クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

モーツァルト

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 いよいよ2006年度の最後の日。明日からは新しい年度が始まる。昨年の4月から始めたこの「モーツァ

ルトとともに」のブログもそろそろ区切りをつけなければ。NHK-BSの「毎日モーツァルト」をペースメー

カーに、モーツァルトの作品をほぼ年代順に採り上げてきた(実際には採り上げようとしてできなかった

企画がそれこそ山のようにあったのですが…((((^_^;))ので、最後は「魔笛」K.620で締めくくりたい

と思う。

 で「魔笛」について何かを語るならば、どうしてもフリーメイソンについて触れなければ片手落ちだろ

うということで、今日はモーツァルトとフリーメイソンについて。

 オペラ「魔笛」を解く鍵であり、モーツァルトという音楽家を考えるにおいても「ブラック・ボックス

」的に見られることの多い彼とフリーメイソンとの関係について、正直自分も話題として避けてきた感

がある。がここはひとつ避けて通れないだろうということで、手元にある文献をいくつか読んでみた。

 海老澤敏「モーツァルトとフリーメイソン」(『モーツァルト事典』1982年)、井上太郎『モーツァル

トのいる部屋』(ちくま学芸文庫1995年)、西川尚生『モーツァルト』(音楽之友社「作曲家 人と作品

シリーズ」2005年)…。でも結局一番分かりやすかったのはDECCAが1968年にイシュトヴァン・ケルテス

を指揮者にロンドン交響楽団を中心とする演奏者に演奏させた「モーツァルト:フリーメイソンのための

音楽=全曲」というレコード(LP:K18C-9196)のジャケットに書いてあった石井宏氏の解説だった。

ちなみにこのレコードには次の10曲が収められている。

 1) おお、聖なる絆よK.148

 2) カンタータ:宇宙の霊なる君K.429

 3) 歌曲:結社員の道K.468

 4) カンタータ:フリーメイソンの喜びK.471

 5) フリーメイソンのための葬送音楽K.477

 6) 合唱付歌曲:今日こそ浸ろう、親愛なる兄弟よK.483

 7) 合唱付歌曲:新しい指導者である君たちよK.484

 8) ドイツ語による小カンタータ:無限なる宇宙の創造者を崇拝する君よK.619

 9) フリーメイソンのための小カンタータ:高らかにぼくらの喜びをK.623

 10) 合唱曲:固く手を握りしめてK.623(追加)

 さてフリーメイソン(free maison)とは元々は文字通り「自由な身の上の石工」という意味。ヨーロ

ッパでは中世以来城や教会など大建築物を構築する際に、諸国を渡り歩く石工がまず集められた。彼らは

特別な技能を持つ人々として特別に扱われ、一般人に課せられた義務からも「フリー」であった。彼らは

ロッジ、つまり飯場で集団生活をする訳だが、そういう渡り職人の集団には規律が必要で、そのため彼ら

は仲間内を律する階級とルールを作った。

ところで彼らは城の構築のような多くの秘密に触れるような仕事に携わるため、それらを外部に漏らす

ことは厳禁だった。そのため仲間内だけでしか通じないような暗号を用いたり、秘密厳守がしきたりとし

て後々まで残った。

 このような秘密結社的なフリーメイソンは、17世紀頃から大建築物の建造が次第に減る中で経営が困難

になり、やがて建築に無関係な有力者の入会を認めるようになるとその性格も変質し、精神的なものを重

視する集団へと変わっていった。そのような意味で博愛主義をモットーとする結社として形を整えた、近

代的なフリーメイソンの始まりが18世紀 1717年にロンドンでの大ロッジ(グランド・ロッジ)設立であ

り、1723年には最初の憲章が作られた。時あたかも、人間の理性に絶対的な信頼を置き、進歩史観に立つ

啓蒙思想全盛の18世紀。たちまちそれはドーヴァー海峡を渡ってヨーロッパ大陸へと広がり、フリードリ

ヒ大王、ゲーテ、レッシング、ボーマルシェ、ヴォルテールといったモーツァルトと同時代の著名人が会

員となった。18世紀のフリーメイソン結社は社交的な団体という性格を持ち、会員は時代の先端を行くエ

リート意識を持っていたと思われる。(ただしフリーメイソン結社では入会や昇格の際に、古代エジプト

の太陽信仰のような独特の象徴的な儀式を取り入れていたため、当時のキリスト教宗教界からは邪教とし

て警戒されていた。)
 
