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<今日のモーツァルト>
弦楽四重奏曲 第16番 変ホ長調 K.428 (1783年 27歳)
弦楽四重奏曲 第18番 イ長調 K.464 (1785年 28歳)
「僕はロック少年だったから、やっぱり自分の音楽体験の出発点はギターだと思うんですね。だからど
ちらかというと、弦楽器を多く聴くかもしれません。しかしどんな音楽を聴いてても、どんな楽器でも好
きですね。最近ますますそうです。いろいろな楽器、それぞれ個性を持ってますからね。いまだに弦楽器
は、他よりも少し深くなじんでいるかも知れません。クラシックとなると、そうですね、弦楽四重奏曲は
わりと好きです。個別のメロディの絡みあい方が、楽器の数が少ないほど良く分かるんですね、聴いてて
モーツァルトはやっぱりメロディ(旋律)の天才ですから、そういう形で聴くと彼のすごく「らしい」とこ
ろが満喫できるような、そんな感じがします。」
NHK-BS「毎日モーツァルト」の弦楽四重奏曲第18番の回で、ブロード・キャスターのピーター・バラカ
ンが弦楽四重奏曲の魅力について、こう語っていた。
イギリス出身(たぶん)のこの人やC・W・ニコルさんには、とても好感が持てる。日本を愛し、日本文
化に深く触れることによって、ある意味現代の日本人以上に日本人らしい奥ゆかしさを獲得している。そ
して彼らが語る日本語は我々以上に正しく、きれいな日本語で、穏やかで、謙譲の美徳に溢れている。
物静かで控えめなバラカン氏の語り口が、すでにモーツァルトの弦楽四重奏曲の魅力そのものを表現し
ているとも言えるが、私にはこの発言に思わす膝を打つものがあった。
前々からクラシックではピアノよりも弦楽器の音色が好きだといろんな回で言ってきたが、なぜそう
なのかは自分でもよく説明できなかった。
小さい時にピアノのお稽古に通うというようなことがなく、ピアノという楽器に親しみを持つ機会がな
かったのはもちろんだが、その他に理由があったのだ。つまり僕の音楽体験の始まりもロック、それもビ
ートルズの音楽、つまりギター、つまり弦なのだ!
小6でジョージ・ハリソンの「マイ・スイート・ロード」で音楽の世界に入り、中学では先祖返りでビ
ートルズにはまり、高校ではビートルズ以後の70年代ロック、とりわけイエスなど、イギリスのプログレ
ッシヴ・ロックをよく聴いていた。
そんな自分がご他聞に洩れず中1の音楽の最初の時間にヴィヴァルディの「四季」の洗礼を受け、クラ
シック音楽という、それまでの自分の生きてきた世界とは無縁のような世界がこの世にはあることをちょ
っぴり知り、中2で遊びに行った友達の家でドボルザークの「新世界」のレコードを聴かせてもらい、40
分もする長いクラシックの曲を初めて飽きずに通して聴け、そして中3でやはり別の友達の家で当時のFM
番組雑誌に載っていた松本零士氏の「不滅のアレグレット」と題した大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェ
ングラーの伝記漫画を読み、その年の大晦日に繰り返し繰り返し聴いたベートーヴェンの7番のシンフォ
ニーと出会うことで、決定的となった。自分にとってクラシック音楽がこの世で一番の大切な友になった
ということが。
前ふりで随分長くなってしまったが、要するに自分がなぜ弦の方に親しみを感じるようになったか
という長年の疑問が、バラカン氏の言葉で氷解したのだ。多謝!多謝!!
