クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

音楽歳時記

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12月30日(金)快晴

 ここ2、3日穏やかな天気が続いている。快晴の空に、雪で真っ白になった常念をはじめとする北アルプスの峰々がまぶしい。

 こんな穏やかな12月の日の夕方、あの至福の時はやって来る。

       蒼空(おほぞら)は蜜かたむけてゐたりけり時こそは 我が静けき伴侶

                                             岡野 隆(1982年)

 この歌のように、初冬の暮れかかる西の空が、信じられないくらい美しく蜜を垂らしたように琥珀色に輝く一瞬を何度か目撃したことがあるように思う。

 一度は年末東京から帰省した折りの「あずさ」の車中から。ちょうど列車が中央線の信濃境から富士見駅にかかり、地形がフォッサマグナに沿って段丘のようになって、諏訪湖のある諏訪盆地の西の空が大きく開けて見えた時。

 もう一度は、東京から今度は「あさま」で信越線(現しなの鉄道)を下る途中、小諸を過ぎたあたりの千曲川の河岸段丘で大きく開けた西の空間に、太陽がゆっくりと沈み、そしてやがて訪れた濃密な時間。

 昨日今日見える西の空には北アルプスが聳えているのだから、その時のような大空間はないのだが、峰々の上の西の空が、やはり一瞬ねっとりと蜜を練り込んだような琥珀色に輝いた。

 他の季節では味わえない、肌を刺す寒さの中だからこそ感じる恍惚の、そして官能の瞬間だ。

 こんな風景に似つかわしい音楽といったら、思いっきり爛熟した後期ロマン派の曲、例えばリヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」の第3曲と第4曲、「眠りにつこうとして」(ヘッセ詩)と「夕映えの中で」(アイヒェンドルフ詩)くらいしかないだろうと常々思っていた。

 が今年になってそんな曲にもうひとつ出会った。それがコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲だ。

 今年はこの曲の再評価が始まった年ということになるのだろうか。まずアンネ・ゾフィー・ムッターのVn/アンドレ・プレヴィン夫妻のCDが出た。

 その後N響定期でレオニダス・カヴァコス(ギリシャっぽい名前だね)のVn/ジャナンドレア・ノセダの指揮で演奏され、しばらくしてFMでも昨年のウィーン・フィル定期の小澤征爾が振った演奏(ソロは確かベンヤミン・シュミット?)が流されるなど、今年前半たびたび耳にした。

 そして今日やはりFMで初演者ハイフェッツによる演奏(アルフレッド・ウォーレンスタイン指揮ロサンゼルス・フィル)がオンエアーされた。

   エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897〜1957)

  幼くして神童作曲家としてウィーンの楽壇に華々しくデビュー。10歳になるかならぬかで早くもオペラやカンタータを発表し「モーツァルトの再来」とまで言われ、マーラーやリヒャルト・シュトラウスらを震撼させたという。代表作オペラ「死の都」作品12を書き、オペラ作曲家としての名声を不動のものにしたのは弱冠22歳の時である。

 しかし1938年ナチス・ドイツがオーストリアを併合。「退廃音楽」のレッテルを貼られアメリカに亡命。今度はハリウッドの映画音楽の作曲家として成功する。

 しかし望郷の思い止みがたく、第2次大戦後ヴァイオリン協奏曲、交響曲嬰ヘ調作品40などの純音楽の作品を携えて、ウィーンに帰国したが、十二音技法からセリエリスムへと既に移行していた前衛派が牛耳る当時のウィーン楽壇に、後期ロマン派のような厚ぼったい音楽が受け入れられるはずもなく、アメリカに戻り失意の晩年を過ごしたという。

 その後も長らく彼の作品は、時代錯誤の「超ロマン主義音楽」、「生温いムード音楽」として軽視されてきた。

 しかし彼の死後50年、その時代の潮流と合わなかったがために評価されなかった不幸な時期を過ぎ、ようやく作品そのものが再評価される時が来たのではないか。

  確かに曲冒頭や第2楽章の甘美な旋律を聴いて、「甘ったるーい砂糖菓子」みたいな曲という批判の声もあると思う。

 批判は甘んじて受けよう。でもマーラーの5番のアダージェットだって、バーバーのアダージョだって、最初はそういう非難を浴びていたのではないだろうか。それに抗して採り上げられる数が増えることによって、だんだんクラシックの名曲として認知されていったのではないだろうか。

 今年はさきがけの年、来年以降、世界中でもっともっと演奏されるようになっていくのではというのが私の予想です。

 さて演奏ですが、上記4つ聴いたうちCD演奏なのはムッターとハイフェッツ。

 Mutter(Deutsche Grammophon 00289 474 5152) Heifetz(BMG BVCC-37113)

 エアチェックした2つを含めての演奏比較、好みでいうとこうなる。

       カヴァコス > ハイフェッツ > ムッター > シュミット

 レオニダス・カヴァコス/ジャナンドレア・ノセダ/N響が断然良かった。カヴァコスのこの曲への想い入れの強さを聴いていて感じた。

 ただCDが出ていないので、そうなるとハイフェッツということになる。いつもの彼のように駆け抜けるような速さであっさりと弾いているようだが、そこは初演者。曲のツボを心得ていて少しも物足りないという感じがしない。

