クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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 ピアノについて非常に無知な私がモーツァルトのピアノ・ソナタのことを書くのは、多くの専門家の方

のいる前であまりに無謀な気もするのですが、最近の「毎日モーツァルト」でここ半月くらいの間に立て

続けに4曲採り上げられ、それぞれの曲にいろいろと感じたこともあり、恐る恐るキーを叩いてみようと

思います。

        ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330

        ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331

        ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332
  
        ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調K.333

 これらの曲はケッヘル番号でも分かる通り、従来は例の母とのマンハイム、パリ旅行のさ中に書かれた

とされていたが、最近の研究の成果でこの頃はウィーン定住後の作品と考えられるようになってきた。

 そうだろうと思う。あの母の死の前後に書かれた傑作第8番イ短調K.310の頃よりも、より一層素晴ら

しい出来栄え。4曲が4曲とも名曲中の名曲だと思う。

 最初の第10番ハ長調は、1782年8月モーツァルトがコンスタンツェと結婚してまもなくの頃の曲だとい

う。新婚の幸福の絶頂にあったろうモーツァルトがつくったこの曲の第1楽章の何と天真爛漫なこと!モ

ーツァルトが子どものような無邪気さと純真さを生涯持ち続けた人であることを物語る音楽である。

 そして作曲技法的には簡素で無駄がなく、とても細かな「繰り返し」でできている作品だ。

 同じフレーズが少しずつ姿を変え、形を変えて顔を出す。

 「僕が今朝ね、 今朝、僕がね、 ぼくが、けさね…。 同じことを何回も「繰り返し」ているようだ

けれど、決して同じことはやらない。普通に弾いたあと、「繰り返し」の時は小さく…、

ものがあって、その陰があって、ものがあって、その陰があって…というふうに。」 

 こう、この曲の第1楽章を表現したのは吉田秀和。(NHK-FM「名曲の楽しみ」)彼はモーツァルトの

この「繰り返し」のもたらす魔法、音楽の魅力を直截に表現した例としてイングリッド・ヘブラーの演奏

を挙げていた。(1963年録音)

