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「庶民性と芸術性との見事な融合。しかもそれを高いところまで持ち上げていった素晴らしい作曲家だ
と思います。モーツァルトはお父さんからいつもいつも「お前の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作
れ。」と言われていたそうです。その中でこの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は、簡素で優し
くて、しかも立派に完成している名曲で、お父さんから言われていた課題を、ここで見事に乗り越えたと
いうことができますし、彼の作曲のひとつの頂点を極めた作品だと思います。」
これは先日のNHK-BS「毎日モーツァルト」セレナード第13番ト長調K.525通称「アイネ・クライネ・ナ
ハト・ムジーク」の回のゲスト、ミュージカル作曲家甲斐正人氏の同曲へのコメントである。
全くおっしゃる通り。数あるモーツァルトの作品の中でも、この曲は最も人口に膾炙した作品であり、
名曲である。事実NHKのこの番組でもタイトル曲に使われている。(ただし使われているのは第3楽章メヌ
エット、というところが秀逸!第3楽章ってやっぱり曲と曲のつなぎというか、次への期待感を感じさせ
ますね。)
600曲を超えるモーツァルトの作品はすべてが名曲といってもいいくらいだが、その中でも特にこの
「アイネ・クライネ」のように、曲の最初から最後までまさに完璧!という以外に表現のしようがない
ほどcompletelyな作品というものが幾つかあるように思う。もちろんそのように指折り数える曲は人によ
って違うだろうが、私が選ぶとすれば、
ディヴェルティメントK.136
ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」
弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」
交響曲第40番ト短調K.550
そして「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」 ということになるだろうか。
ところでこのセレナード第13番ト長調K.525は、実は20世紀になるまではほとんど知られていなかった
今のようなポピュラーな名曲となったのは、1930年代以降なのだそうだ。その背景には1920年代に普及し
たSPレコードの存在があるという。この作品の各楽章がちょうどSPレコードの片面に収まる長さで、レコ
ード2枚で全曲が鑑賞できるという利点から、当時ベートーヴェンの「運命」と並んで、最も売れ筋のレ
コードになったことに始まるという。
現在でもCDの現役盤だけでも50種類ある人気曲だが、SPの時代に比べると、CDの中のたくさんの曲の中
のひとつという存在になり、モーツァルト関係でも昔よりは考えられないくらいの多様な曲が録音される
ようになった今日、その位置づけはSP時代よりは相対化されてきているといえよう。
もうひとつ、この曲はセレナードな訳だが、誰のために、何のために作られたのか、今日でもまるで分
かっていない謎の名曲だという。1787年、モーツァルト31歳。父の死からそう日も経っていない、そして
オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の作曲に全力を傾けていた時期の作品である。
改めてレコードに針を下ろして聴いてみる。(古楽器を使って実に19世紀的なロマンティックな演奏を
聴かせるコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。1974年、例によってのドイツ バイエルン州キルヒハイ
ムはフッガー城、糸杉の間での残響豊かな録音。)(LP:ULS-3134-H)(CD:BVCD-38043)
(他にブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団 1958年)(LP:20AC1805)
第1楽章 コレギウム・アウレウムの特徴である羊腸弦の響きの柔らかさ、美しさに身も心も癒される
改めて感じることは主旋律の親しみやすさと、対旋律というか主旋律にからむ和音の絶妙さ。それによっ