 今気がついたのだが、最初に挙げたリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」が書かれたのが彼の死の前年の1948年。そしてコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲が1945年とほぼ同じ頃に書かれている。

 どちらも2つの大戦という狂気の時代を経た20世紀の真ん中に、前世紀末のウィーンに爛熟した後期ロマン派の息吹きを伝える最後の作品として世に出た。

 一方は祖国に踏みとどまり、戦争にもみくちゃにされた巨匠の最後の作品として。

 今一方は心ならずも祖国を離れ、アメリカで数多くの映画音楽につけた自分の創作活動の集大成として。(実際この協奏曲には、それまで映画音楽に使った旋律が数多く散りばめられている。)そしてそれは受け入れられなかった。

 そこに至る過程は違っても、どちらの曲にも「諦念」という同じ澄み切った境地が底辺に横たわっているような気がしてならない。


 (R.シュトラウス「四つの最後の歌」  エリザベート・シュワルツコップ ジョージ・セル/ベルリン放送交響楽団)



 
 *今年1年、このクラシック歳時記にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
  年が明けても、また冬から春に向けての季節と音楽の話題を綴っていこうと思います。
  ひき続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。どうぞ良い年をお迎えください。

 


 

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12月22日(木)曇り

 大寒並みの寒さが止まらない。明日また寒波到来だという。早くも北側にある駐車場の屋根からは、かなりの長さのつららが垂れ下がっている。(えぇ、もう?)

 昨日から自分の身体に異変が。足の先が室内にいても痛い。寒さが度を超えると痛みになるのは毎年あるが、もう?そして何となく指の先が痛いなと思ったら、ひび割れ!こんなこと初めて!奥さんからイオン・クリームをもらって、指先に擦り込みサビオを貼って。しかし先が思いやられるなぁ。

 だがそうこう言っているうちに、今日はもう冬至(冬、至る)だ。和歌で冬至の歌というのはあまり聞いたことがない。漢詩では唐の白楽天に「邯鄲(かんたん)にて冬至の夜に家を思う」という詩がある。

        邯鄲の駅裏 冬至に逢う
        膝を抱いて燈前 影 身に伴う
        想い得たり 家中夜深く座して
        還た応に遠行の人を説著するなるべきを

       (旅先でひとり侘しく冬至を迎える
        膝を抱えて座る己れの影が壁に映っている
        故郷の家では家族たちが夜更けに
        ひとり旅に出ている私のことを話しているだろう)

 古代の人は秋の冴え月を見ても(李白)、冬の寒ささえも、皆望郷の思いにつながるようだ。現代人よりも家族への思い、家族との絆はずっと強かったに違いない。

 (と、ここまで書いて気がついたが)あまり冬至とは関係ないのだが、12月ということで前々回に引き続きチャイコフスキーの初期交響曲を取り上げたい。

 チャイコフスキーは殆ど交響詩といっていい「マンフレッド」交響曲を除いて、6曲の交響曲を残している。が、一般的な評価と人気は圧倒的に後期の3曲、すなわち第4番ヘ短調、第5番ホ短調、第6番ロ短調「悲愴」に集中している。

 勿論それらがクラシック音楽全体の中でも屈指の名曲であることは間違いない。しかしその影に隠れてしまった感のある初期の3つの交響曲ももっともっと評価されてよい作品ではないだろうか。

 なぜ人気と知名度の点で、両者の間にはこんなに差がついてしまったのだろうか。

 それは思うに後半の4番、5番、6番が(もちろん例えば冬の荒涼としたロシアの大地を想像させるような、いかにもロシアの作曲家が作った作品と感じさせる特徴は持っているのだが)、単なるロシアの音楽という枠を超えた抽象的な、普遍的なテーマを内包した作品だからだろう。

 音楽に思想を持ち込んだ嚆矢は、やはりベートーヴェンの“運命”だろう。第九も含めて「苦難を乗り越えて歓喜に至れ」というメッセージを我々は彼の音楽から感じる。(または感じさせられることになっている。)

 このベートーヴェンの思想を一番受け継いだのが、実はロシアのチャイコフスキーではないだろうか。

 4番にしても5番にしても標題こそないものの、彼の作曲中に遺したメモや例のフォン・メック夫人に宛てた手紙の中には、しきりに「人生」や「運命」という言葉が出てくる。

そして4番も5番も曲の冒頭に現れるテーマが「運命の主題」となって、各楽章に何度も顔を出す書法がとられている。まるでフランクの循環形式やワーグナーの動機主題(ライト・モティーフ)のように。

 また6番は「悲愴」という標題から窺えるように、(彼の病的なほどの内気、繊細、神経質で憂鬱だった性格や恵まれなかった家庭生活といった個人的な問題というよりも)当時の帝政ロシア末期の鉛のように重苦しい世相や、その中でどん底の生活にのたうちまわる民衆の絶望感や悲惨な社会状況を表現している。

 (考えてみればベートーヴェンの第九もある意味、作曲当時の社会的状況が作品に色濃く反映されている。第九作曲当時(1824年)のヨーロッパには、ウィーン会議以降の保守・反動的な嵐が吹き荒れ、時代はフランス革命以前の状態に逆戻りし、「自由」という言葉ですら口に出すことはできなかった。

