クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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        ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545 (1788年 モーツァルト32歳)


 「(子どもの頃)ピアノの練習が大好きで朝から晩までずーと練習してまして、でいよいよやっとソナ

チネ・アルバムが弾けるようになって、モーツァルトの曲はまだまだ自分には難しいので、技術的にまだ

習い始めの頃でしたから弾けないんだなぁって。先生が許可してくれて、これを弾きなさいって言ったも

のでないとお稽古してくださらないから弾けない訳です。そしていよいよ先生が「じゃ、モーツァルト」

っていうことで、一番最初に弾かせてもらったのがこのハ長調の曲なんですね。もう心うきうき、そして

弾きだしてみると結構技術的には簡単で、1楽章、2楽章、3楽章とあっという間に弾きこなすことは一応

できた訳ですよ。でも音楽性というんでしょうか、やっぱりモーツァルトの音楽の神髄がこの曲の中には

全て網羅されてますしね、この出だしの1小節を聴いただけでも、あぁもうモーツァルトなんだって、

本当にどうってことのない簡単な音符の配列ですよ。でもどんな作曲家にもこれはできない訳です。」

 これはNHK-BS「毎日モーツァルト」のピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545の回での假屋崎省吾(華道

家)のコメント。ソナチネとは「初級程度の演奏技術を必要とするピアノ作品集」のこと。

 モーツァルト自身が「初心者のための小さなピアノ・ソナタ」と作品目録に記したこの曲は、今日では

バイエルなどと並んで、ピアノを習う子どもたちが必ず習い、演奏する曲として親しまれていることはい

うまでもない。ピアノを少しでも習ったことのある人なら、誰でも最初のフレーズを聴いただけで「あぁ

あれね」と分かる曲だ。

 簡素にして平易。シンプルにしてストレート。確かに假屋崎の言うように簡単そうに見えて、恐らく

モーツァルト以外の他のどんな作曲家にも書けない、やはり珠玉の名作だと思う。

 今日「ソナチネ・アルバム」に入れられているこの曲、恐らくはピアノ(クラヴィーア)の初心者用の

教材としての注文に応えて作られたのだろうが、詳しい経緯は分からない。

 作曲された1788年6月22日当時のモーツァルトに関して分かることといえば、その5日前の6月17日には

経済的困窮からウィーン旧市内から家賃の安い郊外への二度目の引越しをしたばかりであり、そしてこの

曲が出来上がって7日目の6月29日には半年前に産まれたばかりの長女テレジア・コンスタンツィアを亡く

している。

モーツァルトの作品一般と同じく、この単純明澄な曲には作曲当時の彼の私生活の影はみじんも感じられ

ない。

 それよりもこの曲に関して私が想起するのは”Eine kleine Klavier Sonate für Aufänger”(初心者

のための小さなピアノ・ソナタ)というモーツァルト自身の書き込みの言葉と、あのセレナード第13番

K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の表題との類似性である。

 「毎日モーツァルト」の「アイネ・クライネ…」の回では、ミュージカル作曲家甲斐正人氏が曲の成立

事情が同じく謎であるこの曲の成り立ちに対して、「父レオポルトの死の直後に書かれたこの曲は『お前

の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作れ』という亡き父から言われていた課題を、簡素で優しくしかも

立派に完成している名曲を作ることで見事に乗り越えたということが言えますし、この作品は彼の作曲の

ひとつの頂点を極めたということがいえるでしょう。」と語っている。(Completely Mozart…セレナー

ド第13番ト長調K.525 '06 10/15(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/42920962.html))

