●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

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汝官窯 #19 汝官窯青磁奩式三足香炉



イメージ 1
                

                   金文字部分の欠落




 
この作品の釉肌に見られる小さな欠落が、.悒疋躱の水中に埋められていた。急激な気温の低下で凍結温度になった。の2点が合わさった場合に発生したと考えた時に、この作品が乾隆帝の収蔵品となった以降の彷徨った過去において、この条件を満たす場面が必ずあったとすれば、それは何時であろうか?

以前に、皇帝の離宮・宝物殿「円明園」のことをお話ししたが、この「円明園」は清朝康煕帝が建設を始めて以降、歴代皇帝が増設を重ねた、まさに皇帝の権力と富を集約させた施設であった。「円明園」のグランドデザインは揚子江下流域の風光明美な情景をベースにし、乾隆帝などは西洋風情まで取り入れた、北方寒冷地の満州族出身の皇帝ならばの借景を具現化させたものである。

その円明園には、歴代皇帝の財宝・文物など150万点もの夥しい数の品物が収蔵されていたそうだが、残念なことに、1860年に起きたアロー戦争によって、フランス・イギリス両軍の手によってその全てが略奪され施設が焼却されて、痕跡すらなくしてしまったのである。

その略奪の様子は≪アロー戦争と圓明園≫(矢野仁一著・昭和14年刊)に詳しく記述されているので参照してほしいが、矢野博士によれば、フランス軍によって陶磁器などは破壊されたり、略奪した物のかなりの品数が分捕委員によってその場で競売され、お金に換えてフランスへ持ち帰ったたそうである。

その本には記載されない「蛇の道は蛇」として、それらの競売の資金提供者としては、紫禁城周辺の金持貴族以外には見当たらない訳で、何が金目の物か、どれが大切な物かなどを知り尽くし、どこに展示収蔵されていたかを知りつくしていた者が、そのチャンスにシメシメと乗じたことは容易に想像できるではないか。当然、それら資金提供者は国族であるから自ら名乗り出ることは生涯ないはずである。

そんな金持でなくとも火事場ドロボー達も大勢押し寄せた訳で、矢野博士の調査には口をつぐんだ、漁夫の利を得たものも大勢居たに相違ない。当然、これら火事場ドロボー達も犯罪者であるから自ら名乗り出ることは生涯ないはずである。

もちろん、戦争になる直前に、円明園関係者の意のあるハイレベルな人たちは、ひそかに文物の移動や疎開、秘匿を行動に移したに違いない。このことは中国歴代の皇朝崩壊直前に宝物を隠す「窖蔵」と言われる、独特の思想がアロー戦争でも行われたと考えて何ら不思議はない。

この作品の金泥で書かれた御題詩文をよく観察すると、文字部分以外の釉肌のはぜ欠落は当然にしても、文字の一部に金泥そのものがはぜ欠落していることが判る。(写真の白○で表示したところを参照)これは、乾隆帝が収蔵後に金泥で御題詩文を書かせた、その時期より後に発生した現象であることを物語っている。すなわち、このはぜ欠落は)盟彡(960-1127)汝官窯で焼成され、乾隆43年(1778年)に乾隆帝が収蔵した時までは発生していなかった現象であり、1778年以降の何時かに発生した現象であることを物語っている。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

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