|
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545 (1788年 モーツァルト32歳)
「(子どもの頃)ピアノの練習が大好きで朝から晩までずーと練習してまして、でいよいよやっとソナ
チネ・アルバムが弾けるようになって、モーツァルトの曲はまだまだ自分には難しいので、技術的にまだ
習い始めの頃でしたから弾けないんだなぁって。先生が許可してくれて、これを弾きなさいって言ったも
のでないとお稽古してくださらないから弾けない訳です。そしていよいよ先生が「じゃ、モーツァルト」
っていうことで、一番最初に弾かせてもらったのがこのハ長調の曲なんですね。もう心うきうき、そして
弾きだしてみると結構技術的には簡単で、1楽章、2楽章、3楽章とあっという間に弾きこなすことは一応
できた訳ですよ。でも音楽性というんでしょうか、やっぱりモーツァルトの音楽の神髄がこの曲の中には
全て網羅されてますしね、この出だしの1小節を聴いただけでも、あぁもうモーツァルトなんだって、
本当にどうってことのない簡単な音符の配列ですよ。でもどんな作曲家にもこれはできない訳です。」
これはNHK-BS「毎日モーツァルト」のピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545の回での假屋崎省吾(華道
家)のコメント。ソナチネとは「初級程度の演奏技術を必要とするピアノ作品集」のこと。
モーツァルト自身が「初心者のための小さなピアノ・ソナタ」と作品目録に記したこの曲は、今日では
バイエルなどと並んで、ピアノを習う子どもたちが必ず習い、演奏する曲として親しまれていることはい
うまでもない。ピアノを少しでも習ったことのある人なら、誰でも最初のフレーズを聴いただけで「あぁ
あれね」と分かる曲だ。
簡素にして平易。シンプルにしてストレート。確かに假屋崎の言うように簡単そうに見えて、恐らく
モーツァルト以外の他のどんな作曲家にも書けない、やはり珠玉の名作だと思う。
今日「ソナチネ・アルバム」に入れられているこの曲、恐らくはピアノ(クラヴィーア)の初心者用の
教材としての注文に応えて作られたのだろうが、詳しい経緯は分からない。
作曲された1788年6月22日当時のモーツァルトに関して分かることといえば、その5日前の6月17日には
経済的困窮からウィーン旧市内から家賃の安い郊外への二度目の引越しをしたばかりであり、そしてこの
曲が出来上がって7日目の6月29日には半年前に産まれたばかりの長女テレジア・コンスタンツィアを亡く
している。
モーツァルトの作品一般と同じく、この単純明澄な曲には作曲当時の彼の私生活の影はみじんも感じられ
ない。
それよりもこの曲に関して私が想起するのは”Eine kleine Klavier Sonate für Aufänger”(初心者
のための小さなピアノ・ソナタ)というモーツァルト自身の書き込みの言葉と、あのセレナード第13番
K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の表題との類似性である。
「毎日モーツァルト」の「アイネ・クライネ…」の回では、ミュージカル作曲家甲斐正人氏が曲の成立
事情が同じく謎であるこの曲の成り立ちに対して、「父レオポルトの死の直後に書かれたこの曲は『お前
の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作れ』という亡き父から言われていた課題を、簡素で優しくしかも
立派に完成している名曲を作ることで見事に乗り越えたということが言えますし、この作品は彼の作曲の
ひとつの頂点を極めたということがいえるでしょう。」と語っている。(Completely Mozart…セレナー
ド第13番ト長調K.525 '06 10/15(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/42920962.html))
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とケッヘル番号も近く、従って作曲時期も近いこのピアノ・
ソナタK.545もまた同じく、亡き父から出されていた課題に応えた作品という気がする。
ところで、モーツァルトの後年の作品(私が後年と考えるのは名作「フィガロの結婚」K.492以降の
作品)あるいは彼の晩年の作品(三大交響曲K.543、550、551以降をそれと考えている)にはこの曲の
ように、極限まで切り詰めたように簡素で、一見子どもでも弾けそうな、あるいは作れそうに思える
simpleの窮みのようなメロディが印象的な作品が何曲かある。
ちょっと考えてみただけでもこの15番のピアノ・ソナタを始め、ピアノ協奏曲第27番K.595、クラリ
ネット協奏曲K.622、そして彼自身何よりもオペラ作曲家であることを何よりも意識していたモーツァ
ルト最後のオペラ作品ともいうべき歌劇(ジングシュピール)「魔笛」K.620…。
