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先週の金曜日から1週間ぶりに雨が降った。台風の接近によるものだが、10月の下旬ともなるとさすが
に冷たい雨だ。もう季節は晩秋に入ったといってよいだろう。
晩秋の音楽といえばブラームスのそれだ。それも特に彼の室内楽の数々。それは梅雨の時季の近代フラ
ンスの作曲家たちのつくった室内楽曲と並んで、私のクラシック歳時記の大切な部分を占める。
一昨年の歳時記のクールでは、温暖化で季節がずれ込んだのと11月に勤め先の修学旅行があって、ブラ
ームスの室内楽の名作の数々を全くといっていいほど紹介できなかった。
それが心残りで昨年度このブログを閉じることができなかった。新年度仕事が更に忙しくなって新稿が
書けず、同じ季節の一昨年の記事の再掲でお茶を濁してここまで引っぱってきたのは、書き残した晩秋の
季節感とブラームスの室内楽曲の関係を書き遺すためであった。
などと綴ると、えらく気合の入ったものを読者は期待してしまうかも知れないが、何でも思い入れが強
すぎるとなかなか良い文章は書けないものだ。今日は口火を切ったということでお許し願おう。
随分冷たく感じるようになったこんな秋雨の日には、ブラームス晩年のヴァイオリン・ソナタ第3番ニ
短調でも聴いてみたくなる。
これは1888年ブラームス55歳の年に、スイスの避暑地トゥーン湖畔のホーフシュテッテンでつくられ
た。
前年には中庸で穏やかなヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100も作曲されたが、あの交響曲第4番
ホ短調作品98をものしてから3年後ということもあり、もうブラームスの晩年といえる。
彼の音楽を特徴づけるものはロマンティシズムと、保守的とも揶揄されるほどの調和のとれた曲の古典
的な形式感、そして若い時から彼に身に着いていた「諦念」の情。
その諦念を晩年になると、彼は若い時のようにもはや隠そうとせず、第4シンフォニーやこの曲では剥
き出しの激情として表現している。(特に第1楽章、第4楽章)
聴く者にはそれが痛ましいほどだ。彼が若い時から持っていた諦念、そして彼が晩年になって驟雨のよ
うに容赦なく叩きつける怒りにも似た悔恨の情。
それらはすべて、一生を通じて愛し続け、そして生涯結ばれることのなかったクララ・シューマンとの
関係において生まれてきたものだ。
そのことはもう何度も書いているので、ここでは繰り返すまい。
演奏はLPではヘンリク・シェリングのヴァイオリン、アルトゥール・ルビンシュタインのピアノ(RCA
RX-2378)。CDではデュメイ/ピリスのコンビを聴いている。(Grammophon POCG-1618)(1981年)
第1番「雨の歌」(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/2237045.html)と変わって、こちらは後者の
演奏の方が、そのしなやかさにおいて好ましいように感じる。
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