クラシック歳時記in松本 (あるいはモーツァルトとともに1年を)

今春発売の内田光子/テイトのCDでようやく好きになれました・・・モーツァルト ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」

音楽歳時記

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11月16日(水)曇りのち晴れ(沖縄)

 今夜は満月。それを沖縄の海岸で見た。

 今週、西高東低の冬型の気圧配置が強まって、ここ沖縄は大陸の高気圧の縁にあたり、次々と厚い雲が湧き出して、連日概ね曇りの天気。そして季節風がかなり強く吹きつける。

 サンゴ礁からなる沖縄の海はもちろん美しいのだが、陽光を浴びると、さらに、信じられないくらい美しく光り輝き、マリンブルーと一言では言い表せないくらいの、深い深いエメラルドグリーン、ネイビーブルーなど七色の色彩を放つ。

 だが、今のところまだ残念ながらそんな輝きは見れずにいる。(最終日4日目にだけ、やっときれいに晴れ上がった。)

 夜になっても時折小雨が降ったり止んだりの天気だったのだが、夜半になって急に空が変わった。見る見るうちに雲が消えてゆき、東の空に十五夜の月が姿を現した。

 たまらず宿舎を飛び出して、海岸へ。既に空には殆ど雲はなく、もともと白いサンゴ礁でできた砂浜は、月の光に照らされて、いよいよ白く浮かび上がっている。

 砂浜に下りて、波打ち際を歩く。見上げると満月はすでに東の空高いところにある。しかしよく見るとそれはどうも信州で見ていたお月さまとはだいぶ感じが違う。

 信州で見る月はもっと色が青白く、いかにも「冴え冴え」とした冷たさが凄絶なまでの美しさを感じさせるのに対し、南国沖縄で見る満月はもっと「なごみ系」の「癒し系」の暖かい感じがする。

 月といえば、今まで見た月の中で最も忘れられないのが、タイのチェンマイで見たピンク色の月。その時も満月だったようだ。

 長々と書いてきたが、普段の生活の中、とりわけ20世紀の電気、照明の発達ですっかりその存在感が失われてしまった「月」の存在を、我々が1年のうちで最も意識する季節は無論秋だろう。

 特に個人的には10月の下旬頃の月が一番美しいような気がする。だいぶ気温が下がってきて、空気が透明になった空に、冷たくそして妖しく光る月には、1年のうちでこの季節だけの、何か特別に秘められた魔力のようなものを感じることがある。

 (中秋の名月とよくいわれるが、あの頃(9月頃)は何だか暖かすぎて、そんな一種の緊張感みたいなものがまだないような気がする。)

 今年は実にタイミングが悪くて、10月の下旬はちょうど下弦の月から新月の頃で、月を愛でようにも月が出ていなかった。1つ前の満月は10月17日だったのだが、今年は秋の長雨が10月にずれ込んでそれがようやく終わるころで、せっせと「雨に似合う曲」を書いていたのだった。

 こうして11月の今頃になって「月」という季節の題材を書いているのだが、自分の中の「秋」という季節の深まりのキーワードになるのは、

  風(初秋)9月初め →
  影    9月中旬 →
  雨    9月下旬 →
  空(青空)10月上旬 →
  黄葉   10月中旬 →
  月    10月下旬 →

ざっとこんな感じ。こんなイメージでこの20年間季節をとらえ、音楽を楽しんできた。そんな自分にとっての年中行事を、初めて文章につづった年に、妙にその季節感とずれるような天候が続くのは残念だ。

 日頃の、いや年々の自分の行いが悪いからだろうか。いや悪いのは季節を狂わせている地球温暖化のせいだ、といつものお決まりのフレーズで話を終わらせよう。(苦笑)

 さて、1年のうちでこの季節の月にのみ感じる独特な「冴え冴え」とした輝き、妖しいまでの魅力、人の心を惹きつける、いや魂が吸い取られてしまうような官能性。それに最も相応しい音楽といったら、やっぱりワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ではないだろうか。

 (シェーンベルクの「浄夜(浄められた夜)」もその候補だとは思うのだが、この曲はもう夏に紹介してしまった。http://blogs.yahoo.co.jp/chikuma46/8636286.html

 リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813〜1883)。この人ほど好きか嫌いかはっきり分かれてしまう音楽家もいないのではないか。ワーグナー礼賛派(いわゆるワグネリアン)か反ワーグナー派か。人ははっきりとどちらかに別れてしまうように思う。

 熱狂的なファンがいる一方で、とことん毛嫌いするワーグナー嫌いが存在すること自体、ワーグナーの音楽が西欧音楽の中で、他に代えることができない強烈な個性の光を放っている証拠だ。

 とことん嫌いというのも含めて、後世の音楽家でおよそワーグナーの音楽に影響を受けなかった者はいないだろう。ワーグナーの音楽の洗礼を受けなければ、近代フランス音楽は生まれなかった。フランクも、ショーソンもそしてドビュッシーも。