て醸し出されるハーモニーの心地良さ、快感。この曲が伝えるのはまさにウィーンという街の「粋」、
当時の黄表紙などに活写された江戸時代の江戸っ子が競ったところの「粋」と同じ意味での、洗練された
ウィーンの「粋」(いき)の粋(すい)が音楽になったのが、まさにこの曲なのではないだろうか。
全体を通して私が感じたこと。それは「ドン・ジョヴァンニ」の作曲の合い間に作られ、創作の動機や
経緯が分かっていないというこの曲は、やはりこの年の父の死と大いに関係があるだろうということ。
1787年5月28日、父レオポルト死す。そのわずか2週間後、モーツァルトは「音楽の冗談」K.522という
まさに冗談としか思えない作品を残す。これは、意外にも冗談好きだった父レオポルト(「おもちゃのシ
ンフォニーなんていう作品もありましたな。)をまさにモーツァルト一流のパロディなやり方で弔うもの
だ。
そしてこのセレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」も件の甲斐正人氏
がいうように、「お前の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作れ」という亡き父への回答として、そして
父レオポルトへの弔いとして捧げられた個人的なメッセージが強く込められた作品だと感じたのだが、い
かがであろうか。
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もっと優しい曲、たしかにこの曲は何も考えなくても耳にすぅーっと入ってくる気がします。そして、わたしはこの曲を聴くと宮廷が思い浮かびます。ディヴェルティメントもおなじ感じがします。でも作曲の背景を知るとまた違った印象が出てきますね。
2006/10/15(日) 午後 8:31 [ mks*eet*105 ]
アイネクライネが、1930年以降に知られるようになったというのは、大変興味深い話ですね。勉強になります。メディアの発達による認識というのは、昔も今もそんなに変わらないとも言えますね。
2006/10/16(月) 午前 4:06
mkさん、早速のコメントありがとうございます。僕はねぇ、この曲聴くとまず夏の夜のひんやりした皮膚感覚をおぼえます。(信州ならでは?)確かに宮廷の優雅な感じもしますね。そしてやっぱりモーツァルトって人間じゃなくて神様?などと本気で思ってしまいます。
2006/10/16(月) 午後 11:55
しも様、実は僕も「毎日モーツァルト」で初めて知りました。…(^_^;)今我々が思ってる「そ・ん・な・の・常識ーぃ♪」というのも案外当てにならないものなのだなぁと改めて思わされますね。20年後には「のだめカンタービレ」は古典になっているのでしょうか?
2006/10/17(火) 午前 0:09
「アイネクライネ」は体に馴染みやすい曲ですね。この曲が知られるようになったこととレコードとの関係、初めて知りました。モーツァルトなりの、お父様への弔いの言葉、同感です。
2006/10/17(火) 午前 6:58
先週末東京でルツェルン・フェスティバルオケのコンサート聞きました。アバド得意のマーラー6番とあって、高揚感は抜群でした。オケのアンサンブルの緻密さは、さすがにイマイチの感じがしましたが、オケ中にマイヤーやエルベンやハーゲン兄妹やクリストや…そうそうたるメンバーが並んでいるのは、やはり壮観でした。翌日の東京響のシベリウスもなかなかでした。特にイダ・ヘンデルのVn.コンチェルトは聴きものでした。11月またいくつか地元のコンサート行きます。
2006/10/17(火) 午後 5:06 [ niw*b*2000 ]
たぶさん、弦楽五重奏曲、たぶさんの記事の方が1枚も2枚も上手でした。勉強になりました。「体に馴染みやすい」江守徹風に言えば「無理がないからウソがない。ウソがないから無理がない。」というところでしょうか。
2006/10/17(火) 午後 10:45
niwabu、アバド/ルツェルンの6番はさぞかし良かったことでしょう。こちらは地元でアンサンブル金沢の40番を聴きました。あさっては伊那まで行って「トスカ」を見てきます。天井桟敷で。
2006/10/17(火) 午後 10:48
アイネクライネナハトムジークは、タイトルも素敵ですし、曲も素敵です。この曲を聴いていると、弦楽器の美しさを実感します。優しい曲を作るのは、案外難しいのかもしれません。
