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11月2日(水)晴れ
例年10月よりも11月に入った方が安定した穏やかな晴天の日が続くことが多い。昨日、今日と朝は大変に冷え込むが、日中は18℃位まで気温が上がり、穏やかに晴れ上がっている。
こんな晩秋の穏やかな一日には、やはりブラームスの、それも比較的明るい曲が似合うようだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン・ソナタ第2番あたりだろうか。
ヴァイオリン協奏曲は1878年ブラームス45歳の夏に、ピアノ協奏曲第2番作品83は81年48歳、ヴァイオリン・ソナタ第2番作品100は86年53歳の年に作られた。
いずれも共通点は夏、風光明媚な避暑地や郊外で作曲されたということで、これらの曲の晴朗で穏やかで、田園的、牧歌的な曲想に影響しているように思う。
このうちヴァイオリン協奏曲はブラームスが初めてのイタリア旅行を終えた後、オーストリア南部の避暑地ペルチャッハで作られた。
ペルチャッハはウェルター湖畔の山紫水明の地で、その前年にも彼は夏、ここに滞在して交響曲第2番を一気に書き上げた。
このようにブラームスが後年、夏になるとウィーンの街中を離れ、田園風景の中での創作活動を好んだ理由は、彼の少年期の体験にある。
ハンブルクの貧民窟の一角に生まれながら、その音楽的才能を父親に見出され、当時考えられる最高の教育を受けていたヨハネス少年は、しかし一方で貧しい家計を助けるため、荒くれた船乗りたちのための酒場や食堂、ダンス・ホールでピアノを弾くようになった。13歳の時である。
呼び出しがあると夜中でも駆けつけさせられ、安タバコの煙がもうもうと立ち込める中ピアノを弾かされていた少年は、やがてよろめきながら街を歩くほど衰弱してしまった。
あんまりひどいので見かねた父の友人で、ハンブルクの郊外に住むギーゼマンという人が夏の間引き取ってくれ、ブラームスはギーゼマンの娘リースヒェンにピアノを教えながら、14歳と15歳の夏の田園生活を楽しんだ。
この美しいインテルメッツォ(間奏曲)のような体験から、のちに夏になると自然の中に身をおいて創作をするというブラームス後年の習慣が生まれたといわれている。
「ブラームスの田園交響曲」といわれる第2交響曲同様、美しいペルチャッハの自然の中で作られたこの協奏曲は、彼特有の交響曲的な重厚さとスケールを持ちながらも、のびやかで明るい楽想に満ちている。
とりわけ第2楽章冒頭のオーボエが吹く牧歌的な旋律の魅力は、山上から見渡す美しい風景描写そのものだ。
志鳥栄八郎は「この部分を聴くたびに、以前訪れた上高地の徳沢から穂高を見上げたときの爽快な気分を思い出し、心気の澄むのをおぼえる」と書いている。
私の経験では、大学1年の時、山のサークルでの初めての夏合宿で北アルプスの薬師岳に登った時、この旋律が自分の中で聴こえてきたのを覚えている。
富山の折立から天候不順でずっと雨が続いていたので、薬師の肩の小屋でもう一泊し、翌日は濡れたテントやシュラーフを乾かしながら、薬師のピークへの空身(からみ)でのピストンだけの日だった。
心も軽く、身も軽く、山に登りはじめて、初めて感じる楽しい気分だった。「今自分がこうして自然の中に身を置き、山の稜線を歩いていることそのことが楽しく、うれしいのだ。」
北アルプスの西北にあり、訪れる人も少ないどっしりした牛の背のようなその山容を、その後槍ヶ岳など遠くの山から望むたび、その時の楽しい気分を想い出すのだった。
演奏はかつてはメニューイン/フルトヴェングラー、ルツェルン祝祭管1949年の歴史的録音を聴いていたが、最近はもっぱらヘンリック・シェリングのヴァイオリン、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1973年の演奏を聴いている。(LP:PHILIPS X-8547)
何といってもシェリングのヴァイオリンが素晴らしい。美しく、艶やかでヴァイオリン特有のあの金属音が全くない、文字通り絹のような音色だ。
レコードで聴く限り1970年代中葉録音のシェリングのヴァイオリンは、楽器が違うのか録音の関係か、少なくとも私の持っているレコードの中では最高の美音を奏でているように思う。
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