クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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 <今日のモーツァルト>

        コンサート・アリア「私は知らぬ、この優しい愛情がどこからきたのか」K.294

        ヴァイオリン・ソナタ第24番 ハ長調K.296

 1月の終わりから始まったNHK-BS「毎日モーツァルト」は、モーツァルトが30歳の年、1786年の5月初演

の大作オペラ「フィガロの結婚」K.492 登場、の7月の末でひと休み。今月は夏の特集ということで

「モーツァルトと街」「モーツァルトと女性」といったさまざまなテーマで特別番組を組んでいる。

 私も今までこの番組の進行に沿う形でブログを書いてきたのだが、何せ向こうは週に5回(5曲)のペー

スで進むのに対し、こちらは週末にやっと1日の更新ということで、時間があれば書こうと思いながらそ

のままになってしまった話題も多い。そこでこれまでを振り返って幾つかのテーマを「落ち穂拾い」して

みようと思う。「補遺 毎日モーツァルト」だね!

 6ヶ月近く見てきた番組の流れの中でまず思い出すのは、3月の終わり頃やってた、マンハイムでのアロ

イジアへの恋心と、後ろ髪を引かれながらも彼女を残してパリに旅立ってしまったところ。

 アロイジアとはマンハイムの宮廷劇場の歌手フリードリン・フォン・ヴェーバー(あの有名なカール・

マイア・フォン・ヴェーバーの伯父にあたる)の次女アロイジア・ヴェーバー、当時17歳。彼女自身も宮

廷でも歌った駆け出しの歌手で、肖像画を見ると、ふっくらした頬の純な少女だった。

 ヨーロッパでも有数の音楽都市マンハイムでさまざまな音楽仲間と知り合ったモーツァルトは、とりわ

けこのヴェーバー一家と親しくなり、一緒に演奏旅行をする中で、ソプラノ歌手として非常な才能を持っ

たアロイジアのために幾つかのアリアを作曲し、モーツァルトがピアノ伴奏をし、アロイジアが歌うとい

うsituationの中で、彼はすっかりアロイジアに惚れこんでしまったのだ。


 モーツァルトがお熱を上げた女性というのは、「フィガロの結婚」の時のナンシー・ストーラス、「ド

ン・ジョヴァンニ」の際のヨゼファ・ドゥーシェク、そしてこのアロイジアのように高い音の出る美人の

ソプラノ歌手(コロラトゥーラ)っていうパターンが一番多いみたい。

 しかしその中で、モーツァルトがその生涯で最も強く愛した女性といえば、やはりアロイジア・ヴェー

バーではなかったか。

 もちろん彼の妻はコンスタンツェ・ヴェーバー。いわずと知れたヴェーバー家の4女でアロイジアの妹

 彼女が浪費家だとか、モーツァルトを置いて頻繁にバーデン・バーデンなどの温泉地に保養に出かけ散

財し、あげくにそこで若い男と戯れて、噂を聞いてモーツァルトがやきもきするとか、コンスタンツェに

は何かといい噂はないのだが、モーツァルト自身はずっと恋女房だと思っていたみたい。

 「おはよう!かわいい女房さん。君がよく眠り、何にも煩わされず、あまり突然起きたりせず、風邪を

ひかず、身をかがめたり反らしたりしないで、小間使いに腹をたてず、戸口の敷居につまずいたりしない

ことを祈るよ。僕が戻るまで家事の心配はしなくていい。とにかく君に何事も起こらないよう!」

これは新婚間もない頃、モーツァルトが早起きをして馬の遠乗りに出かけた時に、妻の枕元に置いた走り

書きのメモ。どうですか?女性の方々、朝起きてこんな置き手紙が置いてあったら。何気ない、いや他愛

もない表現だけれど、それだけに愛情が伝わってくる、『ラブレターの書き方』の教科書なんてのがあっ

たら、是非掲載されるべき優れた女性への恋文ですよね。

 という訳で「惚れ上手」のモーツァルトのこと、奥さんを大事にしたことも確かだけれども、アロイジ

アと結婚できなかったから、その妹コンスタンツェと一緒になったという面は絶対にあると思う。いわば

「形代(かたしろ)の恋」。

 何せ外見だけ考えても「黒い髪に黒い瞳の決して美人ではない」(とモーツァルト自身が言っている)