 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とケッヘル番号も近く、従って作曲時期も近いこのピアノ・

ソナタK.545もまた同じく、亡き父から出されていた課題に応えた作品という気がする。

 ところで、モーツァルトの後年の作品(私が後年と考えるのは名作「フィガロの結婚」K.492以降の

作品)あるいは彼の晩年の作品(三大交響曲K.543、550、551以降をそれと考えている)にはこの曲の

ように、極限まで切り詰めたように簡素で、一見子どもでも弾けそうな、あるいは作れそうに思える

simpleの窮みのようなメロディが印象的な作品が何曲かある。

 ちょっと考えてみただけでもこの15番のピアノ・ソナタを始め、ピアノ協奏曲第27番K.595、クラリ

ネット協奏曲K.622、そして彼自身何よりもオペラ作曲家であることを何よりも意識していたモーツァ

ルト最後のオペラ作品ともいうべき歌劇(ジングシュピール)「魔笛」K.620…。

 モーツァルト最後のピアノ協奏曲第27番は、彼自身最も得意とし、また華やかさが際立つこのジャンル

の中にあって、突然変異のごとく、他のコンチェルトとは隔絶した枯淡の境地を歌う作品だ。それまでの

ピアノ協奏曲が西洋ロココ美学の粋を極めたような華やかさがあるのに対し、このK.595はまるで独り

東洋の水墨画の世界のような枯れがある。今までの虚飾を全て剥ぎ取り、かなぐり捨てたような突き抜け

た世界だ。ひと足早い彼の「白鳥の歌」である。

 一方「魔笛」の中で次々と繰り出される、まるで童謡のような親しみ易い名旋律の数々はどうだ。

「おいらは鳥刺し」「何と美しい絵姿」「恋を知るほどの殿方は」「復讐の心は地獄のように胸に燃え」

「恋人か女房があれば」「パ・パ・パ…(パパゲーノのアリア)」・・・

 世界中の誰もがニッコリと微笑みながら、さも子どもの頃からそれらのメロディを知っていたかように

口ずさむ。それどころかあまりに聞いたことのあるような旋律なので、まるで自分がそれらを作曲したか

のような錯覚に陥ることすらある。それらはひとえに死期近いモーツァルトが、ひたすら平易に、簡素に

大衆に受け入れられ愛される曲作りに腐心した努力の結晶である。

 ソナチネ・アルバムのソナタK.545、27番ピアノ・コンチェルトK.595、魔笛…。

モーツァルトの作品が晩年に近づくにつれ「簡素」かつ「平易」なものにどんどん傾斜していったことを

思う時、同様の軌跡を辿った芸術家として想い出されるのが元ビートルズのロック・ミュージシャン、

ジョン・レノンである。

 ジョン・レノン(1940〜1980)はビートルズ時代からレノン/マッカートニー・コンビの詩を担当し、

名曲を多く創ってきたが、オノ・ヨーコと知り合い結婚しビートルズ脱退後、ソロ活動に入るにつれ、

その作り出す詩の世界は「Mother」「Love」「Imagine」「Oh My Love」など、ビートルズ時代に比べ

一層「シンプルさ」「平易さ」が際立つようになってきた。一節によればそれは、ヨーコ・オノを介して

出会った日本文化の影響、とりわけ俳諧の持つsimpleさ、潔さ、抽象性に由るところが大きいという。

 ジョンは生前ヨーコとともに歌舞伎座で、歌舞伎・能に親しみ、謡曲「隅田川」では土まんじゅうの下

に眠る、生き別れた自分の娘を嘆く母の悲しみに大粒の涙を流したという。また東京は湯島にある古美術

の店「羽黒洞」を度々訪れては、白隠(江戸時代の禅僧)の水墨画を嬉しそうに買い求めたり、芭蕉の句

を書き付けた符を大切に抱きしめたりしていたそうだ。(これは私が「羽黒洞」のご主人、木村東介氏か

ら生前直接聞いたことである。)

 ここでは彼の曲の代表として「Love」を紹介しよう。

               Love is real Real is love

               Love is feeling Feeling is love

               Love is wanting to be loved
 
               Love is touch Touch is love

               Love is reaching Reaching's love

               Love is asking to be loved

               Love is you You and me

               Love is knowing We can be

               Love is free Free is love
 
               Love is living Living's love

               Love is needing to be loved (アルバム「ジョンの魂」1970年 より)

  当初から強いメッセージ性を持っていたジョンの詩の世界は、日本の俳諧文化に触れることによって

余分なものを削ぎ落として、よりsimpleに、より平易な表現になり、より研ぎ澄まされ、より抽象的に、

よりパワフルに、より普遍性を持ったものになって、国境を越え世界の人々に歌われ、人々の記憶に長く

残るever greenな名作となった。

 真の天才はその晩年においても進化し続ける。モーツァルトとジョン・レノンはその点においてもまさ

しく時代を超えた天才の名に値する存在といえるのではないだろうか。

 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545に戻ろう。

 simpleなだけでなく、petitなソナタだ。愛くるしい第1楽章、お洒落なロンドの第3楽章はそれぞれあ

っという間に終わる。LPで聴くシフの全集では、深い情感込められた第2楽章を入れた全体でも10分少々

で終わってしまう。

 一方CDでのアラウの80歳を過ぎての演奏はさすがに年輪を感じさせる。それでも第1楽章4:53 第2楽章

8:15 第3楽章2:04 の 計 15分12秒。

 初心者でも弾ける。しかし大家でも窮めることは難しい。モーツァルトの曲の奥深さを物語る典型的な

1曲であろう。私はアラウの弾く泰然自若とした第2楽章を聴きながら眠るのが最近の習慣になりつつある

 LP:アンドラーシュ・シフ(Pf)(モーツァルト ピアノ・ソナタ全集より)(LOOC-1005〜10)(1980年)