そして我らがモーツァルトもそんな啓蒙主義全盛の18世紀に生きた人間なのである。彼は28歳の1784年

12月5日(7年後のその日彼はその生涯を閉じることになる)ウィーンのフリーメイソン結社の<Zur Wohl

tätigkeit>(善行)というロッジ(分団)に入会願いを出し、14日許可されている。彼は入会するや否やた

ちまち熱烈な会員となり、翌年にはウィーンを訪れた父親や、あのハイドンを入会させるなど、身近な人

間を次々とメイソンに引っぱりこんでいる。また徒弟ー職人ー親方という中世以来の呼び名である階級を

一足飛びに修業し、すぐにマスター(親方)になったといわれる。

 そのことは作曲にも現れ、ハイドンがフリーメイソンのために曲をひとつも残していないのに比べ、

モーツァルトは翌1785年と死の年1791年に集中して何曲かを書いている。だからケッヘル番号でいうと、

K.400番台とK.600番台が殆どということになる。この中で特に有名なのがK.477の「フリーメイソ

ンのための葬送音楽」。これは結社の有力メンバーだったゲオルク・アウグスト大公とガランタ伯爵が相

次いで死に、その追悼式で演奏された曲。フラットが3つ(フリーメイソンでは特に3という数字が重要視

されたという)のハ短調でバセットホルンを多用し、グレゴリオ聖歌風の荘重なメロディが大変印象的で

最後は明るいハ長調の主和音で曲を閉じる。「闇を経て、そして光明へ」というフリーメイソンの象徴的

な考え方が反映している。

今回、昨年手に入れたこのフリーメイソン音楽の全集のLPを聴くまで、ここに収録されている曲では

このK.477の葬送音楽しか正直知らなかったが、改めて聴いてみて注目したのは最晩年の作品K.619と

K.623の2つの小カンタータだ。

ケッヘル番号で分かるとおり、これらの作品はまさしくオペラ「魔笛」K.620と相前後して作られた

曲であり、619がピアノ伴奏のみ、623はテノールとバリトンと男声3部合唱及びオーケストラという違い

はあるが、どちらも「魔笛」のメロディを思い起こすような場面が散りばめられた「魔笛」の従兄弟のよ

うな曲だ。例えば前者K.619は第1曲レチタティーヴォこそ宗教曲らしい硬さがあるが、2曲目のアンダ

ンテからはモーツァルト本来の、オペラのアリアのようなしなやかなメロディが登場する。第4曲のアン

ダンテなどは「魔笛」第1幕で弁者を前にしたタミーノが食い下がって、パミーナの消息を聞きだそうと

するあのテノールの必死の詠唱の場面で歌われている曲のようにも聞こえる。K.623の第2曲のレチタテ

ィーヴォもほぼ同様の印象を受けるし、623のオーケストラでは「魔笛」よろしくフルートの活躍が耳に

つく。ついでにレコードの最後に収まっている623aの短い合唱曲の終わり方はまるで「魔笛」とウリ二つ

である。

 歌詞においてもどちらも<Brüder>(兄弟)、<Verstandestelle>(英知)、<Belehrung>(教化)、<Weisheit

>(英知)、<Tugend>(徳)、<Menschheit>(人間性)、といった理念的な言葉がたくさん散りばめられ、また

<Sonnenmilde>(柔らかき太陽の光)を讃える内容になっている。

ところであのスカトロジストでもあったお茶目なモーツァルトが、なぜ晩年にいたってこのようなお堅

い理念先行の団体に熱心であったのか。モーツァルトも18世紀、啓蒙思想の時代に生きた人だったという

ことを一般論で先ほど述べたのだが、それ以上にもっと突っ込んだ解釈をしたのが先述の石井宏氏だった。

 氏はモーツァルトのフリーメイソンへの熱狂は、素直にメイソンの教義に対する感動以外の何ものでも

ないだろうという。モーツァルトは終生子どものような純粋な性格の持ち主だった。この永遠の子どもが

20歳を過ぎて社会の中に見たものは何か。パリ旅行は彼の最初の修学旅行だった。そこで彼は「大人た

ち」への強い不信感を植え付けられる。この不信はザルツブルクで職を失い、ウィーンで就職活動を始め

るにつれ、ますますひどくなる。子どもの眼は鋭い。モーツァルトは世の大人たちが真善美や道徳を少し

も守ろうとしない、すなわち修身の教科書というのは空文であることを知る。しかし現実を現実として受

け容れるハイドンのようにはモーツァルトは立ち回れない。彼は常に悪いのは世の中の方だと思わずには

いられなかった。無垢で裸で無防備だった。この悲しい性質は生涯変わらなかった。だから彼は生涯その

才能に見合うだけの世俗的な栄達ができなかった。

 そこへ真善美を讃え、人類愛を謳歌する団体が目の前に現れ、彼は燃え上がった。メイソンの教えの第

一は<兄弟愛>。人類はみな兄弟で平等で愛し合うべきもの。第二は<知恵>と<徳>。知識としての真理を修

めるのが知恵であり、真理を行為のうちに体現するのが徳である。愛、智慧、徳がこの世に体現されるべ

きと純粋に信じていたモーツァルトがメイソンの教義に感奮しないわけがない。「魔笛」でも智慧、徳と

いった言葉が何度も何度も現れる。モーツァルトの子どものような純粋な、実社会における偽善への怒り

は、このフリーメイソンによって昇華解消されることになったのである。

 もうひとつフリーメイソンがモーツァルトに与えた影響は、その死生観である。エジプトの太陽神信仰

の影響を受けたメイソンの、死はやがて太陽の復活をもたらす夜のごとき存在、という死生の達観の教育

を受けたモーツァルトは死の床にあった父レオポルトに有名な書簡を送る。

「死は ー厳密にいえばー 僕らの生の本当の最終目標ですから、僕はこの数年来、この人間の最上の友

人と大変仲良しになってしまったので、死の姿を見ても少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大い

に心を安め慰めてくれるものと考えています。死が我々の真の幸福への鍵であることを知る機会(この意

味はお分かりですね)を神が与えてくださったことに感謝しています。もしかしたら僕はもう明日は生き

ていないかも知れないと考えずに床に就くことはありません。」

 この「死は人生の目的地で安らかなもの」というモーツァルトの死生の達観は、フリーメイソンの説く

人間にとっての生と死の意味付け、死生観の反映であり、「この意味はお分かりですね」と呼びかけたこ

の手紙は、まさにモーツァルトという一人のメイソンが、レオポルトというもう一人のメイソンに語りか

けた言葉としてとらえてこそ理解できるものだ。モーツァルトがフリーメイソンによって得ることができ

たこの死生の達観こそが、27番のピアノコンチェルトK.595やクラリネット五重奏曲K.581以降の(も

ちろん「魔笛」も含めての)最晩年の澄みきった作品群に、芸術としての真の深みをもたらしたとはいえ

ないか。

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 前回のピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/46754235.html

