クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

 モーツァルト  ヴァイオリン・ソナタ第28番 ホ短調 K.304  ( 1778年 22歳 パリにて)

     クララ・ハスキル(Pf)アルテュール・グリュミオー(Vn)(LP:Philips X-8552)(CD:Aile Disk GRN-509)



 モーツァルトの短調の曲は、長いことあまり好きになれなかった。

 モーツァルトの作った600を超える曲の圧倒的多くが長調の曲なのに、数少ない短調の曲がまるでモー

ツァルトの代表曲のように言われることが腑に落ちなかったからだ。(たとえば交響曲第40番ト短調K.

550。たとえば弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516。この弦楽クインテットなどは、その第1楽章冒頭の旋律
 
を、小林秀雄が彼のエッセイの中で「疾走する悲しみ」と表現して、一躍モーツァルトの作品中の人気曲

のひとつになったものだ。)

 僕にとってモーツァルトの曲のイメージは、さわやかな初夏。あるいは澄みわたった青い空に鰯雲が浮

んでる初秋の風景。どちらにしても明るく快活な長調の曲のイメージだ。

「モーツァルトの曲は深刻さがないのはいいけれど、単純で軽すぎて何だか物足りない」っていう人がい

る。その人はきっと彼の長調の曲を指してそう言っているのだろう。冗談じゃない。モーツァルトの音楽

の真髄は長調の曲にある。僕はそう信じて疑わない。モーツァルトの長調の曲ほどその単純さと快活さの

影に、言い知れぬ深い哀しみや孤独を感じる音楽はない。

 たとえば晩年のクラリネット五重奏曲の第2楽章。映画「幸福」に使われた曲。まさにその名のとおり

幸福な心境とはこのようなものだ、と告げているかのような美しく穏やかな音楽だ。幸福感が永遠に続く

かのように充溢している…。しかし若い時はともかくとして、僕たちはある年齢を過ぎるとだんだん分か

ってくる。幸福とは決してそんなに長く続くものではないということを。だからある年齢を過ぎると、幸

福の瞬間にも決して100パーセントそれに浸ることはできない。いつこの幸福感は根こそぎ誰かに持って

いかれてしまうのではないか、とむしろ不安に思う。それが本当に幸福というものが分かったということ

ではないだろうか。

 このことは残念ながら僕が言い出したことではなく、いつか、15年ほど前にFMラジオで吉田秀和が言っ

ていたことだ。しかしそれを聞いた時よりも、今この年になって吉田秀和が言っていたことがいよいよ良

く分かる。今やこれから得るものよりも、失うものの方が多い、という年齢になったということだろう

か。

 話を戻そう。たとえばこのクラリネット五重奏曲第2楽章の美しさはよく、目にいっぱいの涙をうかべ

ながらも、口元に笑みを湛えた美しい女(ひと)の微笑みにたとえられる。モーツァルトの長調が天真爛

漫で単純な音楽のように見え、その背景に実に深淵で複雑な感情をたたえていることの一つの例である。

 
 この短調のヴァイオリン・ソナタを見直すきっかけになったのは、例の「毎日モーツァルト」だ。「母

の病」という回でこの曲が紹介されていた。全部で42曲あるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのう

ち、この曲K.304をはじめとするK.300台の最初の6曲が、モーツァルト22歳。母とともにパリを旅し

ていた時分の作品である。そして彼がなかなか実を結ばぬ就職活動に奔走している間に、旅先の宿舎でひ

とりモーツァルトを待ち続けた母は急速に健康を害してゆき、やがて1778年7月3日、息を引き取る。

 その夜、モーツァルトがザルツブルクにいる父に宛てて書いた手紙は、彼の遺した書簡の中で最も有名

なものである。「非常に不快な悲しいお知らせをしなければなりません。お母さんの加減が大変悪いので

す。…人はまだ望みがあるといいますが、僕はあんまりあてにしていません。もう数日の間、昼も夜も恐

れと望みの間にいますが、何事も神様の御旨にお任せして、ただあなたや姉さんも僕と同じようになって

下さることを望んでいます。…それではご機嫌よろしゅう。お身体にお気をつけになって、神様の御心に

お任せ下さい。そうすると慰めが得られます。愛するお母さんは万能の主の御手の中にあります。もし御

心に添うなら、僕がお願いするように、彼女を僕らにお返しになりましょうし、僕らは神の御恵みに感謝

しましょう。…それではご機嫌よう、愛するパパ、どうかご健康に気をつけて下さい…。」(「モーツァ

ルトの手紙」吉田秀和編訳(講談社)1974年)

 肉親の死という事実から家族が受けるであろう衝撃を、少しでも和らげようとしてついた、明白な、そ

してあまりにも美しい嘘。それから6日後、モーツァルトはやっと本当のことを父と姉に伝えている。

 「お父さんも姉さんも、僕のこの小さな嘘をお許し下さい。あなたがたのことを考えると、この恐ろし

い知らせを突然お知らせする勇気がなかったのです。…僕は泣いて気を鎮めようとしました。あなたがた

も泣かずにいられないものなら、どうぞお泣きになって気をお鎮め下さい…。」

 一方、最初の手紙を父に宛てて書いた同じ夜、モーツァルトは同じくザルツブルクにいる親友のブリン

ゲル神父には、本当のことを書き送っていた。「最良の友よ!(他言無用)友よ、僕と一緒に悲しんでく

れたまえ!今日は一生で最も悲しい日だった。聞いてくれたまえ、僕の母が、僕の愛する母はもういな

い!神が母をお召しになったんだ…。」と率直に母の死を伝え、死までの二週間、どんなに苦悩や不安、

心痛と戦ってきたか察してほしいと、切々と自分の悲しみを訴えている。

 母の死の直前に作られたというこのヴァイオリン・ソナタK.304は、この友人に宛てた手紙のよう

に、母の死の予感、そして彼の心の中の不安を、短調で直截に表現している。


 第1楽章 アレグロは彼の室内楽の作品にしては音の強弱の対比鋭く、劇的な表現が目を引く。このこ

とをアルフレッド・アインシュタインは「モーツァルトの作品の中の奇蹟のひとつ。それは感情の最も深

い奥底から発して、後にベートーヴェンがその門を開いた偉大なドラマの世界の扉を叩く交互的な対話風

のスタイルに到達している…」と述べている。

 第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット 真に傑作なのはこの第2楽章だ。(名曲と呼ばれるもののうち

真に傑作の名に値するのは、第1楽章よりも後続の第2楽章以降がより優れている曲だと僕は思う。)