2006/10/20(金) 午後 8:16
すてさん、クライネ=「小」夜曲というのは、普通のセレナードは管楽器を入れて野外用に大編成にするのに対し、この曲は弦楽器だけの小編成。で作曲の由来は謎なのだそうです。しかしこの曲をモーツァルトが遺してくれたことに、我々は感謝しなければなりませんね。
2006/10/21(土) 午前 10:36
実はこの曲のよさがわかっていなかったわたくしです。そういう美だったのかと納得させられました。アポロン的というようなものですね。シューベルトのソナタとは正反対の美ですね。今から早速聞いてみようと思います。ワルター/WP、ワルター/コロンビア(モノの方が確かあった)、それから新しめの1種類。何があったっけ。
2006/10/22(日) 午前 10:48
ふじやん、全くそうですね。世に名曲と言われているものほど、つきあい方が難しいように思います。僕の場合モーツァルトでは何といっても交響曲40番と41番かな?明日から「毎日モーツァルト」でいよいよ3大交響曲。見方、聴き方が変わるかも知れません。
2006/10/22(日) 午前 11:47
アイネクライネナハトムジークはアンネの日記の作者のアンネフランクが心の支えにしていた曲ですよね。ですからつらいものがあります。ずっと以前アンネフランク展に行ったときもこの曲がずっと流れている中でユダヤ人収容所の悲惨な後景を見なければならなかったのです。和風っ子にとって、この曲イコールユダヤ人収容所またはホロコーストのイメージで繋がってしまうんです。和風っ子にとっては好めない曲です。すいません。ところで今日の和風っ子のブログで「黄葉」使わせて頂きました。ありがとうございました。
2006/10/23(月) 午後 6:04
和風っ子さん、アンネとナハト・ムジークとの関係は知りませんでした。それはつらいですよね。モーツァルトの音楽は本来この世で一番ホロコーストのイメージには合わない、相容れない音楽でしょうから。アンネ・フランク展でこの曲を流した関係者の神経を疑ってしまいます。アンネの心の中でこそ鳴っていた音楽なのでしょうから。
2006/10/23(月) 午後 11:39
もともとは5楽章あったとか、本来は弦楽五重奏で演奏するべきだ、とか、ポピュラーな割には謎の多い曲ですよね。ぼくもこの曲は限りなく完璧に近い名曲だと思いますが、じつは現在われわれが聴いている「完璧」さがじつは本来モーツァルトが構想したこの曲の形ではない可能性もあり…その辺も面白いと思います。
2006/10/27(金) 午後 9:53 [ 文房具009 ]
ユリ・ゲラー3世さん、おっしゃるとおり「完璧」というのも、われわれの勝手な思い込みかも知れませんね。この曲に込められたモーツァルトの思いも、想像するしかありません。ただ現在伝えられる4楽章の曲の美しさを感謝を込めて享受させていただく。できうる限り心に沁み込ませる。それしかできませんね。
2006/10/28(土) 午前 11:28
アイネクは、可愛らしくてとっても素敵な曲ですよね。でも、これが世に知られるようになったのは、ごく最近だとは初めて知りました。ということは、アマデウスに描かれている、サリエリがこの曲を神父さんに聞かせる場面は作り話ですね。まあ、映画ですし。
2006/10/29(日) 午前 0:34 [ nakkun ]
なっくん、お久しぶりです。そうですね、あのエピソードはフィクションの可能性が高いですよね。「アマデウス」はモーツァルトを神格化していたような人には、良い刺激になった映画だと思うのですが、逆にあの映画に出てきたエピソードがすべてホントだと、またまた誤った先入観を何人かの人には植え付けてしまった側面もあるでしょうね。それにしても良くできた映画でした。さすが「カッコーの巣の上で」(古ーい!)のミロス・フォアマン!
2006/10/29(日) 午後 3:40
アマデウスは僕は中学の時に見たのですが、それ以来ずっと見てませんでした。印象に残った場面はいっぱいあったのですが、オランダでザルツブルクの帰りに空港でDVD買って(>_<)、あらためて良く出来た映画だと思いましたよ。ディレクターズカットなので3時間くらいあるのですが、時間を忘れさせますからね。問題は、またここで見ようと思ったとき、PALなので普通には見られない、ということくらいでしょうか(^_^)。
2006/10/31(火) 午後 11:39 [ nakkun ]