クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

音楽歳時記

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3月6日(月)雨のち曇り

 今日は啓蟄(冬ごもりから虫うごめく)。暦どおりというのか、東京では強風が高温を呼び込む「春一番」とか。でも山国信州は冷たい雨が降りつけてまだまだ寒い…。

 それでも昨日、おとといの穏やかな晴天の下、久しぶりに郊外、安曇野の公共温泉に行ってみると、(初めて旧堀金村村営の「ほりで〜ゆ四季の郷」に入ったが、都会の方、この辺りではおすすめです。
 
 リーゾナブルな上に、広く開放的な露天風呂の真正面に雪の「常念」の雄姿!絶景!おまけに10匹ほどの小猿の群れの歓待まで受けてしまった。)

 ところどころ田んぼに緑の草が伸びているところもあり、また家に戻ると、庭の梅の木の枝々が初めて何となく紅っぽくなったようで、近づいて見ると、小さな芽がいつの間にかぎっしりと出ていたり…。

 「どこかで春が生まれてる どこかで芽の出る音がする

  山の三月 そよ風吹いて どこかで春が生まれてる」

 今信州はまさにこの唄のとおり。この目に見える範囲のどこか向こうで、春が生まれ、ゆっくりゆっくりとひと月以上をかけて、この地へやがてやってくる。そんな予感だけは確信できるような昨日今日である。

 そんな目には見えない、春の足音そのものを音楽にしたような曲を1曲知っている。歌曲で知られるフーゴー・ヴォルフの「イタリアン・セレナード」だ。(原曲:弦楽四重奏曲、1892年に作曲者自身により弦楽合奏用に編曲もされた。)

 まあこの曲はアレコレ言わずに、ただ聴いてみて欲しい。推進力を感じる弾むリズム。ワーグナーゆずりの半音階的旋律。夢見るような音色の弦楽器たちが「春そのもの」になりきって、こちらに向かって楽しげにスキップしてやってくる。そんな印象の短いが内容の濃い曲だ。

 私の持っているレコードはメロス四重奏団の演奏。(1969年)(米TURNABOUT TVC 37005)

 アメリカのLPのせいかアンバランスなくらい音色が生々しく、日本のレコードにはないvividな実在感のある音がする。刺激的だが、聴いてて疲れるのではと心配に思うくらいだ。

 録音はともかく弦楽四重奏版は(弦楽合奏版はまろやかになっている分だけインパクトが少し弱い気がする)一聴に値する曲だと思う。


 P.S.1  実は同じレコードに入っているブルックナー(唯一の室内楽曲)の弦楽五重奏曲。これも今の時季に合った、すこぶる名曲だ。いずれ紹介しよう。

 P.S.2  ヴォルフという作曲家その人のことを語りだすと、途端に長くなってしまう。簡潔にいえば、人生のある時期にあたかもシューマンのように、とりつかれたように膨大な数の歌曲を書き、

   そしてある日突然全く曲が書けなくなり、やがて発狂して、シューマンと同じく精神病院でその生涯を終えた。そのシューマンとの類似性については、これまたいずれ書かねばなるまい。

 P.S.3  その後たまたま買ったオルフェウス室内管弦楽団のCDに、この曲の小管弦楽のための(for Small Orchestra)編曲版の演奏が入っていた。(UCCG-9465)

 フルートやオーボエ、ホルンなどが追加されたものだが、残念ながら「最高にいきいきと」と指示された、元の弦楽四重奏版のゾクゾクするような推進力は随分薄れ、穏やかな曲想になってしまっているように感じた。

 

3月4日(土)晴れ

 2月が終わってしまった。やがて春の来ることを告げるブラームスの第1シンフォニーと、春を待つロマン派の気分ということでショパンの第2コンチェルトとグリーグを紹介しただけで終わってしまった。

 特にグリーグのヴァイオリン・ソナタ第2番については書きかけということで、2月をまとめる意味で改めて稿を起こしてみたい。

 北欧ノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグ(1843~1907)の作品といえば、組曲「ペール・ギュント」同じく組曲「ホルベアの時代から」などの管弦楽作品、そしてピアノ協奏曲イ短調がよく知られているが、