 で、ベートーヴェンはこの曲で本当は歓喜(Freude)ではなく、「自由(Freiheit)に寄す」と歌いたかったという説がある。(1989年ベルリンの壁崩壊の年のクリスマスに、東西ドイツ合同の第九演奏会をバーンスタインが指揮した時にFeudeをFreiheitに言い換えて歌われた。(DG F25G 29131))

 話をチャイコフスキーに戻すと、彼は後期3大交響曲で人生や人間の運命に対する自己の闘争する姿を描いた。それによりこれら3作はロシアの風土を描写した客観的作品ではなく、極めて個人的主情に基づく主観的なメッセージの込められたものだ。

 それがかえってロシア音楽という枠を超えた、(ベートーヴェンの第九のような)世界中の人の心に共感を呼ぶ普遍的な芸術になりえたといえるのではないか。

 交響曲第3番作曲が1875年、4番の作曲が1878年。この間に何があったかといえば、77年の女弟子のミリューコヴァとの結婚とその失敗による自殺未遂という、彼の人生における大きな挫折。これ以外にまず考えられない。

 そして前にも書いた弟に付き添われてのスイス、イタリアでの転地療養の旅を続けることによって、彼はようやく精神の安定を取り戻し、何より再び創作意欲を高めたのだ。

 「私にはやらなければならない仕事が山ほどある。(中略)私は断じてそれをやりとげる。」

 「この交響曲(4番)を書いていた冬の間じゅう、私はひどくふさいでいたが、この曲は当時私が経験していたことを忠実に反映するものだ。まさしく反映するものだ。」

 当時の彼が書いたメモやフォン・メック夫人に宛てた手紙には、このような記述がたくさんある。

 不幸な結婚生活も彼にとっては「芸の肥やし」。彼はそれを乗り越え、芸術家として一段と高い境地に達したといえよう。

 で、ここではそうなる前の初期交響曲の話をしたい。

 4番以降はここで私が細かい曲紹介をする必要もないほど著名な交響曲だからということもあるが、それら後期名作とはまた違った魅力を初期(前期?)交響曲が持っているからなのだ。

 今まで4番以降の曲について語ったことの反対のことが、3番以前については言える。

 つまり初期の3曲はロシア国民楽派の作品に近く、素朴でやや単純な民族的表現が中心となった客観的な作品。ロシアの大自然やスラヴの風俗、風土を忠実に描写したものだ。

 だから普遍ではなく、特殊。だからこそ余計にロシアの荒涼とした厳しい大地と冬の風景が、直截に素直に想像できる冬の季節音楽と成り得るのだ。

 後期作品ほどの重厚さもなく、オーケストレーションも成熟していない。しかしその分、各楽章に次々と出てくるロシア的な旋律の数々を単純に楽しむこともできると思う。

 今日紹介する交響曲第2番は「小ロシア」という副題がついている。小ロシアとは現在のウクライナ共和国。確か映画「ひまわり」の舞台になった場所。

 (余談だがソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の「ひまわり」は私の見た映画の中で今でもベスト1だ。2位だと思うのが高校時代に見た「ドクトル・ジバゴ」。どうもソ連というか、ロシア物に弱いらしい。)

 チャイコフスキーはこの国のドニエプル河支流に臨むカメンカという街で、この曲を作曲したという。

 彼はウクライナという土地を愛し、この曲にはいずれの楽章にもウクライナ地方の民謡や民族的なリズムが巧みに用いられている。

 第1楽章 アンダンテ・ソステヌートの序奏、アレグロ・ヴィーヴォの主部 ハ短調

 序奏は暗くメランコリックなホルンの主題で始まるが、これはロシア民謡「母なるヴォルガを下りて」をウクライナ風に変形させたもの。

 主部はソナタ形式。第1主題は活発、リズミカルで力強い。ズン、ズンと思わず力が入るようなリズムを刻むような箇所もあり、人によっては粗野と感じるかも知れない。

 それに対しクラリネットで始まる第2主題は序奏主題をもとにしており、この序奏のメロディーは展開部、またコーダでも現れ、最後はファゴットにより静かに楽章を閉じる。

 第2楽章 アンダンティーノ・マルキアーレ・クアジ・モデラート 変ホ長調。行進曲形式。

 この楽章は29歳(1869年)の時作ったオペラ「ウンディーナ」の中の結婚行進曲の旋律をそのまま転用したものである。

 ティンパニーの軽快なリズムに始まり、クラリネットによって奏される、乗りのいい楽しげなマーチの主題。これがフルートなど様々な楽器に受け継がれ、曲は徐々に高揚していく。

 中間部 トリオは「紡げ、私の紡ぎ女よ」というややメランコリックな歌の旋律をそのまま用いたもので、木管楽器の合奏で奏される。

 コーダは静かに、足音が遠ざかるようにティンパニーのリズムが小さくなって終わる。

 第3楽章 スケルツォ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ 変ホ長調 三部形式。

 先輩「ロシア五人組」のボロディンの作風を模倣したようなスケルツォ。曲の感じはディズニーの映画に使われた有名なデュカスの「魔法使いの弟子」に似た舞踏曲といったら想像してもらえるだろうか。