コンスタンツェと、最初は清楚、お次は妖艶な歌姫の肖像画が残るアロイジア。面食いのモーツァルトが

どちらかを取れといわれたら、後者を取るでしょう、おそらく。そして何といってもアロイジアには、モ

ーツァルトを生涯魅了し続けた天性の美しいソプラノの声がある。(モーツァルトはすでに人妻になった

アロイジアに生涯にわたって数々のアリアを捧げている。)

 さて、話を戻して、生涯を通じて最も愛したアロイジアとモーツァルトはなぜ結ばれなかったのか。

 それはパリで就職口を探すよう父親に叱責され、泣く泣くアロイジアのいるマンハイムを離れ、モーツ

ァルトがパリに旅立ってしまったから。

 ここにモーツァルトの人生を考える上で重要な要素(だと僕が思う)である、父レオポルトへのファー

ザー・コンプレックスという問題が横たわっているように思う。

 1778年2月4日の手紙でモーツァルトは父に、ヴェーバー一家のために(つまりアロイジアのために)イ

タリアに一緒に旅行するので、アロイジアがヴェローナの宮廷歌劇場の歌手になれるよう働きかけをして

くれるよう頼んでいる。モーツァルトとしては自分のつくったオペラで、コロラトゥーラを駆使したソプ

ラノをアロイジアに歌わせ、オペラの本場イタリアで一旗上げようという目論見なのである。というより

どうしたら恋するアロイジアと長くいることができるか、そのためにどのような戦略が必要かつ父レオポ

ルトを説得できるか、世渡りに疎いモーツァルトが必死に考えた策なのである。

 しかしそれに対する父の答えは冷たかった。

 「お前が平々凡々たる音楽家として世間から忘れ去られてしまうか、それとも有名な楽長として(あく

までレオポルトの頭の中には、出世というのはどこかの楽長になるというレベルなのですね)後世の人た

ちにまでも書物の中で読んでもらえるようになるか、それはひたすらお前の理性と生き方にかかってい

る。」(1778年2月12日の手紙より)

 モーツァルトの心は揺れ動く。父の言葉にしたがってもはや就職の見込みのないマンハイムを離れるべ

きか、それとも父の意思に背いても愛するアロイジアのいるこの地にとどまるべきか。

 そんな悩める22歳の青年モーツァルトの元へ、父からの決定的な手紙が届く。

 「お前はパリに発つのです!しかもすぐに!パリに行けば世界的な名声を得ることができるのだ。」

 父にきつく戒められ、3月モーツァルトはついにマンハイムを離れる決意をする。出発の2日前、マンハ

イムの音楽仲間がささやかな演奏会を開いてくれた。曲目は、


 3台のピアノのための協奏曲K.242(ピアノ協奏曲第7番)(アロイジアが第2ピアノを弾いた)

 コンサート・アリア2曲 「静かな空気」(『レ・パストーレ』より)

            「私は知らぬ、この優しい愛情がどこからきたのか」K.294


 もちろんモーツァルトが伴奏し、アロイジアが歌った。モーツァルトにとっても、アロイジアにとって

も万感胸に迫る演奏会だったことだろう。

 「ヴェーバー嬢は僕への想い出とささやかな感謝のしるしとして、2対のレース編みの袖飾りを心を込

めて編んでくれました。別れる時、みんな泣きました。玄関の戸口に佇(たたず)み、僕が街角を曲がるま

でずっと「さようなら」と叫んでいました。」(3月24日の手紙より)

(この場面、番組では当の3月24日に放送してくれました。NHKも芸が細かいのぅ。この日使われたBGM

はヴァイオリン・ソナタK.296。モーツァルト特有の憂いを秘めた穏やかな長調の調べが哀しい。)

 ヴォルフガングよ、なぜアロイジアを残してパリに行ってしまったんだぃ?

 パリで職を見つけ、ひと旗あげてアロイジアを迎えに来ようと想ったのかぃ?

 人生は移ろいやすい。ましてや女心は移ろいやすい。時を逃がしたら、それは二度と手にはできないん

だよ!

