クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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 1ヶ月以上のごぶさたです。その間なかなか更新されないにもかかわらず、毎日のように訪問していた

だいた方々に申し訳ないと思う気持ちと、見捨てないでいただきありがたい気持ちでいっぱいです。

 それにしても11月は僕にとって鬼門のようです。昨年の11月もほぼ1ヶ月ブランクができてしまいまし

た。今年は各種研究会、学会、フォーラム、セミナー、そしてオペラ鑑賞にコンサートと毎週のように週

末イベントがあり、東京や長野、あっそういえば教え子の結婚式に伊那に行ったこともありました。

 考えてみれば「文化の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」と秋は何かにつけて、1年やっ

てきたことの集大成としての発表会その他のイベントが目白押しなのですが、その秋の中でも季節が押し

迫った11月にそれらの行事が集中するのだなと改めて思いました。

 さてそんなこんなでモーツァルトの記念イヤーとしての大詰めのところで、またクラシック音楽歳時記

としても昨年書けなかった「秋(晩秋)の作曲家ブラームス」の作品を取り上げられなかったのは痛い。

特に11月にブラームスのさまざまな室内楽曲を紹介できなかったのは2年続けてで、それではこのブログ

のタイトルである「クラシック音楽歳時記」の重要なレパートリーがごっそり抜けてしまっていることに

なってしまい、訪れてくれた皆さんに申し訳ない気持ちと、自分自身残念な気持ちで一杯です。

 まっ、ブラームスは来年またその時季に紹介するということで、このブログを来年も続けるモチベーシ

ョンにさせていただきたいと思います。

 で問題はモーツァルトですよね。11月、12月と留守を決め込んでいる間に、TVの「毎日モーツァルト」

はどんどん進み、モーツァルトの命日である12月5日(番組では「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を放

送)も過ぎ、ついに先日「レクィエム」でモーツァルトの生涯を閉じるところまでいってしまいました。

(今週最後の1週間はフィナーレ特集で全205回の番組も終了だそうです。)

 「モーツァルト…」のブログを標榜しながら、肝心の晩年の珠玉の名作を番組の進行に沿って採り上げ

ることができなかったのは本当に残念で、期待してこのブログをのぞきに来てくれた方々に申し訳ないの

ですが、今年残された数日、あるいは来年に少し入ってもモーツァルトの話題を採り上げていこうと思い

ますので、よろしくお付き合い下さい。


 で今日は最晩年の傑作の中から「クラリネット協奏曲 イ長調K.622」を。

 この曲は「ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595」と並んで、一代の天才モーツァルトの「白鳥の歌」