  CD:クラウディオ・アラウ(Pf)(UCCP-9351)(1985年)

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 クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲と、クラリネットの名曲が続いたので、今日はこの2曲ほ

ど有名ではないが是非ご紹介したい、クラリネットの佳曲を。

 それがクラリネット三重奏曲、通称「ケーゲルシュタット・トリオ」K.498。

 曲名の由来はモーツァルトが当時流行っていた「ケーゲルシュタット」という、今日でいうボーリング

遊びに興じながら、この曲を作曲したという話から来ている。ケーゲルシュタットは「九柱戯」と訳され

ボールを投げて、名前の通り10本ではなく9本のピンを倒すまさしくボーリングゲーム。

 ボーリングといえば日本では高度成長真っ盛りの昭和40年代に大流行りして、須田開代子、中山律子ら

アイドルスター並みの人気を誇るプロボウラーが出たり(「律子さん、律子さん、な・か・や・ま律子さ

ん!」という一世を風靡したCMもあったなぁ。あれは資生堂のシャンプーか何かのCMだったっけ。)

「美しきチャレンジャー」という新藤恵美扮する主人公がプロボウラーを目指すスポ根(ロボコンじゃな

いよ!「巨人の星」「柔道一直線」などアニメから出たスポーツ根性物語のこと。)ドラマが流行ったり

(そういえばあのドラマでは毎回番組冒頭のナレーションでこんなことを言っていたな。「今やボウリン

グはオリンピック競技にも数えられようとしている云々。」入ってない、入ってないってば!)とにかく

日本中ボウリング、ボウリングで大変なフィーバーだった。何しろこんな信州の田舎にもどんどんボウリ

ング場が立たって、それがどこも押すな押すなの大盛況。日曜なんぞは朝の何と5時から並んで、しかも

みんな「マイボール」なんぞという、重さと指の穴の大きさをわざわざ自分専用に合わせて作った代物を

これまたマイボール専用の手提げバッグに下げて(ありゃぁ結構重いゾ。)出かけたものだ。何しろ一介

の職人のうちの親父や、おしとやかでもの静か、スポーツする姿なんぞ絶対に想像できないというお隣り

のおばさんまで「マイボール」持ってたもんなぁ。

 随分脱線してしまったが、要するに日本ではほんの一時期のすごいブーム(考えてみれば日本という

お国は何でもそうだ)で、今でも場所はあるこたぁあるけど、実にじみーな存在の娯楽になってしまった

感のあるボーリングであるが、本場ヨーロッパでは息のながーい人々の楽しみのひとつとして親しまれて

いる。何しろ始まったのが4世紀頃のドイツの教会で、神父たちはピンを悪魔に見立てて、日曜ごとにこ

の悪魔倒しのゲームを信者たちにやらせていたというから愉快だ。

 それが時代が下ってドイツからオランダ、イギリスへと広まって、やがて移民とともにアメリカに渡っ

ていくのだが、ピンの数というのは日本の場合のように必ずしも10本とは決まっていなくて、まちまちだ

ったらしい。元祖ドイツでは9本のスタイルが残って、モーツァルトが生きた時代のウィーンでもピンが9

本のボーリング「ケーゲルシュタット」(九柱戯)という遊びが流行っていた。(ケーゲルとはピンのこと)

