クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

モーツァルト

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 「庶民性と芸術性との見事な融合。しかもそれを高いところまで持ち上げていった素晴らしい作曲家だ

と思います。モーツァルトはお父さんからいつもいつも「お前の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作

れ。」と言われていたそうです。その中でこの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は、簡素で優し

くて、しかも立派に完成している名曲で、お父さんから言われていた課題を、ここで見事に乗り越えたと

いうことができますし、彼の作曲のひとつの頂点を極めた作品だと思います。」

 これは先日のNHK-BS「毎日モーツァルト」セレナード第13番ト長調K.525通称「アイネ・クライネ・ナ

ハト・ムジーク」の回のゲスト、ミュージカル作曲家甲斐正人氏の同曲へのコメントである。

全くおっしゃる通り。数あるモーツァルトの作品の中でも、この曲は最も人口に膾炙した作品であり、

名曲である。事実NHKのこの番組でもタイトル曲に使われている。(ただし使われているのは第3楽章メヌ

エット、というところが秀逸!第3楽章ってやっぱり曲と曲のつなぎというか、次への期待感を感じさせ

ますね。)

 600曲を超えるモーツァルトの作品はすべてが名曲といってもいいくらいだが、その中でも特にこの

「アイネ・クライネ」のように、曲の最初から最後までまさに完璧!という以外に表現のしようがない

ほどcompletelyな作品というものが幾つかあるように思う。もちろんそのように指折り数える曲は人によ

って違うだろうが、私が選ぶとすれば、


      ディヴェルティメントK.136

      ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」

      弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」

      交響曲第40番ト短調K.550

      そして「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」             ということになるだろうか。


 ところでこのセレナード第13番ト長調K.525は、実は20世紀になるまではほとんど知られていなかった

今のようなポピュラーな名曲となったのは、1930年代以降なのだそうだ。その背景には1920年代に普及し

たSPレコードの存在があるという。この作品の各楽章がちょうどSPレコードの片面に収まる長さで、レコ

ード2枚で全曲が鑑賞できるという利点から、当時ベートーヴェンの「運命」と並んで、最も売れ筋のレ

コードになったことに始まるという。

 現在でもCDの現役盤だけでも50種類ある人気曲だが、SPの時代に比べると、CDの中のたくさんの曲の中

のひとつという存在になり、モーツァルト関係でも昔よりは考えられないくらいの多様な曲が録音される

ようになった今日、その位置づけはSP時代よりは相対化されてきているといえよう。

 もうひとつ、この曲はセレナードな訳だが、誰のために、何のために作られたのか、今日でもまるで分

かっていない謎の名曲だという。1787年、モーツァルト31歳。父の死からそう日も経っていない、そして

オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の作曲に全力を傾けていた時期の作品である。

 改めてレコードに針を下ろして聴いてみる。(古楽器を使って実に19世紀的なロマンティックな演奏を

聴かせるコレギウム・アウレウム合奏団の演奏。1974年、例によってのドイツ バイエルン州キルヒハイ

ムはフッガー城、糸杉の間での残響豊かな録音。)(LP:ULS-3134-H)(CD:BVCD-38043)

 (他にブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団 1958年)(LP:20AC1805)

 第1楽章 コレギウム・アウレウムの特徴である羊腸弦の響きの柔らかさ、美しさに身も心も癒される

改めて感じることは主旋律の親しみやすさと、対旋律というか主旋律にからむ和音の絶妙さ。それによっ

て醸し出されるハーモニーの心地良さ、快感。この曲が伝えるのはまさにウィーンという街の「粋」、

当時の黄表紙などに活写された江戸時代の江戸っ子が競ったところの「粋」と同じ意味での、洗練された

ウィーンの「粋」(いき)の粋(すい)が音楽になったのが、まさにこの曲なのではないだろうか。


 全体を通して私が感じたこと。それは「ドン・ジョヴァンニ」の作曲の合い間に作られ、創作の動機や

経緯が分かっていないというこの曲は、やはりこの年の父の死と大いに関係があるだろうということ。

 1787年5月28日、父レオポルト死す。そのわずか2週間後、モーツァルトは「音楽の冗談」K.522という

まさに冗談としか思えない作品を残す。これは、意外にも冗談好きだった父レオポルト(「おもちゃのシ

ンフォニーなんていう作品もありましたな。)をまさにモーツァルト一流のパロディなやり方で弔うもの

だ。

 そしてこのセレナード第13番ト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」も件の甲斐正人氏

がいうように、「お前の曲は難しすぎる。もっと優しい曲を作れ」という亡き父への回答として、そして

父レオポルトへの弔いとして捧げられた個人的なメッセージが強く込められた作品だと感じたのだが、い

かがであろうか。

 
 NHK-FMの番組編成担当者の方は当ブログを見ているのかなぁ?(嘘)