と呼ぶにふさわしい曲だと思う。

 両者に共通したもの。それは良い意味で脂の抜けきった、肩の力が抜けたしみじみとした曲想とたたず

まい。西洋音楽でありながらまるで東洋の山水画のような枯れた色調によって、わが国古来の「もののあ

はれ」を表現したかのような枯淡の境地に達した。言い換えれば此岸にいながら彼岸の世界を音楽で表現

したといってもよい。病苦と経済的困窮に追いつめられていたモーツァルトが死の年についに到達した、

紛紛たる余分な虚飾の一切を廃した、美のエッセンスのみで作り上げた音楽で、彼の作品の中でも特に

渋い作品の範疇に入ると思います。

 この曲の完成は死の2ヶ月前。クラリネットの名手アントン・シュタードラー、彼のために書かれたと

いう話は有名だ。クラリネットがモーツァルトの時代に発展を遂げ、オーケストラの一翼を担う重要な楽

器の仲間入りをしたことも良く知られているが、ここではクラリネットという楽器が「面白うてやがて哀

しき」その音色から、モーツァルトの作品、特に後半の作品に共通する「哀しみをたたえた長調」の表現

の重要な要素となっていること。またモーツァルト晩年の彼自身が持っていた「諦念」の心境を良く表す

存在だったことを指摘したい。

 その具体例がこの「クラリネット協奏曲」であり、「クラリネット五重奏曲イ長調K.581」そして

「クラリネット三重奏曲変ホ長調K.498」だ。

 特に最後のK.498はK.622やK.581よりは知られていないが、モーツァルトの室内楽の名曲だと思

う。この曲は「ケーゲルシュタット・トリオ」と呼ばれ、モーツァルトが当時はやったケーゲルシュタッ

ト(九柱戯)という現在のボーリングに似た遊びに興じながら、この曲を作曲したという眉唾のエピソー

ドを持つ。その真偽はともかくとしてこの曲は1786年に作られた割に、最晩年の上の2曲に共通する「明

るさの中の哀しさ」「諦念」を感じさせる名曲で、同じ時期に作られたピアノ・トリオよりずっと優れた

作品になっている。それはひとえにクラリネットという楽器が主役を成しているからに他ならない。

 またこのクラリネット・トリオはケッヘル番号が示すとおり、あの「フィガロの結婚」K.492の完成

に近いせいか、この曲の第3楽章など、「フィガロ」の記事で触れたあの伯爵夫人の perdono 許しの音楽

に近しい雰囲気を持つ。しみじみとした「許し」の音楽が「癒し」の音楽となって我々の胸を打つ。

 クラリネットがモーツァルト晩年の作品における「諦念」を表現しているといえばもう一つ、一般には

交響曲第39番K.543がモーツァルトの「白鳥の歌」と言われているが、それはなぜか?私見では第3楽章

メヌエットのトリオでクラリネットが主旋律を吹く。その「面白うてやがて哀しき」クラリネットの音色

が、39番をして辞世の交響曲たらしめているような気がするのだ。


 さてクラリネット協奏曲である。完成したのが1791年の10月の初めといわれる。死の2ヶ月前である。

「魔笛」の上演が始まり、その成功の手ごたえを感じ取った時期ではあるが、病苦は一層彼に迫り、借金

は増え、最愛のコンスタンツェはバーデンでの温泉治療に出かけ、傍らにはいない。その「魔笛」の作曲

の真っ最中に書いたコンスタンツェへの手紙にはこんなことが書いてある。

「僕は用件がうまく整理されて、もう一度君のそばに行きたいということしか考えてない。君と別れてか

ら、僕がどんなに時間を長く感じているか、とても信じられないだろう!僕の今の感じはうまく説明でき

ないが、何というか、とっても辛いある種の空虚感、あるいは決して満足することのない、従って止むこ

とのないあるものへの憧れ。それらがいつもいつも続いていて、日一日と大きくなる。バーデンで君と一

緒に子どもみたいに面白がっていた時のことを思うと、今ここでは何て物悲しい、退屈な時間を送ってい

るんだろうと考えると、仕事さえ楽しみにならない。」(7月7日)

 また9月7日には台本作家ダ・ポンテへの手紙の中でこうも書いている。

「小生はもう頭も混乱し、気力も尽きてしまっています。(中略)作曲している方が休息している時より

疲れないので、仕事を続けています。それだけでなく、僕はもう自分の終わりの鐘がなっているなと、

ふっと気づかされるような感じがします。僕はもう息もたえだえです。自分の才能を楽しむ前に死んで

しまうのです。ですが生きるということは実に美しいことでしたし、僕の門出は華々しい前途を約束する

ものでした!だが自分の運命を勝手に変えるわけにはゆきません。誰も自分の命数を計れるものはなく、

ひたすら諦めねばなりません。何事も摂理の望む通りに行なわれるのでしょう。」(吉田秀和の訳による)