 曲は常に木管楽器によって特徴的に奏され、極めて色彩的に発展していくが、中でもフルートの跳躍的な装飾音が耳に残る。

 前から多言しているが、チャイコフスキーの曲ではフルートという楽器が一番目立つ(ように私には思える)。

 第4楽章 フィナーレ モデラート・アッサイの序奏とアレグロ・ヴィーヴォの主部からなる ハ長調 ロンド・ソナタ形式。

 フル・オーケストラによる、まるでムソルグスキーの「展覧会の絵」のキエフの大門を思わせる、堂々とした序奏で始まる。
 
 主部に入ると一転して対照的な愛くるしい(何といったらいいか、可愛い赤ちゃんのほっぺを突っついた時のような?)「鶴」というウクライナの民謡の旋律がそのままヴァイオリンに出る。

 このたった4小節の主題が形を変え、品を変え、実に百回以上反復されるシャコンヌの形式をとって、曲は壮大に発展していく。

 ということは言い方を変えれば、あのハンスリックが「安酒の匂い」と嫌悪したスラヴ的な祝祭の音楽。ブンチャカ、ブンチャカのお祭り騒ぎの、人によってはお下品、お下劣と感じるやも知れぬ熱狂と興奮の音楽(実はこれが次の4番のフィナーレを予告している)になっている。

 何しろ金管が咆哮し、大太鼓が連打する。あげくの果てに最後にはオリエンタルな響きの大ドラがジャーン!まるで中国の皇帝がお出ましになるようだ。(ロシアもシベリアでアジアと繋がっているんだ!?)

 一呼吸おいて、もう一度、曲は熱狂の頂点に向かって突き進み、最後打楽器の乱れ打ちの中、大円団を迎える。曲全体のピークがこのフィナーレの最後に来ているので、単純な楽想にもかかわらず、聴き終えると何ともいえぬ爽快感とカタルシスが得られる。
 
 演奏は1番でも紹介したムーティ指揮フィル・ハーモニア管弦楽団(1978年)(LP:英EMI ASD3488)

 1番と全く同じことがいえる。スピーディで爽快で、かつナイーブなきめ細やかさもある。そして終楽章の盛り上がりも上滑りせず、たっぷりとした重みがある。

 1番同様、ロンドンのキングスウェイ・ホールでの録音で、ホールの残響もほど良く、大変まとまりある音に仕上がっている(と思う)。

 

 

 
 
 
 


 

 12月18日(日)雪のち曇り

 このところの寒波襲来ですっかり寒くなり、家に帰ると鍋物が食べたくなる。牡蠣であれ鱈であれ、鍋物となると一杯やりたくなるものだ。

 アルコールにあまり強くない私はビールかせいぜいワインだが、うちの奥さんは私が先月沖縄でお土産に買ってきた「島唄」という泡盛のオン・ザ・ロックがお気に入り。

 「島唄」は琉球泡盛ではポピュラーな銘柄で口当たりもライトだが、一応3年以上寝かせた古酒(クース)だそうだ。

 説明書きを読んで泡盛ってタイ米で作るって初めて知ったし、15世紀にタイから伝わった日本最古の蒸留酒だということも知らなかった。

 蒸留酒はアルコール度が高い。泡盛は25度だそうだ。この時季アルコール度が強いお酒といえば、何といってもロシアのウォッカだろう。そのアルコール度は40〜60%という。

 前回も触れた映画「ドクトルジバゴ」の最初の方で、冬の酒場でロシアの男たちが立ったまま酒をあおるシーンが忘れられない。

 男たちの身体からもうもうと立ち上る湯気が、屋外の寒さを彷彿とさせる。彼らが飲んでいた酒はウォッカに違いない。 

 アルコール度の強いお酒で身体の中を無理やり熱くさせて、外の寒さを忘れる。ロシアの冬には欠かせない必需品だろう。

 さてこの寒い時季、「ウォッカのように身体の内側からカーッと熱くしてくれるような曲」といえば、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ではないだろうか。

 ウィーンでの初演時に、毒舌家で知られる批評家のハンスリックはこの曲を「安酒の匂い」のする曲だと酷評したといわれる。「聴くと匂いを発する」音楽だという。

 それはその通りだろうと思う。彼はこき下ろすつもりでそう言ったのだろうが、それはある意味、この曲への最大の褒め言葉ともいえる。

 ロシアの民族臭ふんぷんたる音楽であり、冬の外の寒さを忘れさせてくれるほどの熱狂と興奮を聴く人に与えてくれる華やかな音楽だ。

 (ハンスリックのこの曲への嫌悪は、その翌年にはドイツ・オーストリアの汎ゲルマン主義を中心としたイタリアとの三国同盟が成立したという歴史的背景から、汎スラヴ主義への対抗意識、スラヴ的なものへの嫌悪という時代的なものといえなくもないだろう。)

 この協奏曲を書いたのはチャイコフスキー38歳の1878年。音楽院の弟子の一人、アントニーナ・ミリューコヴァに求婚され、同情から始めた結婚生活に失敗。

 強度の神経衰弱から自殺未遂を起こした後、弟に付き添われてスイス、イタリアに転地療養に出た。

 スイスの澄み切った空気、イタリアの紺碧の海と空は彼にとって最良の薬だった。彼は見る見る元気を回復し、交響曲第4番、オペラ「エフゲニー・オネーギン」という彼の作曲家人生の中で、重要な位置を占める傑作を書き上げた。

