クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

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 前回のピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/46754235.html

と対を成す作品といえば、この曲だ。ともにピアノを習った人なら必ず聴いたことがあり、そして弾いた

ことのある曲だろう。K.545がソナタで3楽章であるのに、こちらはロンドで単一楽章だが、曲の雰囲気

主題はとてもよく似ている。K.545が下から上がってくる旋律であるのに対し、このロンドK.485は

似たメロディが上から降りてくる。ちょうどピアノ協奏曲第22番のフィナーレが下から上がってくる

メロディであるのに対して、ピアノ協奏曲第15番の第3楽章では似た旋律が上から降りてくるのとそっく

りだ。    (参照 2006 6/25 第15番変ロ長調 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/38372242.html

       (同 2006 7/30 第22番変ホ長調 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/39946677.html

 
 この冒頭の愛らしい、弾むような魅力的な主題は大バッハの末息子で、モーツァルトが終生尊敬して

いた「ロンドンのバッハ」とも「ミラノのバッハ」とも言われるヨハン・クリスチャン・バッハの作品

「五重奏曲ニ長調Op.11の6」(1775年頃)の第1楽章から採られているという。(バッハ一族ではこのヨハ

ン・クリスチャンが個人的には一番好きだ。「魂のないモーツァルト」(アルフレート・アインシュタイ

ン)などと酷い形容をする人もいるが、8歳の時にロンドンで出会って以来モーツァルトにとっては生涯

に亘って最も影響を与え続けた存在の先輩音楽家だ。交響曲第1番K.16をはじめとするロンドンで作っ

た初期交響曲などは、直截にクリスチャンの作品をお手本にしている。明るく爽やかで清々しいのが彼の

曲の特徴で「シンフォニア第1番」や「協奏交響曲イ長調」など爽やかな微風を運んでくれるような、何

とも涼しげな曲で、真夏の午後フローリングに寝転がって扇風機かけて昼寝する時のBGMにもってこいだ

(演奏:コレギウム・アウレウム合奏団 LP: BHM 23 29047-6))

 
 モーツァルトの曲はポップスに通じるセンスが光ると「毎日モーツァルト」でピアニストの西村由紀江

はいう。「モーツァルトの曲には息つぎがある。いわゆる「歌メロ」「ポップス」なんですね・・・。」

そしてこの曲の魅力は冒頭のフレーズが「タン、タラタラ、タンタタン」(楽譜で示せればカッコいいの

ですが((^_^;))でワン・フレーズ、そして「タン、タラタラ、タンタタン」これで一対になっている。

(いわゆる韻を踏んでいる、漢詩でいうところの「対句」表現になっているということですな。)