 前回採り上げた弦楽五重奏曲第3番K.515、第4番K.516を含むモーツァルトの弦楽五重奏曲4曲が、

あさって8日、日曜日の午前9時から、NHK-FM黒田恭一さん司会の「20世紀の名演奏」という番組で放送さ

れるそうです。

 前回の記事で「室内楽の40番、41番」といわれる五重奏曲第3番K.515、第4番K.516に興味を持ったけ

れど、レコード持ってなくてまだ曲を聴いたことがないという方は、是非エア・チェック(我ながら古い

言葉!)されてはいかがでしょうか?

 NHKの番組表によりますと、当日は「1960年代の名演」と紹介したブダペスト弦楽四重奏団+ワルター

・トランプラー(va)の演奏で、「弦楽五重奏曲 ハ長調 K.515」(32分33秒)

                  「弦楽五重奏曲 ト短調 K.516」(33分46秒)

                  「弦楽五重奏曲 ニ長調 K.593」(25分47秒)

                  「弦楽五重奏曲 ハ短調 K.406から第1、2、4楽章」(17分37秒)

                         (CD:SONY SICC437〜9)の4曲が演奏されます。

 私が申し上げたいのはアンリ・ゲオン、小林秀雄が「疾走する哀しみ」と称賛した第4番ト短調K.516

や第3番ハ長調K.515(前者が交響曲でいうと40番に、後者が41番「ジュピター」にもなぞらえられる世

にいう傑作)が、ずーっと「毎日モーツァルト」を1月から見て聴いてきた人間からすると、「フィガロ

の結婚K.492」以前の曲と比べて、「音楽が流れていない」つまり「モーツァルトらしくない」のだ。

(と私には感じられて仕方ない。)

 それは当日最後に流れる第2番ハ短調K.406と比較すると明らかなように思う。K.406はウィーンに出

てきた翌年、1782年モーツァルトの26歳の年に「ハルモニー・ムジーク」(当時ハプスブルク家の当主だ

ったヨーゼフ2世が好んだといわれる室内楽用管楽アンサンブル)のひとつとして作曲されたセレナード

第12番ハ短調K.388「ナハトムジーク」を弦楽五重奏曲用にモーツァルト自身が編曲したものである。

K.388ということは、つまりまぎれもない「フィガロ以前」の作品。弦楽五重奏版で聴いてみてほしい。

K.515やK.516よりも、はるかに音楽が流麗に「流れて」いるのだ。

 では、なぜ「フィガロ以前」の作曲のK.406(すなわちK.388)が流麗に流れ、K.515やK.516が

「流れない」のか?正直うまく説明できない。「フィガロ以後」のK515、K.516作曲当時、モーツァル

トは不調だったのだろうか?ものの本にはハ長調K.515の自筆楽譜には、モーツァルトには珍しく訂正箇

所がたくさんあるという。(井上太郎『モーツァルトの部屋』ちくま学芸文庫 1995年)それだけ苦心の

末の作品ということができよう。「フィガロ以後」のモーツァルトの頭の中には、「フィガロ以前」には

考えなかった創作上の何かがあったのだろうか?それともそれは天才モーツァルトの退歩を意味するのだ

ろうか?

 そんな訳で、日曜日のFMで流れる「弦楽五重奏曲ハ長調K.515」と「ト短調K.516」の2つと、最後の

「ハ短調K.406(ただし第1、2、4楽章のみ)」を聴き比べてみて、ご感想をお寄せいただければ嬉しいで

す。(「そんなことないぞ!「疾走する哀しみ」のK.516は最後まで疾走していたゾ!」とかねっ!)






