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モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第28番 ホ短調 K.304 ( 1778年 22歳 パリにて)
クララ・ハスキル(Pf)アルテュール・グリュミオー(Vn)(LP:Philips X-8552)(CD:Aile Disk GRN-509)
モーツァルトの短調の曲は、長いことあまり好きになれなかった。
モーツァルトの作った600を超える曲の圧倒的多くが長調の曲なのに、数少ない短調の曲がまるでモー
ツァルトの代表曲のように言われることが腑に落ちなかったからだ。(たとえば交響曲第40番ト短調K.
550。たとえば弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516。この弦楽クインテットなどは、その第1楽章冒頭の旋律
を、小林秀雄が彼のエッセイの中で「疾走する悲しみ」と表現して、一躍モーツァルトの作品中の人気曲
のひとつになったものだ。)
僕にとってモーツァルトの曲のイメージは、さわやかな初夏。あるいは澄みわたった青い空に鰯雲が浮
んでる初秋の風景。どちらにしても明るく快活な長調の曲のイメージだ。
「モーツァルトの曲は深刻さがないのはいいけれど、単純で軽すぎて何だか物足りない」っていう人がい
る。その人はきっと彼の長調の曲を指してそう言っているのだろう。冗談じゃない。モーツァルトの音楽
の真髄は長調の曲にある。僕はそう信じて疑わない。モーツァルトの長調の曲ほどその単純さと快活さの
影に、言い知れぬ深い哀しみや孤独を感じる音楽はない。
たとえば晩年のクラリネット五重奏曲の第2楽章。映画「幸福」に使われた曲。まさにその名のとおり
幸福な心境とはこのようなものだ、と告げているかのような美しく穏やかな音楽だ。幸福感が永遠に続く
かのように充溢している…。しかし若い時はともかくとして、僕たちはある年齢を過ぎるとだんだん分か
ってくる。幸福とは決してそんなに長く続くものではないということを。だからある年齢を過ぎると、幸
福の瞬間にも決して100パーセントそれに浸ることはできない。いつこの幸福感は根こそぎ誰かに持って
いかれてしまうのではないか、とむしろ不安に思う。それが本当に幸福というものが分かったということ
ではないだろうか。
このことは残念ながら僕が言い出したことではなく、いつか、15年ほど前にFMラジオで吉田秀和が言っ
ていたことだ。しかしそれを聞いた時よりも、今この年になって吉田秀和が言っていたことがいよいよ良
く分かる。今やこれから得るものよりも、失うものの方が多い、という年齢になったということだろう
か。
話を戻そう。たとえばこのクラリネット五重奏曲第2楽章の美しさはよく、目にいっぱいの涙をうかべ
ながらも、口元に笑みを湛えた美しい女(ひと)の微笑みにたとえられる。モーツァルトの長調が天真爛
漫で単純な音楽のように見え、その背景に実に深淵で複雑な感情をたたえていることの一つの例である。
この短調のヴァイオリン・ソナタを見直すきっかけになったのは、例の「毎日モーツァルト」だ。「母
の病」という回でこの曲が紹介されていた。全部で42曲あるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタのう
ち、この曲K.304をはじめとするK.300台の最初の6曲が、モーツァルト22歳。母とともにパリを旅し
ていた時分の作品である。そして彼がなかなか実を結ばぬ就職活動に奔走している間に、旅先の宿舎でひ
とりモーツァルトを待ち続けた母は急速に健康を害してゆき、やがて1778年7月3日、息を引き取る。
その夜、モーツァルトがザルツブルクにいる父に宛てて書いた手紙は、彼の遺した書簡の中で最も有名
なものである。「非常に不快な悲しいお知らせをしなければなりません。お母さんの加減が大変悪いので
す。…人はまだ望みがあるといいますが、僕はあんまりあてにしていません。もう数日の間、昼も夜も恐
れと望みの間にいますが、何事も神様の御旨にお任せして、ただあなたや姉さんも僕と同じようになって
下さることを望んでいます。…それではご機嫌よろしゅう。お身体にお気をつけになって、神様の御心に
お任せ下さい。そうすると慰めが得られます。愛するお母さんは万能の主の御手の中にあります。もし御
心に添うなら、僕がお願いするように、彼女を僕らにお返しになりましょうし、僕らは神の御恵みに感謝
