クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

音楽歳時記

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 ブラームス ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8    演奏 ボロディン・トリオ(1982年)
                                     (LP:Chandos DBRD 2005)
                             
                                   マリア・ジョアン・ピリス(Pf)
                                   オーギュスタン・デュメイ(Vn)
                                   ジャン・ワン      (VC)
                                            (1995年)
                                   (CD:Grammophon 447 055-2)

 紅葉であれ、黄葉であれ、11月後半の信州、晩秋ともなれば木々の葉は次第に枯れて茶色くなり、愛で

る人もまばらに、やがて木枯らしに吹かれ落葉していく。毎年、11月の終わり、勤労感謝の日の前後、茶

色になった木々の葉は、穏やかな小春日和の陽に照らされつつ、いぶし銀の最後の光を放つ。

 そんな今頃の木々の色を我が家では「ブラームス色」と長年呼び親しんできた。最初の赴任地、東信

(東信州)の上田市郊外に在った宿舎からは、遠く千曲川へと落ちていく河岸段丘の縁(へり)に小さな森

が見渡せ、この時季、みごとな茶色に色づくその木々を「ブラームスの森」と秘かに名づけ、愛していた

 このように私にとって「晩秋の作曲家」であるブラームスの音楽、それも地味で内省的なその室内楽の

数々を味わい、堪能するのに最高の季節が今頃であると思う。

 そのような彼の室内楽作品の中で、私が最も愛するものの一つがピアノ三重奏曲第1番作品8である。

 作品番号で分かるように、この作品は彼が最も早い時期から書き出したものであり、例の1853年彼が20

歳の年の9月30日、当時デュッセルドルフにあったシューマン夫妻宅を訪ねる前にはすでにスケッチされ

ていたという。そして夫妻の強いすすめで翌年1月からハノーヴァーで作曲に没頭、クララのピアノで非

公開の演奏が行なわれ出版されたという。(しかしこの間ブラームスの人生でおそらく最も大きな出来事

すなわちローベルト・シューマンが1854年2月27日、精神錯乱の末ライン河に投身自殺(未遂)するという

大事件も起きている。)

 ところが完璧な作品の完成を目指す彼は、この若書きの作品を最初に作曲してから35年も経った1889

年に全面的に書き換え、今日我々が聴いている演奏は殆どがこの改訂版である。そういう意味では若書き

の作品でありながら、ブラームスの生涯に亘った創作活動を反映したものともいえる。

 それでもなお各楽章の主要な旋律は、20そこそこの青年が書いたものといっていいだろう。しかしその

旋律(メロディ)たちの甘くロマンティックなことはもちろんだが、その何と憂いと諦念に満ちあふれて

いることか。「どんな娘でも顔を赤らめることなくキスできるような子どもらしい顔立ち」(三宅幸夫

『ブラームス』(新潮文庫 47P))をしていたというハンブルクから出てきたばかりの20歳の紅顔の美少

年の、いったいどこにそんな老長(た)けた部分があったのだろうか。驚嘆する外ない。

 全楽章を通じて、若者らしいその甘美でロマンティックな旋律と、老年のみが感得できるような渋み、

奥ゆかしさ、悟り、諦念に満ち溢れているのだが、とりわけ演奏に40分近くはかかろうかという大作の

およそ半分を占めようとする第1楽章にそれが色濃く出ている。

  第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ  ピアノの静かな前奏に続いて、穏やかで伸びやかな第1主題を

チェロが弾く。低音のチェロで弾かれるからこそ、若々しく憧れに満ちたロマンティックな旋律が、さら

に何か、溢れる自己の情熱を一歩引いたところで静かに語っているような落ち着きと、大人の慈愛に満ち

た曲想をも作り出している。(前述のCDでは)開始から45秒後にようやくヴァイオリンも和して、ユニゾ

ンでこの優しさに充ちた旋律を共にうたいあげる。

 この第1主題でも充分に魅力的なのだが、さらに心惹かれるのがその後に出る、胸を締め付けられるよ

うに悲痛で切ない、そして胸の奥底に秘めた、それでいてどうしても吐露せずにはいられない激情のほと

ばしりのような第2主題だ。(前述のCDで3:30秒頃に出る)