「これは今でも私たちが口ずさめるし、このままポップスになってもいい。この曲には明るさ、爽やかさ

以上に彼のポップス・センスを感じます。」


 ところで私がこの曲に注目することになったのは、その「毎日モーツァルト」ではなくて、その後番組

の「ぴあのピア」で梯剛之がゲストでコメントと演奏をしていたのを耳にしたからだ。

 この「ぴあのピア」。モーツァルト・イヤーが終わり「毎日モーツァルト」も昨12月で終了したのだが

番組終了を惜しむ声が多かったからなのか、意外な反響に「二匹目のどじょう」を狙ったのか、1月から

始まった10分番組で、バッハから始まるピアノ300年の歴史と発展を1年かけて伝えるというものだ。

 以前同じくBSで関口智宏がナビゲーターで「JR全線踏破 1万5千kmの旅」という連続番組が好評で

(うちもずっと見てました!)その後NHKは「東海道五十三次てくてく旅」という二番煎じ番組を放映し

てましたが、大して話題にならなかったような。そんなことをつい思い出してしまうのですが…。


 ということで「ぴあのピア」はあまり熱心な視聴者ではなかったのですが、2月に入るとほぼ1ヶ月モー

ツァルトのピアノ作品を1曲ずつ採り上げるということで、また録画をし始めたという訳です。

 改めて見てみるとそれはそれで面白いのですが、思ってしまうのはその日の曲を演奏してくれる演奏者

によって、曲の魅力の伝わり方がまるで違うということです。(他の演奏者の方には大変申し訳ないので

すが)私の見た範囲では梯剛之さんと伊藤恵さんの回が断然印象に残ります。
 
 とりわけ梯剛之さんのは、ピアノの音そのものが他のピアニストとまるで違えて聴こえます。(見ると

普通のYAMAHAのピアノなのですが)(月並みな表現だが)音が一音一音「キラキラ」と輝いている。


 その梯さんのコメント「モーツァルトってとにかく散歩が好きで(当時彼は毎朝5時に起きてウィーン

のアウガルテン庭園を散歩していたそうだ)ちょっとした鳥の声とか、何か、生命が誕生していく、その

誕生する前のまだ形にならない状態から、生命が形になっていく時に移り変わっていく喜びとかですね、

何かそういったものを彼はすごく感じて表現している、そんな感じがしますね。」


「生命が誕生する前のまだ形にならない状態から、形になっていく時に移り変わっていくその時の喜び」

 これって、古代中国の老子が「道」(タオ)(万物を生み出す根源)について語っていることそのもの

ではないだろうか。孔子と違い、人間の小ざかしい知恵を嫌い、「無為自然」を説いた老子。彼は人間に

半端な知識を身につけるのではなく、自分を取り巻いている、人間を産み育てている大自然、宇宙の持つ

パワー、エナジーを感得せよと、2500年後の我々に語りつづけている。(老子については「伊那谷の老子

」こと加島祥造の著作が分かりやすい(『タオ』(ちくま文庫)等)と思います。)
 
 2500年前の老子。250年前のウィーンに生きたモーツァルト。そして現在ウィーンに住み、モーツァル

トがウィーンの森で浴びただろう木洩れ陽の光や、感じただろう風を肌で、研ぎ澄まされた感性で感じ取

っている日本人ピアニスト梯剛之。三人が時代を超えて共通に感じとっているもの。それは命の躍動。生

命そのものではないだろうか。

        (参照2006 5/21 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/36581877.html

        (同 2005 5/17 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/2893761.html )


 さらにこのロンドK.485を「自然の声を優れた音楽に移し変えた」曲の1つとして梯は、例によってピ

アノを弾きながら、こう語る。

「本当にチャーミングな曲で(とピアノをポロンポロン弾きながら)小鳥が こう 啼き出してきて、春に

植物が こう 風で揺れてて、生命も躍動してきて、晴れた空で、何かモーツァルトも うきうきしながら

森とか木の下を散歩しながら、それを「ピヨピヨ」っと こう スケッチするような感じで、書いた曲では

ないかなって、僕はそのように感じて弾いています。」

 梯のモーツァルトが美しいのは、もちろん彼がウィーンに在住しているからだけではない。ウィーンに

いたって、モーツァルトが感じた風の爽やかさや陽光の眩しさ、生きていることの喜びを、彼の遺した楽

譜から読み取ることができなければ、それこそ「ピヨピヨ」っと感じ取ることができなければ、ウィーン

の自然と対話することができなければ、彼が曲に、楽譜に込めたものを再現することはできないのでは

ないか。


 世に「古楽演奏」とか「ピリオド奏法」などという言葉が流行り、それをまた滅多矢鱈に有難がる風潮

もあるが、私はそれに組しない。

 ただ単にモーツァルトの時代に使っていた楽器を用いたからとか、当時のピッチと同じに弾きました、

というだけでは、18世紀に生きたモーツァルトが作品の中に込めた、ウィーンの風や陽光から感じとった

ものを再現したことにはならないだろう。


 梯剛之のピアノの実演に早く接してみたい。







   
 



  

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