 私は、130曲を超える歌曲とおびただしい数のピアノ曲の小品こそが、数的にも質的にもグリーグという音楽家を考える上でより重要であると思う。

 「ソルヴェーグの歌」「きみを愛す」などの名曲で知られるの彼の歌曲は、彼の母方のいとこで優れたソプラノ歌手であった愛妻ニーナに捧げられ、また彼女の歌いぶりによって大いに広まったといわれる。

 (グリーグの歌曲の名盤としては、古くは共にバイロイトの大歌手として知られるキルステン・フラグスタートとビルギット・ニルセンのものが名高い。2人とも北欧出身というのが意味深い。最近のディスクではフォン・オッターかバーバラ・ボニーあたりだろうか。)

 ニーナは素晴らしい女性だったようだ。グリーグの音楽をこよなく愛し、夫妻とも面識のあったチャイコフスキーは「今までに彼女ほど博識な教養の高い婦人に出会ったことはない。彼女は夫グリーグのように愛嬌があり、温厚で、率直で、邪気がない。」と賞賛している。

 つまりグリーグの妻は、彼が若き日に学んだドイツはライプツィヒ音楽院にゆかりのある音楽家シューマンの妻クララのような、聡明で夫の創作の良き協力者だったのである。

 また「北欧のショパン」との異名をとるほどのピアノ曲作曲家としても重要なグリーグ。ピアノ曲に疎い自分ではあるが、その中でも重要かつ魅力を湛えていると思うのが「抒情小曲集」全10集66曲である。

 まずタイトルがいい。わが国江戸時代の俳人兼画家で、シューベルトばりの抒情的な句を遺した与謝蕪村の傑作句集のタイトル「純情小曲集」に偶然似ている。(蕪村については6/12 http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/4619666.htmlを参照のこと)

 私の持っている数少ないピアノ曲のレコードの1枚がこのグリーグの「抒情小曲集」だ.。20曲の抜粋盤でピアノはエミール・ギレリス(1974年)(LP: G-MG2495)。

 「アリエッタ」作品12-1、「子守唄」作品38-1、「メロディ」作品47-2、「ノルウェーの踊り」作品47-4、「家路」作品62-6、「ゆりかごの歌」作品68-5、「昔々」作品71-1、「余韻」作品71-7などの小品、佳作が多い。

 (「ノルウェーの踊り」や「ゆりかごの歌」などは管弦楽曲にも編曲されている。)

 この小品集にグリーグの魅力の全てがつめ込まれているような気がする。すべて2,3分の短い小品。だがそれらはいずれも雪解け水のような清冽さと、清々しい抒情性を湛えている。

 まるで北国の雪原の中で、遠い春の訪れを静かに待つ人々の心のように、あるいは2,3000m級の山々の上で雪と氷に閉ざされた冬の長さに耐えながら、ほんの短い春(夏)をひっそりと待つチングルマやチシマギキョウのような高山植物の花の可憐な姿のように。

 (グリーグの曲の持つ可憐さを、高山植物の花にたとえた例えは、我ながら秀逸なのでは…と思う。北アルプスの山上に咲く高山植物は、ほかでは同じく春(夏)が短いという点で北欧や北極圏に近い低地でのみ咲くのだ。)

 そんな北国で遠く春を待つ音楽のイメージということで、以前紹介したショパンとこのグリーグは季節的には「2月の作曲家」と呼んでみたい。

 ともにポーランドとノルウェーという欧州の中では、雪深い、そして極寒の地を故郷とするからこそ、春を待ち望む気持ちが人一倍強いことが音楽にも反映されているような気がしてならない。

 さてヴァイオリン・ソナタ第2番である。歌曲とピアノ曲の作曲家グリーグの遺した室内楽曲は、ピアノ五重奏曲が1つと弦楽四重奏曲が少々、そしてチェロ・ソナタが1曲とヴァイオリン・ソナタが3つと少ない。

 そのうち今日紹介するヴァイオリン・ソナタ第2番は作品番号13。有名なピアノ協奏曲イ短調作品16が彼が25歳の、ニーナとの蜜のような甘い新婚時代に作曲されたことで知られているので、その少し前、彼の作品としては比較的初期の若い頃の作品ということになる。