 ワーグナー独特の半音階的旋律がなければ、シェーンベルクの十二音技法、無調の音楽は生まれなかった。ということは20世紀の現代音楽は産声を上げなかったといっていいだろう。

 ワーグナーの音楽の特徴を一言でいうと、勇壮さと官能性。その勇壮さ(スケールの大きさ)を代表するのが、クラシック音楽史上最大の曲「ニーベルングの指環」だとすれば、官能性の頂点に立つのがこの「トリスタンとイゾルデ」。

 その前奏曲を少し聴いただけでも、この音楽の持つ妖しいまでの官能性、魂を吸い取られてしまうような魔力、人を好きだという気持ちに、激しく誰かを恋しいと想う気持ちに、誰もが無理やりさせられてしまうのではないか。
 
 この暴力的といってもいいワーグナーの曲の持つ圧倒的な力に抗えられる人は、この世にはいないのではないかとさえ思ってしまう。

 楽劇「トリスタンとイゾルデ」はワーグナーが、有名な1848年のパリの二月革命に影響を受けた翌年のドレスデン自由主義革命に参加、失敗し、スイスのチューリッヒに亡命していた時代に書かれた。

 この頃彼はチュ−リッヒの豪商ヴェーゼンドンクの経済的な支援を受け、創作活動に没頭することができたのだが、同時にヴェーゼンドンクの妻マティルデへの想いを募らせる。

 (「ヴェーゼンドンクの5つの詩」はその頃作られた歌曲(オーケストラ伴奏)であり、いわば「トリスタンとイゾルデの姉妹篇である。)

 「トリスタンとイゾルデ」は当時のワーグナーが不倫の恋に悩むヴェーゼンドンク夫人との関係を、中世北欧コーンウォルの国王マルケの妃イゾルデとマルケ王の甥トリスタンとの悲恋の関係に移し変え、作ったとされる物語である。

 と、こういえば聞こえはいいが、実生活ではこの曲を書くためにワーグナーはヴェーゼンドンク夫妻の住む家の隣に新邸を構え(構えてもらい)、そこで創作活動とともに、堂々とマティルデとの逢瀬を楽しんでいたのだ。

 パトロンの妻に手を出すだけでも凄いのに、その隣に住んで堂々と不倫をする。「面の皮が厚い」とはまさにこういうことをいうのだろう。

 まだ続きがある。確かにこのオペラの台本や総譜はマティルデに捧げられたのだが、その6年後ミュンヘンでこの曲が初演された時指揮棒を振るったのが、彼の弟子で大指揮者のハンス・フォン・ビューロー。

 だがその頃ワーグナーはビューローの妻で、リストの娘であったコジマに女児イゾルデを産ませているのだ。しかもビューローの第3子として。

 人間ワーグナーを評すれば「厚かましい間男」という感じかな。そして自らの作品の上演実現のためには有名なミュンヘン国王ルードヴィッヒ2世をはじめ、パトロンの好意を最大限脛の骨までしゃぶり尽くして利用する。

 大芸術家には違いないが、人間的にはお付き合いしたくない奴、絶対に友達にはなりたくないタイプだ。ワーグナー嫌いの人の多くは、案外作品そのものにではなく、彼の人間性を嫌ってという人も多いのではないだろうか。

 ところでワーグナーの音楽の官能性というのはいったいどこから出てくるのだろうか?

 私はやはり、彼の音楽手法であるあの半音階的旋律に秘密があるように思う。低い方から白鍵、黒鍵、白鍵、黒鍵…と徐々に徐々に音階が上がってゆく、あの手法。

 それはまるで、男性が愛する女性を抱擁する際に、髪の毛、そして背中と遠くからだんだんに少しずつ
指を這わせ、じらしにじらせて、ついに核心に迫っていく陶酔の愛撫のようだと言えば、ちょっと問題発言かな。

 すると女性の方はまるで、満月に照らされた沖縄の浜辺に、波が遠くからゆっくりと徐々に徐々に近づいてきて、やがて最大の高さに達すると今度は徐々徐々に潮が引いていく様のように、いわゆる女性の快楽曲線が放物線を描くような心持ちにさせられてしまうのではないでしょうか。

 何だかいかにも中年おじさん的な説明になってしまったが、トリスタンとかマーラーのアダージェットが特に女性に人気が高いのも何となく分かるような気がするのだ。

 それに聴き手を官能の陶酔の中に引き込むなどというのは、人妻キラーのワーグナーからすれば朝飯前だったのかも知れません。彼にとっての女性遍歴はいわゆる「芸の肥やし」だったのでしょうか。