出だしのピアノのモノローグ。母を失うかも知れない予感が音符になった、というよりもモーツァルトと

いう「天才の孤独感」そのものを曲にしたような音楽に僕には聴こえる。そしていつも思う、モーツァル

トのピアノ・ソロの素晴らしさ。それはチャーミングな右手の旋律に、何気なくつけているようにみえる

左手による和音の深さ、シュールさ。(それを初めて実感したのは、例の映画「アマデウス」のエンディ

ングで使われた、ピアノ協奏曲第20番第2楽章のピアノ・ソロの部分だった。)そしてそれにからんでく

るヴァイオリン。ピアノが奏でたその旋律を、今度はヴァイオリンが弾くと、もっと哀しく聴こえるの

だ。

 ピアノからヴァイオリンへ、ヴァイオリンからピアノへと主旋律が受け継がれていくその自然さも見事

だが、もっと見事なのは、この楽章の真ん中で二度繰り返される、この曲唯一の長調の部分。悲しみで胸

がいっぱいになりながらも、目の前の人を気づかい、自分の心のうちを覚られぬようにそっと浮かべる微

笑み。そう、この長調の音楽は、父や姉に直截に母の死を知らせなかった、モーツァルトの肉親への優し

さそのものだ。

 再び冒頭の短調のメロディが繰り返された後の、ラストも素晴らしい。さながら母の魂が昇天するイメ

ージを既視したかのように、ヴァイオリンが飛翔して曲は閉じられる。

 「毎日モーツァルト」の番組では、この曲の魅力をノーベル賞物理学者、小柴昌俊は次のように語って

いた。「エッ、この曲のどこがいいかって?アンタだってそういうふうに聞かれたら、困っちゃうんじゃ

ないの?まぁ、強いて言えば、ちょっともの悲しいところ。それが心に沁み込んでくるというのかな。」

(僕もこんなふうに端的にものを言えるようになりたいものだ。)


P.S. モーツァルトのヴァイオリン・ソナタについては、ちょうど1年前の桜の花の季節に2曲を紹介した

ので、再録しておきます。

 4/16 春はバイオリン・ソナタ 2 … モーツァルト バイオリン・ソナタ第35番ト長調K.379

       http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1543884.html

 4/17 モーツァルトのバイオリン・ソナタをもうひとつ  第42番イ長調K.526

       http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1630081.html


 


 



 
 

 

ブログ再開します

2006年 4月 8日 (土)曇り時々雨、時々晴れ、そして黄砂


新しい年度も始まり、このブログも気分一新、タイトルも代え、新たにはじめたいと思います。

昨年度1年間、十二分に書けたとはいえないが、とにかく春夏秋冬の季節に合ったクラシック音楽を採り

上げて、ここ20年来の僕のクラシック音楽の聴き方を読者の皆さんにご紹介する、というコンセプトは、

3月でひと区切りにしたいと思います。そして新年度は

1.気軽に更新できるブログ

2.モーツァルト生誕250年の年ということで、僕の一番好きな音楽家モーツァルトの作品を改めて聴き

  直してみる

3.昨年度紹介しきれなかった季節を感じる曲を、落ち穂拾いのように採り上げる

4.季節にとらわれず、その日聴いたクラシック音楽の話をする

5.画像取り込みにも挑戦してみる

などのポリシーでブログを綴ってみたいと思いますので、昨年度同様、ご愛顧のほど、よろしくお願いい

たします。

ところでモーツァルト・イヤーの今年、日本だけではなく世界中でモーツァルト・ブームが過熱してい

るという。地元ザルツブルクを抱えるオーストリアでは観光客の爆発的増加、記念グッズの販売等による

経済的な「モーツァルト効果」を1兆円と見込んでいるそうな。実はこの2月に初めてイタリアにヨーロッ

パ旅行した自分も味を占めて、次はウィーンとザルツブルクに行ってみたいという気持ちが日々募るばか

り。

そんな今年モーツァルト・イヤーの、日本における一番の注目は、僕はNHK-BSの「毎日モーツァルト」

(月〜金午前8:01〜8:11、午後6:50〜7:00)という番組だと思うのです。紹介される曲が短すぎるという

ご意見もありますが、わずか10分間の中で、モーツァルトの人生の軌跡に沿って、重要なそして名曲を

次々に紹介していく手際の良さは、やはり秀逸だと思うのです。出勤前、帰宅後(たいてい間に合いませ

んが)に見ることで、1日の心地よいリズムをつくってくれるようです。今まで1日を除いて、全部録画し

ています。(イタリア旅行中は息子が撮ってくれました。)毎日1人ずつモーツァルト・ファンが登場

し、モーツァルト頌を披瀝してくれてますが、今まで登場した人たちの中では何といっても年の功、ドイ

ツ文学者の小塩節と宇宙物理学者の小柴昌俊がイイねぇ。満面の笑みを湛えて、目の中に入れても痛くな

いわが孫の自慢話でもするように、モーツァルトの魅力を語るその語り口は説得力がある。(その反対に

最悪は砂川しげひさ…僕の大好きな29番のシンフォニーを何であんな人、あんなコメント紹介する訳?