 

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 昨日の土曜日は陸上大会の引率で長野へ。大変穏やかな良い天気で、格好の行楽日和だった。とりわけ

他県から信州に来られた観光客は満喫したんじゃないかな。良い天候の下、各地で梨、ぶどう、プルーン

など秋収穫の果物の最盛期。そして思いの外進んでいた黄葉、紅葉。9月に入って急に寒い日が増えたせ

いだろうか、去年よりはずっと早く木々が色づき始めていた。今年は順調に黄葉が楽しめるかも知れな

い。今日は午前中、安曇野市(旧 堀金村)の「ほりで〜ゆ 四季の郷」にお風呂に入りに。(松本近

在、あるいは安曇平にある公共の湯としては一番のおススメ。施設の内外がきれいで、レストランも気取

らず利用しやすい。何より露天風呂から常念が真正面!…今日は見えませんでしたが)再来週くらいが黄

葉の見ごろのよう。(道すがら土手に咲いていた「萩」の葉が黄葉していた。萩の葉って黄色くなるん

だ。今まで知らなかった。)


        *******************************


 午後は久しぶりの雨。だからという訳でもないが、「雨の日に似合うモーツァルト」の第3弾としても

推奨できる弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516を聴く。

 この曲と、その1ヶ月前にできた同じく弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515は一対をなすと同時に、翌年書

かれた交響曲第40番ト短調K.550と第41番ハ長調K.551「ジュピター」の組み合わせにもよくなぞられる

 つまり

      交響曲第40番ト短調K.550         交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

                           ×

    弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515       弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516

 
 
 いわばこの2曲は「室内楽の40番、41番」という訳で、モーツァルトの室内楽曲の最高傑作と評価する

人もいる。今日はそのうち第4番ト短調を。


 この曲は日本では何といっても、戦後すぐの小林秀雄の長篇エッセイ「モオツァルト」で有名になった

 「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青

さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法を知っていた”かなし”という言葉の様にかなしい。こ

んなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼

の短い生涯を駈け抜ける。」

 小林が「モオツァルトのかなしさは疾走する」といったのには、元本がある。フランスの詩人アンリ・

ゲオンがその著書「モーツァルトとの散歩」の中で、この曲の冒頭、第1楽章第1主題を「走る悲しみ

tristesse allante」と表現したそれである。

 それ以来交響曲40番がト短調で、この曲も同じト短調であることから、(モーツァルトにとっての)

「宿命のト短調」という、キャッチ・フレーズのような言葉がはやり、この曲は40番シンフォニーに迫る

人気曲となった。(モーツァルトの室内楽作品としては全く異例のことと言わねばなるまい。)