 しかもこのテーマをブラームスは、第1主題の展開が一段落した2:30秒頃から早くも顔をのぞかせなが

らも、出そうか出すまいか逡巡し、ためらい、行きつ戻りつ、躊躇しながら、実に1分に亘る時間の経過

ののち、ついに(3:30秒頃)自らのクララへの本当の想いを吐露するかのように明らかにする。がこの

短い旋律こそ、作曲家にとってこの曲で最も重要なそれであろう。(この第2主題はしかし15分という長

大な第1楽章の中で、あとは 7:45秒と12:40秒、都合たった3回しか出てこない。)

 温和な第1主題は、師シューマンへの限りない尊敬の情、そんな師に邂逅できたブラームスの静かな幸

福感と安堵、そしてその妻クララへの心からの友情の気持ち…。そんなものを表現している(世間に向か

ってのこれは公式の心の表出である)とすれば、一方短いが激しい哀切に満ちた第2主題は、そんな世間

体をかなぐり捨てた彼の本心。ひとりの女性として心からクララを愛し、秘かにひとつになりたいと願う

あせり、焦燥。ブラームスが自らをもごまかそうとした彼の実存からの叫びなのだ。この世では封印する

しかなかった…。

 実際ブラームスはシューマンの自殺未遂からの2年間のすべてを、遺されたクララとその子どもたちに

救済の手を差し伸べることに尽くしたが、2年後シューマンがエンデニヒの精神病院で息をひきとると、

クララへのあれほどの想いを自ら断念する。お互いに手紙で「尊敬する夫人」から「最も貴重な友へ」さ

らに「愛するクララ夫人」から「愛するクララ」と呼び、一方も「心からあなたの クララ」と呼びかけ

あう関係になっていたにもかかわらず…。(ブラームスにはシューマン夫妻に出会った直後からクララに

恋心を感じていたことをシューマンに気づかれ、そのことがシューマンを死に至らせたのではないか、と

いう負い目を生涯持ち続けていた節がある。それを端的に示すこの頃の作品が「バラード」作品10の1

「エドワルド」という父親殺しをテーマとしたピアノ作品。がここではこれ以上詳しくは触れない。(吉

田秀和作品論集『ブラームス』(音楽之友社) P 20 )

 つまりこの曲で私の心を最も熱くさせるこの第1楽章第2主題こそ、ブラームスがその後生涯に亘って心

に封印したクララへの本当の想いの音楽表現なのだ。

 公式にはともかくブラームスの胸の中ではクララへの想いがどんなに強く永遠のものであったか。1896

年5月20日、クララは77歳の年にフランクフルトで息をひきとる。運悪くブラームスは保養地イシュルに

いて、その通知が彼の手元に届くのが遅れた。急ぎ列車を乗り継いだがついに葬儀には間に合わなかった

しかも遺体はシューマンに並び埋葬されるためボンに運ばれてしまっていた。結局前後40時間の列車の旅

の末、彼にできたのは埋葬するクララの柩の上にひと握りの土をかけることだけであった。

 「ああ、何ということだ。この世ではすべてが虚しい。私が本当に愛した、ただひとりの人。それを

私は今日、墓に葬ってしまったのだ。」(ルドルフ・フォン・デア・ライエンへの手紙)

