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なかなか更新できない日々が続いています。せっかくお越しいただいた方々、すみません。
書きたいことはいろいろとあるのですが。例えば「毎日モーツァルト」関連だけでも「後宮からの遁
走」、バッハ・ヘンデルの影響、「ハフナー交響曲」…。
が、たとえ毎日10分でもこちらがブログを書くより速く、毎日が進んでしまいます。
でも昨日のドイツ文学者 池内紀が紹介した「弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387」の回について触れな
いわけにはいかない。
この曲はモーツァルトの室内楽の中で最も好きな曲のひとつであり、また僕にとっては9月中旬の初秋
の風に揺れるコスモスのその影の薄さに、言い換えれば陽の光の弱さに、知らないうちに秋が深まってい
ることをふと感得させる、大切な音楽歳時記の1曲なのだが、(昨年9/16のブログで紹介
http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/11507087.html )今回は何といっても その曲の前に語った池内
紀の言葉が良かった。
「弦楽四重奏曲というのは14番あたりから、いかにもモーツァルトだなぁという感じがしてくるんですよ
ね。それはどうしてかというと、主題(テーマ)が非常に強く出てきて、それが繰り返し、変化させなが
ら、次に転調する、っていう弦の「遊び」っていいますか、それが堂に入って始まったのがこのあたりか
なぁなんて思ってるんですよ。(楽器としての)ピアノというとね、強い、音で言えばボールみたいに飛
び込んで来るものに対して、弦というのは非常にね、文字通り糸を捻ったり、ほぐしたり、弾いたり、音
が非常に優しいのと、柔らかい。それがもつれあってね、そう、本当の悪戯坊主たちが転げ廻って遊んで
いるって、ああいう感じがするんですよ、特に弦楽の場合はね。」
ものの1分もないようなインタヴューだったが、日頃ヴァイオリンをはじめとする弦楽器に、より親し
みを感じているクラシック・ファンとして、わが意を得たりとばかりに共感を感じる話だった。
弦の持つ優しさ、柔らかさ。それがハイドンが確立した弦楽四重奏という形にはまることによって生じ
る、安定感。そして主題を4つの楽器によって受け継いだり、たらい回しにしたり、絡んでみせたり、お
どけてみせたり…池内のいう悪戯っ子の戯れのように、主題を素材にして徹底的に遊ぶ、知的なゲームの
ような楽しさ、茶目っ気が弦楽四重奏にはあり、それが特にモーツァルトのこの曲に始まるいわゆる「ハ
イドン・セット」14番から19番までの6曲には、それが縦横無尽に展開されている気がするのだ。
特に好きなのはこの14番と16番、そして「不協和音」の19番。
(昨年5/29ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/3639572.html 掲載)
唯一の短調15番はまた違った意味で大好きな傑作だ。
昨年1年間ブログを書いてみて、やはり室内楽、特に弦楽四重奏になると、とたんにコメントの数が減
ってしまう経験をした。もっともっと室内楽、とりわけ弦楽四重奏曲の魅力を多くの人に分かってもらい
たいなぁという想いが強くあります。
もうひとつ、弦楽四重奏のような弦の音の魅力をより楽しみたいのなら、CDではなくて、やはりLPでし
ょう、と宣伝をしておきたいですね。ピアノとかパーカッションとか打楽器やリズム重視の曲にはCDはい
いかも知れないけれど、しっとりとした柔らかい弦楽器の音の美しさを追求しようと思うのなら、断然LP
鑑賞を勧めます。何しろアナログで聴くと、今この目の前で、弦が弓によって、こう擦れて、音が出るっ
ていう実在感が堪りません。
<今日の一枚> モーツァルト弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387
アルバン・ベルク四重奏団(LP: K17C-8318)
ベルリン弦楽四重奏団(CD: TKCC-15279)
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