 
 つづいてあまりにも有名な第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」。

 ここではひとつこの日のゲスト、あの怪優 江守徹にその魅力を語ってもらおう。

「僕の気持ちが明るい時でも、ブルーな時でも、厭世的な気持ちの時でも、どんなときでも聴ける曲だと

いう気がするんですね。その音楽性に全く無理がないから、嘘がない。うっかりすると、何か他の人が無

理やり努力してやろうと思うことを、モーツァルトの場合はそういうものを自然に作っちゃうという感じ

がするね。こんなに気持ちが良くなる曲もないなと思うくらい。…唯一といってもいい天才でしょうね、

そう思う。」

 さすがあのピーター・シェファーの戯曲「アマデウス」でモーツァルト役をやっただけのことはある。

何気ない言葉のようでいて含蓄がある。個人的には「モーツァルト頌」に入れても良いと思う。何しろ

それほどこの曲は人口に膾炙した曲。改めてこの曲の素晴らしさを語るのは至難の業だ。

 この日の「毎日モーツァルト」は個人的に大いに収穫があった。まずこの曲が書かれた1783年は、かの

オスマン・トルコによるウィーン包囲を、苦闘の末撃退してからちょうど100年の記念の年で、ウィーン

では時ならぬ「トルコ・ブーム」が起きていたそうな。まるで「モーツァルト生誕250年」で「熱狂の日

」々を過ごしている我々のようなものではないか。その「トルコ・ブーム」という流行にしっかり乗りな

がらも、モーツァルトは極上の作品をつくり上げたという訳だ。

 もう一つ、百年前の敗走するトルコ軍が残していったコーヒー豆からコーヒーが定着し、ウィーンに独

特のカフェ文化が生まれたという字幕のバックの映像に、銀のトレイにコーヒーカップと並んで置かれた

水を入れたガラスのコップの上に、ちょこんと背中向きに置かれた銀のスプーンが…。アァ、これ、この

間入った、ヴェネツィアで最も古い創業250年というカフェ「フロリアン」で出たのと全く同じ光景!そ

うか、これってトルコ風なんだ、と感心してしまった。

 もひとつおまけに、この日の演奏はクリスティアン・ツァハリアスのピアノだったのだが、この録音に

は打楽器を特徴とすろトルコ軍楽の雰囲気を再現するためにということで、トルコ風のシンバルの音が

(どう聴いてもタンバリンにしか聞こえなかったが)加わっているという、ややキワモノ風の演奏だっ

た。

 それにしても改めてシビれたのが、第1楽章アンダンテ・グラツィオーソ 冒頭の主題、旋律にからむ

左手の絶妙な和音。モーツァルトを聴く醍醐味、ここに極まれり である。(アラウ(CD:UCCP-9351))


 さぁ、最後の12番へ行こう。この日のゲストは京都大学在学中の弱冠23歳、『日蝕』で芥川賞を取った

作家の平野啓一郎。彼はこの12番K.332の第3楽章についてこう語った。

「3楽章が始まった瞬間に、何か異様な感じがするんですよね。もの凄くきれいなメロディなんですけ

ど、何かちょっと不穏な、というか、不思議な感じがするんですね。それがすごい魅力で。ものすごいネ

ガティブな言い方すると、ちょっと気持ち悪い感じがするし、良い言い方をすれば、こういうところにこ

そ天才が現れるんだってことになる。たぶん彼の中にはずっとこう楽想があって、そこでパッとはじける

瞬間があるんだと思うんですけど、その突発的な出方が面白いですね。」

 「何か」「ちょっと」の連発が「何か」「ちょっと」若さを感じさせてしまうのですが、しかしここで

平野クンが言いたいことは、実は私も「すごく」よく分かるのです。

 この曲の3楽章の「何か」「ちょっと」変な感じ、今まであなたも感じたことなかったですか?

 昨年の10月に書いたモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番K.333。

http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/14578571.html たぶん僕がピアノ・ソナタで一番好きな曲だと思

う曲。大好きなアラウじいさんのLPではこのレコードのカップリングがこの12番なんですね。で何度も

聴いたんだけど、何かこの3楽章に違和感を感じて、13番ほどは好きになれなかった曲。でもこの平野ク

ンの「何かちょっとヘンな感じ」の発言で吹っ切れた思いがします。

 つまり平野クンの言いたいことも、私が感じた違和感も、吉田秀和氏に言わせればこういうことになり

ますよね。

 「偉い音楽家の音楽というのは、どの方へ流れていくか、ある方向性を感じさせる。ベートーヴェンの

音楽はその典型である。しかしモーツァルトの音楽は、時々どこへ行っちゃうのか、分からないことがあ

る。ハッと気づくと、まるで違う方向へ行っちゃうこともある。それはモーツァルトの音楽の持っている

近代性、モダンなところではないか。」(前述「名曲の楽しみ」より)

 モーツァルト ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332 。その第3楽章の持つ不可思議さ。聴く者の予測

不可能な楽想の出現、曲の展開は、モーツァルト自身にもたぶん説明のできない彼の天才の表出なのでし

ょう。そういった、ちょっと説明のつかない音楽、誤解を怖れずに言えば「紙一重の」音楽。そういう

ものが、彼の後期には増えていくような気がするのです。


 

 

 モーツァルトがハイドンに捧げた6曲のストリング・カルテットのうちの第2曲、弦楽四重奏曲第15番ニ

短調は1783年モーツァルト27歳の年の6月、妻コンスタンツェが最初の子ライモンドを出産した頃書かれ

た曲だという。(と「毎日モーツァルト」で言っていた。)

 「へぇーそうなんだ、初めて聞いた!」と思ったけれど、このことは結構有名らしく、ものの本にもレ

コードの解説にも書いてあった。知らなかったのではなく、気にとめていなかったのだ。

 しかもコンスタンツェの証言があり、この曲の第3楽章メヌエットは陣痛のさ中に作曲されたという。

6月17日深夜1時過ぎ、コンスタンツェの陣痛は始まった。「その晩は二人とも休むことも眠ることもでき

ませんでした。…4時に僕は義母を迎えにやり、それから産婆さんを呼びにやりました。」(6月18日付

父への手紙)

