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<今日のモーツァルト>
ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482(1785年 29歳)
目下、私の一番お気に入りのピアノ協奏曲。いや、モーツァルト作品全体の中で、今一番好きな曲かも
知れない。きっかけは学生時代からずっと聴いてきたこの曲のロベール・カザドシュのピアノ/ジョージ
・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏(LP: CBS-SONY 13AC1067)の廉価盤のCD(CD: FIC ANC-48)
を偶然手に入れたからなのだが。朝につけ、夜につけこの曲ばかり聴いている。特に第3楽章ロンドは朝
夕の出社退社の車の中で必ずかけている。そしてこの弾むような付点音符の陽気な旋律を聴きながらいつ
も思う。「もし日本中のドライバーが、このロンドを聴きながら運転をしていたら、イライラとか我先に
とか思う心が起こす交通事故など絶対に起きず、毎日happyな気分で過ごせるだろうに」と。
この22番の第3楽章ロンドは映画「アマデウス」で使われたのでご存知の方も多いことと思う。
場所はDVDのチャプター・リストのNo.17「内情を探る」。場面でいうと、サリエリが新しいメイドを
モーツァルト邸に送り込んで、モーツァルトたちが留守の間にそっと彼の作っている作品を見ようとす
るのだが、そのモーツァルト夫妻がピアノを召使の男たちに担がせて、自分たちは馬車で皇帝ヨーゼフ
2世が待つ野外演奏会に向かい、その御前で弾き振りで演奏するのがこのロンド。皇帝らの前で得意満面
にピアノを弾くモーツァルト。それを誇らしげに微笑みながら見守るコンスタンツェ。この映画でモーツ
ァルトが最も成功の頂点にいる場面かも知れない。軽快な馬のひづめの音と、この曲のテンポの良い付点
のリズムとが絶妙にマッチしていた。
ちなみにこの少し前No.14「父レオポルト来たる」の直前、父レオポルトが初めてウィーンのモーツァ
ルトの住まいにやって来て待っているところへ、酔っ払い、ご機嫌でモーツァルトが朝帰りしてくるとこ
ろで使われていたのが、良く似たロンドのピアノ協奏曲15番の第3楽章。この主旋律って22番のロンドが
「タ、タンッ、タ、タンッ、タ、ターン、タ」と下から音階が上がっていくのに対し、15番のそれは反対
に高い方から下がってくるだけで、曲想は極めて良く似ているってことは前に指摘したとおりです。
(6/25ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/38372242.html )
さてこのピアノ協奏曲22番の3楽章の魅力ってどう言えばいいんだろう。天真爛漫、朗らかで悪戯好き
な、いつものお茶目なモーツァルトがそこにいる。でもそれだけじゃない。もうそれだけじゃない。
この突き抜けたような明るさは一種の悟りに近い。
「死は最も親しい私の友人です。」とモーツァルトは父への手紙の中で書いたといわれる。
なぜ彼は若くしてそのような死生観を持ったのだろう?パリでともに旅先にあった母の死を目の当たり
にしたから?
とにかくこれまでのような、いつもの陽気で底抜けに明るいモーツァルトの長調の曲なのに、なぜかこ
の曲の、それもフィナーレを聴いていると、その陽気さ、底抜けの明るさは「人間、いつかは死ぬんだ」
と悟りきった先にあるもの。「だから生きているうちが花なのさ。やりたいことをやって明るく生きよう
よ。」というモーツァルトのメッセージのように聴こえて、その至るところでその明るさに思わず涙ぐん
でしまうほど感動してしまう。
せっかくCDでも聴くようになったので、デジタルにその箇所を指摘しよう。
まずピアノがいきなり主旋律を奏で、オーケストラが和する冒頭の提示部が一段落したあとの、CDの演
奏表示でいうと1:20秒前後、オーケストラの3連附が「ザッ、ザッ、ザッ」とリズムを刻む中、静かにピ
アノが滑り込んでくるあたりのピアノのタッチのゾクゾク感!