そんだったら僕ら素人に語らせた方がまだマシだよ、ホント。)

とにかくモーツァルトの誕生日1/30から命日の12/5までの240日、240曲を紹介するという小さな、そして

壮大なこの企画を、この1年の日々の楽しみにすることにしましょう。

 あっ、それからこのブログのタイトルは、木耳社という出版社から出された同名の書籍から採りまし

た。この本なんと20年も前、僕の大学生時代に買った日記形式というか、能率手帳形式の代物。つい最

近、朝日の1面下の書籍広告の欄に広告が載っててビックリ!20年前と全く変わらない体裁で、モーツァ

ルト・イヤーに便乗して再発売したということでしょうか。こんなところにも<モーツァルト効果>が現れ

ているのでしょうか。(でも、考えてみればこの本、生誕250年、没後250年、生誕300年…と記念年のた

びに売れて在庫がはけて、出版社にとっては結構ヒット書籍かもね。)



<今日の1曲>

モーツァルト (ヴァイオリンとピアノによる)「羊飼いセリメーヌ」による12の変奏曲」K.359(1781)

         ヘンリク・シェリング(Vn)イングリット・ヘプラー(Pf)(Ph-PC5614〜5619)(LP)

(つづき)
 
 次回からは、タイトルも改めて、「モーツァルトとともに1年を <補遺 クラシック歳時記>」 ということで、昨年度1年間の中で紹介しきれなかった季節の曲(11月のブラームスとか)や、<モーツァルト・イヤー>にちなんで、特にモーツァルトについての話題を多めに、

 そして何より今年よりは軽い気持ち、短めの文章で、書けるときに気軽に書く(実は来年度は今年より忙しくなりそうなので)ブログを目指します。

 ついでに機械オンチ、パソコン音痴の私も、皆さんに教えていただいて、画像にも挑戦してみたいと思っていますので、ひきつづきご愛顧のほどをよろしくお願いします。

 それから、ふじやん、spinnakerさん、アルプス登山やお仕事で松本にお出での時はご一報下さいね。駆けつけますので、ミニミニ・オフ会をやりましょう!

 niwabuも久しぶりに信州に来て下さい!(niwabu、ますみクンは共に懐かしい学生時代の友人ナノダ!)

 ほかの皆さんも、例えばサイトウ・キネンでお出での時はご連絡下さい。松本の街をご案内いたしますよ。

 小澤征爾の出演は微妙ですが、そうでなくても今年はアラン・ギルバートのマーラーの5番、内田光子のリサイタルや、ヨセ・ファン・ダム、ナタリー・シュトゥッツマンという豪華な顔ぶれのメンデルスゾーンの「エリア」という楽しみなプログラムです。

 是非お出かけを。


 では ・・・・・・ 再見!  またお目にかかりましょう。

4月1日(土)晴れ

 4月のスタートは久しぶりのポカポカ陽気。今日の最高気温は昨日より+10℃の18℃の予想。東京では絶好の桜のお花見日?信州ではようやく梅の花がほころんだところです。

 3月の終わりになって寒の戻りというのか、5日前は17℃まで気温が上がったというのに、その2日後は最高気温が4℃まで下がり、一昨日は雪が降った。

 TVでも岐阜あたりでもちょうど咲いた桜の花に雪の景色が映っていたが、こちらでは梅の花に雪。

 春の花の中ですべての花に先駆けて咲く梅の花は、寒の戻りの寒さにも遭い、時ならぬ雪にも遭う。それらを凌いで真っ先に、春が来たことを告げてくれるかのように咲く梅は、清雅・高潔のイメージとしてとらえられ中国では古来最も愛された花。