 モーツァルトはその夜、妻のそばを片時も離れなかった。妻が苦しむたびに傍らで励まし、落ち着くと

再び楽譜に向かい、メヌエットを書き上げたという。

(妻の出産に立ち会った作曲家というと、すぐに思い出すのはマーラーだ。彼は傍らの妻アルマが陣痛

に苦しむのを見て、少しでも和らげてやろうと一冊の書物を取り出し、妻に読んで聞かせてやった。が

その時マーラーが取り出し朗読したのは、何とカントの『純粋理性批判』だったという。)

 朝6時半、ついに丸々とした元気な男の子が生まれた。モーツァルトは父親になった喜びを、真っ先に

父レオポルトに伝える。「おめでとう!あなたはおじいちゃんになりました。愛する妻が大きくて元気

な、ボールのように丸々とした男の子を無事出産しました。」(同6月18日付の手紙)

 あわせて父との和解のため、産まれてきた子の名前に父レオポルトの名をもらう許しを乞い、モー

ツァルトの長男は「ライムント・レオポルト・モーツァルト」と名づけられた。


 以上が先日の「毎日モーツァルト」の内容であったが、改めてこの曲について考えてみた。

 この曲は6曲の「ハイドン・セット」のうち、唯一の短調の弦楽四重奏曲である。なぜ短調なのか、な

どということをあまり考えずに今まで聴いてきた(季節でいうとやっぱり9月中旬から下旬の、秋の長雨

が始まる時分に聴くことが多かった)が、こう見てくると妻の出産、長男の誕生という出来事と関連づけ

られそうだ。(無論モーツァルトの作品は、そういった曲の成立事情や背景に関するエピソードを全て抜

きにして、完璧なものとして存在しているのだが、凡人はモーツァルトを我々と同じ生身の人間として、

彼がどんな思いや状況下で作品を書いたのかと、あれこれ詮索してみたくなるのだ。)