 さて本当にモーツァルトはケーゲルシュタットをしながらこの曲を書いたのか、といえばその確証はな

い。ただし同じ頃作曲された「管楽器のための12の二重奏曲」K.496aの楽譜には、自筆で「ケーゲルシ

ュタットをやりながら」つくったと明記されていたという(石井宏氏の文参照)からトランプ、ビリヤード

ダンスと何でも遊びに目がなかったモーツァルトのこと、この佳品を遊びながら作ったというのもまんざ

らありえない話ではない。

 それに曲の冒頭、ゆったりとワルツでも踊るように(実際は6/8拍子)主役のクラリネットが登場する

あたり、本当にモーツァルトは肩の力を抜いて気楽な気持ちでリラックスして書いているなぁという感じ

がして小気味良い。

 そんな印象をこの曲が与えるのも、この曲が仲間内の”お遊び”の曲としてつくられたからだろう。

この曲はモーツァルトがウィーンで歌劇「フィガロの結婚」を完成させた、彼の絶頂期1786年8月に、彼

のピアノのお弟子さんだったフランツィスカ・フォン・ジャカンという女性の依頼でつくられたという。

 ジャカンは当時モーツァルトの家に出入りしていた、彼の大親友のゴットフリートの妹で、父は高名な

植物学者フランツ・フォン・ジャカン。モーツァルトもジャカン家でたびたび音楽の集いやパーティーを

催すといった親しい間柄にあったらしい。

 おそらく当時花の17歳、お年頃のジャカン嬢に「ねぇ、モーツァルトさん。何か私たち仲間でアンサン

ブルができる肩のこらない曲を作ってくださらないかしら」などといわれて、モーツァルトもまんざらで

もない表情で、「じゃぁ君のために書いてあげるよ」と愛想のいい返事をして、ケーゲルシュタットのゲ

ームをしている間に、さらっと書き上げたのがこの曲ではなかろうか。

 事実初演は、まだあどけなさが残るフランツィスカがピアノを、そしてモーツァルト自身が得意のヴィ

オラを担当して、クラリネットはこれも当時モーツァルトの家に出入りしていた遊び仲間の一人名手アン

トン・シュタードラーが受け持ったという。

 この曲が作られた当時は前述した不朽の名作「フィガロの結婚」を世に問うた頃。いわばウィーンに出

てきたモーツァルトが、経済的なことも含めてその絶頂にあった頃、彼は何曲かのピアノ三重奏曲を集中

的に書いている。(有名なのがK.496とK.502)いずれもモーツァルトが、仲間内のサロンで弾くこと

を想定した家庭的な作品。おそらく得意満面なモーツァルトがその幸せな、愉快な気分から自然に湧き出

た楽想を気のおけない仲間たちと分かち合おうと作曲したのであり、この曲の場合最初から演奏者をイメ

ージして作ったからこそ、ピアノ、ヴィオラ、クラリネットという一風変わった編成の曲に仕上がったの

だろう。

 曲は3楽章からなり、第1楽章はアンダンテ 前述したようにピアノとヴィオラの短い前拍のあと、踊る

ように滑るように、ふくよかにのびやかに、クラリネットが登場し主題を吹く。いかにも気持ち良さそう

だ。曲を聴く我々、奏でる演奏者だけでなく、モーツァルト自身が気持ち良さそうに作曲している光景が

目に見えるようだ。そう、映画「アマデウス」でビリヤード台の上で玉を転がしながら、フィガロのあの

perdono 許しのメロディを作曲していたトム・ハルスのように。他の曲以上に、この曲は等身大の本当

のモーツァルトの姿を映し出しているのではないだろうか。

 第2楽章 メヌエット 何ということはない、モーツァルトとしてはごく普通のメヌエットなのだが、

印象的なのは(CDで1:50から始まる)ト短調に変わるトリオの部分。ヴィオラがモーツァルトの内面の、幸

せな中に忍び寄ってくる不安を表すかのように、不機嫌そうに三連符を刻む中、にわかにとぎれとぎれに

哀しげにクラリネットが旋律を吹く。時間にすればたったの2分ほどなのに、この部分が非常に長く感じ

る。まるでこの不安がずーっとつづくかのように。するとどうだろう、さっきまでどうということもなか

った前後の長調の部分の中にも、実は微妙に不安が、影が差し込んでいることにハッと気づかされる。そ

れは技術的にはモーツァルトが非常に細かく曲の中で転調を繰り返しているからなのだが、それによって

同じ楽章の前後どころか変ホ長調の両端楽章までも、我々聴き手はもはや穏やかな気分で聴くことができ

なくなる。

 長調なのになぜか哀しい。明るい曲なのになぜか涙が出てきてしまう。モーツァルトの音楽の最大の秘

密、魅力を、僕達はこの曲に見出すことができるのではないだろうか。明るいけれど、長調だけれど、モ

ーツァルトの曲は決してただ単純に明るいだけではない。明るさの向こうに透けてみえる不安の気配。幸

せの絶頂に忍び寄る不幸の影。七色の虹に単純に歓声をあげた後、ふと気づくと無色に見えていた周囲の