 そしてまるで自分の本当の伴侶、妻が亡くなると、男性は生きる望みを急速に失われると世間でよく言

われるように、クララを失ったブラームスは健康を害し、クララの死から1年足らずの翌年の4月3日この

世を去る。

 この63歳の人間ブラームスの悲痛な嘆きを想う時、私は12C中国南宋の詩人、陸游(りくゆう)の話を思

い出す。彼は20歳の頃、唐琬(とうえん)という女性と結婚した。二人は仲睦まじく暮らしたが、母親はこ

の嫁を気に入らず離縁した。それ以後逢うこともかなわず、やがて陸游は王氏と再婚し、唐琬も別の男性

と再婚した。十年の歳月が流れた春のある日、二人は紹興の沈(しん)家の庭園で偶然再会した。唐琬は再

婚した夫とともに来ていたので、夫に訳を話し、酒肴を贈らせた。この偶然の出会いの後、ほどなく唐琬

は他界したという。その陸游に「沈園(しんえん)」という有名な詩がある。

  城上の斜陽 画角哀し
  沈園復(ま)た旧 池台に非ず
  傷心 橋下 春波 緑なり
  曾(かつ)て是れ驚鴻(きょうこう)の影を照らし来たる

 (城壁の上に夕日がかたむき、もの哀しく響く角笛の音
  沈氏の庭園とて、もはや昔の池や楼閣ではない
  橋の下を春の水が緑の波をたゆたわせているのが、何とも心を傷ましめる
  この水はかつて驚き飛び立つ鴻(おおとり=唐琬のこと)を映したこともあったのだ)

 陸游がこの詩をつくったのは、実に彼が75歳の時。永遠の別れとなった沈園の再会から40年以上が経っ

ている。北宋を征服した金への主戦派、愛国詩人として知られる陸游は、このように亡くなる85歳に至る

まで、心ならずも離縁した妻の面影を追い求め、沈園での再会の一瞬を思い続ける情愛の持ち主でもあっ

たのだ。

 ブラームスと陸游。洋の東西の二人の男が、それぞれこの世で出会ったかけがえのない女性への熱い想

いと、それを心ならずも断念した悔恨、そして諦念。その重さ…。

 ブラームスのピアノ三重奏曲第1番第1楽章。それは彼の人生が凝縮された音楽だ、と私は思う。


 第1楽章だけで紙面が尽きた。楽しかった青春の日々を純粋に無邪気に回想しているように明るいトリ

オを中間部に持つスケルツォの第2楽章。まるでドビュッシーの「沈める寺」のように深く沈潜したピア

ノのモノローグで始まる第3楽章アダージョ。そして再び「愛情から交わりが生まれ、交わりから執着が

生まれる」と仏陀が喝破したような、人として生まれ、人を愛し、それゆえに哀しみもだえる人の業(ご

う)と人生の最後まで正面から向き合った男の音楽としてのフィナーレ第4楽章アレグロ。この曲全体が

ヨハネス・ブラームスという男の人生の在り様そのものを物語っているようだ。

 演奏は優秀録音で知られる英シャンドス・レーベルのボロディン・トリオのLPレコードを長い間愛聴し

てきた。が今回この稿を書くにあたって、デジタルな演奏時間を確認すべくピリス/デュメイ/ワンのCDを

何度も何度もかけ、すっかりその演奏にも愛着が湧いた。「交わりから愛情が生まれ、愛情から執着が生

まれ」である。しかし愛着も執着もまたよし。執着あってこその人生ではないだろうか…。
 


 

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 秋の紅葉も、昔は抜けるような青空を背景にした白樺の黄葉が一番好きだったが、最近は桜の紅葉がお

気に入りだ。紅葉といっても桜の場合はもみじのように紅一色ではなく、紅、茶、緑、そして黄色などさ

まざまな色が同居し織り成す微妙な変化と、その背景にシュールに存在する真っ黒な幹とのコントラスト

が楽しめる。

 今日は雨。晩秋の、秋と冬との季節を分かとうかというようなそんな冷たい雨の中、既に盛りを過ぎた

松本城のお堀の桜並木の紅葉も、この雨で歩道に散り落ち、踏みしだかれながらも、雨に濡れ光り、最後

の妖しいまでの艶やかさを見せていることだろう。そんなこの時季ならではのいぶし銀のような光景には

ブラームスのこの室内楽曲が似つかわしく思う。


         (以下2006年9月5日<速報>サイトウ・キネン・フェスより再掲)