 「トリスタンとイゾルデ」ー前奏曲と愛の死ーというのは、この曲の最初と最後の部分をつなげたもので、この曲におけるワーグナー旋律のエッセンスがつまっている。

 オペラ全体では他にも第1幕前奏曲が終わるとともに、船のマストの上から水兵が歌う「風よ、吹け吹け」の場面(ここはカラヤン盤のペーター・シュライヤーの歌唱が一番耳に残っている。)

 また第2幕のトリスタンとイゾルデの愛の二重唱、第3幕冒頭の間奏曲のオーボエの、2人の運命を暗示する世にも哀しげな響きなど、随所に印象深い場面がある。

 演奏はカラヤン、ベーム、バーンスタイン、クライバーと名演が目白押しの中、一番古いのだがやはりフルトヴェングラーが1952年にロンドンのEMIでスタジオ録音した全曲盤を第一に推す。(英EMI 29 0684 3)もちろんモノーラルだが、深々としたオーケストラの音が意外なほど良い録音だ。

 20世紀最大の指揮者といっていいウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)は19世紀のロマン主義的な雰囲気を持つ最後の指揮者といわれるが、なにぶん録音には恵まれなかった。

 それは当時の録音技術の稚拙さももちろんだが、何よりも即興性を重んじる彼の芸術観がスタジオ録音を拒否していて、当時の録音は殆どがライヴだった。

 このレコードは彼が初めてスタジオ録音に応じたもので、このテープバックを聴いたフルトヴェングラーはその音質の良さに驚き、自らの演奏をスタジオ録音することに前向きになったといわれるが、残念なことに彼に残された時間はわずかだった。

 このレコードの聴きどころは2つ。1つはフルトヴェングラーの指揮。彼の演奏で最高なのはベートーヴェンとワーグナーだと思う。ここにはフルトヴェングラーにしか描けない、ワーグナーの音楽の独特のうねり、官能性が刻印されている。

 もう1つはこれまた20世紀最高のワーグナー歌手といわれたスウェーデンのキルステン・フラグスタートのイゾルデ。厳かさと神々しさすら感じる彼女の強く美しいソプラノ。その後彼女を超える「イゾルデ歌い」は未だに出ていないといわれる。

 冬を思わせる寒さの中、煌々と、冴え冴えと青白く光る月のあかりの中で、「トリスタンとイゾルデ」の官能の世界に浸ってみたい。


 最後に、酩酊し池に映る月をとろうとして、足をすべらせて池に落ちて死んだ、という逸話を持つ李白の詩を。
 

      静夜思

    牀前 月光を看る
    疑うらくは是れ地上の霜かと
    頭(こうべ)を挙げて山月を望み
    頭を低(た)れて故郷を想う



     

11月5日(土)快晴

 今日は今季一番の天気だったかもしれない。朝から夜までずっと快晴で、今鮮やかな三日月(性格には四日月?)と金星(宵の明星)がお互いを引っ張りっこしているように西の空に浮かんでいる。

 昼はあんまり天気がいいので、松本城まで行ってきた。お城北側のお堀端に植わっている桜の木の紅葉は、今が最高だ。

 桜の葉っぱの紅葉が大好きだ。単純な赤ではなく、何と表現したら良いのだろう。紅く、黄色っぽくもあり、きれいな茶色の部分もある。桜独特の紅葉で、思わずハッと息を呑むほどで凄絶ですらある。

 一日中良い天気だったけれど、今の季節は午後陽が傾きかけてから、夕映え、黄昏までの時間帯が一番穏やかで神聖なひとときという感じがする。

 そんな秋の穏やかな午後、そして黄昏時にブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴いてみたい。

 この曲は1881年ブラームス48歳、二度目のイタリア旅行から帰った後の夏、ウィーン郊外のプレースバウムに滞在した際に書き上げられた。

 イタリア旅行、そしてブラームスお気に入りの夏の避暑地での自然に囲まれた中で作られただけに、交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第1番などと同様に、落ち着いた重厚さを持つブラームスの作品には珍しい陽気さすらある。(この曲では第4楽章がそう。)

 第1楽章。アレグロ・ノン・トロッポ。冒頭、ホルンが高らかに、柔らかでノスタルジックな、そしてことの外明るい第1主題を吹く。とそこにピアノが早くも登場し美しく絡んでくる。

 このあたりはブラームスがベートーヴェンの第4、第5ピアノ・コンチェルトを研究したあとが窺える。ベートーヴェンの4番はピアノがいきなり主旋律を、5番では壮大なアルペッジョを弾いて曲を開始させ、それまでの協奏曲のイメージを一新させてしまった。

 これに対しブラームスはホルンとピアノが手を携えてノスタルジックに曲を開始するという方法をとった。それがこの曲のしみじみとした滋味深さの基調となっている。

 第2楽章。アレグロ・アパッショナート。この曲唯一の短調の楽章(ニ短調)。文字通り情熱的なスケルツォ。そして思いっきりの泣き節、ブラームス節。

 学生時代、この曲を聴いて泣いた奴がいた。失恋した彼の中野の下宿にみんなで慰めに行った夜、そいつは僕が貸したカセットテープに入っていた、この曲の第2楽章を聴いて男泣きした。