と対を成す作品といえば、この曲だ。ともにピアノを習った人なら必ず聴いたことがあり、そして弾いた

ことのある曲だろう。K.545がソナタで3楽章であるのに、こちらはロンドで単一楽章だが、曲の雰囲気

主題はとてもよく似ている。K.545が下から上がってくる旋律であるのに対し、このロンドK.485は

似たメロディが上から降りてくる。ちょうどピアノ協奏曲第22番のフィナーレが下から上がってくる

メロディであるのに対して、ピアノ協奏曲第15番の第3楽章では似た旋律が上から降りてくるのとそっく

りだ。    (参照 2006 6/25 第15番変ロ長調 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/38372242.html

       (同 2006 7/30 第22番変ホ長調 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/39946677.html

 
 この冒頭の愛らしい、弾むような魅力的な主題は大バッハの末息子で、モーツァルトが終生尊敬して

いた「ロンドンのバッハ」とも「ミラノのバッハ」とも言われるヨハン・クリスチャン・バッハの作品

「五重奏曲ニ長調Op.11の6」(1775年頃)の第1楽章から採られているという。(バッハ一族ではこのヨハ

ン・クリスチャンが個人的には一番好きだ。「魂のないモーツァルト」(アルフレート・アインシュタイ

ン)などと酷い形容をする人もいるが、8歳の時にロンドンで出会って以来モーツァルトにとっては生涯

に亘って最も影響を与え続けた存在の先輩音楽家だ。交響曲第1番K.16をはじめとするロンドンで作っ

た初期交響曲などは、直截にクリスチャンの作品をお手本にしている。明るく爽やかで清々しいのが彼の

曲の特徴で「シンフォニア第1番」や「協奏交響曲イ長調」など爽やかな微風を運んでくれるような、何

とも涼しげな曲で、真夏の午後フローリングに寝転がって扇風機かけて昼寝する時のBGMにもってこいだ

(演奏:コレギウム・アウレウム合奏団 LP: BHM 23 29047-6))

 
 モーツァルトの曲はポップスに通じるセンスが光ると「毎日モーツァルト」でピアニストの西村由紀江

はいう。「モーツァルトの曲には息つぎがある。いわゆる「歌メロ」「ポップス」なんですね・・・。」

そしてこの曲の魅力は冒頭のフレーズが「タン、タラタラ、タンタタン」(楽譜で示せればカッコいいの

ですが((^_^;))でワン・フレーズ、そして「タン、タラタラ、タンタタン」これで一対になっている。

(いわゆる韻を踏んでいる、漢詩でいうところの「対句」表現になっているということですな。)

「これは今でも私たちが口ずさめるし、このままポップスになってもいい。この曲には明るさ、爽やかさ

以上に彼のポップス・センスを感じます。」


 ところで私がこの曲に注目することになったのは、その「毎日モーツァルト」ではなくて、その後番組

の「ぴあのピア」で梯剛之がゲストでコメントと演奏をしていたのを耳にしたからだ。

 この「ぴあのピア」。モーツァルト・イヤーが終わり「毎日モーツァルト」も昨12月で終了したのだが

番組終了を惜しむ声が多かったからなのか、意外な反響に「二匹目のどじょう」を狙ったのか、1月から

始まった10分番組で、バッハから始まるピアノ300年の歴史と発展を1年かけて伝えるというものだ。

 以前同じくBSで関口智宏がナビゲーターで「JR全線踏破 1万5千kmの旅」という連続番組が好評で

(うちもずっと見てました!)その後NHKは「東海道五十三次てくてく旅」という二番煎じ番組を放映し

てましたが、大して話題にならなかったような。そんなことをつい思い出してしまうのですが…。


 ということで「ぴあのピア」はあまり熱心な視聴者ではなかったのですが、2月に入るとほぼ1ヶ月モー

ツァルトのピアノ作品を1曲ずつ採り上げるということで、また録画をし始めたという訳です。

 改めて見てみるとそれはそれで面白いのですが、思ってしまうのはその日の曲を演奏してくれる演奏者

によって、曲の魅力の伝わり方がまるで違うということです。(他の演奏者の方には大変申し訳ないので

すが)私の見た範囲では梯剛之さんと伊藤恵さんの回が断然印象に残ります。
 
 とりわけ梯剛之さんのは、ピアノの音そのものが他のピアニストとまるで違えて聴こえます。(見ると

普通のYAMAHAのピアノなのですが)(月並みな表現だが)音が一音一音「キラキラ」と輝いている。


 その梯さんのコメント「モーツァルトってとにかく散歩が好きで(当時彼は毎朝5時に起きてウィーン

のアウガルテン庭園を散歩していたそうだ)ちょっとした鳥の声とか、何か、生命が誕生していく、その

誕生する前のまだ形にならない状態から、生命が形になっていく時に移り変わっていく喜びとかですね、

何かそういったものを彼はすごく感じて表現している、そんな感じがしますね。」


「生命が誕生する前のまだ形にならない状態から、形になっていく時に移り変わっていくその時の喜び」

 これって、古代中国の老子が「道」(タオ)(万物を生み出す根源)について語っていることそのもの

ではないだろうか。孔子と違い、人間の小ざかしい知恵を嫌い、「無為自然」を説いた老子。彼は人間に

半端な知識を身につけるのではなく、自分を取り巻いている、人間を産み育てている大自然、宇宙の持つ

パワー、エナジーを感得せよと、2500年後の我々に語りつづけている。(老子については「伊那谷の老子

」こと加島祥造の著作が分かりやすい(『タオ』(ちくま文庫)等)と思います。)
 
