|
<今日の一曲> モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調K.414(1782年 26歳)
NHK-BSの「毎日モーツァルト」はモーツァルトの後半生、ウィーン時代に入っている。
先日はウィーン在住のピアニスト梯剛之(かけはし・たけし)が出演し、ピアノ協奏曲第12番の魅力を
語っていた。
盲目のピアニストの梯は「若葉が育っていくような明るさをこの曲に感じます。天から光が注いで来る
ような、何か軽い香りがしてくるような、そんな感じを僕はこのK.414に感じるんです。」といい、
彼がそう感じるフレーズを実際にピアノで弾いてみせた。
「こういうところなんか、まるで小鳥が鳴いているような感じがする」といって第3楽章のロンドの主
題を弾き、また第1楽章の主題を「天使が飛んでいるような」と弾いてみせた。
「若葉が芽吹いてきて、ホントに小鳥も啼いていたりするんです」とピアノの音をはずませながら語っ
ていた。
なんて分かりやすい解説なんだ!一目瞭然、いや一聴瞭然。自分はこの曲のここのフレーズから、こん
なイメージを持つのだと、ピアノで弾いてみせる。これ以上分かりやすい説明はないだろう。
こんな快哉を叫びたくなるような説明は、学生時代に読んだ吉田秀和の「レコードのモーツァルト」
(中公文庫 1980年)以来だ。吉田は自分がどうしてその曲からそのような印象を持つに至ったかを、可
能な限り客観的に語ろうとし、そのためしばしばよくその箇所の楽譜(譜例)を載せ、読者への説得を試
みている。何でも楽譜を載せればいいという訳ではないが、彼のそれはその評論の客観性を獲得するのに
成功している(と私は思ってきた)。
梯さんの語りに戻るならば、この曲は「若葉香り、小鳥がさえずる」、季節でいえばちょうど今頃のウ
ィーンの爽やかな初夏のイメージにたとえられる。
まさに「梯剛之の音楽歳時記 in ウィーン」の初夏の1頁を飾る曲ということになりましょうか。
さっそくアシュケナージのピアノと指揮、フィルハーモニア管弦楽団の1980年の演奏を聴いてみる。
(LP:L28C-1574)(CDは最近買ったバレンボイム/ベルリン・フィル 1995年ライヴ WPCS-12086)
明るく軽快で愉悦に満ちたモーツァルトらしいさわやかな1曲だ。
第1楽章 アレグロ は軽やかで一種コケティッシュでありながら、当時のウィーンで喜ばれただろう
おしゃれなサロン風の音楽でもある。
第2楽章 アンダンテ は落ち着いて澄み切った心境を示すかのような穏やかな緩徐楽章で、どことな
くパリ・マンハイムの傷心の旅から故郷に帰り、姉ナンネルとの連弾に心癒された「2台のピアノのため
の協奏曲(第10番)K.365の第2楽章を想いださせる。
第3楽章 アレグレット 再び軽やかな足取りのロンド楽章で、どこか魔笛のパパゲーノのリズムや、
フィガロなどのオペラ・ブッファを想起させる。モーツァルトが調子に乗ってる、というと語弊がある
が、ノリにのって作曲した感のある、ウーンこれはやっぱり傑作だ。
ヨーロッパ中部のウィーンと、日本ではわが信州がほぼ今頃の季節感を共有できるだろう。僕も自分の
音楽歳時記の初夏の欄に、青葉茂れる季節の爽やか感にマッチする曲として、モーツァルトのヴァイオリ
ン協奏曲第3番や、ディヴェルティメント第2番K.131と一緒に綴じ込むとしよう。
この曲を書いた頃のモーツァルトは、ウィーンで自由な音楽家として自立していくために、その収入の
手段として、貴族の子女へのピアノ・レッスンと、ウィーンの聴衆に自分のピアニストとしての腕前を見
せるための、自作のピアノ協奏曲をメインとした演奏会を開いていた。
初めのうちは旧作の第5番、第6番、第8番、第9番「ジュノム」を主なプログラムに採り上げていたが、
いつまでも旧作にばかり頼っていられないと、1783年に予定されていた予約演奏会のために、新たに、よ
りウィーンの人々の好みに合った新作を書き始めた。それがこの曲を含む第11番ヘ長調K.413、第12番
イ長調K.414、第13番ハ長調K.415の3曲である。
これらの曲の創作のコンセプトについては、例の彼の父への手紙の中に書かれた有名な一節がある。
「協奏曲は難しいのとやさしいのとの中間のもので、とても派手で、耳に快いが、もちろん空疎に堕して
もいないといった具合で、音楽通でなければ満足が得られない個所も2、3ありますが、通でない人々もな
ぜか分からないながら、きっと満足できるというふうに書かれています。」(1782年12月28日)
このような意図で用意周到に書かれた作品たちであるために、これら3曲は、14番以降のピアノとオー
ケストラが一体化し、「交響的統一体」として芸術作品としての質を飛躍的にレベルアップさせた作品群
に比べると、平易で社交的・娯楽的色彩が強いが、当時のウィーンの聴衆の好みにはピタリと合ってい
た。おかげで予約演奏会の予約会員は1784年には174人に達し、1ヶ月のコンサートは20回を数えるに至っ
た。まさに「仕立て職人が着る人にピタリと合った服をしつらえるように」曲を作ることができると自負
したモーツァルトの面目躍如たるところである。またウィーンに出たばかりの彼の気負いを感じる話であ
る。
しかしこのわずか2年後には、彼はこうした聴衆の耳になじみやすい口あたりのよい音楽を書かなくな
り(ピアノ・コンチェルトでいうと第20番ニ短調K.466あたりから)、聴衆の嗜好ではなく、彼の内面
から湧き出る「自分が書きたいと思う欲求」に忠実な音楽を書くようになり、心地良いだけの音楽を求め
ていたウィーンの聴衆からは次第に受け入れられなくなり、その3年後には予約会員は0になってしまう。
自らの創作的欲求に従って創作することで、モーツァルトはさらなる音楽芸術の高みに達した(私見で
はモーツァルトの後半生からロマン派音楽が始まったと思うのです)が、実生活では、大衆から離反さ
れ、晩年の生活苦とそのために35歳という短い生涯を閉じることにもつながっていくのである。
P.S. 唐突かもしれないが、この曲の第3楽章の主題を聴いていると、僕は何だか若葉が香る公園
の芝生の上を、ヨチヨチ歩いている赤ちゃんを連想してしまう。そしてその赤ちゃんを「ちょち、ちょ
ち、ちょち…」とあやしている、そのあやすテーマソングのように感じてしまう…。
「万緑の中や吾子(あこ)の歯生えそむる」(中村草田男)
|