  彼は「オネーギン」を書き上げた勢いで、スイスのレマン湖畔、モントルーの隣町クラランでこの協奏曲を書き始め、1ヶ月足らずというスピードで完成させてしまった。

 彼はすぐさまロシアに帰り、レオポルド・アウアーにこの曲を献呈し、初演をしてもらおうとしたが、この当時のペテルブルク音楽界の大ヴァイオリニストに「演奏不可能」という烙印を押され、3年の間陽の目を見なかったという話は有名だ。

 ようやく3年後親友のブロツキーがソリストになってウィーンで初演されたが、その時の批評家たちの酷評は前述した通りである。

 落胆するチャイコフスキー(彼は初演に弱い作曲家だった。ピアノ協奏曲第1番、白鳥の湖、悲愴交響曲、ことごとく散々なデヴューだった)を励ましたのがブロツキー。

 彼が酷評にめげず各地で弾きまくったことで、次第に評価を受けるようになった。そこでこの曲はブロツキーに捧げられている。

 第1楽章 ニ長調。アレグロ・モデラートの序奏。私はこの序奏が大好きだ。(ショパンのピアノ協奏曲第2番の序奏と並んで)

 穏やかで幸福感に包まれ、遠く憧れにも満ちた短いフレーズをたった二回繰り返すだけの序奏。私には冬の夜明け。空は快晴。放射冷却でキーンという音がするように、一段と冷気があたりを包んでいる情景が目に浮かぶ。

 オーケストラが次第に高潮する中、独奏ヴァイオリンが滑り込むように、カデンツァ風に第1主題を弾き始める。この独奏楽器が入るまでの時間の長さがちょうどいい。

 (世に三大協奏曲といわれるうち、ベートーヴェンとブラームスのVn協奏曲はややもったいぶったようにここが長い。逆にメンデルスゾーンのはいきなりで短すぎるように思う。)

 人懐っこく、一度聴いたら忘れられない印象的な第1主題。よりロシア民謡的な第2主題。何度かの交代を経て、曲はだんだんと高揚していき、この楽章のクライマックスへ。

 オーケストラによる第1主題の全奏が二度。ここで気分が高揚し、胸熱くならぬ人はいないだろう。

 その後ヴァイオリンのカデンツァが続き、それが終わるとフッと我に帰ったようにクラリネットに最初の主題が出る。ポッと明かりが付いたようなこの辺のチャイコフスキーの楽器の用い方、とりわけ木管楽器の使い方は絶妙だ。

 そして激しい終結部で幕を閉じる。

 第2楽章「カンツォネッタ」(小さな歌)ト短調。アンダンテ。緩徐楽章。

 木管のよる重い響きの序奏に続き、弱音器をつけたヴァイオリンが物悲しい、うらぶれたテーマを弾く。極めてスラヴ的、ロシア的な旋律だ。

 中間部で晴朗な第2主題も出るが、より印象的なのは再現部でヴァイオリンに第1主題が戻った時のフルート、クラリネットでの味付け。

 前回も書いたがチャイコフスキーのオーケストラの妙の一つの特徴は、フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴットといった木管楽器の使い方のうまさにあると思う。弦の奏でる旋律へのそれら木管の絡みがたまらない。

 曲はそのまま第3楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ ニ長調 ロンド・ソナタ形式のフィナーレへ。

 短い短調の序奏の後、威勢のよい浮き立つような明るさを持ったロンド主題が出る。粘っこい副次主題も合わせ、この楽章はロシアの民族舞曲トレパークが使われ、極めて民族色豊かで、皮肉屋ハンスリックのいう「安酒の匂い」紛々たる酔っ払いの音楽といえないこともない。

 終わりに近づくにつれ、音楽はますます白熱し、オーケストラと独奏ヴァイオリンが渾然一体となって熱狂のスピードのうちに幕を閉じる。

 演奏はヘンリック・シェリングのヴァイオリン、ベルナルド・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を一番聴いている。(LP:PHILIPS X-7762)

 以前ブラームスのVn協奏曲でも触れたことだが、1970年代中葉のシェリングの演奏、録音は本当に素晴らしい。

 私は4大バイオリン協奏曲をいずれもシェリングで聴いている(ベートーヴェンとブラームスが73年、そしてこのチャイコフスキーとメンデルスゾーンが76年の録音)が、どれも素晴らしい。

 中でもこのチャイコフスキーのコンチェルトは彼の最高の美音が聴ける。彼はストラディバリウスとガルネリ・デル・ジェスの2台を使い分けていると以前gloria_tibiさんからお聞きしましたが、この時はどちらだったのか。

 同じ時期でも他のレコードと比べ、チャイコだけは明らかに音が違う。とにかく私のアナログ・システムで聴ける最高の弦の音が、ここにある。

 そこにベルナルト・ハイティンクのイン・テンポで生真面目な指揮と、「ビロードのような」弦、金管群の「黄金の」音、そしてしばしば「典型的なオランダ風」と描写される木管の音によって、世界屈指の音色を誇るコンセルトヘボウ管弦楽団の伴奏が加われば、言うことなし。

 拙宅のレコードで最高に音が良いと思うのは、古楽器のコレギウム・アウレウムのハルモニア・ムンディのシリーズ(特にモーツァルトのセレナード)、室内楽の英シャンドス・レーベルのボロディン・トリオ(ブラームス、メンデルスゾーンのピアノ・トリオ)、それにこのシェリングのチャイコのVnコンチェルトだ。

 チャイコを聴く、クラシックを聴く、LPレコードを聴く醍醐味、ここに極まれり…と一人悦に入る今日この頃。興味のある方、是非聴きに来て下さい。

 寒さは寒さでまた楽し!