 2500年前の老子。250年前のウィーンに生きたモーツァルト。そして現在ウィーンに住み、モーツァル

トがウィーンの森で浴びただろう木洩れ陽の光や、感じただろう風を肌で、研ぎ澄まされた感性で感じ取

っている日本人ピアニスト梯剛之。三人が時代を超えて共通に感じとっているもの。それは命の躍動。生

命そのものではないだろうか。

        (参照2006 5/21 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/36581877.html

        (同 2005 5/17 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/2893761.html )


 さらにこのロンドK.485を「自然の声を優れた音楽に移し変えた」曲の1つとして梯は、例によってピ

アノを弾きながら、こう語る。

「本当にチャーミングな曲で(とピアノをポロンポロン弾きながら)小鳥が こう 啼き出してきて、春に

植物が こう 風で揺れてて、生命も躍動してきて、晴れた空で、何かモーツァルトも うきうきしながら

森とか木の下を散歩しながら、それを「ピヨピヨ」っと こう スケッチするような感じで、書いた曲では

ないかなって、僕はそのように感じて弾いています。」

 梯のモーツァルトが美しいのは、もちろん彼がウィーンに在住しているからだけではない。ウィーンに

いたって、モーツァルトが感じた風の爽やかさや陽光の眩しさ、生きていることの喜びを、彼の遺した楽

譜から読み取ることができなければ、それこそ「ピヨピヨ」っと感じ取ることができなければ、ウィーン

の自然と対話することができなければ、彼が曲に、楽譜に込めたものを再現することはできないのでは

ないか。


 世に「古楽演奏」とか「ピリオド奏法」などという言葉が流行り、それをまた滅多矢鱈に有難がる風潮

もあるが、私はそれに組しない。

 ただ単にモーツァルトの時代に使っていた楽器を用いたからとか、当時のピッチと同じに弾きました、

というだけでは、18世紀に生きたモーツァルトが作品の中に込めた、ウィーンの風や陽光から感じとった

ものを再現したことにはならないだろう。


 梯剛之のピアノの実演に早く接してみたい。







   
 



  

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        ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545 (1788年 モーツァルト32歳)


 「(子どもの頃)ピアノの練習が大好きで朝から晩までずーと練習してまして、でいよいよやっとソナ

チネ・アルバムが弾けるようになって、モーツァルトの曲はまだまだ自分には難しいので、技術的にまだ

習い始めの頃でしたから弾けないんだなぁって。先生が許可してくれて、これを弾きなさいって言ったも

のでないとお稽古してくださらないから弾けない訳です。そしていよいよ先生が「じゃ、モーツァルト」

っていうことで、一番最初に弾かせてもらったのがこのハ長調の曲なんですね。もう心うきうき、そして

弾きだしてみると結構技術的には簡単で、1楽章、2楽章、3楽章とあっという間に弾きこなすことは一応

できた訳ですよ。でも音楽性というんでしょうか、やっぱりモーツァルトの音楽の神髄がこの曲の中には

全て網羅されてますしね、この出だしの1小節を聴いただけでも、あぁもうモーツァルトなんだって、

本当にどうってことのない簡単な音符の配列ですよ。でもどんな作曲家にもこれはできない訳です。」

 これはNHK-BS「毎日モーツァルト」のピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545の回での假屋崎省吾(華道

家)のコメント。ソナチネとは「初級程度の演奏技術を必要とするピアノ作品集」のこと。

 モーツァルト自身が「初心者のための小さなピアノ・ソナタ」と作品目録に記したこの曲は、今日では

バイエルなどと並んで、ピアノを習う子どもたちが必ず習い、演奏する曲として親しまれていることはい

うまでもない。ピアノを少しでも習ったことのある人なら、誰でも最初のフレーズを聴いただけで「あぁ

あれね」と分かる曲だ。

 簡素にして平易。シンプルにしてストレート。確かに假屋崎の言うように簡単そうに見えて、恐らく

モーツァルト以外の他のどんな作曲家にも書けない、やはり珠玉の名作だと思う。

 今日「ソナチネ・アルバム」に入れられているこの曲、恐らくはピアノ(クラヴィーア)の初心者用の

教材としての注文に応えて作られたのだろうが、詳しい経緯は分からない。

 作曲された1788年6月22日当時のモーツァルトに関して分かることといえば、その5日前の6月17日には

経済的困窮からウィーン旧市内から家賃の安い郊外への二度目の引越しをしたばかりであり、そしてこの

曲が出来上がって7日目の6月29日には半年前に産まれたばかりの長女テレジア・コンスタンツィアを亡く

している。

モーツァルトの作品一般と同じく、この単純明澄な曲には作曲当時の彼の私生活の影はみじんも感じられ

ない。

 それよりもこの曲に関して私が想起するのは”Eine kleine Klavier Sonate für Aufänger”(初心者

のための小さなピアノ・ソナタ)というモーツァルト自身の書き込みの言葉と、あのセレナード第13番

K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の表題との類似性である。

 「毎日モーツァルト」の「アイネ・クライネ…」の回では、ミュージカル作曲家甲斐正人氏が曲の成立

事情が同じく謎であるこの曲の成り立ちに対して、「父レオポルトの死の直後に書かれたこの曲は『お前

の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作れ』という亡き父から言われていた課題を、簡素で優しくしかも