 父の反対を押し切りその承諾を得ないまま、約1年前コンスタンツェと結婚し、彼女との間に待望の赤

ん坊が産まれる。予約演奏会などの仕事もまだうまくいっていた時期であるから、世間的にいえば幸せ

の絶頂にあったはずである。その誕生に前後して書かれた曲がなぜ短調なのか?ゲストの村上陽一郎も

(思ったより語りがへたですね、この教授)、父親になる喜びは第3楽章メヌエットの中間部トリオの長

調の部分に示されているけれども、全体として短調なのは、父親になっていくことへの不安ではないのか

な?と言っていた。

 まぁそうなんでしょうけど…、一般的には当時の衛生状況からいって、出産というのは新しい生命の誕

生を心待ちにするという気持ちよりも、それに伴う危険で、赤ん坊が死んでしまうことはもちろん、場合

によっては母親の生命をも奪いかねない危険な時であるという意識の方が強い時代ではなかったか。鋭敏

なる神経を持ち、その上新妻のコンスタンツェをベタ愛していたモーツァルトなれば、その思いは一層だ

ったろう。

 しかし、妻を失いかねないという不安が、そこから一歩進んで「今元気に生きていたとしても、明日は

どうなっているか分からない」人間存在そのものの持つ不安へと高められている。その真実をモーツァル

トは妻の陣痛を聞きながら、汲み取ったのではないだろうか。それほどまでに、この曲は深い悲しみを宿

した傑作であると改めて思った。

 第1楽章 アレグロ  sotto voce(密やかに柔らかく)という発想記号がついた、オクターブ下降で始

まる第1主題は、やがて2オクターブ以上にわたって、空気を引き裂くような悲痛な叫びを上げる。この2

オクターブにもわたる極端な音の上昇、跳躍はこの頃のモーツァルトのお気に入りだったのか、例のハフ

ナー交響曲(第35番)K.385(1782年)の冒頭や、次の弦楽四重奏曲になる第16番変ホ長調K.428(17

83年)冒頭でも顕著にみられる。極端とも思える高い音と低い音の対比。これが池内紀のいう「主題を強

く押し出すようになったウィーン時代のモーツァルトの曲の特徴、魅力だろうか。とにかく一度聴いたら

忘れられない。

 第2楽章 アンダンテ ヘ長調  言い知れぬ不安、激情を秘めた前楽章からすると、この楽章は「慈

愛」ともいうべき静かな、穏やかな優しさに満ちている。旋律と旋律をつなぐ第1ヴァイオリンが奏でる

上昇する三連符「タラララン」(楽譜がないと何だか分かりませんよね)が限りない憧れの気持ちを詠

う。

 第3楽章 メヌエット コンスタンツェが陣痛に苦しむ中、書き上げたという件の箇所である。悲痛と

憂愁とに彩られた鮮明なリズムのメヌエット。三部からなるこの楽章の中間部トリオは、他の三声部が単

純なピチカートをはじく中(モーツァルトの弦楽四重奏曲でピチカートが現れるのは、実はこの曲のこの

トリオが唯一のもの)、ひとり第1ヴァイオリンが逆付点に乗って奏でる長調の旋律は「天上の音楽」と

呼ばれるほど、あまりにも美しい。その美しい第1バイオリンのソロが魅力で、弦楽四重奏団のアンコー

ル曲として、このモーツァルトの15番の第3楽章は単独で演奏されることが多い。(僕もかつて信州丸子

町でのベルリン弦楽四重奏団の演奏会のアンコールで聴いた。)

 しかしレコードであれ実演であれ、このトリオの美しさ、僕には何かこの世のものとは思われぬ怖さを

感じる。確かに美しいことは限りなく美しいのだが、それは例えていえば、「天上の音楽」というより

は、「地獄の漆黒の闇」から伸びてきて、この地上に姿を現した「蓮の花」の美しさのような感じがす

る。

 「闇に咲く花」去年の4月にシューベルトの弦楽四重奏曲を語る時、シューベルトの音楽をそう評し

た。(2005 4/15 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1501598.html 参照)その同じ表現が、この曲の

このトリオにも言えると思う。表面的な明るさ、美しさの背後にあるとてつもない闇…。シューベルトの

音楽にはそれがあり、またモーツァルトの音楽にもそれが見え隠れしている。いや、モーツァルトの持つ

その闇の部分を、シューベルトが受け継いだというべきか。たとえ長男の誕生という喜ばしい場面におい

ても、どんなsituationにおいても顔を出すモーツァルトの心の闇の表出としての音楽、それはやはり彼

の後半生、ウィーン時代の作品に多いような気がする。

 第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ  シチリアーノ風の主題と4つの自由な変奏からなる。フィ

ナーレをヴァリエーション、すなわち変奏曲で締めくくるのも、弦楽四重奏ではこの曲だけなのだが、こ

の優雅さ、儚さはどうだろう。第1変奏は第1ヴァイオリンの16分音符によって彩られ、第2変奏は二つの

ヴァイオリンがそれぞれ全く違ったシンコペーションを奏でる。第3変奏は珍しいヴィオラの独奏。ヴィ

オラの全音域にわたって奏でられる、しっとりとした変奏である。そして第4変奏は、ちょうど第1楽章を

受けた第2楽章のような、しみじみとした長調に。そして最後テンポを速め、決然とした短調のシチリア

ーノで全曲を閉じる。第1ヴァイオリンのあの悲痛な高音の叫びを伴って…。

(最近モーツァルトやシューベルトの変奏曲がますます好きになってきた。特にこの曲の第4楽章の変奏

曲は、短調だけにより強く聴いている僕の胸を打つ。繰り返し繰り返し、形を少しずつ少しずつ変えなが

ら、曲は前に進む。「どんなに辛くても、悲しくても一人ぼっちでも、人は前に進んで行かなくちゃなら

ないんだ。」って我々に語りかけているようだ。)

 振り返って、前述の池内紀の言葉通り主題(テーマ)、旋律の押し出しが強く、極めてインパクトが

あり、加えて第1楽章からフィナーレまで、実に統一感のある作品である。「宿命のト短調」交響曲40番

や「疾走する哀しみ」の弦楽五重奏曲第4番など、モーツァルトの短調をこよなく愛する方には是非じっ

くりと聴いていただきたい一曲です。
 

  演奏  アルバン・ベルク四重奏団(1977年録音の旧盤)(LP:TELEFUNKEN K17C-8318)


