クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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12月2日(金)曇り

 (ごぶさたしています。実に半月ぶりのブログになってしまいました。4月以来仕事の一番忙しいピークが11月後半に来てしまいました。せっかく11月後半はブラームスの室内楽にとっておいたのに…。しかしご覧のように信州は瞬く間に冬景色になってしまった。嘘は書けないので、冬篇に入ります。)

 今日は朝からどんよりとした曇り空。それも普通の雲ではない。今シーズン初めての重たそーな鉛色の雲である。それに加えて、自分の周りの空気が昨日までと何となく違う。

 何て言ったら良いのだろう。何かを感じるのである。そう、何となく雪が降ってきそーな感じがするのである。子どもの頃から何度も体験してきたこの感じ。(実際翌早朝、初雪が降った。)

 同じ信州でも日本海側にある長野市と松本とでは、特に冬の気候はかなり違う。長野は新潟と同じ。冬はほぼ毎日こんな雲に覆われて、こんな風に今にも雪が降ってきそうに空が暗い。

 一方、松本は内陸性の気候で冬はかなり乾燥する。どちらかといえば晴れの日が多いのだが、今日のように雪の降りそうな時は、周りの空気そのものが違う。何か特別な湿り気が肌にまとわりつくのだ。もちろん底冷えするような寒気を伴って。

 冬、太平洋側の東京は日本海側とは正反対でいつも快晴。この世にこんな不公平ってあるだろうか、といつも思う。

 学生時代、新潟出身の友人が冬僕の下宿に泊まった翌朝、眩しいほどの青空を見上げながら「へっ、新潟は雪だっつうの」とはき捨てるように呟いて、地下鉄の駅に向かった光景が忘れられない。その日から僕は冬の東京の青空を「悲しいほどお天気」(by Yuming)と呼ぶことにした。

 で、松本は東京と長野のちょうど真ん中の気候で、空の北半分が鉛色の雲に覆われ、南半分の諏訪方面の空は快晴。だから空の真ん中で天気が真っ二つに割れているような、そんな空模様の日を子どもの頃から何度も見たような気がする。

 だから今日のような天気というのは言ってみれば、普段日本海側と太平洋側の気候の境界線であるこの松本に、日本海側の天気が優勢になって、雪を降らせる雲が長野あたりからここ松本まで勢力をのばしてきた結果という訳なのだ。

 そして毎年、この雪を予感させる普段と違う厚い雲に覆われた空の下で、ため息をつくのだ。「あぁ、いよいよ冬がやってきた」と。

 この空を覆い尽くす鉛色の雲を見て、頭の中に浮かんだことは2つ。

 一つは江戸時代は後期、化政文化の華、川柳の中の「恐ろしき物の食ひたき雪の空」という句。

 恐ろしき物というのは、言うまでもなく致死量の毒を持つ「ふぐ」のこと。グルメの江戸っ子はその年初めて現れた今日のような雲を見上げて、冬の味覚「ふぐ」の季節がやって来たことを実感し、思わず舌なめずりをするという訳だ。

 江戸っ子が冬の雲を見て、条件反射的にふぐの姿を想像するように、こちとらの耳に条件反射で聴こえてくる旋律。それがチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」第1楽章冒頭のメロディなのである。

 「冬の日の幻想」が冬の到来を告げる曲とはあまりに素直すぎる、という批判は甘んじて受けよう。私にとって、冬が来たなと思ったらまず聴きたくなるのがこの曲なのだから。

 この曲はチャイコフスキー26歳。モスクワ音楽院教授に迎えられ、音楽院の多忙な仕事の傍ら作曲した自信作。しかし恩師のアントン・ルビンシテインとザレンバ教授に容赦なく酷評され、心ならずも第2楽章、第3楽章を大幅に改作した。

 後年、チャイコフスキーは「多くの欠点があるにもかかわらず、私はこの曲を溺愛する」と周囲に語ったという。私も殆ど溺愛と言っていいほど、この曲を愛する。

 第1楽章。「冬の日の旅の夢想」(という標題を持つ)

 弦のトレモロに乗って、フルートとファゴットがロシア民謡風の少し憂いを持ったト短調の第1主題を吹く。この曲全体でもフルートが非常に活躍する。「くるみ割り人形」などでもそうだが、私にはチャイコフスキーのオーケストレーションではフルートという楽器が印象的だ。

 第2主題は希望と憧れに満ちたニ長調の旋律をクラリネットが提示する。この交響曲の特徴としては、非常に古典的な形式にのっとっているが、この楽章だけでなく、すべての楽章が2つの主題だけからなる比較的単純な構成である点だ。

 それが後期の交響曲より劣ると一般に考えられている原因にもなろうが、私などはその単純さに彼の若書きの曲としての純粋さや溌剌さといった魅力を覚える。

 第2楽章。「陰鬱な土地、霧深い土地」という標題を持つ緩徐楽章。

 弦合奏の導入部を経て、オーボエによってしみじみと奏されるロシア民謡のような第1主題が、この曲のハイライトのように思える。

 「稀代のメロディーメーカー」「憂愁の作曲家」チャイコフスキーの面目躍如たるところ。聴いたことのない人には、あのトルストイが涙したという「アンダンテ・カンタービレ」(彼の弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11の第2楽章)にきわめてよく似た旋律といえば、想像していただけるだろうか。

 シューベルトと並ぶ旋律の天才(と私が思っている)チャイコフスキーの数々の名旋律の中でも、この主題は1,2を争う素晴らしいメロディだと思うし、すこぶるロシア的な抒情、哀愁に満ちた部分である。

 次の変イ長調の第2主題はフルートで奏される。

 第3楽章。スケルツォ。バイオリンに現れる、明るいがどことなく翳りのある主題は、前年に作曲した「ピアノ・ソナタ嬰ハ短調」の中の旋律をそのまま用いたものだという。

 そして中間部トリオの、ホルンが奏する柔らかくのびのびとした旋律も印象的だ。長調だが、どこか暗闇から立ち登ってきたような、シューベルト的な美しさを持つ。

 第4楽章。フィナーレ。序奏はロシア、カザンの民謡「咲け、小さな花よ」を主題とした悲痛な旋律がファゴットに出る。

 そして主部アレグロは一転して粗野だが力強い、地方の祭典における民衆の歓喜を思わせる華やかな主題がクライマックスを作る。

 全体を通して、4番以降の名作群以上にロシアの大地の土の匂いをストレートに感じさせる、ロシア国民楽派的な、民族色豊かな交響曲である。単純な構成ではあるが、全編魅力的な旋律に満ちた、聴けば聴くほど愛着を感じてくる曲ではないかなと思う。

 演奏はリッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィル・ハーモニア管弦楽団(1975年)をおすすめしたい。
(LP:英EMI ASD3213)(日本盤でいうと東芝EMI EAC80250)

 ムーティの溌剌としてメリハリある指揮ぶりが素晴らしい。何よりもこの曲の清新な若々しさをすくいとっている。特に第1、第4楽章のスピードと推進力、求心力に、身体の内側から熱くこみ上げてくるようなチャイコフスキーを聴く喜びに満たされる思いだ。

 実はこのムーティ、New Philharmoniaのコンビのチャイコフスキー。1番から3番まで全部オススメだ。


 
 

 
 



 

 

 

 

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