 
 ブラームスのピアノ四重奏曲第3番は僕の好きなブラームス作品のひとつ。その最大の魅力は第3楽章

アンダンテ ホ長調 4/4。深い情緒にみちた緩徐楽章である。

 ロマンティックな旋律にあふれるブラームスの全作品全楽章の中でも、1、2をあらそう甘く切なくロマ

ンに満ちた楽章だ。

 ピアノのシンコペーションのリズムにのって、チェロが朗々と浪漫と哀切にみちた旋律を歌い上げる。

 全体を通じて、ブラームスの人生を彩った数々の魅力的な女性たちの面影が浮かんでは消え、同時に彼

女たちの誰ひとりとも最終的には決して結ばれることのなかった男の悲哀(というよりはブラームスが選

べなかったのだ。人生を賭けることができなかったのだ。)と悔恨が切々とこちらに伝わってくる。

 その理由は明らかだ。

 彼は彼の生涯を決定づけた女性、クララ・シューマンとは決して結ばれることはなかった。生涯、永遠

に思慕の対象でしかなかった。その後出会った女性たち、アガーテ・フォン・ジーボルト(弦楽六重奏曲

第2番を捧げた女(ひと))、エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルク、ユーリエ・シューマン(シ

ューマン家の三女)、歌手ヘルミーネ・シュピースおよびアリーチェ・バルビたちは、いずれもクララへ

の愛の「形代(かたしろ)の恋」の対象でしかなかったのだ。

 先程、「全体を通じて、ブラームスの人生を彩った数々の魅力的な女性たちの面影が浮かんでは消え」

といったが、それは正確な表現ではなかった。日頃LPレコードで長年聴き込み、この曲の第3楽章を実演

(2006年9月5日サイトウ・キネン・フェス ふれあいコンサート3)で聴いたのは初めてだった私の前に

やがてはっきりと見えてきたのだ。ステージの演奏者の後ろに、おぼろげながらに立つクララの姿が。


 3曲あるブラームスのピアノ四重奏曲のうちの最後、すなわち彼が42歳の時に完成したこの曲は、実は1

854年ブラームス21歳の年に3楽章形式の作品として一応の完成を見ていたのだ。

 この年、その半年前にシューマン夫妻に出会った若きブラームスの眼前に起こったこと。師ローベル

ト・シューマンの突然の自殺未遂。取るものもとりあえず駆けつけた彼の前に、6人の子と更にもうひと

りを身籠ったまま憔悴しきったクララの姿。ここから約2年、彼はひたすらクララのため、シューマン家

のために夫に代わって稼がねばならなくなったクララの演奏旅行の留守の間、子どもたちの面倒を見たり

自ら演奏旅行に同行して指揮をしたり。そして急速にクララと親密の度合いを深めていく。

 しかしその関係も1856年精神病院入院中だったシューマンが没すると、ブラームスは自らデュッセルド

ルフのクララの元を去る。35歳。14歳年上の成熟した人妻であったクララは、しかし彼にとっては美しけ

れば美しいほど、魅力的であればあるほど、思慕するだけの対象であり、その先へ一歩進むことは、北国

ハンブルク出身の内気な青年にはできなかった。自分を世に出してくれた恩師ローベルトの妻であったが

ゆえに。

 いずれにせよ、この曲はシューマンの死という悲劇、クララへの複雑な愛と思慕。それらが込められ、

ブラームス自身が「ピストルを自らの頭に向けている人の姿」と称したとされる程、あの若きゲーテの傑

作「若きウェルテルの悩み」を彷彿とさせる気分に満ちている。既婚女性(ロッテ(シャルロッテ))への

思いに悩み、自殺する青年(ウェルテル)。この曲が「ウェルテル四重奏曲」といわれる所以である。

 この曲に限らない。後年のブラームスの作品はこの世では成就しなかった彼のクララへの想いが音楽作

品となったものばかりである、といっても言いすぎではあるまい。

 そんなブラームス作品の中でもとりわけ魅力的なこの作品が、実演はもちろん、CDでもなかなか出てい