 

12月11日(日)雪のち曇り

      見るままに冬は来にけり鴨のゐる入江の水際(みぎは)薄氷りつつ(式子内親王)

 みるみるうちに冬という季節はやって来た。この入江の水際に立っている私の足元にも薄氷が張っている。この歌には冬という季節の到来そのものへの感動、感慨がある。

 式子内親王は新古今和歌集を代表する女流歌人。平安末期、後白河法皇の第三皇女として生まれ、源平の争乱の中、肉親の相次ぐ非業の死に遭遇した。

 そんな人生を反映し彼女の詠風は、情熱を内に秘めながらも端整かつ高雅、独特の奥ゆかしさがある。

 彼女には藤原定家との恋愛伝説もあれば、最近では彼女の忍ぶ恋の相手は鎌倉新仏教開祖の一人、法然だったという説もある。(石丸晶子『面影びとは法然 式子内親王伝』(朝日新聞社)1989年)

 そんな式子内親王は万葉以来の日本の歌人の中で、もしかしたら私の最も好きな歌人かも知れない。

 12月に入り、一気に季節は冬となった。今日も松本は朝から雪がちらついている。ここ1、2週間真冬並みの寒さが続くという。

 こんな寒さが続く日は無性にチャイコフスキーが聴きたくなる。チャイコフスキーを主としてラフマニノフなどロシアの作曲家の音楽が。

 不思議なことに同じ北国でもシベリウスなど北欧の作曲家の音楽は、冬のもう少し深まった頃に聴きたくて、この12月はあくまでチャイコフスキーだ。なぜだろう?
 
 思うにチャイコフスキーなどロシアの音楽は、冬の寒さがやってきて、暖炉やペチカに火をくべて(レコードを聴いているこちらは石油ストーブだったり、FFファン・ヒーターだったりするのだが)一生懸命暖をとり、身体を暖めようとする音楽のような気がする。

 あるいはウォッカなど強いお酒でカーッと身体の中を無理やり熱くさせようとする音楽。いずれにしても外の寒さに対して、暖かい室内の音楽のイメージ。

 冬至に向かって明るい時間がどんどん少なくなって、ひたすら長くなる夜の音楽のイメージ。

 それに対し、シベリウスの音楽はもっと寒い時期の音楽。寒さそのものを音楽にしたようなところもあるし、冬の屋外の音楽のイメージもある。

 そして何より冬至が過ぎ、日一日と日が長くなり、身を切るような寒さの中にどこか、温かい春の日がやがてやって来ることを確信しているような感じがする。シベリウスの描く冬の風景の方が寒い。しかしこちらの方が明るく春に近いのだ。

 無論ロシアにも北欧にも行ったことはないのだが、チャイコフスキー、シベリウス両者の音楽から受ける微妙な印象の違いを言葉にするとこんな感じだろうか。

 シベリウスの作品が冬の寒さそのもの、厳しい自然そのものを表わしているのに対して、チャイコフスキーの音楽は冬の寒さの中にいる人間の営みを感じさせる。ダンスをしたり、ワルツを踊ったりして一生懸命暖かくなろうとしている北国の人々の温もりを感じる。

 そんなチャイコフスキーの音楽で、炉辺の音楽という感じが一番するのが「弦楽のためのセレナード」作品48だ。

 セレナードとは愛する人の窓辺で恋する想いを切々と歌う「小夜曲」。これが18世紀後半、1770年頃には交響曲と組曲の中間のような多楽章形式の器楽作品に発展した。モーツァルトの時代がセレナードの最盛期だった訳だ。

 16歳で初めて「ドン・ジョバンニ」を聴いて以来、終生モーツァルトを敬愛してやまなかったチャイコフスキーが、おそらくモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」など珠玉のセレナードを意識して作ったであろう弦楽合奏の曲である。

 といってもモーツァルトの時代のセレナードよりはるかにロマンティックな曲想で、サウンドも分厚い。

 チャイコフスキーは1877年37歳の時結婚生活に失敗し、自殺未遂を起こした後、極度の神経衰弱を治すべく、イタリアやスイスに転地療養をした。それ以来7年間外国生活が続いたが、彼が一番愛した街はフィレンツェだったという。

 1880年チャイコフスキー40歳の時に書き始めたこの曲は、弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」と並んでイタリアの陽光を存分に浴びたような幸福感と明るさに満ちている。

 また第1楽章の第1主題、第2主題がともに長調であるのは、実はチャイコフスキーの作品では極めて珍しいし、第1楽章ハ長調、第2楽章ト長調、第3楽章ニ長調、終楽章はト長調の導入部から、主部で原調のハ長調に復帰することによって曲の統一感を出している。