P.S. この曲を聴き直して、改めてロマン派音楽とはベートーヴェンでもシューベルトでもなく、モーツ

ァルト(の短調の曲)から始まる という思いを強くしました。

 

 



 

 なかなか更新できない日々が続いています。せっかくお越しいただいた方々、すみません。

 書きたいことはいろいろとあるのですが。例えば「毎日モーツァルト」関連だけでも「後宮からの遁

走」、バッハ・ヘンデルの影響、「ハフナー交響曲」…。

 が、たとえ毎日10分でもこちらがブログを書くより速く、毎日が進んでしまいます。

 でも昨日のドイツ文学者 池内紀が紹介した「弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387」の回について触れな

いわけにはいかない。

 この曲はモーツァルトの室内楽の中で最も好きな曲のひとつであり、また僕にとっては9月中旬の初秋

の風に揺れるコスモスのその影の薄さに、言い換えれば陽の光の弱さに、知らないうちに秋が深まってい

ることをふと感得させる、大切な音楽歳時記の1曲なのだが、(昨年9/16のブログで紹介

http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/11507087.html )今回は何といっても その曲の前に語った池内

紀の言葉が良かった。

「弦楽四重奏曲というのは14番あたりから、いかにもモーツァルトだなぁという感じがしてくるんですよ

ね。それはどうしてかというと、主題(テーマ)が非常に強く出てきて、それが繰り返し、変化させなが

ら、次に転調する、っていう弦の「遊び」っていいますか、それが堂に入って始まったのがこのあたりか

なぁなんて思ってるんですよ。(楽器としての)ピアノというとね、強い、音で言えばボールみたいに飛

び込んで来るものに対して、弦というのは非常にね、文字通り糸を捻ったり、ほぐしたり、弾いたり、音

が非常に優しいのと、柔らかい。それがもつれあってね、そう、本当の悪戯坊主たちが転げ廻って遊んで

いるって、ああいう感じがするんですよ、特に弦楽の場合はね。」

 ものの1分もないようなインタヴューだったが、日頃ヴァイオリンをはじめとする弦楽器に、より親し

みを感じているクラシック・ファンとして、わが意を得たりとばかりに共感を感じる話だった。

 弦の持つ優しさ、柔らかさ。それがハイドンが確立した弦楽四重奏という形にはまることによって生じ

る、安定感。そして主題を4つの楽器によって受け継いだり、たらい回しにしたり、絡んでみせたり、お

どけてみせたり…池内のいう悪戯っ子の戯れのように、主題を素材にして徹底的に遊ぶ、知的なゲームの

ような楽しさ、茶目っ気が弦楽四重奏にはあり、それが特にモーツァルトのこの曲に始まるいわゆる「ハ

イドン・セット」14番から19番までの6曲には、それが縦横無尽に展開されている気がするのだ。

 特に好きなのはこの14番と16番、そして「不協和音」の19番。

(昨年5/29ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/3639572.html 掲載)

唯一の短調15番はまた違った意味で大好きな傑作だ。

 昨年1年間ブログを書いてみて、やはり室内楽、特に弦楽四重奏になると、とたんにコメントの数が減

ってしまう経験をした。もっともっと室内楽、とりわけ弦楽四重奏曲の魅力を多くの人に分かってもらい

たいなぁという想いが強くあります。

 もうひとつ、弦楽四重奏のような弦の音の魅力をより楽しみたいのなら、CDではなくて、やはりLPでし

ょう、と宣伝をしておきたいですね。ピアノとかパーカッションとか打楽器やリズム重視の曲にはCDはい

いかも知れないけれど、しっとりとした柔らかい弦楽器の音の美しさを追求しようと思うのなら、断然LP

鑑賞を勧めます。何しろアナログで聴くと、今この目の前で、弦が弓によって、こう擦れて、音が出るっ

ていう実在感が堪りません。

 <今日の一枚> モーツァルト弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387

     アルバン・ベルク四重奏団(LP: K17C-8318)

    ベルリン弦楽四重奏団(CD: TKCC-15279)

 

 

 
 <今日の一曲> モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調K.414(1782年 26歳)