立派に完成している名曲を作ることで見事に乗り越えたということが言えますし、この作品は彼の作曲の

ひとつの頂点を極めたということがいえるでしょう。」と語っている。(Completely Mozart…セレナー

ド第13番ト長調K.525 '06 10/15(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/42920962.html))

 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」とケッヘル番号も近く、従って作曲時期も近いこのピアノ・

ソナタK.545もまた同じく、亡き父から出されていた課題に応えた作品という気がする。

 ところで、モーツァルトの後年の作品(私が後年と考えるのは名作「フィガロの結婚」K.492以降の

作品)あるいは彼の晩年の作品(三大交響曲K.543、550、551以降をそれと考えている)にはこの曲の

ように、極限まで切り詰めたように簡素で、一見子どもでも弾けそうな、あるいは作れそうに思える

simpleの窮みのようなメロディが印象的な作品が何曲かある。

 ちょっと考えてみただけでもこの15番のピアノ・ソナタを始め、ピアノ協奏曲第27番K.595、クラリ

ネット協奏曲K.622、そして彼自身何よりもオペラ作曲家であることを何よりも意識していたモーツァ

ルト最後のオペラ作品ともいうべき歌劇(ジングシュピール)「魔笛」K.620…。

 モーツァルト最後のピアノ協奏曲第27番は、彼自身最も得意とし、また華やかさが際立つこのジャンル

の中にあって、突然変異のごとく、他のコンチェルトとは隔絶した枯淡の境地を歌う作品だ。それまでの

ピアノ協奏曲が西洋ロココ美学の粋を極めたような華やかさがあるのに対し、このK.595はまるで独り

東洋の水墨画の世界のような枯れがある。今までの虚飾を全て剥ぎ取り、かなぐり捨てたような突き抜け

た世界だ。ひと足早い彼の「白鳥の歌」である。

 一方「魔笛」の中で次々と繰り出される、まるで童謡のような親しみ易い名旋律の数々はどうだ。

「おいらは鳥刺し」「何と美しい絵姿」「恋を知るほどの殿方は」「復讐の心は地獄のように胸に燃え」

「恋人か女房があれば」「パ・パ・パ…(パパゲーノのアリア)」・・・

 世界中の誰もがニッコリと微笑みながら、さも子どもの頃からそれらのメロディを知っていたかように

口ずさむ。それどころかあまりに聞いたことのあるような旋律なので、まるで自分がそれらを作曲したか

のような錯覚に陥ることすらある。それらはひとえに死期近いモーツァルトが、ひたすら平易に、簡素に

大衆に受け入れられ愛される曲作りに腐心した努力の結晶である。

 ソナチネ・アルバムのソナタK.545、27番ピアノ・コンチェルトK.595、魔笛…。

モーツァルトの作品が晩年に近づくにつれ「簡素」かつ「平易」なものにどんどん傾斜していったことを

思う時、同様の軌跡を辿った芸術家として想い出されるのが元ビートルズのロック・ミュージシャン、

ジョン・レノンである。

 ジョン・レノン(1940〜1980)はビートルズ時代からレノン/マッカートニー・コンビの詩を担当し、

名曲を多く創ってきたが、オノ・ヨーコと知り合い結婚しビートルズ脱退後、ソロ活動に入るにつれ、

その作り出す詩の世界は「Mother」「Love」「Imagine」「Oh My Love」など、ビートルズ時代に比べ

一層「シンプルさ」「平易さ」が際立つようになってきた。一節によればそれは、ヨーコ・オノを介して

出会った日本文化の影響、とりわけ俳諧の持つsimpleさ、潔さ、抽象性に由るところが大きいという。

 ジョンは生前ヨーコとともに歌舞伎座で、歌舞伎・能に親しみ、謡曲「隅田川」では土まんじゅうの下

に眠る、生き別れた自分の娘を嘆く母の悲しみに大粒の涙を流したという。また東京は湯島にある古美術

の店「羽黒洞」を度々訪れては、白隠(江戸時代の禅僧)の水墨画を嬉しそうに買い求めたり、芭蕉の句

を書き付けた符を大切に抱きしめたりしていたそうだ。(これは私が「羽黒洞」のご主人、木村東介氏か

ら生前直接聞いたことである。)

 ここでは彼の曲の代表として「Love」を紹介しよう。

               Love is real Real is love

               Love is feeling Feeling is love

               Love is wanting to be loved
 
               Love is touch Touch is love

               Love is reaching Reaching's love

               Love is asking to be loved

               Love is you You and me

               Love is knowing We can be

               Love is free Free is love
 
               Love is living Living's love

               Love is needing to be loved (アルバム「ジョンの魂」1970年 より)

  当初から強いメッセージ性を持っていたジョンの詩の世界は、日本の俳諧文化に触れることによって

余分なものを削ぎ落として、よりsimpleに、より平易な表現になり、より研ぎ澄まされ、より抽象的に、

よりパワフルに、より普遍性を持ったものになって、国境を越え世界の人々に歌われ、人々の記憶に長く

残るever greenな名作となった。

 真の天才はその晩年においても進化し続ける。モーツァルトとジョン・レノンはその点においてもまさ

しく時代を超えた天才の名に値する存在といえるのではないだろうか。

 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545に戻ろう。

 simpleなだけでなく、petitなソナタだ。愛くるしい第1楽章、お洒落なロンドの第3楽章はそれぞれあ

っという間に終わる。LPで聴くシフの全集では、深い情感込められた第2楽章を入れた全体でも10分少々

で終わってしまう。

 一方CDでのアラウの80歳を過ぎての演奏はさすがに年輪を感じさせる。それでも第1楽章4:53 第2楽章

8:15 第3楽章2:04 の 計 15分12秒。

 初心者でも弾ける。しかし大家でも窮めることは難しい。モーツァルトの曲の奥深さを物語る典型的な

1曲であろう。私はアラウの弾く泰然自若とした第2楽章を聴きながら眠るのが最近の習慣になりつつある

 LP:アンドラーシュ・シフ(Pf)(モーツァルト ピアノ・ソナタ全集より)(LOOC-1005〜10)(1980年)