 第1楽章「ソナチネ形式の小曲」。まず重厚で劇的な序奏で曲は始まる。主部の第1主題はシューマン風のロマン的な旋律。チェロ、コントラバスの低音が活躍する。

 一方第2主題はヴァイオリンとヴィオラのスタッカートで奏されるロココ風の軽妙な旋律。

 第2楽章「ワルツ」。dolce e molto grazioso(甘美に、そして極めて優雅に)の指定通り、ヨハン・シュトラウス顔負けの魅力的な、古来「ウィーン風の甘美な円舞曲にフランス香水をふりかけたような」ワルツと言われている。

 三大バレエでも分かるとおり、チャイコフスキーはワルツの名手。この曲は現在NHK-BSの「クラシック・ロイヤルシート」のテーマ曲として用いられているし、その昔私も自分の結婚式の披露宴で使わせていただいた。

 第3楽章「エレジー」(悲歌)。華やかなワルツの後だけに導入の悲しく憂鬱な旋律は印象的だ。が中間部はニ長調。ピツィカートにのってヴァイオリンとヴィオラに出る、モルト・カンタービレの流麗な旋律がこの曲のハイライトだろうか。対位旋律を弾くチェロの雄弁さが心に残る。

 同じニ長調のせいか、曲想が後の交響曲第6番「悲愴」の第2楽章アレグロ・コン・グラツィアによく似ている。交響曲第5番の第2楽章やヴァイオリン協奏曲も同じニ長調。チャイコフスキーの好んだ、あるいは得意な調性だったのだろうか。

 楽章全体にスラブ的な憂愁の影はあるが、それがあくまでも抑制された哀愁であることが、曲の気品を保っているし、彼の作品中1、2を争う幸福感に満ちた作品にこの曲全体が仕上がっている理由だと思う。

 第4楽章「ロシアの主題によるフィナーレ(終曲)」。冒頭弱音器をつけたヴァイオリンによって奏でられる荘重な序奏は、ロシア民謡でニージニー・ノヴゴロド付近のヴォルガ河の舟引き歌。続いて第1ヴァイオリンに現れる親しみやすいロシア主題はモスクワの街の歌といわれる。

 どちらもチャイコフスキーの少し先輩、ロシア五人組の一人バラキレフが採譜したロシア民謡集からチャイコフスキーが借用したもの。

 主題が何度も変奏され繰り返されながら、次第に激情的な民族舞踊風に、ブルレスケ風に展開され、最後は第1楽章冒頭の旋律も現れクライマックスを作って曲を閉じる。

 演奏は長年ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)の旧盤を聴いている。(LP:LONDON SLC-6018)(CD:DECCA UCCD-7041)

 マリナー/アカデミーの旧盤で聴くと(特にLP)、低音部、チェロとコントラバスの充実ぶりが目立ち、このどっしりとしたベースの上に、弦楽のアンサンブルがバランスよく成り立っていることがよく分かる。

 ワルター/コロンビア響の美点と同じ感興を、この演奏にも感じることができるのである。

 カップリングはどちらもドヴォルザークの「弦楽セレナード」で申し分ない。




 

 

 

12月2日(金)曇り

 (ごぶさたしています。実に半月ぶりのブログになってしまいました。4月以来仕事の一番忙しいピークが11月後半に来てしまいました。せっかく11月後半はブラームスの室内楽にとっておいたのに…。しかしご覧のように信州は瞬く間に冬景色になってしまった。嘘は書けないので、冬篇に入ります。)

 今日は朝からどんよりとした曇り空。それも普通の雲ではない。今シーズン初めての重たそーな鉛色の雲である。それに加えて、自分の周りの空気が昨日までと何となく違う。

 何て言ったら良いのだろう。何かを感じるのである。そう、何となく雪が降ってきそーな感じがするのである。子どもの頃から何度も体験してきたこの感じ。(実際翌早朝、初雪が降った。)

 同じ信州でも日本海側にある長野市と松本とでは、特に冬の気候はかなり違う。長野は新潟と同じ。冬はほぼ毎日こんな雲に覆われて、こんな風に今にも雪が降ってきそうに空が暗い。

 一方、松本は内陸性の気候で冬はかなり乾燥する。どちらかといえば晴れの日が多いのだが、今日のように雪の降りそうな時は、周りの空気そのものが違う。何か特別な湿り気が肌にまとわりつくのだ。もちろん底冷えするような寒気を伴って。

 冬、太平洋側の東京は日本海側とは正反対でいつも快晴。この世にこんな不公平ってあるだろうか、といつも思う。

 学生時代、新潟出身の友人が冬僕の下宿に泊まった翌朝、眩しいほどの青空を見上げながら「へっ、新潟は雪だっつうの」とはき捨てるように呟いて、地下鉄の駅に向かった光景が忘れられない。その日から僕は冬の東京の青空を「悲しいほどお天気」(by Yuming)と呼ぶことにした。

 で、松本は東京と長野のちょうど真ん中の気候で、空の北半分が鉛色の雲に覆われ、南半分の諏訪方面の空は快晴。だから空の真ん中で天気が真っ二つに割れているような、そんな空模様の日を子どもの頃から何度も見たような気がする。