ないのは残念だ。(私の聴いているのはローマ四重奏団の録音年代も分からない古いLP。HELIODOR MH503

9)
      **********************************

 改めてこの曲を聴く。

 第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ハ短調 3/4  衝撃的なピアノの強打音。憂いに沈む弦の調

べ。シューマンの突然の自殺未遂と、取り乱しそれに振り回されるクララと、若き青年ウェルテル、いや

ブラームス。まるで私小説のような音楽だ。ピアノがシューマン、チェロとヴァイオリンがブラームスと

クララのようだといってもいいかも知れない。弦楽器は互いに惹かれあいながらも、縺れ合い悲愴なメロ

ディを奏でていく。

 第2楽章 アレグロ ハ短調 6/8   常に何かに駆り立てられるような、急(せ)かせるような、ブラ

ームスらしい、短調ながらも躍動するスケルツォである。よく聴くとあの懐古的な第3楽章ばかりではな

い。この弾むような短い楽章の中でも、ブラームスは人生の中で出会った様々な女性たちとの想い出の場

面を繰り返し回想しているようだ。 

 第3楽章 アンダンテ ホ長調 4/4    先述のとおり。

 第4楽章 アレグロ・コモード ハ短調 2/2   再び1楽章の悲嘆と、2楽章の性急さが戻ってくる。

それらの表情の表出のためにブラームスが畳みかけるように用いているのが、何とあのベートーヴェンの

<運命>の動機!それは5番シンフォニーのフィナーレのように外に向かって開放され、解決をみせるよう

に聴こえながらも、最後は、内に篭(こ)もって解決されることなく終わる。この世ではブラームスのクラ

ラへの想いが決して成就されることはなかったかのように。


 全体を通していかにも「ブラームス」としかいいようのない作品である。実演されることも少なく、CD

もあまり出ていないらしい。もっともっと多くの人に聴かれていい曲だ。(P.S.2007年DENONのCREST1000

シリーズでヤン・パネンカとコチアン四重奏団で、ピアノ五重奏曲との組み合わせで待望の廉価盤のCDが

出た(COCO-70923))

 

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 先週の金曜日から1週間ぶりに雨が降った。台風の接近によるものだが、10月の下旬ともなるとさすが

に冷たい雨だ。もう季節は晩秋に入ったといってよいだろう。


 晩秋の音楽といえばブラームスのそれだ。それも特に彼の室内楽の数々。それは梅雨の時季の近代フラ

ンスの作曲家たちのつくった室内楽曲と並んで、私のクラシック歳時記の大切な部分を占める。

 一昨年の歳時記のクールでは、温暖化で季節がずれ込んだのと11月に勤め先の修学旅行があって、ブラ

ームスの室内楽の名作の数々を全くといっていいほど紹介できなかった。

 それが心残りで昨年度このブログを閉じることができなかった。新年度仕事が更に忙しくなって新稿が

書けず、同じ季節の一昨年の記事の再掲でお茶を濁してここまで引っぱってきたのは、書き残した晩秋の

季節感とブラームスの室内楽曲の関係を書き遺すためであった。

 などと綴ると、えらく気合の入ったものを読者は期待してしまうかも知れないが、何でも思い入れが強

すぎるとなかなか良い文章は書けないものだ。今日は口火を切ったということでお許し願おう。

 随分冷たく感じるようになったこんな秋雨の日には、ブラームス晩年のヴァイオリン・ソナタ第3番ニ

短調でも聴いてみたくなる。

 これは1888年ブラームス55歳の年に、スイスの避暑地トゥーン湖畔のホーフシュテッテンでつくられ

た。

 前年には中庸で穏やかなヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100も作曲されたが、あの交響曲第4番