 日本の戦後を代表する文芸評論家のひとり、小林秀雄のお墨付きは大きかった。その著書「モオツァル

ト」からモーツァルティアンになった日本人は多い。

 しかし私は、ことモーツァルトに関する限り小林秀雄の功罪は相半ばするように思う。

 功はもちろんモーツァルト・ファンを増やしたこと。罪は小林が引き合いに出した「疾走するかなしみ

」と称する弦楽五重奏曲第4番に代表されるような「短調の曲こそモーツァルトの音楽の神髄」というモ

ーツァルトの作品の内のわずかにしかならない短調の曲を、ことさら強調して日本人がありがたがるよう

な風潮を作り出してしまったことだ。それにより圧倒的多数を誇るモーツァルトの長調の曲に対する評価

を不当に貶めてしまった。パパゲーノのテーマにしろ、フィガロの「もう飛ぶまいぞ」にしろ、長調の曲

=短調の深刻な曲よりも軽い、軽薄な、価値の低いもの というような長年の日本人のモーツァルトに対

する対峙の仕方を決定づけてしまったように思う。もっといえば長いこと、日本ではモーツァルトは「二

流のショパン」「ベートーヴェンの前座」という地位を与えられてしまった部分があるように思う。

 そこにはベートーヴェンのような深刻な短調の曲こそ価値があるというような、19世紀的なロマン派至

上主義が見え隠れするし、それを彼の地より輸入した明治以来の教養主義を受け継いだ小林の限界が取っ

てみえるように思う。第一、件の文章の「空の青さや海の匂い」や「万葉の歌人が使用法を知っていた

”かなし”という言葉」などのくだりは、若山牧水の剽窃ではないのか。

 同じ文学者として早くからモーツァルトのオペラ(もちろんブッファを中心とする)を評価していた大

岡昇平の方が、小林より審美眼があったと私は思う。


 しかし時代は下る。高度成長期を経て豊かな社会に生きるようになった21Cの日本人が「生誕250年」

の今日、空前のモーツァルト・ブームを作っているのは、決して小林のような短調第一主義からではな

い。悲しみの人生の中で、ピアノ協奏曲第17番や第22番のような無類の愉悦に満ちた作品を紡ぎだす、モ

ーツァルトの人生の達人ぶりに人々は共感しているのだ。それだけ日本人が文化的に成熟した証だと私は

思っている。

 
 いささか弦楽五重奏曲第4番に不利な前振りになってしまった。少なからぬこの曲のファンの方にも少

し嫌な思いをさせてしまったかも知れぬ。ただ「毎日モーツァルト」などで年代順に、順を追って彼の作

品を聴いてきた者のひとりとして、確かにこの曲は、一度聴いたら忘れられないほどの印象深い始まり方

をしているのは間違いないけれど、同じ短調の室内楽作品としてならば、例えば前に見た弦楽四重奏曲第

15番ニ短調K.421(ハイドン・セット第2番)の方が全体としては数段優れた作品ではないだろうか。

 それは曲のせいというよりも、室内楽アンサンブルという点で鉄壁というべき均衡を誇った弦楽四重奏

に、ヴィオラひとつ加えただけでその均衡を保つのが難しくなる、弦楽五重奏曲という形式の持つ難点ゆ

えといえるかも知れない。(その後も弦楽五重奏というと、チェロ2挺を用いたシューベルト晩年の傑作

がある程度で、ブラームスの弦楽五重奏曲も彼の他の室内楽作品に比べ、ブラームスに栄誉をもたらして

いるとはいえないだろう。)


 もうひとつ語らねばならないのが、この曲とモーツァルトの父レオポルトの死との関係だ。この曲が完

成したのが、1787年5月16日。レオポルトがザルツブルクで姉ナンネル夫婦に看取られながら死んだのが

5月28日(僕の誕生日!)。父の死を意識しながらこの曲は書かれた。その証拠に、遡る4月4日モーツァ

ルトはその人生で最後となる父への手紙をしたためた。

 「…最近のお手紙で大変良くおなりだと伺っていただけに、今ひどく落胆する報せを受けました。あな

たが本当にご病気なんですって!何とか安心できるようなご自筆の手紙をどんなに僕がほしがっているか

申し上げるまでもありません。僕はいつも万事を最悪なふうに想定する習慣を作ってしまいましたが、

それでもどうかしてお元気なお手紙を拝見したいと思っています。死は ー厳密にいえばー 僕らの生の

本当の最終目標ですから、僕はこの数年来、この人間の最上の友人と大変仲良しになってしまったので、

死の姿を見ても少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安め慰めてくれるものと考えてい

ます。こうして僕は死が我々の真の幸福への鍵であることを知る機会を考えてくださったことで、神様に

感謝しています。僕はいつもベットに就くごとに、ひょっとすると明日はもういなくなっているかもしれ

ない。だが僕を知っているものは誰だって、僕が交際のおり不機嫌だったり憂鬱だったりしていたことは

ない、といってくれるだろうと考えないことはありません。そうしてこの幸福について、僕は毎日創造主

に感謝し、すべての隣人に対してこの幸福を心から願っています。…僕がこれを書いている間にあなたが

快方に向かわれることを祈ってやみません。…それにしても、まもなくあなたからほっとするような手紙

を頂けることを願ってます。そうしてこの快い希望の中で、家内やカールともどもあなたの手にキスしま

す、永遠に                  あなたの最も忠実な息子」  (吉田秀和の訳による)


 こうして弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516は、パリで母の死を予感して書かれたピアノ・ソナタ第8番イ

短調K.310とともに、モーツァルトにとって特別な作品となった。


            
               スメタナ四重奏団/ヨセフ・スーク(1976年録音)(LP:OX-7089)



P.S. この曲、室内楽曲の割には良く知られているせいか、レコードには恵まれているようです。

 1960年代ではブタペストSQ/トランプラー(1966)、70年代はスメタナSQ/スーク

 80年代はアルバン・ベルクSQ/ヴォルフ(1986)、90年代はラルキブデッリ(1994)

 と、ほぼ10年ごとに名盤が出ているようです。 さて2000年代の名演奏は?