 このような心境の中で、この清澄な協奏曲は書かれたのだ。

 第1楽章アレグロ、第2楽章アダージョ、第3楽章ロンド、アレグロ。全楽章を通じてカデンツァがない

のも、この曲の表面的な華やかさを拝した、簡素な美点を生み出しているといえる。

 この中では何といっても第2楽章アダージョの筆舌に尽くしがたい美しさが白眉である。クラリネット

五重奏曲の第2楽章ラルゲットと並んで、静かに微笑みをたたえた女性(ひと)が目に涙を浮かべている

ような美しさに例えられ、何度も映画音楽にも使われている。
 
 静かにクラリネットのモノローグで始まり、それにオーケストラが和する。ベーム/プリンツのCDでは

1分15秒から始まる第2主題。憧れと諦念が入り混じった美しくも哀しいテーマをクラリネットが3回歌う

すると1分55秒から、オーケストラはもうそれ以上に美しいメロディを奏でるのはこの世では不可能と

ばかりに、同じ旋律をこれも3度奏する。つまり同じテーマがクラリネット、オーケストラと受け継がれ

て都合6回鳴るのである。打ち寄せる潮のように、徐々に高まるその旋律が胸にこみ上げ、落涙しない人

はいないだろう。

 この曲のこの場面を聴いて、唐突かもしれないが、あの平安時代に我が世の権勢を誇った藤原道長の

栄華を伝えるエピソードを思い出した。三女の威子が皇后の位につき、これで3人の娘が皇后になった

立后の儀式の宴席で、道長は「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたる事も無しと思へば」という有

名な歌を詠んだ。返歌を求められた「小右記」の作者は「御歌 優美なり。酬答するに方(すべ)なし。

満座ただこの御歌を誦(じゅ)すべし」と答え、その場に居合わせた皆が、この道長の歌を何度も歌った

という、あの有名な逸話である。

 権勢の限りを尽くした道長とモーツァルトとは、いささか奇異な取り合わせかもしれないが、あのモー

ツァルトですら、この美しい旋律の後にどんな違うメロディも続けることができないと考え、「酬答する

に方(すべ)なし。満座ただこの御歌を誦(じゅ)すべし」の心境で、この哀しいほど美しい旋律を繰り

返したのではないだろうか。

 
 演奏はドロテーア・デスマロヴィッツ手描きのクラリネットの絵のジャケットが印象的な、ウィーン・

フィルの主席奏者アルフレート・プリンツのクラリネット、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモ

ニーのLP。(G-MG2437)20年来この演奏を愛聴して、少しも飽きることがありません。





 

閉じる コメント(21)

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らぷさんもごぶさたしております。27番いいですね。ゼルキンも好きですが、ギレリスがベーム/VPOと共演した演奏も好きです。第3楽章 天才の到達した童心の表現に成功したのがゼルキンなら、赤子の優しい肌を思わせるタッチで劣らぬ純真さを達成しているのがギレリスだと、かの吉田秀和は評しています。ともあれ27番とCl協奏曲は稀有の2曲ですね。お正月またゆっくり聴きましょうか。

2006/12/24(日) 午後 11:51 gustav

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音大の試験で3楽章を演奏しました。奥が深いです・・・

2006/12/25(月) 午前 11:29 ほろ

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ほろさん、そうなんですか!淡々としているように見えて、実に味わい深い楽章ですよね。

2006/12/26(火) 午前 0:24 gustav

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はじめまして。「クラリネット協奏曲」は初めて買ったレコードでした。大好きな曲の一つです。

2006/12/26(火) 午前 11:06 [ 遠い蒼空 ]

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27番は大好きです。3楽章目は「長調なのに哀しい」モーツァルトの典型ではないかと。モーツァルト・イヤーはぜんぜん意識してなかったのですが、来年2月にブリュッヘン+新日本フィルの39番、40番を聴きに行くのを今から楽しみにしています。

2006/12/26(火) 午後 9:38 Key

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グスタフさん、「しみじみとした許しの音楽が癒しの音楽となって・・・」本当にそのとおりですね。ご休憩中に相当充電されましたね♪。。お仕事で気苦労の多い秋だったのでは・・と家内と二人気を揉みながらお帰りを待ってました。さて、全く同じ演奏を(私は)CDで聴いております。

2006/12/27(水) 午前 0:24 スピンネーカ

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遠い蒼空さんにとっても記念すべき曲なのですね。やっぱりウラッハだったのでしょうか?