 だから今日のような天気というのは言ってみれば、普段日本海側と太平洋側の気候の境界線であるこの松本に、日本海側の天気が優勢になって、雪を降らせる雲が長野あたりからここ松本まで勢力をのばしてきた結果という訳なのだ。

 そして毎年、この雪を予感させる普段と違う厚い雲に覆われた空の下で、ため息をつくのだ。「あぁ、いよいよ冬がやってきた」と。

 この空を覆い尽くす鉛色の雲を見て、頭の中に浮かんだことは2つ。

 一つは江戸時代は後期、化政文化の華、川柳の中の「恐ろしき物の食ひたき雪の空」という句。

 恐ろしき物というのは、言うまでもなく致死量の毒を持つ「ふぐ」のこと。グルメの江戸っ子はその年初めて現れた今日のような雲を見上げて、冬の味覚「ふぐ」の季節がやって来たことを実感し、思わず舌なめずりをするという訳だ。

 江戸っ子が冬の雲を見て、条件反射的にふぐの姿を想像するように、こちとらの耳に条件反射で聴こえてくる旋律。それがチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」第1楽章冒頭のメロディなのである。

 「冬の日の幻想」が冬の到来を告げる曲とはあまりに素直すぎる、という批判は甘んじて受けよう。私にとって、冬が来たなと思ったらまず聴きたくなるのがこの曲なのだから。

 この曲はチャイコフスキー26歳。モスクワ音楽院教授に迎えられ、音楽院の多忙な仕事の傍ら作曲した自信作。しかし恩師のアントン・ルビンシテインとザレンバ教授に容赦なく酷評され、心ならずも第2楽章、第3楽章を大幅に改作した。

 後年、チャイコフスキーは「多くの欠点があるにもかかわらず、私はこの曲を溺愛する」と周囲に語ったという。私も殆ど溺愛と言っていいほど、この曲を愛する。

 第1楽章。「冬の日の旅の夢想」(という標題を持つ)

 弦のトレモロに乗って、フルートとファゴットがロシア民謡風の少し憂いを持ったト短調の第1主題を吹く。この曲全体でもフルートが非常に活躍する。「くるみ割り人形」などでもそうだが、私にはチャイコフスキーのオーケストレーションではフルートという楽器が印象的だ。

 第2主題は希望と憧れに満ちたニ長調の旋律をクラリネットが提示する。この交響曲の特徴としては、非常に古典的な形式にのっとっているが、この楽章だけでなく、すべての楽章が2つの主題だけからなる比較的単純な構成である点だ。

 それが後期の交響曲より劣ると一般に考えられている原因にもなろうが、私などはその単純さに彼の若書きの曲としての純粋さや溌剌さといった魅力を覚える。

 第2楽章。「陰鬱な土地、霧深い土地」という標題を持つ緩徐楽章。

 弦合奏の導入部を経て、オーボエによってしみじみと奏されるロシア民謡のような第1主題が、この曲のハイライトのように思える。

 「稀代のメロディーメーカー」「憂愁の作曲家」チャイコフスキーの面目躍如たるところ。聴いたことのない人には、あのトルストイが涙したという「アンダンテ・カンタービレ」(彼の弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11の第2楽章)にきわめてよく似た旋律といえば、想像していただけるだろうか。

 シューベルトと並ぶ旋律の天才(と私が思っている)チャイコフスキーの数々の名旋律の中でも、この主題は1,2を争う素晴らしいメロディだと思うし、すこぶるロシア的な抒情、哀愁に満ちた部分である。

 次の変イ長調の第2主題はフルートで奏される。

 第3楽章。スケルツォ。バイオリンに現れる、明るいがどことなく翳りのある主題は、前年に作曲した「ピアノ・ソナタ嬰ハ短調」の中の旋律をそのまま用いたものだという。

 そして中間部トリオの、ホルンが奏する柔らかくのびのびとした旋律も印象的だ。長調だが、どこか暗闇から立ち登ってきたような、シューベルト的な美しさを持つ。

 第4楽章。フィナーレ。序奏はロシア、カザンの民謡「咲け、小さな花よ」を主題とした悲痛な旋律がファゴットに出る。

 そして主部アレグロは一転して粗野だが力強い、地方の祭典における民衆の歓喜を思わせる華やかな主題がクライマックスを作る。

 全体を通して、4番以降の名作群以上にロシアの大地の土の匂いをストレートに感じさせる、ロシア国民楽派的な、民族色豊かな交響曲である。単純な構成ではあるが、全編魅力的な旋律に満ちた、聴けば聴くほど愛着を感じてくる曲ではないかなと思う。

 演奏はリッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィル・ハーモニア管弦楽団(1975年)をおすすめしたい。
(LP:英EMI ASD3213)(日本盤でいうと東芝EMI EAC80250)

 ムーティの溌剌としてメリハリある指揮ぶりが素晴らしい。何よりもこの曲の清新な若々しさをすくいとっている。特に第1、第4楽章のスピードと推進力、求心力に、身体の内側から熱くこみ上げてくるようなチャイコフスキーを聴く喜びに満たされる思いだ。

 実はこのムーティ、New Philharmoniaのコンビのチャイコフスキー。1番から3番まで全部オススメだ。


 
 

 
 



 

 

 

 


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