 こいつは高田馬場に当時あった名曲喫茶「らんぶる」でも泣いた。もうかなり小汚くなった薄暗い店内で、「ブラームスか何かかけてくれ」というから交響曲第3番をリクエストした。

 その第3楽章を聴いて、そいつはまた男泣きした。でも不思議とブラームスの音楽は男が泣いている姿に似合っていた。「見っともないからやめろ」などとは決して思わなかった。

 今思えば懐かしい情景だ。そいつも今は管理職。仲間内では一番出世だ。

 第3楽章。アンダンテ。冒頭、朗々としみじみと、チェロがヴィオラとの美しい対位法を伴って、主旋律を綿々と繰りひろげて行く。そう、この曲は「ピアノを伴った交響的楽曲」なのだ。

 それに対しピアノはまるでドビュッシーの「沈める寺」のように、一音一音どこまでも広がっていくように沈潜してゆく。

 まるで黄昏の中に溶けながら沈んでいく秋の太陽のように。

 第4楽章。アレグレット・グラツィオーソ。ピアノによる軽妙な舞曲風の主題で始まる。

 重苦しい鉛色の冬雲の下で育ったブラームスにとって、イタリア旅行は「魔法にかかったような日々」であり、ウィーンの知人に「イタリアでは春がまだ少年時代のように息づいています」と書き送らせた。

 そんな、直前のイタリア旅行で浴びた陽光が音楽になったかのような、この第4楽章。しかしピアニストにとってはこの楽章をアレグレットの速さで弾くことは至難の技であるらしい。

 そうでなくとも4楽章形式。全体で50分になんなんとする交響曲的協奏曲。この大作に多くのピアニストがチャレンジしている。

 その中で私が長年聴いてきたのはウィルヘルム・バックハウスがカール・ベーム指揮のウィーン・フィル・ハーモニーと競演した1967年録音のレコード(LP:LONDON SLC8011)(CD: POCL6010)

 「鍵盤の獅子王」と呼ばれたバックハウスが10歳の1895年、彼は神童として何とブラームスその人の前で「御前演奏」をしたという。そして巨匠からこの協奏曲終楽章冒頭主題に、「Zu frohlichen Anfang」(喜ばしい始まりに)と書いた楽譜をプレゼントされたというエピソードを持つ人だ。

 吉田秀和はこのコンビの実演を1968年ザルツブルクで聴いたという。第1楽章冒頭のホルンとのかけあいのピアノの出だしが実に柔らかく、演奏全体にうるおいと詩味があったと書き残している。

 一番新しい「クラシックベスト演奏100」でも第2位に入っている、永遠の名盤だ。

 


 

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11月2日(水)晴れ

 例年10月よりも11月に入った方が安定した穏やかな晴天の日が続くことが多い。昨日、今日と朝は大変に冷え込むが、日中は18℃位まで気温が上がり、穏やかに晴れ上がっている。

 こんな晩秋の穏やかな一日には、やはりブラームスの、それも比較的明るい曲が似合うようだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン・ソナタ第2番あたりだろうか。

 ヴァイオリン協奏曲は1878年ブラームス45歳の夏に、ピアノ協奏曲第2番作品83は81年48歳、ヴァイオリン・ソナタ第2番作品100は86年53歳の年に作られた。

 いずれも共通点は夏、風光明媚な避暑地や郊外で作曲されたということで、これらの曲の晴朗で穏やかで、田園的、牧歌的な曲想に影響しているように思う。

 このうちヴァイオリン協奏曲はブラームスが初めてのイタリア旅行を終えた後、オーストリア南部の避暑地ペルチャッハで作られた。

 ペルチャッハはウェルター湖畔の山紫水明の地で、その前年にも彼は夏、ここに滞在して交響曲第2番を一気に書き上げた。

 このようにブラームスが後年、夏になるとウィーンの街中を離れ、田園風景の中での創作活動を好んだ理由は、彼の少年期の体験にある。

 ハンブルクの貧民窟の一角に生まれながら、その音楽的才能を父親に見出され、当時考えられる最高の教育を受けていたヨハネス少年は、しかし一方で貧しい家計を助けるため、荒くれた船乗りたちのための酒場や食堂、ダンス・ホールでピアノを弾くようになった。13歳の時である。

 呼び出しがあると夜中でも駆けつけさせられ、安タバコの煙がもうもうと立ち込める中ピアノを弾かされていた少年は、やがてよろめきながら街を歩くほど衰弱してしまった。

 あんまりひどいので見かねた父の友人で、ハンブルクの郊外に住むギーゼマンという人が夏の間引き取ってくれ、ブラームスはギーゼマンの娘リースヒェンにピアノを教えながら、14歳と15歳の夏の田園生活を楽しんだ。