2006/12/27(水) 午後 7:13 gustav

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hiroshiさん、ブリュッヘンのモーツァルトまたご報告を楽しみにしています。佐藤優の紹介を読んで関心を持ちました。是非読んでみます。それにしても日本人は「佑ちゃん」フィーバーするよりもこちらの「優ちゃん」に注目すべきだろうに。(^з^)==3

2006/12/27(水) 午後 11:12 gustav

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スピンさん、奥さまとそんなに心配していただいて…「もったいない、もったいない。恐縮です、恐縮です。」本当にありがたいことです。2月は万難を排して福岡へ参ります!!!

2006/12/27(水) 午後 11:15 gustav

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いえいえ。気になさらないでください。2月、楽しみにお待ちしますネ♪

2006/12/27(水) 午後 11:21 スピンネーカ

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室内楽の名曲、モーツァルトのクラ5。本当にあの旋律はどこから生まれてくるのだろう思います。明るい響きになる現代楽器の演奏ではなく、ピリオド楽器による少し暗めのこもったような演奏が合っているような気がします。

2006/12/28(木) 午前 8:50 そにあ♪

もうすぐ、一年も終わりです(;;)。早いですね。来年の幕開けはウイーンフィルですね(^−^@)

2006/12/28(木) 午後 5:47 cla*aa*g*laj*

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たぶさん、ごぶさたしていてすみません。ご指摘のクラリネット五重奏曲、ダインツァーが吹く1790年製の演奏を聴き直しています。協奏曲の次はやはりこの曲について書こうと思います。ヒントをthanksです。

2006/12/28(木) 午後 10:04 gustav

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クララさんもいつものぞいていただいて、ありがとうございます。あっという間にモーツァルト・イヤーも終わってしまいますね。このブログは4月に開設したので、もう少しMozart続けさせてもらおうと思います。

2006/12/28(木) 午後 10:10 gustav

モーツァルトと藤原道長の話、興味深く読ませていただきました。この曲はほんとに悲しく、なつかしく、美しく、言葉にはできません。ただ誦すべしですね〜。仕事が忙しい時期、何度もこの曲を聴きました☆

2006/12/30(土) 午後 1:50 [ mks*eet*105 ]

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mkさん、やっとクラリネット協奏曲そのものについてのコメントをいただきました。嬉しいです。同感です。こんなにも透明で余分なものを削ぎ落とした美しい音楽を、また長調なのにこんなにも哀しい音楽を僕は他に知りません。少しも聴く者に媚びるところがなく、凛としたたたずまいの曲なのに、なぜか癒される。モーツァルトの本質のような作品ですね。

2006/12/31(日) 午前 11:29 gustav

そう、この曲長調なんですよね!悲しい旋律なのになぜか絶望はかんじなくて、とにかく美しい、につきますね。コメント遅くなってごめんなさい。この記事は、仕事で疲れてるときじゃなくてもっと頭がクリアなときに読みたいと思って・・・クラリネット五重奏の記事も楽しみにしています♪来年もどうぞよろしくお願いいたします☆

2006/12/31(日) 午後 5:48 [ mks*eet*105 ]

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mkさん、年の締めくくりに嬉しいコメントをありがとうございます。そんなに気持ちを込めて読んでいただけるなんて…。この先プレッシャー!? (((^_^;)(ウソウソ!)励みに書かせていただきます。来年も…、いやもう年が明けてしまいましたね。今年もどうぞよろしくお願いします☆

2007/1/1(月) 午前 0:20 gustav

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こんにちは。私もこの作品はとっても好きです。道長の御歌ですか、わかる気が致します。ご指摘のとおり「長調で醸す哀しみの美しさ」これなのですよね、モーツアルトの音楽の魂というもの…。いろいろ読ませていただきましたが、大変楽しい勉強になりました、ありがとうございます。

2007/2/6(火) 午前 3:58 [ pasturedogs ]

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pasturedogsさん、登録ありがとうございました。遠く離れた方と感性が共鳴しあうのは、何だかとても嬉しいですね。

2007/2/7(水) 午前 0:30 gustav

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