 

 

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 初っ端から愚痴ですみません。やっぱりモーツァルトでも弦楽四重奏曲になると、コメントがガクッと

減りますね。最近立て続けに書いた弦楽四重奏の14番、15番、20番。サッパリですわ。やっぱり一般的に

いって、弦楽四重奏曲とか室内楽って地味なのかなぁ?でも今回NHKの「毎日モーツァルト」の進行に沿

って、モーツァルトの曲を年代順に聴いてきて、やっぱり思うわ。声を大にして言いたい。

 「やっぱりモーツァルト(の作品)では、弦楽四重奏曲(とりわけハイドン・セット)とピアノ協奏曲

が最高ですわ!!\(^O^)/♪」

 
 さて交響曲第38番「プラハ」である。この曲はモーツァルトのいわゆる6大交響曲の中で、唯一長い間

好きになれなかった一品である。取りあえず今の自分の趣味で6大交響曲を並べると、

              39番>35番>36番>41番>40番>38番

とこうなる。

 やっぱりこう並べてみると、モーツァルトというのはどんな季節にも似合う作曲家だが、強いて季節を

限定すれば、初秋ということになろうか。

 39番・・・残暑の中に秋を告げる風。(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/10793392.html)

 35番・・・初秋の空に ひこうき雲。(ワルター/コロンビア響orコレギウム・アウレウム合奏団)

 36番・・・信州の遅い春の胎動。(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/1828727.html

 41番・・・ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 (佐々木信綱) 

 40番・・・晩秋の雨の日に

 38番・・・秋の空にいわし雲

 と自分の勝手なイメージではこんな季節感を感じます。

 
 さて「フィガロ以後」の「毎日モーツァルト」7日目(7曲目)に採り上げられたのが交響曲第38番K.5

04「プラハ」。2日にわたってNHKも採り上げたので、こちらもこの機会に何とか好きになろうと、この1

週間、LPではブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団、CDではコレギウム・アウレウムの演奏をず

ーと聴きつづけた。が、どうしてもやっぱり良さがわからなかった。(38番ファンの人ごめんなさい。)

 なぜか、考えてみました。最大の原因はこの曲が3楽章形式だということ。

 普通の交響曲は4楽章。それぞれの楽章は「起」「承」「転」「結」ととらえられ、全楽章を閉じた時

我々はカタルシスを得る。

 一方、「プラハ」は3楽章。3つなら「序」「破」「急」という構成も考えられるが、この曲の場合、第

1楽章が「序」としても、2楽章はどう見ても「承」で「破」という訳にはいかない。「序」「承」と来て

すぐ最終楽章が来てしまうのでは、「序」「承」「急」または「起」「承」「結」で、「破」や「転」に

当たる楽章がないので、どうも曲を聴き終わった後にスッキリとしない。カタルシスを感じないのだ。

 2番目にこの曲は「フィガロの結婚」K.492と「ドン・ジョバンニ」K.527の中間にあるので、フィガ

ロとドン・ジョバンニの両方の音楽が聴こえてくると、よくいわれる。

 たとえば第1楽章の序奏の部分は「ドン・ジョバンニ」の悲劇性、主部は「フィガロ」の快活さという

ことができるが、第1楽章も第3楽章フィナーレも、ただただ慌しいとしか私には聴こえない。また緩徐楽

章の第2楽章も、39番の静謐な世界やピアノ協奏曲第22番の悲哀には遠く及ばないような気がする。やは

り「フィガロの結婚」に空前の歓呼をあげてくれたプラハの人々に喜んでもらおうと、短時間で作ったが

ゆえの交響曲としての完成度の問題なのではないかと思ってしまう。

 38番ファンの方、ごめんなさい。「プラハ」の良さを教えていただければありがたいです。

 こちらは1週間この曲を聴きつづけて、その境地に到達できませんでした。…(^_^;)



P.S. あれから書類の山になっていたオーディオ・ルームを片付けていたら、無いと思っていたコレギウ

ム・アウレウムの38番のLPが出てきて、久しぶりにじっくり聴いたら、CDで聴いた時よりイイ感じで、特

に第3楽章の冒頭の旋律を受ける合いの手の木管のひなびた、とぼけた感じが、ピアノ協奏曲17番フィナ

ーレの例の「むくどり」のテーマみたいで、親近感が持てました。全曲好きになる日も近い!?