 この美しいインテルメッツォ(間奏曲)のような体験から、のちに夏になると自然の中に身をおいて創作をするというブラームス後年の習慣が生まれたといわれている。

 「ブラームスの田園交響曲」といわれる第2交響曲同様、美しいペルチャッハの自然の中で作られたこの協奏曲は、彼特有の交響曲的な重厚さとスケールを持ちながらも、のびやかで明るい楽想に満ちている。

 とりわけ第2楽章冒頭のオーボエが吹く牧歌的な旋律の魅力は、山上から見渡す美しい風景描写そのものだ。

 志鳥栄八郎は「この部分を聴くたびに、以前訪れた上高地の徳沢から穂高を見上げたときの爽快な気分を思い出し、心気の澄むのをおぼえる」と書いている。

 私の経験では、大学1年の時、山のサークルでの初めての夏合宿で北アルプスの薬師岳に登った時、この旋律が自分の中で聴こえてきたのを覚えている。

 富山の折立から天候不順でずっと雨が続いていたので、薬師の肩の小屋でもう一泊し、翌日は濡れたテントやシュラーフを乾かしながら、薬師のピークへの空身(からみ)でのピストンだけの日だった。

 心も軽く、身も軽く、山に登りはじめて、初めて感じる楽しい気分だった。「今自分がこうして自然の中に身を置き、山の稜線を歩いていることそのことが楽しく、うれしいのだ。」

 北アルプスの西北にあり、訪れる人も少ないどっしりした牛の背のようなその山容を、その後槍ヶ岳など遠くの山から望むたび、その時の楽しい気分を想い出すのだった。

 演奏はかつてはメニューイン/フルトヴェングラー、ルツェルン祝祭管1949年の歴史的録音を聴いていたが、最近はもっぱらヘンリック・シェリングのヴァイオリン、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の1973年の演奏を聴いている。(LP:PHILIPS X-8547)

 何といってもシェリングのヴァイオリンが素晴らしい。美しく、艶やかでヴァイオリン特有のあの金属音が全くない、文字通り絹のような音色だ。

 レコードで聴く限り1970年代中葉録音のシェリングのヴァイオリンは、楽器が違うのか録音の関係か、少なくとも私の持っているレコードの中では最高の美音を奏でているように思う。

 

 

 

 

10月28日(金)晴れ

 今日は一日気持ちの良い秋晴れだった。天気図を見ると、移動性の高気圧が本州のど真ん中(ってことはこの松本の上あたり?)にいて、ほぼ全国中快晴だったようだ。

 午前中はむしろ寒気の入りを示すうろこ雲や、天女の衣のように美しく透き通った様々なすじ雲が目を楽しませてくれていたが、お昼くらいからはそれらの雲もなくなり、一面真っ青な空に。

 そしてそのスカイ・ブルーを背景に、里山の木々が、そしてまちなかの街路樹がいよいよ黄葉(紅葉)してきた。

 正直言うと、今年の黄葉はそれほど綺麗ではない。残暑のせいか、あるいは9月の雨の少なさか、黄葉(紅葉)する前に茶色くなってしまった葉や、枯れてしまった木も多い。

 それでもケヤキなどの落葉広葉樹の黄色、桜の葉の赤茶っぽい微妙な色合いが、これからしばらく楽しめそうだ。(いちょうの黄葉はバナナの幹のように青みがかっていてまだまだ。)

 読んでいてお気づきでしょうが、私はどちらかというと紅葉よりは黄葉の方が好きだ。鮮やかな黄色の方がより秋の青空に映えるような気がするからだ。

 今までで一番鮮やかな黄葉だったと思うのは、結婚したての年の10月に車で行った北八ヶ岳、白駒池に行く途中、佐久側の池の平牧場と地図にあるあたりの一面の白樺林。背景の青空にそれはまさに絵のような美しさだった。

 白樺の木はその幹が白くまだらな筋になっている分、また葉の付き方から他の黄葉の木よりも爽やかな感じがする。カラマツの針のような細かい黄葉も、固まりで見るととてもみごとだ。

     経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず少女(をとめ)らが織れる黄葉(もみじ)に霜な降りねそ

 万葉集に登場する中で私が最も愛する人物、大津皇子(おおつのみこ)は詠う。彼もまた黄葉を愛したのだろうか。

 さて秋の青空の下、あざやかな黄葉の風景にぴったりだなぁと思うのが、ブラームスの第3シンフォニーだ。

 「慎重居士」ブラームスが生涯に遺した交響曲はたったの4つ。しかしそれらは推敲に推敲を重ねて(2番だけは例外的に一気呵成に作られたのだが)世に送り出されただけにすべて珠玉の名作だ。(現在のところ私の好きな順でいうと、3>2>1>4というところ)