 梅のことを花魁(かかい)ともいう。花の中の一番という意味。古来、梅を詠った詩人は多い。世界史にも出てくる11C北宋の政治家、王安石も<梅花>という詩で、

    檣角(しょうかく…塀の隅)数枝の梅 寒を凌いで独自に開く
    遥かに知る是れ雪ならずと 暗香の来たる有るが為めなり

 と詠っている。

 中国の詩人で私が最も愛する陸游(りくゆう)も、もちろん<梅花絶句>と題する連作で

    青羊宮前 錦江の路  
    曾て梅花の為に酔うこと十年
    豈(あに)知らん 今日の香を尋ねし処を
    却(かえ)って是れ 山陰雪夜の船

 と詠う。この時、陸游78歳。40代後半に10年近い歳月を送った、蜀の成都での梅見を懐かしんだ詩で、錦江、青羊宮といった成都にまつわる固有名詞が、どれも花に似合う美しい字面で興趣深い。

 ここでも梅の花と雪はセットだ。一昨日は、折角咲いた梅の花に雪が積もることを不憫に思ったのだが、それがまた梅の可憐さを際立たせもし、風流ということになるのだなぁと考え直した。

      ********************************

 さて、昨年の4月(正確には4/2から。記念すべき第1作は「早春の安曇野にひばりのさえずり」(モーツァルト バイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1024047.html )から書いてきたこの「クラシック音楽歳時記 in 信州松本」も、季節がひと巡りして、一応のひと区切りをつける時が来た。

 思えば山国信州の季節の話題と、その季節になると私が聴きたくなるクラシックの曲を紹介するという、超個人的でおよそ一般受けしそうにもない(今どき画像もない!)ブログを開設した時は、正直言ってはたして読んでくれる人はいるのか非常に不安だった。

 はたして5月くらいまで最初の1ヶ月はほとんどコメントがなく、返事のない手紙をひたすら書き続けるような心境だった。

 (初めてのコメントは原稿を途中で不用意に消してしまった嘆きに対する同情のお言葉でした。でも嬉しかった。)

 そのうち5月くらいからでしょうか、さわやかな5月に相応しい「詩人の恋」など、シューマンの曲に対する、特に女性の反応が意外にあり、「ちさのさち日記」のちささんや「乙女ちっく日記」のクララさんなど常連さんが少しずつ増えていってくれました。

 またこの時期「JBLでクラシックを聴く」のhs9655さんの励ましが励みになり、この1年間の中で一番忙しいはずだった6,7月もブログを書き続けることができたのです。感謝!感謝!

 また一方で、当時ミュンヘンに滞在していた「Gladius Dei」のkalosさん(勝手にかろやんと呼ばせていただきました)や、オランダの「オランダとフランスのつれづれ日記」のなっくんなど、異国の方からリアルタイムでコメントをいただき、改めてブログの凄さも実感しました。

 そして「Tutti Gabbati!」(旧「ピアノ・ソナタ第13番」)のzarathustrafujiこと、ふじやんの辛口時評にどれだけ刺激され、また対抗意識を燃やしブログを書かせてもらったことか。これまた感謝あるのみ!

 例えば1年間のブログ記事のうち、自分自身での会心のひとつを挙げるとすれば、6/12の「愁ひつつ 岡にのぼれば 花茨(いばら) または「漂泊の思いやまず…」の回の シューベルト ピアノ・ソナタ第13番イ長調作品120D.664。

 ここに再録させていただくとともに、ふじやん、そしてすぐに褒めていただいた「健康オタクの不健康生活」のローレライさんに感謝します。どれだけその後の活力となったことか!(6/12http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/4619666.html

 また年間の記事の中でもうひとつ選ばせてもらうとすれば、1/14の「炉辺のモーツァルト」(モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467 )。

 これも「Spinnaker's Music Clip board」(旧「音楽の愉しみMarty101」)のSpinnakerさんにすぐに評価していただいて、とても嬉しかった!(1/14http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/23418928.html )

 以上ここにお名前を挙げることができなかった皆さん、ごめんなさい。その他多くの人たちにアクセスしていただき、この寡作(1年間で93回でした)で遅筆(最後は週1のペース)のブログにもかかわらず、

 開設当初は思ってもみなかった6000を超えるアクセス、1000を超えるコメントをいただき、そして65人もの貴重な固定ファンの皆さんに読んでいただいたことを本当に感謝いたします。

