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いよいよ2006年度の最後の日。明日からは新しい年度が始まる。昨年の4月から始めたこの「モーツァ
ルトとともに」のブログもそろそろ区切りをつけなければ。NHK-BSの「毎日モーツァルト」をペースメー
カーに、モーツァルトの作品をほぼ年代順に採り上げてきた(実際には採り上げようとしてできなかった
企画がそれこそ山のようにあったのですが…((((^_^;))ので、最後は「魔笛」K.620で締めくくりたい
と思う。
で「魔笛」について何かを語るならば、どうしてもフリーメイソンについて触れなければ片手落ちだろ
うということで、今日はモーツァルトとフリーメイソンについて。
オペラ「魔笛」を解く鍵であり、モーツァルトという音楽家を考えるにおいても「ブラック・ボックス
」的に見られることの多い彼とフリーメイソンとの関係について、正直自分も話題として避けてきた感
がある。がここはひとつ避けて通れないだろうということで、手元にある文献をいくつか読んでみた。
海老澤敏「モーツァルトとフリーメイソン」(『モーツァルト事典』1982年)、井上太郎『モーツァル
トのいる部屋』(ちくま学芸文庫1995年)、西川尚生『モーツァルト』(音楽之友社「作曲家 人と作品
シリーズ」2005年)…。でも結局一番分かりやすかったのはDECCAが1968年にイシュトヴァン・ケルテス
を指揮者にロンドン交響楽団を中心とする演奏者に演奏させた「モーツァルト:フリーメイソンのための
音楽=全曲」というレコード(LP:K18C-9196)のジャケットに書いてあった石井宏氏の解説だった。
ちなみにこのレコードには次の10曲が収められている。
1) おお、聖なる絆よK.148
2) カンタータ:宇宙の霊なる君K.429
3) 歌曲:結社員の道K.468
4) カンタータ:フリーメイソンの喜びK.471
5) フリーメイソンのための葬送音楽K.477
6) 合唱付歌曲:今日こそ浸ろう、親愛なる兄弟よK.483
7) 合唱付歌曲:新しい指導者である君たちよK.484
8) ドイツ語による小カンタータ:無限なる宇宙の創造者を崇拝する君よK.619
9) フリーメイソンのための小カンタータ:高らかにぼくらの喜びをK.623
10) 合唱曲:固く手を握りしめてK.623(追加)
さてフリーメイソン(free maison)とは元々は文字通り「自由な身の上の石工」という意味。ヨーロ
ッパでは中世以来城や教会など大建築物を構築する際に、諸国を渡り歩く石工がまず集められた。彼らは
特別な技能を持つ人々として特別に扱われ、一般人に課せられた義務からも「フリー」であった。彼らは
ロッジ、つまり飯場で集団生活をする訳だが、そういう渡り職人の集団には規律が必要で、そのため彼ら
は仲間内を律する階級とルールを作った。
ところで彼らは城の構築のような多くの秘密に触れるような仕事に携わるため、それらを外部に漏らす
ことは厳禁だった。そのため仲間内だけでしか通じないような暗号を用いたり、秘密厳守がしきたりとし
て後々まで残った。
このような秘密結社的なフリーメイソンは、17世紀頃から大建築物の建造が次第に減る中で経営が困難
になり、やがて建築に無関係な有力者の入会を認めるようになるとその性格も変質し、精神的なものを重
視する集団へと変わっていった。そのような意味で博愛主義をモットーとする結社として形を整えた、近
代的なフリーメイソンの始まりが18世紀 1717年にロンドンでの大ロッジ(グランド・ロッジ)設立であ
り、1723年には最初の憲章が作られた。時あたかも、人間の理性に絶対的な信頼を置き、進歩史観に立つ
啓蒙思想全盛の18世紀。たちまちそれはドーヴァー海峡を渡ってヨーロッパ大陸へと広がり、フリードリ
ヒ大王、ゲーテ、レッシング、ボーマルシェ、ヴォルテールといったモーツァルトと同時代の著名人が会
員となった。18世紀のフリーメイソン結社は社交的な団体という性格を持ち、会員は時代の先端を行くエ
リート意識を持っていたと思われる。(ただしフリーメイソン結社では入会や昇格の際に、古代エジプト
の太陽信仰のような独特の象徴的な儀式を取り入れていたため、当時のキリスト教宗教界からは邪教とし
て警戒されていた。)
そして我らがモーツァルトもそんな啓蒙主義全盛の18世紀に生きた人間なのである。彼は28歳の1784年
12月5日(7年後のその日彼はその生涯を閉じることになる)ウィーンのフリーメイソン結社の<Zur Wohl
tätigkeit>(善行)というロッジ(分団)に入会願いを出し、14日許可されている。彼は入会するや否やた
ちまち熱烈な会員となり、翌年にはウィーンを訪れた父親や、あのハイドンを入会させるなど、身近な人
間を次々とメイソンに引っぱりこんでいる。また徒弟ー職人ー親方という中世以来の呼び名である階級を
一足飛びに修業し、すぐにマスター(親方)になったといわれる。
そのことは作曲にも現れ、ハイドンがフリーメイソンのために曲をひとつも残していないのに比べ、
モーツァルトは翌1785年と死の年1791年に集中して何曲かを書いている。だからケッヘル番号でいうと、
K.400番台とK.600番台が殆どということになる。この中で特に有名なのがK.477の「フリーメイソ
ンのための葬送音楽」。これは結社の有力メンバーだったゲオルク・アウグスト大公とガランタ伯爵が相
次いで死に、その追悼式で演奏された曲。フラットが3つ(フリーメイソンでは特に3という数字が重要視