ホ短調作品98をものしてから3年後ということもあり、もうブラームスの晩年といえる。

 彼の音楽を特徴づけるものはロマンティシズムと、保守的とも揶揄されるほどの調和のとれた曲の古典

的な形式感、そして若い時から彼に身に着いていた「諦念」の情。

 その諦念を晩年になると、彼は若い時のようにもはや隠そうとせず、第4シンフォニーやこの曲では剥

き出しの激情として表現している。(特に第1楽章、第4楽章)

 聴く者にはそれが痛ましいほどだ。彼が若い時から持っていた諦念、そして彼が晩年になって驟雨のよ

うに容赦なく叩きつける怒りにも似た悔恨の情。

 それらはすべて、一生を通じて愛し続け、そして生涯結ばれることのなかったクララ・シューマンとの

関係において生まれてきたものだ。

 そのことはもう何度も書いているので、ここでは繰り返すまい。


 演奏はLPではヘンリク・シェリングのヴァイオリン、アルトゥール・ルビンシュタインのピアノ(RCA

RX-2378)。CDではデュメイ/ピリスのコンビを聴いている。(Grammophon POCG-1618)(1981年)

 第1番「雨の歌」(http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/2237045.html)と変わって、こちらは後者の

演奏の方が、そのしなやかさにおいて好ましいように感じる。

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1月7日(日)雪

 昨日、今日と今シーズン初めての本格的な雪となった。

 昨日は太平洋側の低気圧が発達してもたらした、いわゆる「かみ雪」。ベタッとして重い。今日は強い

冬型の影響で降った雪で乾燥していて軽い。どちらにしても本格的な降りで、両日でかれこれ30cmは積も

っただろうか。結局2日とも雪かきばかりしていたように思う。少し道路から奥まったところに家がある

ので、1回の雪かきで小1時間はかかる。ご近所に独り暮らしのお年寄りの方がいるので、その前もかく。

 雪をかいている時は無心というか、ただ黙々とかく。何も考えない。と、突然自分の中で、不意に

ドヴォルザークのチェロ協奏曲の旋律が鳴った。

 どうしてだろう。いつもはちょっと重過ぎるというか、何だか演歌調にも聴こえるこの曲の第1楽章や

第3楽章。普段聴くには何かちょっと恥ずかしさを感じる旋律(分かりますか?)ドヴォルザーク独特の

親しみ深いんだけど、ちょっと野暮ったいようなところ。交響曲第8番の最終楽章なんかもそんなところ

ありますよね。

 とにかくそんなこんなで普段はあまり聴かないドヴォ・チェロが聴きたくなってきた。雪かきが一段落

したので、自分の部屋へ。レコード棚を見る。あぁ、やっぱりドヴォルザークのチェロ協奏曲のレコード

がないことに気づく。有名な曲なんだけど、先ほど言った理由で普段そんなに聴かない。それでも昔、あ

の吉田秀和が解説で褒めていたので、ロストロポーヴィッチとカラヤン/ベルリン・フィルの有名な演奏

のを買ったことがあったが、カラヤン特有のオケの音が平べったいというか、薄い感じがどうしても馴染

めずに手放してしまった。(それが僕の持っている唯一のカラヤン指揮のレコードだった。どうも彼とは

相性が悪いらしい。)その後、情熱的といわれるデュ・プレ、バレンボイム/シカゴの盤か、端整といわ

れるフルニエ、セル/ベルリン・フィルのどちらかを買おうとずっと思ってきたのだが、なぜか今日まで

中古LP屋さんでこの2つのLPにお目にかかったことがないのだ。CDでも持っていないので、結局今日まで

持たずじまいの名曲になってしまった。

 さて、どうするか。このドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴きたい気分を。その代わりにと、レコード