  CD:クラウディオ・アラウ(Pf)(UCCP-9351)(1985年)

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 クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲と、クラリネットの名曲が続いたので、今日はこの2曲ほ

ど有名ではないが是非ご紹介したい、クラリネットの佳曲を。

 それがクラリネット三重奏曲、通称「ケーゲルシュタット・トリオ」K.498。

 曲名の由来はモーツァルトが当時流行っていた「ケーゲルシュタット」という、今日でいうボーリング

遊びに興じながら、この曲を作曲したという話から来ている。ケーゲルシュタットは「九柱戯」と訳され

ボールを投げて、名前の通り10本ではなく9本のピンを倒すまさしくボーリングゲーム。

 ボーリングといえば日本では高度成長真っ盛りの昭和40年代に大流行りして、須田開代子、中山律子ら

アイドルスター並みの人気を誇るプロボウラーが出たり(「律子さん、律子さん、な・か・や・ま律子さ

ん!」という一世を風靡したCMもあったなぁ。あれは資生堂のシャンプーか何かのCMだったっけ。)

「美しきチャレンジャー」という新藤恵美扮する主人公がプロボウラーを目指すスポ根(ロボコンじゃな

いよ!「巨人の星」「柔道一直線」などアニメから出たスポーツ根性物語のこと。)ドラマが流行ったり

(そういえばあのドラマでは毎回番組冒頭のナレーションでこんなことを言っていたな。「今やボウリン

グはオリンピック競技にも数えられようとしている云々。」入ってない、入ってないってば!)とにかく

日本中ボウリング、ボウリングで大変なフィーバーだった。何しろこんな信州の田舎にもどんどんボウリ

ング場が立たって、それがどこも押すな押すなの大盛況。日曜なんぞは朝の何と5時から並んで、しかも

みんな「マイボール」なんぞという、重さと指の穴の大きさをわざわざ自分専用に合わせて作った代物を

これまたマイボール専用の手提げバッグに下げて(ありゃぁ結構重いゾ。)出かけたものだ。何しろ一介

の職人のうちの親父や、おしとやかでもの静か、スポーツする姿なんぞ絶対に想像できないというお隣り

のおばさんまで「マイボール」持ってたもんなぁ。

 随分脱線してしまったが、要するに日本ではほんの一時期のすごいブーム(考えてみれば日本という

お国は何でもそうだ)で、今でも場所はあるこたぁあるけど、実にじみーな存在の娯楽になってしまった

感のあるボーリングであるが、本場ヨーロッパでは息のながーい人々の楽しみのひとつとして親しまれて

いる。何しろ始まったのが4世紀頃のドイツの教会で、神父たちはピンを悪魔に見立てて、日曜ごとにこ

の悪魔倒しのゲームを信者たちにやらせていたというから愉快だ。

 それが時代が下ってドイツからオランダ、イギリスへと広まって、やがて移民とともにアメリカに渡っ

ていくのだが、ピンの数というのは日本の場合のように必ずしも10本とは決まっていなくて、まちまちだ

ったらしい。元祖ドイツでは9本のスタイルが残って、モーツァルトが生きた時代のウィーンでもピンが9

本のボーリング「ケーゲルシュタット」(九柱戯)という遊びが流行っていた。(ケーゲルとはピンのこと)