 よくブラームスの交響曲が少ないのは1番が21年かかって作られたように、先輩ベートーベンを意識し過ぎたからだと言われるが、最近私は、師シューマンの交響曲が4つだったからではないかと考えるようになった。

 先日『吉田秀和作曲家論集5 ブラームス』(音楽之友社)を新たに買って読んでみた。そしてブラームスという一人の音楽家にとってシューマン夫妻という存在が、彼の生涯を通していかに大きな存在であり続けたかということを再認識させられた。

 20歳でシューマン夫妻に会い、ブラームスの音楽家(作曲家)としての輝かしい人生が始まり、と同時にそれからわずか半年後に起きたシューマンの投身自殺未遂事件。これがその後のブラームスの男としての人生と彼の作品に決定的な呪縛と影を投げかけてしまったということを。

 端的にいえば、彼は生涯シューマンの妻クララ(とその形代(かたしろ)の愛の対象となった女性たち)を愛し続けながら、いわば「シューマンの呪い」から彼女(だけでなく彼女の代わりに愛した女性たちすべて)への愛を成就させることができず、その結果その代償として生まれたのがブラームスの作品群なのだ。

 この曲をブラームスが作曲したのは彼が50歳の時。この時も彼はクララの形代としての4番目の女性、ヘルミーネ・シュピースという26歳の暖かい豊かな声を持ったアルト歌手に恋をしていた。

 「二人は父と娘ほど年齢が違っていたが、ブラームスの故郷ハンブルクあたりでは二人が早晩結婚するのではないかとさえ考えられていたくらい親しくつきあった」(吉田秀和)という。

 しかし無論この恋も成就されない。クララへの想い、シュピースへの情熱、そしてそれへの諦念、諦観。それらがこの曲のあちこちから聴こえてくるようだ。またこの頃の作品からブラームスの旋律に一段と豊麗甘美な趣が加わったといわれる。

 一方でこの交響曲は「ブラームスのエロイカ」と呼ばれるほど、男性的な豪快さと情熱のほとばしりが感じられながら、一面で大変なナイーヴさ、そして諦めの感情、そこから生まれる優しさにあふれている。

 その理由の一つはこの3番が4つの交響曲の中では実は最も編成が小さいということで、事実聴いているとまるで「室内楽」かと思うほど、内声部がクリアーに透けて見える。

 また出だしこそいきなりオーケストラの全奏で曲は始まるが、全4楽章がすべて静かに曲を閉じるのも、4つの彼の交響曲の中ではこの曲だけであり、世間一般ではブラームスの最も地味な交響曲として受け止められているかもしれない。

 しかし、それがいい。男の純情、男の哀愁、男の諦観…に満ちあふれている。男ってこんなにもロマンティックで、おセンチで、めめしいものなの?と訝る方に、特に女性の方には、「そうなんです」と開き直るしかない。

 その極致が第3楽章ポコ・アレグレット。フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き?』が映画化された時の映画音楽に使われていることは有名だ。

 特に3度目の主旋律をホルンが吹くところ(CDだと3:50前後)では、ブラームスの感極まった男泣き、すすり泣きのように聴こえ、こちらも思わずもらい泣きしそうだ。

 しかしこの曲の魅力はもっと地味な第2楽章、第4楽章にもある。ともに静かに消え入るように曲は閉じる。

 特に第4楽章の最後は、秋の穏やかな一日の終わりに、西の山々へ静かに沈んでいく落日の太陽を描写したようであり、学生の頃奥秩父に登った折りに見た、あざやかなオレンジ色に燃えた夕陽が消え入るように山に落ちていった様を、この曲を聴くといつも想い出す。

 また第1楽章も、激しい第1主題が一段落したあと第2主題が静かに出てくるところで(CDでは1:35前後)フルートが聴こえるか聴こえないかほどの弱音で、蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声のような単調な和音を奏で、旋律に合わせているのが聞こえてくるのも好きだ。

 その音はまるで昼間鳴く蟋蟀のようで、か細くもの哀しい。そういえば中国ではこおろぎは絡緯といい、「緯」すなわち横糸を「絡」紡ぐ。つまり秋になり寒くなって、そろそろ冬着の支度にかかるよう、機織りを促すように鳴き始めるという。

 ブラームスは中国の言葉など知る由もなかったろうがこの曲は、やがて来る冬の厳しさに備えよと鳴く蟋蟀のように、聴く者に人生の秋、黄昏の自覚を迫る、身につまされるも哀しいほど美しい音楽である。

  演奏はLP、CDともにクルト・ザンデルリンク指揮ドレスデン国立管弦楽団。(LP:日本コロンビア OC-7286-K CD:DENON COCO-70492)