棚をごそごそやって取り出したのが、

 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(スーク(Vn)、ノイマン/チェコ・フィル)

 エルガーのチェロ協奏曲 

 チャイコフスキー 交響曲第5番 (ハイティンク/コンセルトヘボウ管)  の3枚。

 この3曲を聴いて、やっとドヴォ・チェロを聴きたくなった腹の虫がおさまったというか落ち着いた。

落ち着いたところで考えてみた。なんでドヴォルザークのチェロ協奏曲が聴きたくなったのだろう。気分

なんてものは理屈で説明できないもの、と言ってしまえば元も子もないのだが。クラシック音楽を聴いて

30年、特に季節を強く意識して聴くようになって20年の自分にしてみれば自分の思考回路というものは、

案外に見えてくるものである。

 まず「雪」である。寒里、信州松本に暮らしていると、寒いのはいつものことで慣れている。しかし日

本海側の長野と違って、「雪」は案外滅多に降らない。太平洋側の低気圧が発達して「かみ雪」を降らせ

た時か、冬型が強くなって、日本海側の雪がここまで来た時のどちらかの場合しかない。まさに昨日、今

日がそれに当たるわけだ。つまり冬の暮らしの中でも、雪は「非日常」の光景。そんな非日常の風景が触

発して、普段聴かない曲を所望したくなったのかも知れない。

 そして「雪景色」が僕の場合、チェロの音色に結びつくようだ。前にも大雪が降った翌朝、太陽に降り

積もった雪がキラキラ輝く風景を見ると、バッハの「無伴奏チェロ組曲」第3番が聴きたくなると,昨年の

「音楽歳時記」に書いた。(2006 1/28 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/24832136.html

 雪は僕にとって「非日常」の光景であり、また冬の荒涼感、人間を超えた自然のスケールを感じさせる

ものである。チェロという楽器もまた、僕にとって一番近しい存在のヴァイオリンに比べ音域が広く、

深々とした音で、弾き方によっては豪放磊落なスケール感がある。人間の声に最も近いとい

われる音色の暖かみもあり、雪寒にかじかんだ指先を暖めてくれる温もりがある。そんなところが雪とチ

ェロを結ぶ接点になるのだろうか。

 ところで前述の3曲の中で、イギリスの作曲家エルガーのチェロ協奏曲も、わが音楽歳時記では冬の

曲、特に雪景色に合う作品だと思っている。イギリスの大作曲家というのは、案外少なくて近代ではディ

ーリアスとかエルガー(1857〜1934)くらいではないか。

 イギリスというのは北欧には含まれないが、気候的には寒く、風土的には荒涼としている。したがって

イギリスの作曲家の作る音楽は、どことなくシベリウスやグリークなど北欧の作曲家の作風に近いところ

があるように思う。昨年の音楽歳時記でシベリウスは1月の作曲家、グリークは2月の作曲家と紹介した。

このエルガーもそれに近い、どちらかといえば冬のイメージの作曲家だ。(それに対し、ディーリアスは

春の到来を待つ早春の作曲家という感じだ。)

 バッハの短調の無伴奏チェロ組曲を思わせるような荘重な、そして悲痛なチェロのレチタティーヴで始

まるこのチェロ協奏曲は第1楽章や第3楽章の激しい場面など、海からの冬の季節風に吹きつけられるイギ

リス海岸。他に作物など育たぬ泥炭層からなるヒースの丘の荒涼とした風景を想像させる。

 演奏はイギリスの天才女流チェリストだったジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、わが敬愛するサー・

ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(LP:EAC-81009)

 デュ・プレは11歳でロンドン国際チェロ・コンクールで優勝、16歳でプロ・デビューした。が、28歳で

複合硬化症という難病に冒され、その後亡くなった悲劇の女性でもある。

 白鳥の歌ともいうべきこのエルガーの協奏曲は、彼女の渾身の思いが込められたかのような、激しく情

熱的な演奏だ。

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    ジャコビニ彗星の日(The Story of Giacobini's Comet)