と同時に、自分がなぜモーツァルトのおびただしい作品群の中で弦楽四重奏という、いささか渋くて地
味なジャンルに親しみを感じているのかも代弁してもらったような気がする。
「個別のメロディの絡みあい方が、楽器の数が少ないほど良く分かる。」「そういう形で聴くとメロデ
ィの天才としての彼のすばらしさ、モーツァルトらしさが満喫できる。」
これに先日、池内紀が「毎日モーツァルト」で語った「弦というのは文字通り糸を捻ったり、ほぐした
り、弾いたり。音が非常に優しいのと、柔らかい。それがもつれあって、特に弦楽の場合は悪戯坊主たち
が転げ廻って遊んでいるっていう感じがするんですよ。」という言葉を足せば、弦楽四重奏の魅力はあら
かた語り尽くしてもらったかのようだ。
加えてこの16番と18番という、ハイドン・セットといわれるモーツァルトの6曲の弦楽四重奏曲の中で
も最も地味(と一般には考えられているよう)な2つの曲は、浮わついたところのない「成熟した大人の音
楽」としての魅力に満ち溢れている。
まず件のバラカン氏がコメントした18番の弦楽四重奏曲イ長調K.464。実際に弦楽カルテットを演奏
する立場で、これこそモーツァルトの弦楽四重奏曲の最高傑作であると断言する人がいる。
(井上和雄「モーツァルト 心の軌跡 −弦楽四重奏が語るその生涯ー」(音楽之友社)1989年)
「これこそ弦楽四重奏中の弦楽四重奏、僕らが愛してやまない最高の音楽である。」(同書220ページ)
いわば「玄人好み」なのだ。その証拠にあのベートーヴェンがこの曲を大変気に入り、その第4楽章を筆
写したというのは有名な話である。
振り返ってみよう。モーツァルトがハイドンの「ロシア四重奏曲」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲を書
いたのが1781年。モーツァルトはこれらに強い刺激を受けて、1782年から1785年にかけて6曲の弦楽カル
テットを書き、これらを次の有名な献辞とともにハイドンに捧げたのがいわゆる「ハイドん・セット」で
ある。「親愛なる友、ハイドンへ。ひとりの父親が、広い世間に彼の子どもらを送り出そうと決心した結
果、しあわせな偶然によって、最も親しい友人となった高名なお方の手にゆだね、その保護と指導をお願
いするのが、小生の義務だと存じます。敬愛する友よ、ここに6人の息子をお送りいたします…。」
そのうち18番は次の19番「不協和音」と並んで、ハイドん・セットの最後の2曲として、1785年1月に、
自宅にハイドンを招いて聴かせるため、急いで上梓した作品といわれている。
ちなみにそれから1ヶ月もしないうちに(僕が、モーツァルトが晩年聴衆と離反し困窮のうちに死んで
いく原因となったきっかけと考える、そしてここからロマン派音楽が始まったと考える)ピアノ協奏曲第
20番ニ短調が、3月にはピアノ協奏曲第21番ハ長調が生まれる。さらに幻想曲ハ短調K.475、ピアノ四重
奏曲第1番ト短調K.478がこの年作られ、翌1786年にはあの不朽の名作「フィガロの結婚」が誕生する。
アルフレッド・アインシュタインがいうように「1784年から1785年という2年間はモーツァルトの創作活
動のハイライト」といってもよいだろう。
第1楽章 アレグロ イ長調。地味な、しかし十分に落ち着いた大人の風格の第1主題である。この曲は
実はこの第1楽章第1主題のモティーフが曲全体、すべての楽章に顔を出す極めて有機的な手法がとられて
いる。この第1主題がすぐにイ短調に転ずるのも見事というほかない。ただひたすら、この平凡だが幸せ
な旋律だけが延々と続いていく。自然さの極みのような耳に心地良いメロディ。眠りを誘うような1/f
すなわち「揺らぎ」の曲というべきだろうか。
第2楽章 メヌエット イ長調。第1楽章と拍子も同じ3拍子。揺らぎの音楽という雰囲気は継続する。
特徴的なのは第3楽章 アンダンテ ニ長調。主題と7つの変奏曲から成る、僕の好きなバリエーショ
ン。そして極めつけにユニークなのが第6変奏。何とチェロの伴奏がひたすら「タンタン、タンタン、
タンタカタッタ」というまるで太鼓連打のようなリズムを刻みつづける。このチェロのリズムを聴いてい
るとモーツァルトの音楽が完全に時代を超えていることが分かる。シュールなのだ。
第4楽章 フィナーレ アレグロ イ長調。ポリフォニックな下降する旋律(あの偉大な41番「ジュピ
ター」シンフォニーの第4楽章を想起させる)がその後、フーガにも取れ、ソナタ形式にも取れる自在な
展開で、透明に流れていく。
ひとことでいえば「平凡なようでいて、実はシュールな」渋い、「違いの分かる男」(どこかのインス
タント・コーヒーの宣伝文句じゃないが)にしか分からぬ作品といえようか。
一方第16番変ホ長調K.428は、1783年8月にモーツァルトが妻コンスタンツェを伴って初めてザルツブ
ルクに里帰りする直前に書かれたといわれる。
この曲について「毎日モーツァルト」では、あの平野クン(平野啓一郎)が「この曲1曲で、その後の
クラシック音楽の展開をすべてやり尽くしてしまった感のある曲」というふうに紹介している。
ウーン、恐るべし平野啓一郎。彼に代わって彼の言わんとすろところを語ってみよう。
まず第1楽章冒頭の2拍目でいきなりオクターブ上昇する、平野クン流に表現すると「何かちょっと変
な」旋律。これは以前説明した、同時期に作曲された「ハフナー」交響曲や、弦楽四重奏曲の15番の冒頭
でも見られる「音の跳躍」で、その当時のモーツァルトのお気に入りの表現だったのかも知れない。
そしてこの冒頭の旋律が長調なのに、そこはかとなく淋しげで儚げな短調のようなたたずまいなのも
非常に印象的である。そのはかなさは、例えれば日本映画の傑作、鬼才森田芳光監督が漱石の文学世界に
挑戦した「それから」(松田優作主演)に出てくる薄幸のヒロイン美千代を演じた藤谷美和子が醸し出し
ていた淋しさ、はかなさ、といったら分かっていただけるだろうか。(無理?)