 他の2曲のソナタと比べると、ノルウェーの地方舞曲や民謡を主題に選んだ旋律で「舞踏ソナタ」の愛称もあるという。

 いずれにせよ、控えめ、慎ましやかな抒情が持ち味のグリーグにしては、珍しく内に秘めた情熱、情念をはっきりと顕わにした極めて印象的な作品である。

 第1楽章。ピアノの控えめな物憂げな伴奏に導かれて、冒頭からヴァイオリンが秘めた想い、秘めたる情熱をぶつけるかのような激しい感情表現を見せる。こんなに激したグリーグの音楽は聴いたことがない。

 レコードで聴くシトコヴェツキーのヴァイオリンは、聴く者の胸を鋭くえぐるような、極めて実在感、緊張感のある音色だ。(ドミトリー・シトコヴェツキーのVn、ベラ・ダヴィドヴィッチのPf(1982年)(LP: ORFEO S 047831-A))

 そして短調ながら人なつこい、懐かしさを呼ぶ民謡調の第1主題が出る。小刻みに震え、揺れるヴァイオリンの音。それを静かに支え、奥ゆかしく合いの手を入れるピアノ。

 人なつかしさがグリーグの作品にしては珍しく、一種のバタくささに感じられる感もあるが、あくまで素朴で、しばらく聴いていると、耐えて春を待ち、一瞬の春(夏)に命を懸ける可憐な高山植物のような音楽にやはり聴こえてくる。

 第2楽章。やはり短調の緩徐楽章。一度聴いたら忘れられない、人なつこく哀愁の漂う付点音符の民謡調旋律がピアノに出る。主旋律がヴァイオリンに移ると、一層粘っこく、えぐるような泣き節になる。

 中間部はさすがに長調に転じ、グリーグ本来のつつましく、けなげな抒情性を持った明るい曲想に変わる。微かな陽光のような、または慎ましい幸せを音楽にしたような。

 もう一度短調の主題が戻り、繰り返されて楽章は閉じられる。

 第3楽章。弾むような付点リズムのピアノの伴奏に乗って、ヴァイオリンがノルウェーの踊りのような快活な長調のテーマを弾き、ラストは後年のR・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタに酷似したドラマティックな終わり方で曲を閉じる。

 全曲を通じてノルウェー舞曲風の付点リズムが印象的な、躍動感、そして生命感に満ちた、すこぶる実在的な、抒情詩人としての作曲家グリーグの存在証明のような曲である。

 演奏は先ほどのシトコヴェツキーのVnを紹介する。彼はバッハのゴルトベルク変奏曲を室内楽用や弦楽オーケストラ用に編曲するなど(7/29のhttp://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/8070987.html参照)、実在感のあるVnの音色とともに、その意欲的な活動に期待しているヴァイオリニストの一人だ。

 CDではオーギュスタン・デュメイのVn、マリア・ジョアン・ピリスのPf。1993年録音の演奏を聴いています。(UCCG-4227)

2月28日(火)雨

 この週末、あわただしく出発したイタリア旅行から帰ってきた。

 そもそもこの旅行、職場の同僚が3年間の担任を終え、生徒は自宅研修で卒業式を待つばかりの2月。4月からは中学の勤務に戻ることが決まっていて、(そうです、職場はHigh Schoolなのでした!)

 彼の奥様の「あなた、中学に戻ったらもうこんな優雅な時間はないわよ。今のうちに海外旅行でもしたら?」と山内一豊のお内儀のような涙の出るような言葉がきっかけ。

 格安pack tourを探したところ、台湾がいつの間にかイタリアということになり、一人では心細いということで、私もお相伴に与る(同行する)ことになった次第。

 職場の皆様のご理解とご協力で実現した、とにかく急転直下の話でした。

 さて型どおり、ミラノ、ヴェローナ、ヴェネツィア、フィレンツェ、アッシジ、ローマと駆け足で駆け抜けたのですが、まずお天気は地理の教科書の通り(イタリアに代表される地中海性気候は夏暑いが乾燥していて、冬は比較的暖かいが雨が多い)冬の雨、また雨。

 唯一雨でなかったのはヴェネツィアだけ。だから一番印象深いのは「水の都」ヴェニス。海の向こうに、まるで蜃気楼のように揺らめき立つ、おそらく世界で二つとないuniqueな街。

 プラトーから船に乗って、ヴェネツィアに近づく時、期せずしてあの(ミラノの貴族出身の)ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」の冒頭、朝靄の中をマーラーのアダージェットとともに船が現れるシーンが目に浮かんだ。