      夜のFMからニュースを流しながら

      部屋の明かり消して 窓辺に椅子を運ぶ

      小さなオペラグラス じっとのぞいたけど

      月をすべる雲と 柿の木揺れてただけ

      '72年 10月 9日

      あなたの電話が少ないことに慣れてく

      私はひとり ぼんやり待った

      遠くよこぎる流星群


      それはただどうでもいいことだったのに

      空に近い場所へ出かけてゆきたかった

      いつか手をひかれて川原で見た花火

      夢は つかの間だと 自分にいい聞かせて

      シベリアからも見えなかったよと

      翌朝 弟が新聞ひろげ つぶやく

      淋しくなれば また来るかしら

      光る尾をひく流星群


       (「悲しいほどお天気」1979年)より(LP:TOJT-10641)(CD:TOCT-10641)


 手元のLPレコードの帯に「CD/アナログ 同時リリース」と銘打ってある。おそらくCDが発売され始めた

'84年頃以降、無くならないうちに買っておこうと求めたレコードだと思う。

 この曲、曲中に10月9日とあるから、秋の曲だと分かる。そうでなくとも、「月をすべる雲」「柿の

木」そして何となく恋の終わりの予感から来るもの哀しさから、秋の季節感を感じさせ、クラシックの

曲ではないが、この季節になると聴きたくなる曲のひとつである。


 そもそもタイトルのジャコビニ彗星というのは毎年10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見ら

れるという突発的な「季節限定」の流星群のこと。曲に歌われた1972年という年は、この星の大流星雨が

日本で見られるということでにわかにブームとなったが、なぜかその予想は外れ、外れたことがニュース

でまた取り上げられた。僕の記憶にも、学校で先生が「今日はジャコビニ彗星ってのが見られるそうだ

ぞ」と言って、夜、家で星空を見上げた憶えがある。


 72年というとユーミンが多摩美に入った年。詩に歌われた原体験が彼女にあったのかどうかは別として

ユーミンの詩は冴えに冴えている。


 「手をひかれて川原で」花火を見た夏の恋

 しかし「あなたの電話が少ないことに慣れ」

 「あなた」の気持ちが「私」から少しずつ離れはじめていることに気づいた「私」

 そんな淋しい想いをしているところに、ジャコビニ彗星の大流星雨が見られるという知らせが届く

 一生に一度見られるか見られないかといった天空の奇跡に、

 離れはじめた「あなた」の心が再び「私」に戻ってくる夢を託す

 
 しかし奇跡は起きなかった

 落胆する「私」

 「シベリアからも見えなかったよ」って励ますようにつぶやく弟

 「私」は、彗星が見えなかったことも、「あなた」が「私」から遠ざかっていくことも

 少しずつ運命としてうけ入れていこうとする ・・・

 
 
 '78年の「紅雀」「流線型'80」から '79年の「OLIVE」 '80年の「時のないホテル」「SURF&SNOW」

 '81年の「水の中のASIAへ」「昨晩お会いしましょう」'82年の「PEARL PIERCE」「REINCARNATION」

 '83年の「VOYAGER」 '84年の「NO SIDE」までのユーミンの中期傑作群(それはまた僕の青春期と重な

るのだが)の中でも、このアルバム「悲しいほどお天気」は、当時ダンナの松任谷正隆が「ユーミンの最

高傑作」と言っていたように、この曲1曲見ただけでも、あの頃のユーミンの才気のほとばしりが感じら

れる作品が詰っている。(ちなみにこのアルバムで僕が一番好きな曲は「影になって We're All Free」)




P.S. その後'88年に息子が生まれて、その日が「ジャコビニ彗星の日」10月9日だったことに気づいたの

は、それからだいぶ経ってのことでした。

 

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