しましょう。…それではご機嫌よう、愛するパパ、どうかご健康に気をつけて下さい…。」(「モーツァ
ルトの手紙」吉田秀和編訳(講談社)1974年)
肉親の死という事実から家族が受けるであろう衝撃を、少しでも和らげようとしてついた、明白な、そ
してあまりにも美しい嘘。それから6日後、モーツァルトはやっと本当のことを父と姉に伝えている。
「お父さんも姉さんも、僕のこの小さな嘘をお許し下さい。あなたがたのことを考えると、この恐ろし
い知らせを突然お知らせする勇気がなかったのです。…僕は泣いて気を鎮めようとしました。あなたがた
も泣かずにいられないものなら、どうぞお泣きになって気をお鎮め下さい…。」
一方、最初の手紙を父に宛てて書いた同じ夜、モーツァルトは同じくザルツブルクにいる親友のブリン
ゲル神父には、本当のことを書き送っていた。「最良の友よ!(他言無用)友よ、僕と一緒に悲しんでく
れたまえ!今日は一生で最も悲しい日だった。聞いてくれたまえ、僕の母が、僕の愛する母はもういな
い!神が母をお召しになったんだ…。」と率直に母の死を伝え、死までの二週間、どんなに苦悩や不安、
心痛と戦ってきたか察してほしいと、切々と自分の悲しみを訴えている。
母の死の直前に作られたというこのヴァイオリン・ソナタK.304は、この友人に宛てた手紙のよう
に、母の死の予感、そして彼の心の中の不安を、短調で直截に表現している。
第1楽章 アレグロは彼の室内楽の作品にしては音の強弱の対比鋭く、劇的な表現が目を引く。このこ
とをアルフレッド・アインシュタインは「モーツァルトの作品の中の奇蹟のひとつ。それは感情の最も深
い奥底から発して、後にベートーヴェンがその門を開いた偉大なドラマの世界の扉を叩く交互的な対話風
のスタイルに到達している…」と述べている。
第2楽章 テンポ・ディ・メヌエット 真に傑作なのはこの第2楽章だ。(名曲と呼ばれるもののうち
真に傑作の名に値するのは、第1楽章よりも後続の第2楽章以降がより優れている曲だと僕は思う。)
出だしのピアノのモノローグ。母を失うかも知れない予感が音符になった、というよりもモーツァルトと
いう「天才の孤独感」そのものを曲にしたような音楽に僕には聴こえる。そしていつも思う、モーツァル
トのピアノ・ソロの素晴らしさ。それはチャーミングな右手の旋律に、何気なくつけているようにみえる
左手による和音の深さ、シュールさ。(それを初めて実感したのは、例の映画「アマデウス」のエンディ
ングで使われた、ピアノ協奏曲第20番第2楽章のピアノ・ソロの部分だった。)そしてそれにからんでく
るヴァイオリン。ピアノが奏でたその旋律を、今度はヴァイオリンが弾くと、もっと哀しく聴こえるの
だ。
ピアノからヴァイオリンへ、ヴァイオリンからピアノへと主旋律が受け継がれていくその自然さも見事
だが、もっと見事なのは、この楽章の真ん中で二度繰り返される、この曲唯一の長調の部分。悲しみで胸
がいっぱいになりながらも、目の前の人を気づかい、自分の心のうちを覚られぬようにそっと浮かべる微
笑み。そう、この長調の音楽は、父や姉に直截に母の死を知らせなかった、モーツァルトの肉親への優し
さそのものだ。
再び冒頭の短調のメロディが繰り返された後の、ラストも素晴らしい。さながら母の魂が昇天するイメ
ージを既視したかのように、ヴァイオリンが飛翔して曲は閉じられる。
「毎日モーツァルト」の番組では、この曲の魅力をノーベル賞物理学者、小柴昌俊は次のように語って
いた。「エッ、この曲のどこがいいかって?アンタだってそういうふうに聞かれたら、困っちゃうんじゃ
ないの?まぁ、強いて言えば、ちょっともの悲しいところ。それが心に沁み込んでくるというのかな。」
(僕もこんなふうに端的にものを言えるようになりたいものだ。)
P.S. モーツァルトのヴァイオリン・ソナタについては、ちょうど1年前の桜の花の季節に2曲を紹介した
ので、再録しておきます。
4/16 春はバイオリン・ソナタ 2 … モーツァルト バイオリン・ソナタ第35番ト長調K.379
http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1543884.html
4/17 モーツァルトのバイオリン・ソナタをもうひとつ 第42番イ長調K.526
http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1630081.html
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