 いつか再訪して、あのリド島の海辺で、あの美少年タジオの面影を求める日々を過ごせたら・・・などと現実味のない夢想に耽った。

 (なお余談だが「ベニスに死す」のトーマス・マンの原作では主人公アッシェンバッハは美術史か何かの教授という設定になっていたのを、ヴィスコンティは真のモデル、グスタフ・マーラーを思わせる音楽家(指揮者)に代えた脚色はさすがだ。

 それでこそ、最後に死化粧したアッシェンバッハがタジオを求めながら海岸で死んでゆくラストシーンが生きる。アッシェンバッハにとってのタジオは音楽家マーラーにとってのモーツァルトなのだ。

 マーラーが死の床で最後に言った言葉は「モーツァルト・・・」だったという。この世では求めても得られない美そのもの。)

 期待していたフィレンツェとローマでの自由行動日は、ひたすら雨。しかしウフィッツィ美術館、アカデミア美術館、ヴァティカン博物館、コロッセウム、フォロ・ロマーノと雨の中を歩いて、

 世界史の教科書に出てくる古代ローマとルネッサンスの絵画や遺跡は、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会にあるダ・ヴィンチの「最後の晩餐」以外は、殆どこの目で見ることができたのが、何よりの収穫でした。

 ボッティチェルリ「春」「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロ「最後の審判」「アダムの創造」「ダヴィデ像」「ピエタ像」、ラファエロ「アテネの学堂」…。

 (期待以上だったのが、フィリッポ・リッピの「聖母子と天使」ジョットーの「小鳥への説教」と同じくフランチェスコ教会の「夕陽のマリア」。)

 とにかく、今まで「見てきたような嘘」を授業で喋っていたのが、これからは多少は「見てきた本物」の話ができるということになります。

 またミラノでは思いがけずスカラ座の内部の客席をガラス越しではなく、生で見渡すことができたのも感激もの。ちょうどオーケストラが練習の音出しをしているところを…。

 それも含めて、これからは「等身大のイタリア、等身大の西洋文化」を語ることができるように思う。過度に誇張(崇拝)もせず、またいたずらに過小評価もせず。

 簡単に書くつもりが、日付が変わってしまいました。

 これからの「クラシック歳時記」の中で、また触れることもあると思うので、今日はこの辺にしておきます。

 おやすみなさい。zzzzz…。
 

 P.S. でも正直に告白しよう。はるばる東洋からやって来て、自分にとってのルネッサンスの象徴であるボッティチェルリの「ヴィーナス」の前で、僕はさめざめと泣けてしまった…。

 

 

 

 
 
 

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2月17日(金)

 季節の変わり目だ。冬の雨の日がつづく。冬の雨の日というと、昔南信(長野県南部)の伊那谷の集合住宅に住んでいた頃を思い出す。

 オーディオ・ルームにしていた北側のフローリングの部屋で、周囲の田んぼの風景を窓越しに見ながら、石油ストーヴの上に乗せたやかんがシューシュー音を立てるのを聞きながら、「メサイア」「魔笛」ブルックナーの3番「ワーグナー」などをよく聴いていたっけ。

 逆にこれらの曲を今かけるとその頃の窓越しの風景や、やかんから出るところの湿り気を皮膚感覚で思い出してしまう。変なものだ。

 冬から春へのこの時季は、ある意味春以上にロマン派の音楽が聴きたくなると前回書いた。シューベルトの「冬の旅」「死と乙女」交響曲第2番、第8(9)番「グレイト」、シューマンのピアノ協奏曲、交響曲第4番、同じく第2番、そしてグリーグの音楽。


 と、ここまで書いたところで時間が来てしまいました。急ですが、これから職場の同僚とイタリアへ行ってきます。ウフィッツィ美術館とヴァチカン美術館をメインに見てくるつもりです。

 このブログの続きは1週間後に完成させたいと思います。それでは行って参ります。Ciao!