風景が、複雑な、幾つもの色に染め上げられてできていたことに気づく瞬間があるように、一見単純な彩

りの人生にみえても、そこには実にさまざまな光と影がある。笑いがあり、涙がある。幸せがあり、ペー

ソスがある。そのことを、つまり人生の真実を、モーツァルトの音楽は我々に教えてくれる。まるで大空

にあざやかに弧を描く七色の虹のように。

 「僕はいつも床につくたびに、ひょっとすると自分は明日はもういなくなっているかも知れないと思う

のです。」「死は生の本当の最終目標なのです。僕はこの数年来、この人間の真実にして最上の友人と

とても仲良しになってしまったので、死の姿を少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を

安んじ慰めてくれるものと考えているくらいです。」(1787年 4月4日)こんな手紙を病床の父への励ま

しとして出したのは、この曲を作ったわずかに翌年、モーツァルト31歳のことである。

 第3楽章 ロンド アレグレット クラリネットが奏する晴朗なロンド主題と、ヴィオラ(モーツァル

ト自身が弾いている)がリードして導かれる、哀愁を帯びた短調の第2主題が交錯する、そしてその対比

が鮮やかなフィナーレだ。クラリネットの音色はいよいよ深々と、ふっくらとまろやかで、それでいて軽

く、飄々としている。「面白うて、やがて哀しき」音色が魅力のクラリネット。その音色をモーツァルト

が愛したのは、まさに「面白うてやがて哀しき」人間の一生の真実を活写できる楽器だったからだろう。

 演奏は往年のウィーン・フィルのコンサートマスター、ウィリー・ボスコフスキーがヴァイオリンなら

ぬヴィオラを奏し、同じウィーン・フィルのメンバーであるアルフレード・ボスコフスキーのクラリネッ

ト、ワルター・パンホーファーのピアノのトリオのもの(LP:GT-9372)を好んで聴いている。他の演奏に

比べ、ふっくらと柔らか味があり、全体に余裕がある。これがウィーンの粋(いき)というものなのであろ

う。(CD:ベルント・カスパー(pf)ジークフリート・シュラム(cl)マンフレート・シューマン(vla)TKCC-15109)




 

 

 

1月7日(日)雪

 昨日、今日と今シーズン初めての本格的な雪となった。

 昨日は太平洋側の低気圧が発達してもたらした、いわゆる「かみ雪」。ベタッとして重い。今日は強い

冬型の影響で降った雪で乾燥していて軽い。どちらにしても本格的な降りで、両日でかれこれ30cmは積も

っただろうか。結局2日とも雪かきばかりしていたように思う。少し道路から奥まったところに家がある

ので、1回の雪かきで小1時間はかかる。ご近所に独り暮らしのお年寄りの方がいるので、その前もかく。

 雪をかいている時は無心というか、ただ黙々とかく。何も考えない。と、突然自分の中で、不意に

ドヴォルザークのチェロ協奏曲の旋律が鳴った。

 どうしてだろう。いつもはちょっと重過ぎるというか、何だか演歌調にも聴こえるこの曲の第1楽章や

第3楽章。普段聴くには何かちょっと恥ずかしさを感じる旋律(分かりますか?)ドヴォルザーク独特の

親しみ深いんだけど、ちょっと野暮ったいようなところ。交響曲第8番の最終楽章なんかもそんなところ

ありますよね。

 とにかくそんなこんなで普段はあまり聴かないドヴォ・チェロが聴きたくなってきた。雪かきが一段落

したので、自分の部屋へ。レコード棚を見る。あぁ、やっぱりドヴォルザークのチェロ協奏曲のレコード

がないことに気づく。有名な曲なんだけど、先ほど言った理由で普段そんなに聴かない。それでも昔、あ

の吉田秀和が解説で褒めていたので、ロストロポーヴィッチとカラヤン/ベルリン・フィルの有名な演奏

のを買ったことがあったが、カラヤン特有のオケの音が平べったいというか、薄い感じがどうしても馴染

めずに手放してしまった。(それが僕の持っている唯一のカラヤン指揮のレコードだった。どうも彼とは

相性が悪いらしい。)その後、情熱的といわれるデュ・プレ、バレンボイム/シカゴの盤か、端整といわ

れるフルニエ、セル/ベルリン・フィルのどちらかを買おうとずっと思ってきたのだが、なぜか今日まで

中古LP屋さんでこの2つのLPにお目にかかったことがないのだ。CDでも持っていないので、結局今日まで

持たずじまいの名曲になってしまった。

 さて、どうするか。このドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴きたい気分を。その代わりにと、レコード

棚をごそごそやって取り出したのが、

 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(スーク(Vn)、ノイマン/チェコ・フィル)