 NHK-BSの「毎日モーツァルト」はモーツァルトの後半生、ウィーン時代に入っている。

 先日はウィーン在住のピアニスト梯剛之(かけはし・たけし)が出演し、ピアノ協奏曲第12番の魅力を

語っていた。

 盲目のピアニストの梯は「若葉が育っていくような明るさをこの曲に感じます。天から光が注いで来る

ような、何か軽い香りがしてくるような、そんな感じを僕はこのK.414に感じるんです。」といい、

彼がそう感じるフレーズを実際にピアノで弾いてみせた。

 「こういうところなんか、まるで小鳥が鳴いているような感じがする」といって第3楽章のロンドの主

題を弾き、また第1楽章の主題を「天使が飛んでいるような」と弾いてみせた。

 「若葉が芽吹いてきて、ホントに小鳥も啼いていたりするんです」とピアノの音をはずませながら語っ

ていた。

 なんて分かりやすい解説なんだ!一目瞭然、いや一聴瞭然。自分はこの曲のここのフレーズから、こん

なイメージを持つのだと、ピアノで弾いてみせる。これ以上分かりやすい説明はないだろう。

 こんな快哉を叫びたくなるような説明は、学生時代に読んだ吉田秀和の「レコードのモーツァルト」

(中公文庫 1980年)以来だ。吉田は自分がどうしてその曲からそのような印象を持つに至ったかを、可

能な限り客観的に語ろうとし、そのためしばしばよくその箇所の楽譜(譜例)を載せ、読者への説得を試

みている。何でも楽譜を載せればいいという訳ではないが、彼のそれはその評論の客観性を獲得するのに

成功している(と私は思ってきた)。

 梯さんの語りに戻るならば、この曲は「若葉香り、小鳥がさえずる」、季節でいえばちょうど今頃のウ

ィーンの爽やかな初夏のイメージにたとえられる。

 まさに「梯剛之の音楽歳時記 in ウィーン」の初夏の1頁を飾る曲ということになりましょうか。


 さっそくアシュケナージのピアノと指揮、フィルハーモニア管弦楽団の1980年の演奏を聴いてみる。

(LP:L28C-1574)(CDは最近買ったバレンボイム/ベルリン・フィル 1995年ライヴ WPCS-12086)

 明るく軽快で愉悦に満ちたモーツァルトらしいさわやかな1曲だ。

 第1楽章 アレグロ は軽やかで一種コケティッシュでありながら、当時のウィーンで喜ばれただろう

おしゃれなサロン風の音楽でもある。

 第2楽章 アンダンテ は落ち着いて澄み切った心境を示すかのような穏やかな緩徐楽章で、どことな

くパリ・マンハイムの傷心の旅から故郷に帰り、姉ナンネルとの連弾に心癒された「2台のピアノのため

の協奏曲(第10番)K.365の第2楽章を想いださせる。

 第3楽章 アレグレット 再び軽やかな足取りのロンド楽章で、どこか魔笛のパパゲーノのリズムや、

フィガロなどのオペラ・ブッファを想起させる。モーツァルトが調子に乗ってる、というと語弊がある

が、ノリにのって作曲した感のある、ウーンこれはやっぱり傑作だ。

 ヨーロッパ中部のウィーンと、日本ではわが信州がほぼ今頃の季節感を共有できるだろう。僕も自分の

音楽歳時記の初夏の欄に、青葉茂れる季節の爽やか感にマッチする曲として、モーツァルトのヴァイオリ

ン協奏曲第3番や、ディヴェルティメント第2番K.131と一緒に綴じ込むとしよう。

 
 この曲を書いた頃のモーツァルトは、ウィーンで自由な音楽家として自立していくために、その収入の

手段として、貴族の子女へのピアノ・レッスンと、ウィーンの聴衆に自分のピアニストとしての腕前を見

せるための、自作のピアノ協奏曲をメインとした演奏会を開いていた。

 初めのうちは旧作の第5番、第6番、第8番、第9番「ジュノム」を主なプログラムに採り上げていたが、

いつまでも旧作にばかり頼っていられないと、1783年に予定されていた予約演奏会のために、新たに、よ

りウィーンの人々の好みに合った新作を書き始めた。それがこの曲を含む第11番ヘ長調K.413、第12番

イ長調K.414、第13番ハ長調K.415の3曲である。

 これらの曲の創作のコンセプトについては、例の彼の父への手紙の中に書かれた有名な一節がある。

「協奏曲は難しいのとやさしいのとの中間のもので、とても派手で、耳に快いが、もちろん空疎に堕して

もいないといった具合で、音楽通でなければ満足が得られない個所も2、3ありますが、通でない人々もな

ぜか分からないながら、きっと満足できるというふうに書かれています。」(1782年12月28日)