 ザンデルリンクの指揮は、先ほども言ったこの曲の室内楽的な側面をよくとらえ、各内声部がきれいに浮かび上がってくる。何より音が色彩にあふれ美しい。

 1972年ドレスデン、ルカ教会の録音。残響が豊かでホルンが、フルートが、各楽器の音がいぶし銀のように渋く光り、とても暖かく、厚みがある。

 このオケの音はいつもそうだ。ヨッフム、ブロムシュテット、スイトナーどのレコードからもドレスデン管しか出せない音を出す。さすが創立450年、世界最古の伝統の力である。

 LP、CDともに余白に収められた「ハイドンの主題による変奏曲」もすばらしい名演だ。

 もう1枚持っているのはカール・ベーム指揮ウィーン・フィル1975年の演奏。(GRAMMOPHON MG-1130)意外なことにこちらの方が音が素朴で地味に聴こえる。残響が少ないせいか、ポツポツ、ゴツゴツした音の印象だ。

 しかしなかなかこれという決定盤に出会えないこの3番の数々の演奏、レコードを、買って聴いては手放し、買っては手放して手元に残った最後の2枚のうちの1枚のことだけはある。

 素朴で武骨な、決して流麗とはいえない音にもかかわらず、ベームの男っぽさ、ガッツが感じられる、文字通り「渋い」演奏である。
 
 

 

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10月25日(火)霧のち晴れ

 2、3日前から寒気がやって来ていて、槍、穂高、乗鞍は雪化粧。今朝は随分冷え込んで松本の最低気温は4℃。この秋一番の冷え込みだ。稚内、留萌では里も初雪だそうだ。

 今朝は冷え込んだせいか、街は濃い霧に包まれた。(盆地特有の気象現象なのかな?)そして9時頃ようやく霧が晴れて、青空と太陽が見えてきた。と、急に小学校の今時分の遠足のことを思い出した。

 小学校の年中行事で秋の大運動会といえば9月の下旬だったし、秋の遠足は10月の下旬、毎年今頃だった。

 里山辺とか城山公園とか学年によって行き先は異なるが、ちょっと郊外の稲刈りが済んだ田んぼの脇道を列になって歩き、大きく実がなった柿や栗の木を左右に見ながら、道の脇のススキの穂を抜いて、前を歩く子の首筋を撫でまわしたり、

いのこずち(この辺の方言では「ばか」という。東北出身の友達は「泥棒」というんだと教えてくれた。いずれにしてもなぜかあまり良い名前では呼ばれていないらしい。)をむしって、後ろの子のセーターに投げてくっつけたり。

そんなイタズラをしながら、一日のんびりと里の秋を満喫した(もちろんその頃は季節を楽しむなんていう意識はなかったが)という楽しい思い出として残っている。

(道々、先生が「これがアケビの実だよ」といって、ぱっくり口を開けた中に小倉あずきが入ったゼリーのように光って透明な実をつけた植物を見せてくれたり、そうやっていろんな植物の名前を覚えたような気がする。)

 さてそんな秋の遠足の日というと、決まって朝方、濃い霧が立ち込めていた記憶がある。今日のように、強い寒気による放射冷却のせいだったのだろうか。

トレパン穿いて赤白帽子をかぶって家を出る頃(8時前だったかな)は、霧のせいで今日は天気がいいのか、悪いのかさっぱりわからず、雨が降ったらいやだなぁと思いながら学校へ。(今みたいに精度のいい降水確率なんてなかった時代だったから。)

校庭に着いても霧はさっぱり晴れず、同じ格好をして小さなリュックサックを背負った友達と、少し不安気におしゃべりしている。

それが、整列して校長先生の話を聞いてるうちにだんだん霧が晴れて来て、出発する8時半か9時頃には霧はすっかりどこかへ行ってしまって、思いの外強い日射しと真っ青な空が顔をのぞかせて、「なんだ、すごくいい天気じゃん。」と安心する。

まさに年中行事。毎年そんな思いを繰り返していた秋の遠足を懐かしく想い出す。(週五日制とかで行事が減らされている今の小学校でも残っていてほしいな。)

話がだいぶ長くなったが、そんな今の季節の(子供の頃の秋の朝のちょっとした心理ドラマの)BGMとして聴きたくなるのが、「王宮の花火の音楽」や「水上の音楽」などのヘンデルの管弦楽作品だ。

どちらも、片やジョージ2世治世下の1749年、オーストリア継承戦争終結後の平和回復を祝う祝賀会(大花火大会)の、もう一つはジョージ1世の1715年(17年説もある)のテムズ河の舟遊びの際のBGMとして作られた、れっきとした「機会音楽」である。

ヘンデルは日本では同じ1685年生まれのバッハに比べ、どうも今ひとつ評価が低いような気がする。バッハ崇拝者は数多くいても、熱狂的なヘンデル・ファンというのはあまり聞いたことがない。