そして楽章の中間部メヌエット (CD 4:00前後から始まる)アンダンティーノ・カンタービレ、変イ長
調 。まず管に出て、次いでピアノがなぞるこの旋律こそ、平行して作曲していた「フィガロの結婚」の
あの大団円で流れる、アルマヴィーヴァ伯爵が自身の浮気心への許しを乞い、伯爵夫人がそれを許す♪pe
rdono♪(許したまえ)の旋律を思い起こさせる。映画「アマデウス」をご覧の方は、あの映画の中で最
も印象的な場面のひとつである、息子の世俗的な栄達を望む父レオポルトと、これまた世俗的な幸せな生
活を夢見るコンスタンツェが言い争いをする中で、ひとり仕事場にあるビリヤード台の上で玉を転がしな
がら「フィガロ」の作曲を続ける孤独なモーツァルトの姿に重なるあの旋律がこの♪perdono♪の音楽だ
かつて「セビリアの理髪師」ではあんなに情熱的に愛してくれた夫が、長いこと愛の言葉を掛けてくれ
ることもなく、フィガロと結婚しようとする侍女スザンナに手を出そうとしている。この自分がスザンナ
に変装しているのにも気づかず、くどきの言葉を連ねる夫を、それでも「許そう」とする伯爵夫人。彼女
の心は、我々東洋風にいえば「諦観」ということになるのだろうか。そして「許し」の旋律はそのまま
我々にとっては「癒し」の音楽になる。
「いずれ人は死すべきもの。だからこそ人生明るく生きようじゃないか。深刻ぶっていたってしょうが
ない。」モーツァルトという作曲家の音楽にも彼の人生そのものにも、「諦観」にも通じた、人生の達人
ともいうべき決然としたものを感じる。このピアノ協奏曲第22番は、底抜けに明るい楽想だけに、その
ことを聴く者に強く意識させる一曲だ。
そういう想いがこみ上げてくるのを禁じえぬまま、いよいよ曲の大団円(CD 9:30秒過ぎ)にやってく
るピアノの最後のモノローグでは、もうこらえられない。「田舎っぺ大将」の大ちゃんの鼻ちょうちんの
ような大粒の涙がちょちょ切れてしまう私であります。
この曲は1785年の12月23日、ウィーンはブルク劇場で皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと開かれた、音楽家の
遺族たちのためのチャリティー演奏会で初演され、その第2楽章アンダンテ ハ短調がアンコールされた
という逸話を持つ。
また第1楽章ではティンパニーも活躍する、快活かつ堂々としたスケールの大きな協奏曲で、私個人的
にはモーツァルト全27曲のピアノ協奏曲の頂点に立つ作品と今は考えています。
仮にこの曲が頂点とすると、モーツァルトの後期のピアノ協奏曲は
22番
21番 23番
20番 24番
19番 25番
18番 26番
17番 27番
という興味深い前後のシンメトリーが成り立つと思うのですが,如何でしょうか?
演奏は前述したロベール・カザドシュのピアノ、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の1959年
の録音を好んで聴いてます。この自然児のような演奏に慣れ親しんでいると、評判のバレンボイムの弾き
振りの演奏などは、あたかも「フルトヴェングラーのモーツァルト」とでもいうような、テンポを動かす
やり方に不自然さを感じてしまうのであります。
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Franさんのようなピアノの専門家のひとこと、とても緊張しちゃいます。山型も「許し」の旋律も、このブログを書くために改めて22番聴いての思いつきです・・・
2006/8/1(火) 午後 9:53
shogoさん、「毎日モーツァルト」でもやっていたけど、一般的にはこの曲って短調の第2楽章の方が有名なんですね。知りませんでした。僕は22番といえば1楽章と3楽章の長調のイメージしか、正直言ってありません。
2006/8/1(火) 午後 9:57
もう、かないません!なんて名文なんでしょう♪次に何を記事になさるか仰ってくださいね、その前に書きますから!「死は私の最も親しい友人」という言葉は啓示的です。山型の構図、大賛成です。でも、私の最愛の曲は26番・・・やはり歳相応なのでしょうか。傑作、押さざるを得ません。
2006/8/2(水) 午前 0:12
スピンさん、ありがとうございます。僕も27番の枯れた感じというか、お葬式の翌日の抜けるような青空みたいな感じ(どんなんや?)が大好きなのですが、これも歳相応? (^_^;) お会いする日を楽しみにしています。
2006/8/2(水) 午後 9:29
この記事のことを考えながら、弾き振り演奏との聞き比べをしたくなりました。私個人的には23番も山の頂点に置きたいなって思います。
2006/8/3(木) 午後 4:21