そして極めつけは、第1楽章をはじめ、この曲全体を通じて明白な「半音階的なメロディの進行」の多
用。19Cを待たずして、モーツァルトはあのワーグナーの専売特許をこともなげに使っていたのだ。すべ
てのロマン派的表現は、実はモーツァルトに始まる?
さらに第2楽章 アンダンテ・コン・モートでは何と旋律らしい旋律、メロディらしいメロディがな
くなっているのだ。旋律がなく、チェロの分散和音に代表される和音の微妙な変化のみで、曲を進行させ
ている。これはシューベルトの世界?あるいはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の世界?ロマン派
の先駆というより、ロマン派を飛び越え、20Cの現代音楽の幕開けのような新鮮な手法。
平野クンの言いたかったのはこれらのことではないだろうか。
14番ト長調K.387がコスモスの影が薄くなった9月中旬の信州の風景ならば、この16番K.428は秋の
長雨が済んで、ススキの穂の影が一層薄らいで見える9月終わりから10月はじめの信州の秋の透明な風景
のような、徹頭徹尾「しみじみとした」感じの支配する曲なのである。
演奏は16番がおなじみのウィーン・アルバン・ベルク四重奏団の旧盤(LP: K17C-8319)
18番はカール・ズスケが第1バイオリンを務めるベルリン弦楽四重奏団(LP: OC-7293-K)
ズスケのバイオリンはアルバン・ベルクのピヒラーほどの煌びやかさはないが、人柄を表わすような、
衒いのない誠実な演奏である。
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お久しぶりです。私も中学時代にビートルズのコピーバンドをしていましたし、高校時代はELPやYESのコピーバンドを、、、年齢的に近いかもですね。(^o^)
2006/7/16(日) 午前 9:05 [ 中世 ]
tibiさん、こんにちは。そうですね、きっとそうでしょう。イエスは純粋なロック少年たちからは「クラシックの落ちこぼれ」とバカにされてたところもありましたが、僕にとってはクラシック音楽への水先案内人的な存在だったのかも知れません。
2006/7/16(日) 午前 10:04
わたしはロックなどを聴いた事がなく、小6の時 歌謡曲からいきなりクラシックの道に進みました(スーザのマーチを媒体として)。室内楽に目覚めたのは高校の時で、モツのcl五重奏ですね(父が持ってたランスロのLP)。その後自分でイタリアQの「ハイドン・セット」のLPを買いましたが(3枚組3900円・13PCという番号だったかな)、音楽には魅了されたにもかかわらず、イタリアQのベチャッとした音には馴染めなかったのを思い出します。
2006/7/17(月) 午後 1:12
(続き)ところで18番は不覚にも今までほとんど意識していなかった曲です。ただいまアマデウスQのCDを取り出して、聞き始めたところです。
2006/7/17(月) 午後 1:13
ふじさん、お久しぶりです。高校で室内楽ですか?お父上の薫陶を受け、ふじさんクラシックに早熟でしたね。ところで僕もSQの18番、ハイドン・セットで一番印象が薄かった(この曲だけアルバン・ベルクのレコードを持ってなかったというのも大きかったかも)のですが、井上氏の著作で考えを改めました。でも僕の一番好きなのはやっぱり19番「不協和音」かな。
2006/7/17(月) 午後 1:42
ビバルディ・ロック・ギター・プログレ・クラシックの経過辿ったのでは同じではないですか!結局クラシックの殻から出ようとして又辿り着いたのかもしれません。(鮭のような感じ?)
