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NHK-FMの番組編成担当者の方は当ブログを見ているのかなぁ?(嘘)
前回採り上げた弦楽五重奏曲第3番K.515、第4番K.516を含むモーツァルトの弦楽五重奏曲4曲が、
あさって8日、日曜日の午前9時から、NHK-FM黒田恭一さん司会の「20世紀の名演奏」という番組で放送さ
れるそうです。
前回の記事で「室内楽の40番、41番」といわれる五重奏曲第3番K.515、第4番K.516に興味を持ったけ
れど、レコード持ってなくてまだ曲を聴いたことがないという方は、是非エア・チェック(我ながら古い
言葉!)されてはいかがでしょうか?
NHKの番組表によりますと、当日は「1960年代の名演」と紹介したブダペスト弦楽四重奏団+ワルター
・トランプラー(va)の演奏で、「弦楽五重奏曲 ハ長調 K.515」(32分33秒)
「弦楽五重奏曲 ト短調 K.516」(33分46秒)
「弦楽五重奏曲 ニ長調 K.593」(25分47秒)
「弦楽五重奏曲 ハ短調 K.406から第1、2、4楽章」(17分37秒)
(CD:SONY SICC437〜9)の4曲が演奏されます。
私が申し上げたいのはアンリ・ゲオン、小林秀雄が「疾走する哀しみ」と称賛した第4番ト短調K.516
や第3番ハ長調K.515(前者が交響曲でいうと40番に、後者が41番「ジュピター」にもなぞらえられる世
にいう傑作)が、ずーっと「毎日モーツァルト」を1月から見て聴いてきた人間からすると、「フィガロ
の結婚K.492」以前の曲と比べて、「音楽が流れていない」つまり「モーツァルトらしくない」のだ。
(と私には感じられて仕方ない。)
それは当日最後に流れる第2番ハ短調K.406と比較すると明らかなように思う。K.406はウィーンに出
てきた翌年、1782年モーツァルトの26歳の年に「ハルモニー・ムジーク」(当時ハプスブルク家の当主だ
ったヨーゼフ2世が好んだといわれる室内楽用管楽アンサンブル)のひとつとして作曲されたセレナード
第12番ハ短調K.388「ナハトムジーク」を弦楽五重奏曲用にモーツァルト自身が編曲したものである。
K.388ということは、つまりまぎれもない「フィガロ以前」の作品。弦楽五重奏版で聴いてみてほしい。
K.515やK.516よりも、はるかに音楽が流麗に「流れて」いるのだ。
では、なぜ「フィガロ以前」の作曲のK.406(すなわちK.388)が流麗に流れ、K.515やK.516が
「流れない」のか?正直うまく説明できない。「フィガロ以後」のK515、K.516作曲当時、モーツァル
トは不調だったのだろうか?ものの本にはハ長調K.515の自筆楽譜には、モーツァルトには珍しく訂正箇
所がたくさんあるという。(井上太郎『モーツァルトの部屋』ちくま学芸文庫 1995年)それだけ苦心の
末の作品ということができよう。「フィガロ以後」のモーツァルトの頭の中には、「フィガロ以前」には
考えなかった創作上の何かがあったのだろうか?それともそれは天才モーツァルトの退歩を意味するのだ
ろうか?
そんな訳で、日曜日のFMで流れる「弦楽五重奏曲ハ長調K.515」と「ト短調K.516」の2つと、最後の
「ハ短調K.406(ただし第1、2、4楽章のみ)」を聴き比べてみて、ご感想をお寄せいただければ嬉しいで
す。(「そんなことないぞ!「疾走する哀しみ」のK.516は最後まで疾走していたゾ!」とかねっ!)
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手元にスメタナ+スークのCDがあり、聴いてみました。流麗で重厚ですが、少し暗いと思いました。3番や4番を作ったころ、自分の健康や父の病気のこと、お金のことなどでかなり追い込まれていたとCDの解説書に書いてありました。そんなことが影響しているのでしょうか。
2006/10/8(日) 午後 0:39 [ - ]
あと、せっかく聴いたので、このCDの記事を書きたいと思います。パクリみたいで申し訳ありません…
2006/10/8(日) 午後 1:05 [ - ]
パクリなんて「とんでもなーい!(ラーメンズの口調で)」楽しみにしています。
2006/10/9(月) 午後 11:06
ありがとうございます!! 更に1&5番も聴いてみます。これらの名曲のCDを安易に開封するのはもったいないです。気合を入れて聴きます。
2006/10/10(火) 午後 7:51 [ - ]
はじめまして、履歴から遊びに来ました。自分もスーク&スメタナのモーツァルト弦楽五重奏曲集6曲(DENONレーベル)を持っています。3番K515は特に第2楽章が気入っています。4番K516は深刻ぶっても所詮はネアカって感じな終わり方をしているように思えます。両方とも名曲と思っています。
2006/10/10(火) 午後 10:36
スティーブさん、こんばんは。スメタナ・ファン多いですね。もちろん両方とも名曲に違いありませんが、4番の場合、ト短調の第1楽章はちょっと皮相的な感じがするし、フィナーレは短調な序奏の後の「ネアカ」な主題が、これまたちょっと取って付けたような明るさって感じがまだします。4番ファンの人、ごめんなさいね。
2006/10/10(火) 午後 10:54
そうなのですか。モーツァルト、聴きたくなってきました。ネットでも、聴けるのでしょうか?FMの方が、いいのかしら?