されたという)のハ短調でバセットホルンを多用し、グレゴリオ聖歌風の荘重なメロディが大変印象的で
最後は明るいハ長調の主和音で曲を閉じる。「闇を経て、そして光明へ」というフリーメイソンの象徴的
な考え方が反映している。
今回、昨年手に入れたこのフリーメイソン音楽の全集のLPを聴くまで、ここに収録されている曲では
このK.477の葬送音楽しか正直知らなかったが、改めて聴いてみて注目したのは最晩年の作品K.619と
K.623の2つの小カンタータだ。
ケッヘル番号で分かるとおり、これらの作品はまさしくオペラ「魔笛」K.620と相前後して作られた
曲であり、619がピアノ伴奏のみ、623はテノールとバリトンと男声3部合唱及びオーケストラという違い
はあるが、どちらも「魔笛」のメロディを思い起こすような場面が散りばめられた「魔笛」の従兄弟のよ
うな曲だ。例えば前者K.619は第1曲レチタティーヴォこそ宗教曲らしい硬さがあるが、2曲目のアンダ
ンテからはモーツァルト本来の、オペラのアリアのようなしなやかなメロディが登場する。第4曲のアン
ダンテなどは「魔笛」第1幕で弁者を前にしたタミーノが食い下がって、パミーナの消息を聞きだそうと
するあのテノールの必死の詠唱の場面で歌われている曲のようにも聞こえる。K.623の第2曲のレチタテ
ィーヴォもほぼ同様の印象を受けるし、623のオーケストラでは「魔笛」よろしくフルートの活躍が耳に
つく。ついでにレコードの最後に収まっている623aの短い合唱曲の終わり方はまるで「魔笛」とウリ二つ
である。
歌詞においてもどちらも<Brüder>(兄弟)、<Verstandestelle>(英知)、<Belehrung>(教化)、<Weisheit
>(英知)、<Tugend>(徳)、<Menschheit>(人間性)、といった理念的な言葉がたくさん散りばめられ、また
<Sonnenmilde>(柔らかき太陽の光)を讃える内容になっている。
ところであのスカトロジストでもあったお茶目なモーツァルトが、なぜ晩年にいたってこのようなお堅
い理念先行の団体に熱心であったのか。モーツァルトも18世紀、啓蒙思想の時代に生きた人だったという
ことを一般論で先ほど述べたのだが、それ以上にもっと突っ込んだ解釈をしたのが先述の石井宏氏だった。
氏はモーツァルトのフリーメイソンへの熱狂は、素直にメイソンの教義に対する感動以外の何ものでも
ないだろうという。モーツァルトは終生子どものような純粋な性格の持ち主だった。この永遠の子どもが
20歳を過ぎて社会の中に見たものは何か。パリ旅行は彼の最初の修学旅行だった。そこで彼は「大人た
ち」への強い不信感を植え付けられる。この不信はザルツブルクで職を失い、ウィーンで就職活動を始め
るにつれ、ますますひどくなる。子どもの眼は鋭い。モーツァルトは世の大人たちが真善美や道徳を少し
も守ろうとしない、すなわち修身の教科書というのは空文であることを知る。しかし現実を現実として受
け容れるハイドンのようにはモーツァルトは立ち回れない。彼は常に悪いのは世の中の方だと思わずには
いられなかった。無垢で裸で無防備だった。この悲しい性質は生涯変わらなかった。だから彼は生涯その
才能に見合うだけの世俗的な栄達ができなかった。
そこへ真善美を讃え、人類愛を謳歌する団体が目の前に現れ、彼は燃え上がった。メイソンの教えの第
一は<兄弟愛>。人類はみな兄弟で平等で愛し合うべきもの。第二は<知恵>と<徳>。知識としての真理を修
めるのが知恵であり、真理を行為のうちに体現するのが徳である。愛、智慧、徳がこの世に体現されるべ
きと純粋に信じていたモーツァルトがメイソンの教義に感奮しないわけがない。「魔笛」でも智慧、徳と
いった言葉が何度も何度も現れる。モーツァルトの子どものような純粋な、実社会における偽善への怒り
は、このフリーメイソンによって昇華解消されることになったのである。
もうひとつフリーメイソンがモーツァルトに与えた影響は、その死生観である。エジプトの太陽神信仰
の影響を受けたメイソンの、死はやがて太陽の復活をもたらす夜のごとき存在、という死生の達観の教育
を受けたモーツァルトは死の床にあった父レオポルトに有名な書簡を送る。
「死は ー厳密にいえばー 僕らの生の本当の最終目標ですから、僕はこの数年来、この人間の最上の友
人と大変仲良しになってしまったので、死の姿を見ても少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大い
に心を安め慰めてくれるものと考えています。死が我々の真の幸福への鍵であることを知る機会(この意
味はお分かりですね)を神が与えてくださったことに感謝しています。もしかしたら僕はもう明日は生き
ていないかも知れないと考えずに床に就くことはありません。」
この「死は人生の目的地で安らかなもの」というモーツァルトの死生の達観は、フリーメイソンの説く
人間にとっての生と死の意味付け、死生観の反映であり、「この意味はお分かりですね」と呼びかけたこ
の手紙は、まさにモーツァルトという一人のメイソンが、レオポルトというもう一人のメイソンに語りか
けた言葉としてとらえてこそ理解できるものだ。モーツァルトがフリーメイソンによって得ることができ
たこの死生の達観こそが、27番のピアノコンチェルトK.595やクラリネット五重奏曲K.581以降の(も
ちろん「魔笛」も含めての)最晩年の澄みきった作品群に、芸術としての真の深みをもたらしたとはいえ
ないか。
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