 このような意図で用意周到に書かれた作品たちであるために、これら3曲は、14番以降のピアノとオー

ケストラが一体化し、「交響的統一体」として芸術作品としての質を飛躍的にレベルアップさせた作品群

に比べると、平易で社交的・娯楽的色彩が強いが、当時のウィーンの聴衆の好みにはピタリと合ってい

た。おかげで予約演奏会の予約会員は1784年には174人に達し、1ヶ月のコンサートは20回を数えるに至っ

た。まさに「仕立て職人が着る人にピタリと合った服をしつらえるように」曲を作ることができると自負

したモーツァルトの面目躍如たるところである。またウィーンに出たばかりの彼の気負いを感じる話であ

る。

 しかしこのわずか2年後には、彼はこうした聴衆の耳になじみやすい口あたりのよい音楽を書かなくな

り(ピアノ・コンチェルトでいうと第20番ニ短調K.466あたりから)、聴衆の嗜好ではなく、彼の内面

から湧き出る「自分が書きたいと思う欲求」に忠実な音楽を書くようになり、心地良いだけの音楽を求め

ていたウィーンの聴衆からは次第に受け入れられなくなり、その3年後には予約会員は0になってしまう。

 自らの創作的欲求に従って創作することで、モーツァルトはさらなる音楽芸術の高みに達した(私見で

はモーツァルトの後半生からロマン派音楽が始まったと思うのです)が、実生活では、大衆から離反さ

れ、晩年の生活苦とそのために35歳という短い生涯を閉じることにもつながっていくのである。


 P.S. 唐突かもしれないが、この曲の第3楽章の主題を聴いていると、僕は何だか若葉が香る公園

の芝生の上を、ヨチヨチ歩いている赤ちゃんを連想してしまう。そしてその赤ちゃんを「ちょち、ちょ

ち、ちょち…」とあやしている、そのあやすテーマソングのように感じてしまう…。


                  「万緑の中や吾子(あこ)の歯生えそむる」(中村草田男)


 

 

 

 

 1781年5月9日、モーツァルト25歳。もし彼の人生を前半生、後半生の2つに分かつとするならば、間違

いなくこの日がその分水嶺になるだろう。


 今日(5月10日)のNHK-BS「毎日モーツァルト」では、モーツァルトが彼の雇い主であるザルツブルクの

大司教コロレドと、積年の積もりつもった不満を爆発させて、ついに訣別した出来事がテーマだった。

 
 ウィーンに滞在していた大司教コロレドに呼ばれ当地にやってきたモーツァルトは、大司教主催の演奏

会で、耳の肥えたウィーンの聴衆から大喝采を受ける。ウィーンの貴族たちから個人演奏会の依頼が次々

にモーツァルトに舞い込む。ところがコロレドは自分の主催する演奏会以外へのモーツァルトの出演を厳

禁する。われらが天才モーツァルトも、彼にとっては彼のただの使用人なのである。

 そのことに内心腹を立てていたモーツァルトにとって、何かと制約の多い窮屈なザルツブルクに比べ、

音楽の都ウィーンははるかに魅力的な街に見えた。

 大司教は使用人モーツァルトにザルツブルクへの帰郷を命ずる。何かと理由をつけ、ウィーン滞在を

引き伸ばそうとするモーツァルト。そこで件の1781年5月9日、コロレドはモーツァルトを呼びつける。

 ここからは、「世界遺産」ともいうべき、人類が遺した手紙のうち最も愛すべき、最も貴重な(と僕が

考える)「モーツァルトその人の手紙」に、ことの顛末を語っていただこう。(吉田秀和編訳「モーツァ

ルトの手紙」)