 さて本当にモーツァルトはケーゲルシュタットをしながらこの曲を書いたのか、といえばその確証はな

い。ただし同じ頃作曲された「管楽器のための12の二重奏曲」K.496aの楽譜には、自筆で「ケーゲルシ

ュタットをやりながら」つくったと明記されていたという(石井宏氏の文参照)からトランプ、ビリヤード

ダンスと何でも遊びに目がなかったモーツァルトのこと、この佳品を遊びながら作ったというのもまんざ

らありえない話ではない。

 それに曲の冒頭、ゆったりとワルツでも踊るように(実際は6/8拍子)主役のクラリネットが登場する

あたり、本当にモーツァルトは肩の力を抜いて気楽な気持ちでリラックスして書いているなぁという感じ

がして小気味良い。

 そんな印象をこの曲が与えるのも、この曲が仲間内の”お遊び”の曲としてつくられたからだろう。

この曲はモーツァルトがウィーンで歌劇「フィガロの結婚」を完成させた、彼の絶頂期1786年8月に、彼

のピアノのお弟子さんだったフランツィスカ・フォン・ジャカンという女性の依頼でつくられたという。

 ジャカンは当時モーツァルトの家に出入りしていた、彼の大親友のゴットフリートの妹で、父は高名な

植物学者フランツ・フォン・ジャカン。モーツァルトもジャカン家でたびたび音楽の集いやパーティーを

催すといった親しい間柄にあったらしい。

 おそらく当時花の17歳、お年頃のジャカン嬢に「ねぇ、モーツァルトさん。何か私たち仲間でアンサン

ブルができる肩のこらない曲を作ってくださらないかしら」などといわれて、モーツァルトもまんざらで

もない表情で、「じゃぁ君のために書いてあげるよ」と愛想のいい返事をして、ケーゲルシュタットのゲ

ームをしている間に、さらっと書き上げたのがこの曲ではなかろうか。

 事実初演は、まだあどけなさが残るフランツィスカがピアノを、そしてモーツァルト自身が得意のヴィ

オラを担当して、クラリネットはこれも当時モーツァルトの家に出入りしていた遊び仲間の一人名手アン

トン・シュタードラーが受け持ったという。

 この曲が作られた当時は前述した不朽の名作「フィガロの結婚」を世に問うた頃。いわばウィーンに出

てきたモーツァルトが、経済的なことも含めてその絶頂にあった頃、彼は何曲かのピアノ三重奏曲を集中

的に書いている。(有名なのがK.496とK.502)いずれもモーツァルトが、仲間内のサロンで弾くこと

を想定した家庭的な作品。おそらく得意満面なモーツァルトがその幸せな、愉快な気分から自然に湧き出

た楽想を気のおけない仲間たちと分かち合おうと作曲したのであり、この曲の場合最初から演奏者をイメ

ージして作ったからこそ、ピアノ、ヴィオラ、クラリネットという一風変わった編成の曲に仕上がったの

だろう。

 曲は3楽章からなり、第1楽章はアンダンテ 前述したようにピアノとヴィオラの短い前拍のあと、踊る

ように滑るように、ふくよかにのびやかに、クラリネットが登場し主題を吹く。いかにも気持ち良さそう

だ。曲を聴く我々、奏でる演奏者だけでなく、モーツァルト自身が気持ち良さそうに作曲している光景が

目に見えるようだ。そう、映画「アマデウス」でビリヤード台の上で玉を転がしながら、フィガロのあの

perdono 許しのメロディを作曲していたトム・ハルスのように。他の曲以上に、この曲は等身大の本当

のモーツァルトの姿を映し出しているのではないだろうか。

 第2楽章 メヌエット 何ということはない、モーツァルトとしてはごく普通のメヌエットなのだが、

印象的なのは(CDで1:50から始まる)ト短調に変わるトリオの部分。ヴィオラがモーツァルトの内面の、幸

せな中に忍び寄ってくる不安を表すかのように、不機嫌そうに三連符を刻む中、にわかにとぎれとぎれに

哀しげにクラリネットが旋律を吹く。時間にすればたったの2分ほどなのに、この部分が非常に長く感じ

る。まるでこの不安がずーっとつづくかのように。するとどうだろう、さっきまでどうということもなか

った前後の長調の部分の中にも、実は微妙に不安が、影が差し込んでいることにハッと気づかされる。そ

れは技術的にはモーツァルトが非常に細かく曲の中で転調を繰り返しているからなのだが、それによって

同じ楽章の前後どころか変ホ長調の両端楽章までも、我々聴き手はもはや穏やかな気分で聴くことができ

なくなる。

 長調なのになぜか哀しい。明るい曲なのになぜか涙が出てきてしまう。モーツァルトの音楽の最大の秘

密、魅力を、僕達はこの曲に見出すことができるのではないだろうか。明るいけれど、長調だけれど、モ

ーツァルトの曲は決してただ単純に明るいだけではない。明るさの向こうに透けてみえる不安の気配。幸

せの絶頂に忍び寄る不幸の影。七色の虹に単純に歓声をあげた後、ふと気づくと無色に見えていた周囲の

風景が、複雑な、幾つもの色に染め上げられてできていたことに気づく瞬間があるように、一見単純な彩

りの人生にみえても、そこには実にさまざまな光と影がある。笑いがあり、涙がある。幸せがあり、ペー

ソスがある。そのことを、つまり人生の真実を、モーツァルトの音楽は我々に教えてくれる。まるで大空

にあざやかに弧を描く七色の虹のように。

 「僕はいつも床につくたびに、ひょっとすると自分は明日はもういなくなっているかも知れないと思う

のです。」「死は生の本当の最終目標なのです。僕はこの数年来、この人間の真実にして最上の友人と

とても仲良しになってしまったので、死の姿を少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を

安んじ慰めてくれるものと考えているくらいです。」(1787年 4月4日)こんな手紙を病床の父への励ま

しとして出したのは、この曲を作ったわずかに翌年、モーツァルト31歳のことである。

 第3楽章 ロンド アレグレット クラリネットが奏する晴朗なロンド主題と、ヴィオラ(モーツァル

ト自身が弾いている)がリードして導かれる、哀愁を帯びた短調の第2主題が交錯する、そしてその対比

が鮮やかなフィナーレだ。クラリネットの音色はいよいよ深々と、ふっくらとまろやかで、それでいて軽

く、飄々としている。「面白うて、やがて哀しき」音色が魅力のクラリネット。その音色をモーツァルト

が愛したのは、まさに「面白うてやがて哀しき」人間の一生の真実を活写できる楽器だったからだろう。

 演奏は往年のウィーン・フィルのコンサートマスター、ウィリー・ボスコフスキーがヴァイオリンなら

ぬヴィオラを奏し、同じウィーン・フィルのメンバーであるアルフレード・ボスコフスキーのクラリネッ

ト、ワルター・パンホーファーのピアノのトリオのもの(LP:GT-9372)を好んで聴いている。他の演奏に

比べ、ふっくらと柔らか味があり、全体に余裕がある。これがウィーンの粋(いき)というものなのであろ

う。(CD:ベルント・カスパー(pf)ジークフリート・シュラム(cl)マンフレート・シューマン(vla)TKCC-15109)




 

 

 

 2007年 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて2006年モーツァルト・イヤーは終わったのですが、このブログはもう少し「モーツァルト…」の看