  コレギウム・アウレウム合奏団(1977年9月  キルヒハイムのフッガー城 糸杉の間にて録音)

   (LP:ULS-3234-H)(CD:BMG BVCD-38140〜42)

 

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 <今日の一曲>  弦楽四重奏曲第20番ニ長調K.499「ホフマイスター」(1786年 30歳) 
 

 先週9月11日から「毎日モーツァルト」の後半のシリーズ(いや、正確にいうとモーツァルトのウィー

ン時代の後半)が始まった。7月28日放送のフィガロの結婚K.492を最後に、8月まるまる1ヶ月を夏の特

別シリーズに費やしただけでなく、9月最初の1週間も「今から間に合う毎日モーツァルト」として番組の

進行を足踏みさせていた。いよいよNHKはこの番組をモーツァルトの亡くなる12月まで続けるとみた。

そしてその葬儀の日の12月7日に放送する曲はズバリ!「レクイエム」K.626と予言しておきましょう。

 さてモーツァルトの音楽人生を、ザルツブルク時代、フィガロの結婚までのウィーン時代前半、そして

フィガロ以降のウィーン時代後半、の3つの時期に分けた番組製作者の見方は正しいと思う。さらにもう

ひとつ、このシリーズ構成の意味するところは、モーツァルトの音楽人生の最高峰が「フィガロの結婚」

であり、フィガロ以降は彼の「晩年」の作品群となるということ。これにも賛成だ。

 そして「クラリネット協奏曲」「三大交響曲」「ピアノ協奏曲第27番」などこれより後の傑作は「晩年

の作品の中の」という限定付きの、すなわち今までの傑作とは少し違う意味合いの、晩年ならではの「傑

作」ということはいえないか。(これは私の見方なのだが。)

 さてフィガロ以後、ウィーン時代の後半シリーズが始まって最初の週の最後、15日の金曜日に採り上げ

られたのが、弦楽四重奏曲第20番ニ長調K.499だ。そしてまたまた私のこの曲に対する見方が変わった。

 まずこの日のゲスト・コメンテーターとして語っていたのが、ヴァイオリニストの松田理奈。彼女のコ

メントにはっきりいって度胆を抜かれた。


 「よく言われるのが、大人の雰囲気が出てからじゃないと弾けない曲、とか。全くもってモーツァルト

の場合は逆の気がしますね。子どもの方がモーツァルトの意思どおりに弾けたりするんじゃないですか?