       ******************************

 さて、1年間のブログの締めくくり、そして2005年という年度の締めくくりに、マーラーの交響曲第2番「復活」を最後に紹介したいと思います。

 1年の終わり、師走の慌しい時期にはベートーヴェンの第九を聴くというのが、日本人の習慣というか、年末の風物詩になりつつあります。

 これはベートーヴェンのこの曲が声楽を伴う大編成の楽曲で、それ自体聴いていると何となく改まった気持ちになるということに加え、

 この曲のモティーフが「苦悩を貫いて歓喜に至れ」というベートヴェンのモットーに最も適っていること、

 そしてそれが越し方1年を振り返り、大変だったことへはそれをよく乗り越えた自分を称え、来年はその上に立ってもっと良いことがありますようにと、

 まるで神社に初詣に行って祈るような感情を日本人がこの曲から感得するレベルに達している証左ではありますまいか。

 そんな年末の第九のように、毎年この時季、年度末になると私が聴いてこの1年度の区切りをつけたくなるのが、マーラーの「復活」なのです。

 声楽入りの5楽章まである長大な交響曲のうち、いつも聴くのは30分以上は演奏に要する最終楽章の後半。(LPでいうと2枚組の2枚目のB面!)

 前半の大オーケストラの咆哮、呻吟が一段落した後、舞台の後方から金管が、マーラー幼き日に生まれ故郷ボヘミアはカリシュトの兵舎から遠く聞こえてきただろうラッパの音を、そして近くからフルートがボヘミアの森に啼くナイチンゲール(夜鶯)の声を模するところから。

 マーラーは28歳で最初の交響曲第1番「巨人」を書いた。タイトルの大仰さとは裏腹に、この曲で自作の歌曲集「さすらう若者の歌」の旋律を用いた彼は、ひとりの女性への想いを断ち切り、自らの青春時代に決別をしたのだった。(5/21 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/3162830.html)

 それを受けて、この「復活」の第1楽章は葬送の曲で始まる。「私はこの第1楽章を<葬送の祭典>と名づけた。それはこの祭典の主人公が、第1交響曲で私が墓に埋葬した人物だからだ。

 そこで直ちに大きな疑問が浮んでこよう。なぜ生きているのか?なぜ悩み苦しんだのか?我々が生き続けようとするからには、これらの疑問の全てに答えなければならない。

 この疑問の呼びかけに耳を傾ける全てのものに答えなければならないのである。そして私は第2交響曲の終楽章にその答えを出したのである。」(マーラー自身の言葉)

 その答えとは、1894年彼が敬愛した大指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀の時に彼にひらめいたものだった。

 「ちょうどその頃ビューローが亡くなり、私は彼の葬儀に参列した・・・。私が不帰の客となった人をしのび座っていた時の気持ちは、まさに私がひきずっていた作品の精神そのものだった。

 そのときオルガン席から合唱隊が、クロプシュトック(18Cのドイツの詩人)のコラール<よみがえらん!>を歌い始めたのだ!

 それは稲妻のように私を貫いた。そしてその瞬間、いっさいがくっきりと、鮮やかな姿をとって私の魂の前に立ち現れていた!」 (同  酒田健一 訳)


     よみがえる そう よみがえるだろう
     わが塵なるものよ
     つかの間の想いを経たならば
     死すことを知らぬ生命!
     