 案の定、それからわずか9ヶ月後。パリで職を得られず、その上旅先で母も亡くした傷心のモーツァル

トは父の帰郷せよという言葉を無視して、マンハイムのアロイジアの元を訪れる。しかし一家はすでにミ

ュンヘンへ。この年の暮れ、ようやくたどり着いたミュンヘンで再会したアロイジアは、もう9ヶ月前の

アロイジアその人ではなかった。すでにミュンヘンで歌手として成功し、脚光を浴びていた彼女の心はす

っかりモーツァルトから離れていた。冷たくそっけないアロイジアの態度にモーツァルトは落胆する。

「今日はただ泣きたいだけです。…もともと僕は字が下手くそです。でも生まれてから今度くらいまずく

書いたことはありません。僕には書けないのです。心は今にも泣き出しそうです…」(12月29日父あて)

 
 それから3年半後。1782年の8月4日、ウィーンのシュテファン大聖堂でモーツァルトはアロイジア

(すでにウィーンの宮廷俳優ヨーゼフ・ランゲと結婚していた。ちなみにこの夫君は、後にモーツァルト

の肖像画の中で最も有名な、憂いを帯びた未完成のモーツァルト像を描いた、あのランゲである)の妹

コンスタンツェと結婚する。故郷にいる父の反対を押し切って。

 
 1778年22歳のモーツァルトには父の意思に背いて、アロイジアとの人生を選ぶことはできなかった。

 しかし1782年26歳の彼は、父の懇願を無視し、コンスタンツェと結婚した。

 その違いは何だろう。もちろんその間の1781年5月の大司教コロレドとの反目から故郷ザルツブルクを

飛び出し、ウイーンに新天地を求めたことが大きい。コロレド、そしてザルツブルクとの訣別は、同時に

初めて父からの独立を意味する。様々な束縛から離れ、ウイーンで自らの才能だけに頼って生きようとし

た青年モーツァルト。

 しかしその後もモーツァルトの意識にはたえず父の存在というものがあったに違いない。映画「アマデ

ウス」でも父レオポルトが死んだショックを振り払うように、というより死後も自分の中に住み続け君臨

しようとする父の影を断ち切るように、すなわち自らのファーザー・コンプレックスとの戦いがオペラ

「ドン・ジョバンニ」のモチーフだというように描かれていた。(さらには未完の「レクイエム」の謎

の依頼者に、父の幻影を見るというような味付けもしていた。)

 自らの父親コンプレックスの呪縛から逃れるほどにはまだ成長していなかった22歳のモーツァルト。

 それがために彼は、おそらくは生涯に出会った中で最も愛したであろう女性アロイジアをしっかりと離

さずに自分の元につなぎとめておくことができなかった。


 この話が私の心を打つのは、この世に生まれたいかに多くの男と女が、様々な理由から、モーツァルト

のように一生で一番好きだった人と一緒には なれなかっただろうという事実への感歎からである。そし

てその冷徹な人生の真実から多くの悲劇がうまれ、喜劇ができ、さらにはそれをモチーフにした恋愛小説

が生まれ、お芝居が存在し、芸術作品があるのだというのも、また人間世界の真実だろうと思う。

               

                涼しさや 鐘をはなるる かねの音              蕪村

閉じる コメント(14)

悲恋がモーツァルトに名曲を生ませた!とでも言っておかないと、モーツァルトさんもうかばれないですね。モーツァルトは、幸せになっちゃったら作曲などしなくなっちゃいそうなイメージがあります。なんとなくですけどね。

2006/8/14(月) 午後 11:50 [ mks*eet*105 ] 返信する

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mkさん、早速にコメントありがとです。モーツァルトはコンスタンツェも含めて、生涯にわたって多くの曲が女性との出会いやかかわりによって誕生したと言われてます。アロイジアとうまくいってれば、少しはソプラノのためのアリアの曲がふえたかも知れませんね。

2006/8/15(火) 午後 1:16 gustav 返信する

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大変読み応えがありました。人生って思うようにいかない、その苦さ、悲しさが、あの美しい数々の名曲を生み出す原動力となったのですね。