板を掲げたいと思います。

 商売柄、1年というとどうしても4月から始まり、3月に終わる「年度」の感覚が沁みついていることと

またサブタイトルでも「クラシック音楽歳時記」と謳っているので、春ー夏ー秋ー冬 やっぱり春から

1年は始まるということで、このタイトルのブログも昨年4月から始めていますので、なんや時機遅れやな

ぁと思われるかも知れませんが、3月までどうぞおつきあい下さい。

 ところで年末まで受け付けていた第2回投票「モーツァルト晩年の作品でお好きな曲は?」投票ありが

とうございました。結果は


       レクィエム ニ短調 K.626          10票

       ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595   9票

       歌劇「魔笛」 K.620              8票

       クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581    6票

       クラリネット協奏曲 イ長調 K.622      3票


                                   ということになりました。

 いずれ劣らぬ傑作ばかりで順位は意味がないのですが、それぞれの曲への思い入れを聞かせていただき

たかったわけでして、強いていえば27番が最初に肩入れしたせいか、高得点だったのが特徴でしょうか。

 さてこの中で前回クラリネット協奏曲を書いたので、今日はクラリネット五重奏曲のことを書きます。

            ******************************

 「ブラームスのクラリネット五重奏曲の、あの晩秋の憂愁と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の傑

作のひとつであるばかりでなく、十九世紀後半の室内楽の白眉に数えられるのにふさわしい。けれども

そのあとで、モーツァルトの五重奏曲を想うと、『神のようなモーツァルト』という言葉が、つい口元

まで出かかってしまう。何という生き生きした動きと深い静けさとの不思議な結びつきが、ここにはある

ことだろう。動いているけれども静かであり、静穏のなかに無限の細やかな動きが展開されている。

 一つ一つのフレーズは、まずは十八世紀のごく普通のイディオムで語られているのだが、何ともいえぬ

気品があり、雅致がある。あすこ(ブラームス)には、人間の運命に対する省察と諦観があったが、ここ

(モーツァルト)には自由がある。かわいそうなブラームス!(後略)」(吉田秀和の文章から)

 若い頃読んだ吉田秀和の文章だが、確かに今、あまたあるモーツァルトの作品の中で「神のようなモー

ツァルト」と形容したくなるのはこの曲だ。

 考えてみれば、モーツァルトが創作したジャンルの中で最も充実している(と僕が思う)弦楽四重奏に

晩年モーツァルトが最も愛した楽器クラリネットが絡んでゆくこの曲が素晴らしいのは当然かも知れない

 この曲は死の2年前、1789年9月に完成し、クラリネットの名手にしてフリーメーソンの盟友シュタード

ラーに捧げられた。

 第1楽章 アレグロ  柔らかく美しい第1主題が弦によって奏でられると、導かれるようになめらかに

クラリネットが滑りこんでくる。次いで(1:27〜)弦に現れるホ長調でありながら淋しげで翳のある第2

主題とそれを支えるチェロのピチカート。それを受けてホ短調で応えるクラリネットの哀愁の調べ。

すべてに破綻がない。あるべき音がすべて最初からあるように予定調和的にそこに在る。まさに「神のみ

わざ」と半ば呆然としているうちに、不意に最初のテーマが現れて楽章が閉じられる。

 第2楽章 ラルゲット  長い長いクラリネットのモノローグのあと、クラリネットと第1ヴァイオリン

が静かな対話を繰りひろげる緩徐楽章。モーツァルトが作った最も美しい旋律のひとつ。微笑んだ女性の

瞳にひっそりと浮かんだ涙…。クラリネットの物憂げでそれでいて官能的な響きがいつまでも、いつまで

も永遠につづくかのよう…。言葉にしたら「幸福」?そう、それは言葉の本当の意味での幸福を現わして

いる。なぜって若い時にはあまりそう思わないのだが、ある年齢を境にして人は気づくようになるのだ。

幸福はいつ壊れるか分からない。幸福というものは決して長くは続かないものだ、ということを。

だからこそ今ある幸福が身に沁みて感じられると。

 1965年のフランス映画「幸福」。女性監督アニエス・ヴァルダが作ったこの映画でも日曜日、美しい自

然に包まれて家族が揃ってピクニックに行く「幸福」そのものの場面のバックに流れていたのがこの曲

だった。(ただし第1楽章)その後夫に若い愛人がいることが分かり、映画は暗転していく。ヴァルダは

幸福の何たるかを知ればこそ、モーツァルトのこのひたすら美しい音楽を使ったのだろう。

 第3楽章 メヌエット 第4楽章 変奏曲のフィナーレ を含め、この曲を聴くと静けさの中の満ち足り

た空気に包まれた秋の日の黄昏を思わずにはいられない。

 演奏はLPではザビーネ・マイヤー(cl)の旧盤(1982年)フィルハーモニア・クヮルテット・ベルリン

(OF-7053-ND)。CDではそのマイヤーのハノーヴァー音楽大学での師にあたるハンス・ダインツァーが17

90年製のクラリネットを使ったコレギウム・アウレウムの演奏(1976年)(BVCD-38051)

 特にザビーネ・マイヤーのLPは大学卒業時、田舎教師として郷里に帰る私に、後輩のG君が餞別として

新宿駅のホームで手渡してくれたレコードで懐かしい。G君はその後共同通信記者として、アラブ、フラ

ンスに長く駐在し、後年岩波新書から「シラクのフランス」を上梓するなど活躍している。


 「今日のわれわれには、モーツァルトのように美しく書けなくなってしまった。われわれにできるのは

ただ彼が書いたのと同じくらい純粋に書くように努めることだ。」(ヨハネス・ブラームス)







 

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