        (中略)

     おまえを呼び給いし方が
     さずけてくださるだろう
     再び花咲くために
     おまえは種として蒔かれる…      (深田 甫 訳)

 
 こうしてクロプシュトックの「復活」を原詞に、マーラー自身が加筆したテキストを、ソプラノおよびアルト独唱と合唱が壮大に歌い上げる終楽章が完成した。

 必ずしも、この歌詞に込められたマーラーの想いにとらわれなければならないことはないだろう。むしろ曲のこの大団円における、あざといばかりの彼の劇的なオーケストレーションに注目すべきだ。

 先程のステージの向こうから聞こえてくる金管のファンファーレ、フルートの夜鶯の木霊から始まり、地の底からかすかに湧き上がってくる無伴奏による「復活」の合唱。

 オーケストラ演奏に導かれ、始まるアルトとソプラノの競演。一瞬の沈黙の後の男性合唱の高らかな響き。「生き続けると覚悟を決めるんだ!」

 そして最後はオルガンと鐘の音を加えた崇高な響きのうちに、天国にたどりついた魂の救済の勝利をうたいあげる壮麗さで、全曲をしめくくっている。

 時期的に「復活祭」の季節だからという先入観もあるかも知れないが、4月に始まり3月に終わる仕事に携わっている者にとって、越し方1年を振り返り、また始まる新しい年度もがんばろうと自分に気合を入れてくれる気がする曲なのである。

 演奏はバーンスタイン、アバドの名演もあるが、私はずっとズービン・メータ指揮ウィーン・フィルの1975年の録音を聴いている。(LP:LONDON L36C-5033,4)

 メータ指揮するウィーン・フィルの豊麗かつ大変きめ細かい演奏は、何度聴いてもみずみずしく鮮やかで、メゾのクリスタ・ルードヴィヒと、ソプラノのイレアーナ・コトルバスの独唱も、絹のような光沢と輝かしさがある。

    
 それでは以上で「クラシック歳時記 in 信州松本」は閉じたいと思います。1年間のご愛読、本当にありがとうございました。

 (最大文字5000字を超えるそうなので、続きはその2に書きますね。)


 

 

 

 

 
 
 









 
 


 

 

3月26日(日)曇り時々晴れ

 この週末ちょっとした発表があって、東京に行った。

 東京は桜がまさに咲き始め!目白の学習院と茗荷谷の跡見のキャンパス入り口の桜が綺麗だった。

 東京の春というと学生時代を思い出す。前述のように、信州の本格的な春は4月も半ばにならないと来ない。しかもそれは突然やって来る。(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1742439.html

 それに比べ、東京では2月ともなれば何となく暖かくなり、いつの間にか梅の花も咲き始める。今頃の夜が寒くなく、歩いていると夜風が肌に心地よいのが信州の人間からすると驚きだ。

 さてここ信州でも昼間は春の陽射しを強く感じる今日この頃。夜も東京のような訳にはいかないが、何だか猫ではないが、そわそわした気持ちにもなって来る。

       恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく   加藤楸邨

 こんな艶めかしい夜は、シューベルトの8番の弦楽四重奏が聴きたくなる。

 第1楽章冒頭。第1ヴァイオリンの人なつこい、艶めかしい半音階の旋律。一度聴いたら忘れられない、悩ましい音色。人を好きになった切なさを知る人なら、心動かされずにはいられまい。

 第3楽章のメヌエットも人なつこい、懐かしい旋律で、シューベルトその人の人の良さ、素朴で快活な彼の一面を彷彿とさせる。

 こんなチャーミングな佳曲を、シューベルトは世間に出すことなく、あくまでも家族の団欒のための作品として書いた。(17歳。この魅力的な第1楽章を何と4時間半で書き上げたという。)

 兄のイグナーツが第2ヴァイオリン、次兄のフェルディナントが第1ヴァイオリン、父がチェロ、そしてシューベルト自身がヴィオラを受け持って、家族で弦楽四重奏を楽しんでいたのだ。

 シューベルト一家だけの、そんな19世紀的な小市民的な楽しみを今レコードで楽しむことができるのは、本当に贅沢なことだと時代に感謝したい。

 演奏は1980年LP最後期に録音されたアマデウス弦楽四重奏団のもの。(LP:28MG-0185 SQ10番とのカップリング)

 1980年代前半、新譜が長いこと2800円だった時代に、その一番高い値段で買った数少ないレコードの一つ。これまた私にとってかけがえのない1枚だ。
 
 

 
 


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事