大人になればなるほど、モーツァルトの意思どおりに弾くのが難しくなるから、いろんな技術とかが必要

になってくるのかなって思います。

 (弦楽四重奏曲第20番について) モーツァルトほど(この曲を作曲した)この時期はこういう状況だ

ったんだなっていうのが見えてくる作曲家って他にはいるのかなって思うくらい、かなり曲に反映してる

と私は思います。ただその反映の仕方がちょっとひねくれていて、絶対に悲しかった(と我々が思う)とい

う時にも、あえて明るいDur(長調)を書いてみたりとか、曲をパッと見ただけでは分からないんですけ

れども、いろいろ聴いてみたりとかもう一歩裏を読んでみたりとかすると、きっと明るいだけじゃないん

だなって思います。」
 

 ここで松田理奈がいっていることは、通常、常識でいわれていることとは逆のことだ。特にその後半、

「モーツァルトほどその曲が、その時の彼の状況を反映している作曲家はいない。」という意見はおそら

く初めて聞いた。自分も含め、多くのクラシック・ファンは、モーツァルトほど作曲当時作曲家が置かれ

ていた状況と作品が無関係な作曲家はいない、と考えていたのではないか。

 それはおそらく、彼の身の周りに起こるさまざまなこと(肉親の死であったり、失恋であったり、困窮

した生活であったり)と、まるで無関係に成立したとしか思えないほど彼の長調の曲があまりにも明るい

ところからくる、我々凡人の出した性急な答えではなかったか。

 実は私もこの「毎日モーツァルト」を欠かさず見ていて、毎回一つの作品ができた当時のできごとや証

言、モーツァルト自身が書いた手紙などを紹介されながら、今まで1曲の成立過程の内実にこんなにも知

識をもって彼の曲を聴いたことがなかったから、次第次第に松田嬢と同じ感想を持ち始めていたところだ

った。

 それにしても松田理奈さんの、何か確信を持って自説を語るその口調と、まだあどけなさの残るその面

影のアンバランスさに興味を持ち、どんな人か全く知らなかったのでHPを…。

 それによるとまだ芳紀20歳ながら、3歳から才能教育でヴァイオリンを始め、小学校では早くも全日本

コンクール第1位。2001年には日本モーツァルト音楽コンクール、ヴァイオリン部門最年少優勝。翌年16

歳でプロ・デヴュー。18歳で日本音楽コンクール第1位…という輝かしいキャリアをすでにお持ちだ。

 すごい人がいるものだ。そして何より小さい時から現在に至るまで、ドイツその他のクラシック音楽の

本場に長く身を置いて、そのことから多くのことを学んでおられる様子がダイアリーなどから感じられ

た。前述の発言も決してハッタリではないことが分かる。弱冠二十歳でモーツァルトの音楽の核心に迫

る…だいたい二十歳の女の子がSQの20番なんて渋い曲を選ぶか、普通?

 恐るべし、松田理奈! 近くでコンサートがあったら是非一度聴きに行こうと思う。

 
 さて件の弦楽四重奏曲第20番。今回の放送をきっかけに改めて聴き直して良い曲だと思った。ハイド

ン・セット以後の4曲の中の1曲というよりも、19番までのハイドン・セットの流れに続く1曲と考えてよ

さそうだ。なにしろ


     19番K.465「不協和音」       1785年

     20番K.499「ホフマイスター」   1786年

     21番K.575(プロシャ王第1番)  1789年 

     22番K.589(プロシャ王第2番)  1790年

     23番K.590(プロシャ王第3番)  1790年 


ということで、20番は21番以降よりも、明らかにハイドン・セットに近い。

 しかも「ホフマイスター」の別名どおり、ウィーンで親しくしていた楽譜出版業者のホフマイスターへ

の友情の証として作ったこの1曲は、親しみやすく温かいメロディに満ちている。(ご承知のとおり、ホ

フマイスターから初心者向けの新作を3曲依頼されながら、でき上がった曲があまりに難易度の高いもの

だったため、結局1曲しか出版できなかった。そのおわびとしてモーツァルトがこの曲を書いてホフマイ

スターに献呈したという。)

 そのエピソードが物語るごとく、第1楽章 アレグレットは16番、18番の出だしに似た透明で柔らかく、

温かくて慈愛に満ちたようなしみじみとした楽想で始まる。しかし一般的にいってこの第1主題は渋く、

ふわりとした情感に包まれているため、大衆的には「受けない」曲想ということになろう。提示部を閉じ

るスタッカートの連続する8分音符がモーツァルトには珍しく気ぜわしく、少しわずらわしい感もある。

 メヌエットの第2楽章、アダージョの第3楽章を経て、フィナーレ 第4楽章 アレグロの出だしにはハイ

ドンばりの全休符が現れる。そして第2主題は一見親しみやすい、いかにもモーツァルトという旋律だが

なぜか最後までアレグロで軽快に駆け抜ける音楽になっていない。またスッキリと曲を終える決定力にも

欠けているような気がする。

 しみじみとした佳曲だが、例えばハイドン・セットの弦楽四重奏に比べ、曲全体がそれまでのモーツァ

ルトの曲になかった、どちらかといえば欠点が見え隠れする。(特に4楽章。ひとことでいって音楽が流

れていないところが散見するのだ。)

 30歳。フィガロの結婚で頂点に達したモーツァルトの創作が、フィガロ以後の最後の5年間の、いわゆ

る晩年に入り、それまでの彼の作品とは違う観点の曲を追求し始めたということがいえるかも知れない。

その創作の姿勢の向こうに、L.V. ベートヴェンが待っているといっても良いだろう。


 

 




 

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