 
 「僕ははらわたが煮えかえりそうです!今まで随分長いこと僕の忍耐力を試されていたようなものです

が、今度という今度は我慢できません。幸いなことに僕はもうザルツブルクの家来でなくなりました。

 今までももう二度までもあの奴から面と向かって、実に愚劣で無礼きわまることを言われていました。

それはとてもお聞かせするに忍びないようなことなので書かずにいました。そうしてあなたのことが念頭

から離れないばかりに、いつもその場で仕返しするのを我慢してきました。あいつは僕をやくざ者だと

か、ならず者だとか呼んだ揚句、「出て行け」と言いましたが、僕は何もかもじっと我慢していました。

これは僕の名誉ばかりじゃない。お父さんの名誉も傷つけるものだと感じはしましたが、あなたがそうし

ろとおっしゃったればこそ黙っていたのです。

 ところがお聞き下さい!一週間前、急に馬丁がやってきて、今すぐ出て行けというのです。他の連中は

みんな日が決まっていたのですが、僕のは別でした。…僕はお邸を出たのですから、自分の金で暮らさな

ければなりません。ですから支度ができるようになるまでは、とても旅行できないのは当たり前です。二

人の侍僕たちは「もっともだ」といいました。

…僕が彼(大司教)の所へ入って行くと、まずこうです。「下郎、いつ発つのかな。」僕「今夜発つつも

りでしたが、座席がもう一杯でございますので。」そうするとひと息でまくしたてるのです。僕はおよそ

だらしのない奴で、およそ僕みたいにつとめを怠ける者はない。いいから今日発て。さもなければ国に手

紙して俸給を差し止めるという始末です。彼は面と向かって嘘をつき、僕が五百フローリンの俸給をもら

ってるだとか、ルンペンだとか、ごろつきだとか気違い呼ばわりするのです。あぁ、その全部をあなたに

書くことなんて、とてもできるものじゃありません!

 そのうちにとうとう僕もあんまり頭にきたので「猊下には私がお気に入らないのですか」というと、

「何っ!わしをおどす気か、この気違いめ!出て失せろ、よいか、貴様のようなごろつきとはもう縁切り

じゃ!」それで僕もとうとう言いました。「僕の方でもあなたとは縁切りです!」「出てゆけ!」…

 最上のお父さん、どうお考えでしょう、むしろもっと早くいうべきで遅すぎた位じゃないでしょうか。

 僕のことはご心配下さらないように。僕は何も理由がなくても辞職したでしょう。そのくらいここでの

自分の立場を確信しています。…僕がここで困っていない証拠に、次の郵便でお金を若干お送りします。

 どうかお元気でいらして下さい。今こそ僕の幸福が始まったのですから。それに僕は自分の幸福は、ま

たあなたのそれでもあることを望んでいます。人に知られないようにして、あなたがこのことで満足して

いることを知らせて下さい。そうしておいて、世間にはあなたのせいにされないよう、うんと悪く言って

下さい。それでもなお、大司教があなたに少しでも失礼なことをしたら、即座に姉さんと一緒にウィーン

の僕のところへお出でなさい。三人で暮らせます。僕は名誉にかけて誓います。…

 アデュー!あなたの手に1000回キスし、愛する姉さんを心から抱擁します。

                    永遠にあなたの忠実なる息子  W・A・モーツァルト 」

 
 
 こんな時にも父親への気遣いを忘れないモーツァルトの人間性に心打たれる。そして生誕250年に浮か

れる私たち現代の日本人が忘れがちなこと。それは彼が生きたのはこのような冷徹な封建社会であったこ

と。その中で彼は自らの才能のみを頼りにそれと戦ったということを。

 フランス革命で人間の「自由」「平等」が謳われたのは、この8年後であり、モーツァルトがウィーン

で、自由な一個人として、一芸術家として生きたのは、この後たった10年しかなかったということを。


 P.S. やっぱりゴールデン・ウィークに「毎日モーツァルト」の番組が進行を足踏みさせていたの

は、この大司教コロレドとの訣別の日付けに番組を合わせようとしていたんだな。ンダ、ンダ!


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