2月12日(日)曇りのち晴れ

 昨夜、昼は随分春めいてきたとブログに書いている頃、外では静かに雪が降り積もっていたらしい。

 朝起きると、うっすらではあるが一面の雪景色だった。外に出てみると、空はどんよりと曇り風は冷たく、まさに「春は名のみの風の寒さや…」の風景だった。

 立春の頃、春めいたとはいえ、信州ではここから桜が咲き、百花繚乱の本格的な春の到来までが長い。ざっと2ヶ月はある。

 この時期、春を待つ心はロマン派の音楽に親しみを感じる。4月にシューベルト、5月にシューマンなど、春の音楽として紹介してきたが、実はこの2月、3月こそロマン派音楽を本当に楽しむ時期なのかもしれない。

 なぜならロマンティシズムとは「心ここに在らず」ということ。目の前の現実の世界に飽き足らず、どこか遠くの理想に憧れ、恋焦がれる気持ち。

 であるならば、今時分の残寒の中で春を待つ心情に訴えてくるのは、ロマン派の音楽ということになろう。

 そのトップバッターはショパンのピアノ協奏曲第2番。北国ポーランド出身のショパンの響きは、やるせないほどの春への憧れ、初恋の痛みが疼くような青春の香りに満ちたロマンティックな作品である。

 この曲がショパン初恋の女(ひと)コンスタンティア・グラドコフスカヤへのプラトニックな恋愛表現であったことはよく知られている。

 当時ショパンは19歳。同じワルシャワ音楽院に学ぶ同級生で、「まばゆいほど美しく、すばらしい声」を持った声楽科の学生が彼女だった。

 1829年10月ショパンは友人ティトゥス宛に手紙を書く。

 「実は僕には理想とする女性がいるのだ。これは僕の不幸の原因かも知れないが、まだ1度も彼女とは話したことがないのにもかかわらず、もう6ヶ月も僕は彼女に心を捧げてきた。僕は彼女のことを夢に見て、ただひたすらそのひとへの想いで協奏曲のアダージョを書いたのだ。」

 この協奏曲こそ、これから聴く2番のコンチェルトである。(有名な第1番はこの1年後20歳の時に作曲されたものだが、出版の時期が逆になり、より若書きの作品が2番と名づけられてしまっている。)

 より技巧を凝らし、規模も大きくなった1番よりも、初々しい情感により満ちた2番の方を私は好んで聴いている。(1番はちょっと大仰で何か歌謡曲的、演歌的で、聴いてて都はるみの「北の宿から」を連想してしまうのは私だけでしょうか。)

 第1楽章 マエストーソ ヘ短調。冒頭のオーケストラの前奏がたまらなく好きだ。最初の1音ですでにショパンの世界が立ち現れている。初恋の痛みに疼くような、胸締めつけられるような、オーケストラの音自体が夢見ているようだ。

 ショパンという人は何と繊細かつ鋭敏な神経の持ち主なのだろう。1番ほどではないが、オーケストラの泣き節が心をえぐる。人を想って書かれた曲なのに、ショパン後年の望郷の念を思わずにはいられない。

 第2楽章 ラルゲット 変イ長調の緩徐楽章。オーケストラを伴って、ピアノが甘く華麗にノクターン(夜想曲)風の主題を歌っていく。コンスタンツィアへの切々たる思慕の情を、甘く切なく掬いとった曲想。

 今まさに始まろうとしているオリンピック、フィギュア・スケートの中間部、スロー・テンポでスパイラルを決めるあたりの曲に使うとぴったりだと思うのですが…。

 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ ヘ短調 4分の3拍子。ピアノが奏でる第1主題はまさしくポーランドの民謡マズルカのリズム。これが初演以来聴衆に人気だったという。

 経過部、中間部、再現部ときて、ホルンの高らかな合図で曲はヘ長調の絢爛たるコーダに入っていく。

 演奏はクリスティアン・ツィマーマン(ジメルマン)のピアノ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンゼルス・フィルの1979年の録音のもの。(LP: 28MG0008)

 ツィマーマンは弱冠19歳で1975年のショパン・コンクールに優勝、しかも久々の地元ポーランド出身ということで話題をまいた。

 この頃は、僕はしかし2位になったソ連(懐かしい響き!)のディーナ・ヨッフェのファンだったので、ツィマーマンの印象は薄かったのだが、その後の大家への成長ぶりはご存知のとおりである。

 このレコードでもピアノの音が美しく、タッチにシャープな切れ味を感じる。特に第1楽章でピアノが出す最初の1音の何というシャープな響き!たった1音で恋する者の心に、恋の苦しみが突き刺さるようだ。

 また伴奏のジュリーニの指揮するオーケストラも流麗に、馥郁たる青春の香りを漂わす名演だと思う。

 日本のDGのレコードの中では珍しく音がとても良いのも嬉しい。
 

 

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