たぶさん、23番もいいですね。モーツァルトの音楽の、ロココの要素を強く感じさせる名曲ですね。ピアノ協奏曲は20番と24番に挟まれた3曲は、どれを頂点においてもおかしくない傑作揃いだと思います。
2006/8/3(木) 午後 6:42
先週、22番と23番のバレンボイム/イギリス室内管を聴いていました。私の好みは23番ですが22番も第3楽章がとても素敵ですね。
2006/8/6(日) 午後 2:27 [ Rボーダー(´・ω・`)つ ]
Rボーダーさん、バレンボイムの悪口書いたみたいになっちゃってすみません。カザドシュ/セルの素晴らしさを言いたかったのです。やっぱり22番の第3楽章っていいですよね。
2006/8/6(日) 午後 4:25
モーツァルトの音楽の「深さ」を表されていますね。同感です。モーツァルトとシューベルト、愛しても愛し足りない、いとしの天才ふたりです。一方、バレンボイムの22番の演奏にやりすぎを感じるのは確かですね。わたしも昨年聴いたときに、わずらわしさを感じました。ところでシンメトリーの図は、ちょっとした驚きでした。27が最も低い評価だとは。わたしは13、23、27が最も素晴らしいと考えています。
2006/8/11(金) 午前 9:36
ふじやん、無事お帰りなさい。槍は松本市内からは常念の左肩にちょこんと槍先が見えます。槍はアプローチが長いので油断召されるな。図は17番から27番までの偉大なコンチェルト群を22番を頂点にするとシンメトリーになるなぁと面白がったもので他意はありません。作品の高低じゃないです。自分は17、22、23、27かな、やっぱり。
2006/8/11(金) 午後 6:29
槍から南岳への縦走は無理だろうな(槍平小屋を基点とした)と諦めております。ところで27番評価されているとのこと、納得しました!
2006/8/12(土) 午前 11:41
南岳までなら行けますよ。キレットの手前ですからね。(なんて20年前の記憶ですが…(^_^;)信州側に降りるなら南岳から天狗原に廻って天狗池に映る「逆さ槍」を見るのも一興です。ただし落石にご注意下さい。
2006/8/12(土) 午後 3:17
3楽章は、モーツアルトそのもの、これ以外の曲でも、27番、21番、もそのように思いますが!!!勉強になります。
2006/8/12(土) 午後 11:48
確かにモーツァルトのピアノ協奏曲の第3楽章は、どれも皆素晴らしいですね。特に陽気なロンドがいい。真の名曲は第1楽章より第3楽章(フィナーレ)がすばらしいものをいうのではないでしょうか。
2006/8/13(日) 午前 10:51
興味深く拝借しました。素人がモーツァルトのピアノ協奏曲に遭遇し向い合うと圧倒されてしまいます。
2006/8/14(月) 午後 11:49
ちぇりさん、ありがとうございます。ちぇりさんのモーツァルトのピアノ協奏曲のブログも19番まで来てますね。20番以降も楽しみです。
2006/8/15(火) 午後 0:58
22番。映画アマデウスからモーツァルトファンになった私はチャプターNo.17「内情を探る」の場面で流れる曲のCDが欲しくて、でも何番か分からず大量に買いあさった記憶があります^^;やっと見つけた22番はヘブラーの盤でした。
2006/8/29(火) 午後 0:24
まなべぇさん、結構そういうことってありますよね。でもそれってまた何かのきっかけになったりして、決して無駄にはならないのが世の中の面白いところ。まわり道したそのまわったところに新たな価値や発見が出てくるものですよね。人生は。(何だか昔の水前寺清子の演歌みたいなコメントになってしまいました。(^_^;)
2006/8/29(火) 午後 10:37
文章を読みながら映画の場面を思い起こしていました。私はサントラも持っていますが、曲の使い方は非常にいい映画だったと思います。私には「いずれ人は死すべきもの。だからこそ人生明るく生きようじゃないか。深刻ぶっていたってしょうがない」というのはポールマッカートニーのソロ作品にも見出されるような気がします。実はポールと長嶋とモーツァルトは似た性格だったのかも?と前々から思っています。私にとっては全てのピアノ協奏曲が閃きに満ちた傑作なので優劣は決められません(笑)
2008/9/1(月) 午後 8:54 [ john mclaughlin shakti ]
ポール・マッカートニーの曲のシンプルさと深刻ぶらないところは、確かにモーツァルトに通じるところがあるかも知れませんね。で長嶋ですか?ウーン、考えたこともない組み合わせで意表を突かれました。一見(or一聴)楽天的な印象がするという点で共通項があるのかも。とするとモーツァルトもB型ということになるのかな?
2008/9/2(火) 午後 9:15