 エルガーのチェロ協奏曲 

 チャイコフスキー 交響曲第5番 (ハイティンク/コンセルトヘボウ管)  の3枚。

 この3曲を聴いて、やっとドヴォ・チェロを聴きたくなった腹の虫がおさまったというか落ち着いた。

落ち着いたところで考えてみた。なんでドヴォルザークのチェロ協奏曲が聴きたくなったのだろう。気分

なんてものは理屈で説明できないもの、と言ってしまえば元も子もないのだが。クラシック音楽を聴いて

30年、特に季節を強く意識して聴くようになって20年の自分にしてみれば自分の思考回路というものは、

案外に見えてくるものである。

 まず「雪」である。寒里、信州松本に暮らしていると、寒いのはいつものことで慣れている。しかし日

本海側の長野と違って、「雪」は案外滅多に降らない。太平洋側の低気圧が発達して「かみ雪」を降らせ

た時か、冬型が強くなって、日本海側の雪がここまで来た時のどちらかの場合しかない。まさに昨日、今

日がそれに当たるわけだ。つまり冬の暮らしの中でも、雪は「非日常」の光景。そんな非日常の風景が触

発して、普段聴かない曲を所望したくなったのかも知れない。

 そして「雪景色」が僕の場合、チェロの音色に結びつくようだ。前にも大雪が降った翌朝、太陽に降り

積もった雪がキラキラ輝く風景を見ると、バッハの「無伴奏チェロ組曲」第3番が聴きたくなると,昨年の

「音楽歳時記」に書いた。(2006 1/28 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/24832136.html

 雪は僕にとって「非日常」の光景であり、また冬の荒涼感、人間を超えた自然のスケールを感じさせる

ものである。チェロという楽器もまた、僕にとって一番近しい存在のヴァイオリンに比べ音域が広く、

深々とした音で、弾き方によっては豪放磊落なスケール感がある。人間の声に最も近いとい

われる音色の暖かみもあり、雪寒にかじかんだ指先を暖めてくれる温もりがある。そんなところが雪とチ

ェロを結ぶ接点になるのだろうか。

 ところで前述の3曲の中で、イギリスの作曲家エルガーのチェロ協奏曲も、わが音楽歳時記では冬の

曲、特に雪景色に合う作品だと思っている。イギリスの大作曲家というのは、案外少なくて近代ではディ

ーリアスとかエルガー(1857〜1934)くらいではないか。

 イギリスというのは北欧には含まれないが、気候的には寒く、風土的には荒涼としている。したがって

イギリスの作曲家の作る音楽は、どことなくシベリウスやグリークなど北欧の作曲家の作風に近いところ

があるように思う。昨年の音楽歳時記でシベリウスは1月の作曲家、グリークは2月の作曲家と紹介した。

このエルガーもそれに近い、どちらかといえば冬のイメージの作曲家だ。(それに対し、ディーリアスは

春の到来を待つ早春の作曲家という感じだ。)

 バッハの短調の無伴奏チェロ組曲を思わせるような荘重な、そして悲痛なチェロのレチタティーヴで始

まるこのチェロ協奏曲は第1楽章や第3楽章の激しい場面など、海からの冬の季節風に吹きつけられるイギ

リス海岸。他に作物など育たぬ泥炭層からなるヒースの丘の荒涼とした風景を想像させる。

 演奏はイギリスの天才女流チェリストだったジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、わが敬愛するサー・

ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(LP:EAC-81009)

 デュ・プレは11歳でロンドン国際チェロ・コンクールで優勝、16歳でプロ・デビューした。が、28歳で

複合硬化症という難病に冒され、その後亡くなった悲劇の女性でもある。

 白鳥の歌ともいうべきこのエルガーの協奏曲は、彼女の渾身の思いが込められたかのような、激しく情

熱的な演奏だ。

 2007年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて2006年モーツァルト・イヤーは終わったのですが、このブログはもう少し「モーツァルト…」の看

板を掲げたいと思います。

 商売柄、1年というとどうしても4月から始まり、3月に終わる「年度」の感覚が沁みついていることと

またサブタイトルでも「クラシック音楽歳時記」と謳っているので、春ー夏ー秋ー冬 やっぱり春から

1年は始まるということで、このタイトルのブログも昨年4月から始めていますので、なんや時機遅れやな

ぁと思われるかも知れませんが、3月までどうぞおつきあい下さい。

 ところで年末まで受け付けていた第2回投票「モーツァルト晩年の作品でお好きな曲は?」投票ありが

とうございました。結果は


       レクィエム ニ短調 K.626          10票

       ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595   9票

       歌劇「魔笛」 K.620              8票

       クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581    6票

       クラリネット協奏曲 イ長調 K.622      3票


                                   ということになりました。

 いずれ劣らぬ傑作ばかりで順位は意味がないのですが、それぞれの曲への思い入れを聞かせていただき

たかったわけでして、強いていえば27番が最初に肩入れしたせいか、高得点だったのが特徴でしょうか。

 さてこの中で前回クラリネット協奏曲を書いたので、今日はクラリネット五重奏曲のことを書きます。

            ******************************

 「ブラームスのクラリネット五重奏曲の、あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑

作のひとつであるばかりでなく、十九世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども

そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、『神のようなモーツァルト』という言葉が、つい口元

まで出かかってしまう。何という生き生きした動きと深い静けさとの不思議な結びつきが、ここにはある

ことだろう。動いているけれども静かであり、静穏のなかに無限の細やかな動きが展開されている。

 一つ一つのフレーズは、まずは十八世紀のごく普通のイディオムで語られているのだが、何ともいえぬ

気品があり、雅致がある。あすこ(ブラームス)には、人間の運命に対する省察と諦観があったが、ここ

(モーツァルト)には自由がある。かわいそうなブラームス!(後略)」(吉田秀和の文章から)