2006/7/17(月) 午後 11:30 [ bar*ier*193* ]
barbieriさん、「プログレ」って言葉が出てくるあたり、tibiさんとも同じ世代ってことでしょうか?最近、人間って成長したように感じていても、結局子どもの頃と変わっていないのでは、といろんな場面で思います。変奏曲と同じ。様々なバリエーションが展開されても、底流にある主題(旋律)は一緒なのだと。
2006/7/18(火) 午前 0:04
お気に入り登録ありがとうございます!弦楽四重奏ですか、いいですね!弦楽器には私も惹かれてしまいます。私は最初はハードコア?というジャンルから入ったと思いますが、今は主にクラシックとジャズですね。今はモーツァルトのカルミナ・ブラーナを一度聞いてみたくて調べてもらっています。
2006/7/18(火) 午前 1:51
hagemimichannさん、こんばんは。スロヴァキアにいらっしゃるなんて羨ましい。画像のピルゼンとかピルスナーと書かれたビールを見ただけで、喉が鳴ってしまいます。楽しい話題を楽しみにしています。
2006/7/18(火) 午前 2:16
モーツァルト後半の弦楽四重奏曲は、どれも傑作ですね。特に、16番、17番(『狩』)は、昔から頻繁に耳にしていて、懐かしいような気分になります。18番は少々内面に向かうような曲想がなんともいえません。
2006/7/18(火) 午後 4:31
たぶさん、さすがモーツァルト全曲踏破?のお方だけあります!17番はともかく、16番を「昔から頻繁に耳にしていて懐かしい」と仰る方は、yahoo blogger広しといえども、そうはいないはずですよ。18番も私めは「毎日モーツァルト」のピーター・バラカン氏の影響で、聴き込んだのはほんのつい最近。あのツァラストラ・ふじやんですら、殆ど意識していなかった曲だそうですからに。今後は一層「たぶやんモーツァルト講座」でしっかり勉強させてもらいますデス。
2006/7/18(火) 午後 9:59
ハハ、こんなところでわたしの名が出ているとは! 今からもう一度聞いてみるとするかな。
2006/7/21(金) 午後 0:20
そりゃぁ、ふじやんのコメントは気にしまっせ!SQ18番、何や、ふじやんもそんなに詳しくないんかい。じゃぁ私が知らんのも無理ないわ。という訳です。でも聴けば聴くほど、しみじみしてくる曲ですね。
2006/7/21(金) 午後 10:47
ニ短調のピアノコンチェルトから、ロマン派が始まる〜〜〜〜〜!!!いい表現ですね。あれ以降、本当に表現が変わりますものね。傑作に!!!
2006/7/25(火) 午前 6:57
Miyako先生、ありがとうございます。自分はピアノ曲に疎いくせに、モーツァルトのピアノ協奏曲だけはなぜか昔から、大、大、大好きなのです。やっぱり番号順に聴いていくと、20番とか24番というのはひとつの大きな画期という気がしますね。
2006/7/25(火) 午後 11:02
18番。本当に「成熟した大人の音楽」ですね。最高傑作かどうかはわかりませんが、さりげない音楽(底の浅いという意味ではないのです)ですが、聞き耳を立てさせられます。「さりげない美しさ」は大変難しいです。そんなことを感じます。
2006/12/30(土) 午前 8:42 [ - ]
続いて失礼します。僕が中学生のころ(三十数年前)、木曜洋画劇場の終わりで「木星」がかかっていました。それが、今頃歌謡曲で流行るんですから、クラシックの底力を感じます。GUSTAVさんの遍歴をお聞きし、当時音楽の先生が教室で「木星」のレコードをかけてくれたら、みんな顔を見合わせて喜んでいたことを思い出しました。家にステレオ、レコードなんかない頃でした。長くなりました(^^)
2006/12/30(土) 午前 8:45 [ - ]
kazuさん、思えばやはり中学生の頃って一番多感な年代ですね。僕も3時間目の授業の後、給食の時間、音楽の先生に頼んでひとり音楽室に残り、ベートヴェンの「熱情」のレコードをかけてもらったっけ。今思えば中学の音楽の授業がクラシックへの入り口だったんだ!
2006/12/31(日) 午前 11:15