2006/8/15(火) 午後 8:14 miffy_toe 返信する

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モーツァルトを取り巻く人々のおかげで、ステキな音楽の数々が生まれたわけですよね。モーツァルトの失恋や挫折にも感謝したい気持ちになってしまいます。

2006/8/16(水) 午前 9:08 そにあ♪ 返信する

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すてさん、モーツァルトに限らず、一生で一番好きだった人と一緒になれる確率ってどのくらいなんでしょうね?たぶんそんなに高くはないと思います。でもそうだからこそ、様々な喜悲劇や芸術作品が生まれるんでしょうね。

2006/8/16(水) 午後 10:11 gustav 返信する

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たぶさん、「毎日モーツァルト」はこれから「フィガロ」以降の彼の晩年に入る訳ですが、予約演奏会の予約も激減し、大衆から見放されたモーツァルトが、貧困と健康を害する中、そういう状況だからこそ、まさに生み出された名曲が、いよいよ登場してきますね。後半も楽しみですね。

2006/8/16(水) 午後 10:21 gustav 返信する

映画「アウス」は私も観ました。あの映画ではモーツァルトは妻を心から愛してはいるようには思えませんでした。やはり一生のうちで一番愛した女性はアロイジアだったのでしょうね。一番愛した人と結婚できることはもちろん幸せですが長年一緒に生活していると気持は「恋」から「愛」へと変わっていつのまにか情熱は覚めてしまうのでは(・・?(これは私の場合ですが(笑))添い遂げれなかった情熱を一生抱いているのもある意味ロマンチック。それが彼の創作性を才能以上に高めていたのかもしれませんもの・・・♡

2006/8/18(金) 午前 11:11 [ pia*o2*67 ] 返信する

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モーツァルトという人はおそらく、誰が奥さんになっても一生出会う女性、出会う女性に恋をし続けたと一方で思います。幼い頃の神童モーツァルトは周囲の人々に”Du liebst mich?"(僕のこと好き)と訊ね続け、Neinとでも言われようものなら、たちまち大粒の涙を流したというエピソードの持ち主だったんだそうです。

2006/8/18(金) 午後 10:25 gustav 返信する

これから、ゆっくり、他の記事も読ませていただきます!

2006/8/19(土) 午後 3:36 senro129 返信する

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senro129 さん、はじめまして。登録ありがとうございます。僕も昔は「電車大好き少年」鈍行で青森行ったり、稚内行ったりしてました。こちらもそちらの記事をゆっくり読ませていただきます。どうぞよろしく!

2006/8/19(土) 午後 8:04 gustav 返信する

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GUSTAVさん楽しく読ませて頂きました。アロイジアとの恋は悲しい結末でしたが、モーツァルトはコンスタンツェとの結婚式で声を上げて泣いたり、自らミサ曲(K.427だっけ?)を書いて神に捧げようとしたり、ミサ曲の一部を彼女に歌わせたりしていたところが私は好きです。でもコンスタンツェからみてお姉さんを愛していた(いる)人が自分のところにきて嫌じゃなかったのかしら?と思うこともありますが。やっぱり、一番好きな人とは結ばれないことの方が多いのでしょうね。

2006/8/19(土) 午後 10:14 [ - ] 返信する

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ぱみーなさん、返事が遅くなりすみません。ミサ曲K.427の話はいい話ですね。それだけモーツァルトは純粋で、奥さんが誰であれ、それ相応にしっかり愛していた証拠だと思うのです。それに今回の「毎日モーツァルト」で、この曲が映画「アマデウス」でサリエリがモーツァルトの自筆譜に陶然となったあの官能的なソプラノの曲だということが分かり、またひとつ名曲を心に刻むことができました♪

2006/8/27(日) 午後 10:42 gustav 返信する

恋にも仕事にも一生懸命で35年の人生を生き急いだモーツァルト。今年同じ年になる私。天才と比較するのはおこがましいですが、もうちょっと見習って頑張らなくては^^;

2006/8/29(火) 午後 0:18 まなべえ 返信する

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まなべぇさん、ちょうど35ですか。羨ましい!そこから更に10年も齢を重ねてしまうと…。でもモーツァルトのこと考えると、逆にせっかく余計にもらった人生、大切に生きようという気にもなりますね。

2006/8/29(火) 午後 10:32 gustav 返信する

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