 若い頃読んだ吉田秀和の文章だが、確かに今、あまたあるモーツァルトの作品の中で「神のようなモー

ツァルト」と形容したくなるのはこの曲だ。

 考えてみれば、モーツァルトが創作したジャンルの中で最も充実している(と僕が思う)弦楽四重奏に

晩年モーツァルトが最も愛した楽器クラリネットが絡んでゆくこの曲が素晴らしいのは当然かも知れない

 この曲は死の2年前、1789年9月に完成し、クラリネットの名手にしてフリーメーソンの盟友シュタード

ラーに捧げられた。

 第1楽章 アレグロ  柔らかく美しい第1主題が弦によって奏でられると、導かれるようになめらかに

クラリネットが滑りこんでくる。次いで(1:27〜)弦に現れるホ長調でありながら淋しげで翳のある第2

主題とそれを支えるチェロのピチカート。それを受けてホ短調で応えるクラリネットの哀愁の調べ。

すべてに破綻がない。あるべき音がすべて最初からあるように予定調和的にそこに在る。まさに「神のみ

わざ」と半ば呆然としているうちに、不意に最初のテーマが現れて楽章が閉じられる。

 第2楽章 ラルゲット  長い長いクラリネットのモノローグのあと、クラリネットと第1ヴァイオリン

が静かな対話を繰りひろげる緩徐楽章。モーツァルトが作った最も美しい旋律のひとつ。微笑んだ女性の

瞳にひっそりと浮かんだ涙…。クラリネットの物憂げでそれでいて官能的な響きがいつまでも、いつまで

も永遠につづくかのよう…。言葉にしたら「幸福」?そう、それは言葉の本当の意味での幸福を現わして

いる。なぜって若い時にはあまりそう思わないのだが、ある年齢を境にして人は気づくようになるのだ。

幸福はいつ壊れるか分からない。幸福というものは決して長くは続かないものだ、ということを。

だからこそ今ある幸福が身に沁みて感じられると。

 1965年のフランス映画「幸福」。女性監督アニエス・ヴァルダが作ったこの映画でも日曜日、美しい自

然に包まれて家族が揃ってピクニックに行く「幸福」そのものの場面のバックに流れていたのがこの曲

だった。(ただし第1楽章)その後夫に若い愛人がいることが分かり、映画は暗転していく。ヴァルダは

幸福の何たるかを知ればこそ、モーツァルトのこのひたすら美しい音楽を使ったのだろう。

 第3楽章 メヌエット 第4楽章 変奏曲のフィナーレ を含め、この曲を聴くと静けさの中の満ち足り

た空気に包まれた秋の日の黄昏を思わずにはいられない。

 演奏はLPではザビーネ・マイヤー(cl)の旧盤(1982年)フィルハーモニア・クヮルテット・ベルリン

(OF-7053-ND)。CDではそのマイヤーのハノーヴァー音楽大学での師にあたるハンス・ダインツァーが17

90年製のクラリネットを使ったコレギウム・アウレウムの演奏(1976年)(BVCD-38051)

 特にザビーネ・マイヤーのLPは大学卒業時、田舎教師として郷里に帰る私に、後輩のG君が餞別として

新宿駅のホームで手渡してくれたレコードで懐かしい。G君はその後共同通信記者として、アラブ、フラ

ンスに長く駐在し、後年岩波新書から「シラクのフランス」を上梓するなど活躍している。


 「今日のわれわれには、モーツァルトのように美しく書けなくなってしまった。われわれにできるのは

ただ彼が書いたのと同じくらい純粋に書くように努めることだ。」(ヨハネス・ブラームス)







 