モーツァルト最後のピアノ協奏曲第27番は、彼自身最も得意とし、また華やかさが際立つこのジャンル
の中にあって、突然変異のごとく、他のコンチェルトとは隔絶した枯淡の境地を歌う作品だ。それまでの
ピアノ協奏曲が西洋ロココ美学の粋を極めたような華やかさがあるのに対し、このK.595はまるで独り
東洋の水墨画の世界のような枯れがある。今までの虚飾を全て剥ぎ取り、かなぐり捨てたような突き抜け
た世界だ。ひと足早い彼の「白鳥の歌」である。
一方「魔笛」の中で次々と繰り出される、まるで童謡のような親しみ易い名旋律の数々はどうだ。
「おいらは鳥刺し」「何と美しい絵姿」「恋を知るほどの殿方は」「復讐の心は地獄のように胸に燃え」
「恋人か女房があれば」「パ・パ・パ…(パパゲーノのアリア)」・・・
世界中の誰もがニッコリと微笑みながら、さも子どもの頃からそれらのメロディを知っていたかように
口ずさむ。それどころかあまりに聞いたことのあるような旋律なので、まるで自分がそれらを作曲したか
のような錯覚に陥ることすらある。それらはひとえに死期近いモーツァルトが、ひたすら平易に、簡素に
大衆に受け入れられ愛される曲作りに腐心した努力の結晶である。
ソナチネ・アルバムのソナタK.545、27番ピアノ・コンチェルトK.595、魔笛…。
モーツァルトの作品が晩年に近づくにつれ「簡素」かつ「平易」なものにどんどん傾斜していったことを
思う時、同様の軌跡を辿った芸術家として想い出されるのが元ビートルズのロック・ミュージシャン、
ジョン・レノンである。
ジョン・レノン(1940〜1980)はビートルズ時代からレノン/マッカートニー・コンビの詩を担当し、
名曲を多く創ってきたが、オノ・ヨーコと知り合い結婚しビートルズ脱退後、ソロ活動に入るにつれ、
その作り出す詩の世界は「Mother」「Love」「Imagine」「Oh My Love」など、ビートルズ時代に比べ
一層「シンプルさ」「平易さ」が際立つようになってきた。一節によればそれは、ヨーコ・オノを介して
出会った日本文化の影響、とりわけ俳諧の持つsimpleさ、潔さ、抽象性に由るところが大きいという。
ジョンは生前ヨーコとともに歌舞伎座で、歌舞伎・能に親しみ、謡曲「隅田川」では土まんじゅうの下
に眠る、生き別れた自分の娘を嘆く母の悲しみに大粒の涙を流したという。また東京は湯島にある古美術
の店「羽黒洞」を度々訪れては、白隠(江戸時代の禅僧)の水墨画を嬉しそうに買い求めたり、芭蕉の句
を書き付けた符を大切に抱きしめたりしていたそうだ。(これは私が「羽黒洞」のご主人、木村東介氏か
ら生前直接聞いたことである。)
ここでは彼の曲の代表として「Love」を紹介しよう。
Love is real Real is love
Love is feeling Feeling is love
Love is wanting to be loved
Love is touch Touch is love
Love is reaching Reaching's love
Love is asking to be loved
Love is you You and me
Love is knowing We can be
Love is free Free is love
Love is living Living's love
Love is needing to be loved (アルバム「ジョンの魂」1970年 より)
当初から強いメッセージ性を持っていたジョンの詩の世界は、日本の俳諧文化に触れることによって
余分なものを削ぎ落として、よりsimpleに、より平易な表現になり、より研ぎ澄まされ、より抽象的に、
よりパワフルに、より普遍性を持ったものになって、国境を越え世界の人々に歌われ、人々の記憶に長く
残るever greenな名作となった。
真の天才はその晩年においても進化し続ける。モーツァルトとジョン・レノンはその点においてもまさ
しく時代を超えた天才の名に値する存在といえるのではないだろうか。
ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545に戻ろう。
simpleなだけでなく、petitなソナタだ。愛くるしい第1楽章、お洒落なロンドの第3楽章はそれぞれあ
っという間に終わる。LPで聴くシフの全集では、深い情感込められた第2楽章を入れた全体でも10分少々
で終わってしまう。
一方CDでのアラウの80歳を過ぎての演奏はさすがに年輪を感じさせる。それでも第1楽章4:53 第2楽章
8:15 第3楽章2:04 の 計 15分12秒。
初心者でも弾ける。しかし大家でも窮めることは難しい。モーツァルトの曲の奥深さを物語る典型的な
1曲であろう。私はアラウの弾く泰然自若とした第2楽章を聴きながら眠るのが最近の習慣になりつつある
LP:アンドラーシュ・シフ(Pf)(モーツァルト ピアノ・ソナタ全集より)(LOOC-1005〜10)(1980年)
CD:クラウディオ・アラウ(Pf)(UCCP-9351)(1985年)
|