2006/10/11(水) 午前 11:45
ROSEさん、ネット事情は詳しくありませんが、クラシック音楽が聴けるサイトも今はあるかも知れませんね。HMVのHPではディスク紹介で各楽章のさわりが聴けるようになっています。http://www.hmv.co.jp/
2006/10/11(水) 午後 9:20
私もKV406が他の五重奏曲に比べると、美しいように感じていました。五重奏曲作曲への意欲の問題かな〜と安易に考えてましたが・・・。後に作られたものの方がしっくりこないって言うのはなんとも不思議ですね。
2006/10/12(木) 午後 0:28
たぶさん、共感して下さってthanks!やっぱりこの頃(フィガロ以降)のモーツァルトって、それまで考えなかったことを曲作りの中で考えるようになった、という気がしてなりません。それが何なのか、まだうまく言葉にできないのですが…。
2006/10/12(木) 午後 10:31
モーツァルトは弦四よりも重厚さを増す弦楽五重奏という形で、重さや豊かさ、内面的に充実したものを表現したかったんではないでしょうか。だから515、516に限らず他の弦五も、他の形式の音楽より流れが悪く感じられる部分が多くなるのでは、と思ったりもします。K406も、管楽合奏版からみれば流れは悪くなっていますよね。スメタナ+スーク盤ですと流れはほとんど重要視されていません。わたしは、そういう一種の暑苦しさこそ弦五の特徴だと理解していたのですが。
2006/10/13(金) 午後 1:48
ふじさん、分かってきたような気がしますよ。「重さや豊かさ、内面的充実を表現したかった」「一種の暑苦しさこそ弦五の特徴」つまり流れを悪くしてまで内面的なものを表現したかったモーツァルトの弦楽五重奏曲こそは、あのベートーヴェンの弦楽四重奏の世界の先駆けということ!?
2006/10/13(金) 午後 10:44
私も弦楽五重奏曲についての記事を書いたので、トラバさせてくださいね。
2006/10/16(月) 午後 7:58
TBありがとうございました。弦五は「限りなくオーケストラに近いもの」今まで、弦五を弦楽四重奏の方からしか見ていなかったので、ガツンと頭を叩かれた思いです。ナルホド!K.515はやっぱり「冒頭のチェロの上昇する分散和音」がいいですよね。確かにこの曲「湖の底から沸いてくる大きなエネルギー」を感じます。「長大な曲になったのは妙な気合が入ったせい」それもたぶん正解ではないでしょうか。いろいろと勉強になりました。
2006/10/17(火) 午前 0:44
GUSTAVさん。その後、通勤のとき弦楽五重奏曲1番&5番(スメタナ+スーク)を何度も聴いています。1番の1楽章の明るさや2楽章の和風ぽいちゃめっ気、5番の完成度の高さ(?)など、良いです。一応1番〜6番まで、聴くことができました(感謝)
2006/10/18(水) 午後 9:31 [ - ]
kazuさん、良かったですね。But私はLPの1枚物で2番&6番、3番&4番の2枚しか持っていないので、1番&5番は未聴です。ぺこ <(_ _)>早くCD買って聴いてみます。
2006/10/18(水) 午後 10:17
こんばんは。
改めて読ませていただき色々と考えさせられました。
年表を確認してみるとこの時期は確かに<流れていない>というか、ご指摘のフィガロ以降数ヶ月?細かな事は解らないのですが「澱み」を感じます。その時代を象徴する完成形が「ドン・ジョバンニ」ではないでしょうか。(あのオペラ何故かカフカ「城」を思いだす。)原因はフィガロが不評とか、レオポルトの死や借金等様々な要素があるのかもしれませんが、人間って創作アイデアが出てこない時期って普通にあると思うのです。出てこないと作業に終始する。ところが本意とは裏腹に稼がなければならない。直感と感情というより知識と行為を優先せざろうえない。これはモーツァルト的じゃない。
つまり「疾走しない哀しみ」かもしれません。
2014/3/1(土) 午後 9:09 [ JH ]
このような古い記事にコメントいただき、感謝です。先日の鎌倉の街を歩きながらの文学者談義、面白かったです。とりわけ小林秀雄について。そこで是非この記事の1つ前の記事、つまり10/1の記事について堀内さんのご意見をお聞かせ下さい。何せこちらは小林秀雄は高校時代に「考えるヒント」をちょこっとと、学生時代に「モオツァルト」を読んだだけなので、文学者小林秀雄をよく知らぬ人間が知ったかぶりで書いた文章で的外れなのではと、以前から危惧しているのです。
2014/3/2(日) 午後 8:37