 「モーツァルト・イヤー」に沸いた2006年もあと少しで終わります。

 今もNHK教育では、ザルツブルク、ウィーン、プラハなどモーツァルトゆかりの地で行なわれた今年の

コンサートを振り返る番組をやっています。

 日本でもアーノンクールの「レクィエム」を始めとするNHK音楽祭その他で、数多くのモーツァルト作

品の公演がありました。

 クラシックの離島みたいなこの信州でも「コシ・ファン・トゥッテ」が生で見られたのはそのおかげか

も知れません。

 しかし個人的に今年一番印象的だったのは、モーツァルトが生まれた1月から亡くなった12月までほぼ

1年間ウィーク・ディの毎日放映されたNHK-BSの「毎日モーツァルト」という番組です。

 モーツァルト生誕の1月27日に特別番組をやったあとの、翌週の1月30日から先日12月29日までの正味11

ヶ月。41週間、全205回。全部見ました、録画しました と言いたいところですが、2月のイタリア旅行中

の1回と、何と一番期待していた交響曲39番の日(Gコード予約してあったのに、その日に限って早く帰宅

したので、手動で録ろうとして何と失敗してしまったのです)の計2回録りそこねがありました。

 が、まぁいいでしょう。手元には計7本のビデオ・テープが残りました。「おとうさん、そのビデオ

一生見るんでしょう。」とは息子の弁。あえて否定はしません。

 録ったはものの、夕方の放送時間には間に合わなかったので、毎日取りあえずその日寝る前の時間に見

ては次の日のセット。その繰り返しですから、本当にじっくりと見たわけでもないので、これからもう一

度見たくなった、聴きたくなった曲のところを折りにふれてじっくりと鑑賞します。案外一生かかるかも

知れませんね。(それにこの番組の全部を収録したDVDのシリーズが発売されるそうですが、その値段が

何と20万円!私なんか3本500円のビデオ・テープに録ったから1000円ちょっとで「モーツァルト大全集」

を揃えてしまったことになりますね。)

 さてこの番組のおかげでモーツァルトの主要な作品を年代順(ほぼケッヘル番号順)に一覧したので、

1.モーツァルトが一番好きといいながら、あまり詳しくなかったピアノ作品や声楽作品(オペラ、宗教

  音楽)を一通り知ることができた。

2.よく知っている曲についても、その作品が作られた頃のモーツァルトの様子や背景を知り、あわせて

  モーツァルトの人生の中のどこら辺に位置する作品なのかを知ることができた

という点で、自分には画期的な番組だった。

 何より200年以上も前にこの世に存在したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトというひとりの

歴史上の人物の生涯を、音楽とともにこれほど詳細に辿れたということは、まさにこの番組を見ること

なしにはできないことだと思う。

 またこれが「神から愛されし(amadeus)」世界中の人々から愛されたモーツァルトだったからこそ、全

200回にも及ぶ番組になったわけで、これが好評だったからといって、バッハ没後300年とか、ベートーヴ

ェン没後200年とかに「毎日・・・」とやってもこれほど盛り上がるとは思えない。

 さてこの番組で初めてその存在や素晴らしさを知った作品、または再評価させられた曲は枚挙にいとま

がないが、ザッと挙げただけでも、

 K.1のクラヴィーアのための小品(これがパパゲーノの主題そっくり)

 ヴァイオリン・ソナタK.296、301、302、306(いずれもマンハイムでのアロイジアとの日々)

 ヴァイオリン・ソナタK.304、ピアノ・ソナタ第8番K.310(パリでの母の死)

 交響曲第31番「パリ」、第32番、第33番、第34番

 戴冠式ミサ、

 ピアノ協奏曲第12番、第13番、第15番、第17番(「むく鳥」)、第18番、第22番

 ピアノ・ソナタ第10番K.330、第11番K.331「トルコ行進曲付き」、第12番K.332

 弦楽四重奏曲第15番ニ短調、第18番、第20番

 ミサ曲ハ短調「大ミサ」K.427

 幻想曲ハ短調K.475

 交響曲第38番「プラハ」、第41番「ジュピター」

 クラリネット五重奏曲K.581、クラリネット協奏曲K.622

 グラスハーモニカのためのアダージョとロンドK.617

 あたりになろうか。

 また毎回のゲストの「I LOVE MOZART」も面白かった。何よりたった1、2分のトークで、その人の人

間性とモーツァルトへの造詣の深浅が出てしまうのは恐ろしくもあった。

 印象に残るコメンテーターとしては小塩節、小柴昌俊、赤川次郎、池内紀、ピーター・バラカン、梯剛

之、江守徹、滝田栄、菊池洋子、松田理奈、平野啓一郎、ダニエル・ハーディングだったかな。

 さぁ、2006年が終わる前にこの回も終わりにしよう。次のモーツァルト・イヤーは2041年になるのか

な。それまで僕は生きているのだろうか?


 それにしてもナレーターの俳優山本耕史はいいなぁ。「初めてオペラを見ます」といっていきなりモー

ツァルト・イヤーのザルツブルク音楽祭のアーノンクールとネトレプコの「フィガロの結婚」S席で見れ

るんだもんなぁ!


 

 


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