「バッハが好き」っていうと何となく精神的というか、クラシック音楽愛好派の王道を往くというイメージがして一目置かれるのに対し、ヘンデル愛好派っていうと何か軽い、ロッシーニ・ファンみたいに見られるからなのか。(ロッシーニ・ファンの人ごめんなさい。)

 確かに重厚で、思わず襟を正したくなるバッハの作品も素晴らしいが、それとはまた違う、晴朗で華やか、豪快かつ繊細な面を併せ持った、何よりお洒落で粋なヘンデルの音楽が私は大好きだ。

 オラトリオ「メサイア」は勿論だが、他にも合奏協奏曲作品3と作品6、二重協奏曲第27番、ハープ協奏曲変ロ長調作品4-6(マツダのCMで使われたあのチャーミングな曲)、ヴァイオリン・ソナタ第4番(4月のブログで紹介)、トリオ・ソナタ(フルート・ソナタ)。

 そして「リナルド」「アルチーナ」「忠実な羊飼い」「クセルクセス」などのオペラやカンタータの名旋律。(「クセルクセス」のラルゴ「懐かしい木陰」(オンブラ・マイ・フ)はニッカのウィスキーのキャスリーン・バトルの美声で一世を風靡しましたね。)

 ヘンデルの好きな曲はたくさんあるが、やはり「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」が一番好きかな。

 「水上の音楽」を聴いていると、朝方低血圧だったものが、みるみるうちに「ドックン、ドックン」と自分の血管が脈打って、正常値の血圧になっていく経験を何度もした。

 それほどこの曲は自分を自然に、優雅に、心地良い気分にさせてくれる、私にとって相性ピッタリの曲だ。低血圧の方、お試しあれ。

(ヘンデルのみならず、バロック音楽全般にそういう効用があると私は思っている。きわめて自然に、ナチュラルに、気分や体調を正常な状態に高めて(アジャストして)くれる。だから長年NHKのFMで早朝「あさのバロック」「バロックの森」という番組が続いているのは誠に理に適ったことだと思う。)

 また「王宮の花火の音楽」はいかにも野外音楽らしい豪快さと爽快さを感じさせてくれる。

が,どことなくユーモラスでひょうきんな音楽にも聴こえ、また聴く者をどことなくワクワク、落ち着かない気持ちにさせるのが、記憶の中の秋の遠足の朝の霧にやきもきした気分や、大運動会の朝の軽い興奮した気分のBGMにぴったりという感じがする。

どちらの曲も長年ジャン・フランソワ・パイヤール指揮、パイヤール室内管弦楽団の演奏で親しんできた。(LP: ERATO 12E-1004, 同1005)

コレギウム・アウレウム同様、昨今の古楽器・古楽奏法全盛の時代に忘れられつつある感のあるパイヤール室内管だが、レコードで聴く彼らの音は未だに美しい。

一度上田にいる頃、彼らを生で聴いたことがある。前半がバッハの管弦楽組曲第1番。後半がヴィヴァルディの「四季」。

組曲第1番の冒頭の最初の音、和音を一音聴いた瞬間に「ワッ」と涙が溢れてきた。あんな経験は後にも先にもこの時だけだ。

何で突然涙が出たのだろう。未だにわからない。やっぱりバッハの音楽の偉大さか。その頃の自分の精神状態もあったのかもしれない。

しかしパイヤールの生の音が、それまで聴いたどのオーケストラの音よりも美しく、柔らかく、包み込んでくれるような音だったのだろう。今でいう「癒し」てくれる音だったのだと思う。

パイヤールの「王宮の花火の音楽」の方(1962年演奏)は珍しい「初演管楽演奏版」。弦が入らない分だけ「おちゃめ」というか軍楽隊らしい野趣あふれる「わんぱく」な演奏で、聴いててとても楽しい。

CDでは残念ながら両盤ともないみたいなので、最近代わりにネヴィル・マリナー/アカデミー室内管の新盤(1979年録音)で聴いて楽しんでいる。(PHILIPS UCCP-7072)


P.S. 今気づいたのだが、今日のような、そしてあの遠足の日のような霧は、その秋初めて冬の寒気が訪れた証拠。言わば季節を分ける霧ではないか。

 それまでの秋は「夏に近い」秋。今日からは「冬に近い」秋。そういえば先日23日は暦の上では霜降。霜の降りる頃である。

 P.S.2 その後ハーティ/セル編曲の「水上の音楽」(ジョージ・セル指揮ロンドン交響楽団 1961年録音)のCD(DECCA UCCD-7115)を買う。今の季節の晴れた日の夕方、陽が落ちてブルッと身震いするほど冷えてきた信州の秋の夕闇に、この演奏がすごく合う。しみじみとしていて…。もののあはれってこういうことなんだろうか。

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