思います☆
2006/7/5(水) 午後 11:48
ほろさん、僕は逆に滝田さんのお母さん、政さんのことを知りませんでした。たぶん滝田さんも最愛のお母さんの死から仏教へ深く帰依するようになられたのでしょうね。長野市で座禅と乳粥スジャータの会をやっていらっしゃるとのこと、僕も大いに関心あります。
2006/7/7(金) 午後 10:32
タイトル見て、滝田栄さんが弾いたのかと思っちゃいました^^;)15番、ちゃんと聴いたことありませんでしたが、コレ見てすっごく聴きたくなりました。早速聴きます。勉強になります。
2006/7/9(日) 午前 0:35 [ - ]
Tam.さん、おはようございます。タイトル、そういう思わせぶり、実はあります^^;)でもモーツァルトのピアノ協奏曲はすべていいです。その魅力を多くの人に感じてもらえたら、と思っています。
2006/7/9(日) 午前 8:21
滝田氏の言葉と、GUSTAVさんのその分析に感動しました!ナチュラルであること、正直であることってその人の感性を磨いていくことでもあるんですね。モーツァルト、ますますもっと聴いてみたくなりました。^^
2006/7/13(木) 午前 11:07
tamamimさん、ありがとうございます。「自然であること、自分に正直であること」モーツァルトという人自身がまさにそのような人であったからこそ、私たちもその音楽に感動するのだと思います。ここからモーツァルトに残された生涯は、あと7年かぁ。フーッ。
2006/7/13(木) 午後 11:21