●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

宋 竹仙のブログへようこそ!! 中国陶磁に魅せられて四半世紀。

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やきもの談義(その20) 青磁の青


骨董数寄者の中で、今も昔も一番人気は『青磁』ですが、
意外と知られていないのが「青磁は何故青く見えるのか」と言う事です。



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               天青釉貫耳瓶「乾隆御題」刻識 (てんせいゆう かんじへい)
                修内司官窯:南宋朝時代( 1126〜1279 )
                (高さ)25.1cm   (巾×奥行) 16.5cm×12.9cm   

    
                

青い青磁を拡大して観ると、殆ど無色透明??


身近に青磁の花入れでもありましたら、20倍ぐらいの拡大鏡で表面を覗いてみて下さい。
恐らく、今まで青く見えていたものが、殆ど無色透明の泡である事に気がつきます。

これは、薄いガラスは無色透明に見えても、何枚も重ねて透かして見れば青く見えるのと同じ原理で、
青磁の釉を厚く掛けて無数の泡を造り、光の複雑な屈折によって青く見えるのです。

青磁の青は微量の鉄分で生まれる!


この青磁釉とは、釉の中に1%〜3%の鉄分を含ませ、強い還元炎で焼いたものです。

この鉄分は多くなるにつれて褐色から暗黒色となり、
10%を越えると天目釉と呼ばれる黒色の釉になります。

深みのある青磁は、複雑な焼成技術の成果!!


幽玄と夢幻の名品と言われる天下の青磁を良く観察しますと、
深い海の様な、雨上がりの空の様な、実に複雑な青色を呈しております。

この『深み』はどうすれば出るかと言いますと、
第一に鉄分は出来るだけ少なくし、
第二は出来るだけ釉は厚く重ね掛し、
第三は最初から還元炎で焼いて、釉が溶ける前に完全に鉄分の還元が終了している事。

更に、焼き上がりの肌合いが妙にテカテカとしない様に、
大小さまざまな泡を造る為の、複雑な天然材料を配合する事。

だから、青磁は高価なのです。


いやはや、これだけ全知全能を傾けても、窯出しでは百個に1〜2個しか名品が取れない上に、
天下一品と言われる、宋朝の青磁などは、毎年初冬に一回限り焼かれたと言われますから、
大変に高価で貴重なのもうなずけます。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…


やきもの談義シリーズは今回20回でいったん終了いたします。
続編はいずれまた。


こちらの美術館では、常設展示で美しい陶磁器が鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

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やきもの談義(その19) 無名の匠集団


今も世界中の人々を魅了し続ける中国陶磁の秘宝といわれるものも、
昔それが焼かれた時は、
大勢の無名の匠人達が、
代々伝えられた経験と英知を合わせて創りあげたのです。



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               灰釉箆点文鼎(かいゆう へいてんもん てい)
                原始磁器:前漢時代 ( BC 202〜AD 08 )
                (高さ)30.8cm   (直径) 32.5cm   

      
                

中国のやきものには個人作家銘がない?


現代の我々日本人が、特別な陶磁器を語るとすれば作家物が普通ですが、
数千年の歴史を誇る中国陶磁に作家物はありません。

通常は産地の窯名で表し、特別な物として『官窯銘』がありますが、
それとても個人の作家名はありません。

無名の匠人たちが残した「やきもの」


無限の創造の喜びが支えになって、何代にも亙って毎日焼き続けたのか、
あるいは生きる為の糧を得る為に、しのぎを削って毎日焼き続けたのか、
その昔の匠人の気持を推し計る事は出来ません。

しかし、残された古陶磁をじっくり手に取って観ますと、
何千何万の人達の経験と英知の中に、血と汗と涙が見えてくるのです。

中国古代から産業の寵児は「窯業」でした!!


昔の中国の窯場は、
近くから産出する磁土や燃料の特徴を最大限生かして、
産地独特の作風のやきものを創り出しました。

絶えず存亡の危機に耐えながらも、
ある時は皇帝の要望に応え、
ある時には貿易の寵児として国の繁栄に寄与もしたのです。

単なる工業産品であった「やきもの」を、芸術品にしてしまった、すごさ!


現代の自動車や半導体産業など足元にも及ばない規模で発展し続けた、
長〜い中国の陶磁史から見えてくる事は…

皇帝や為政者、商人など発注者の高度な感性と要望に応え、

無名の匠人達は先祖代々伝わる経験を生かし、

類稀なる創造力を発揮しながら困難に立ち向かい、

英知と生命力を奮い立たせて陶磁器を焼き続け、

生きる糧であったやきものに魂が入って、

たかが工業産品であった物を、やがては芸術品にまで高めた凄さなのです。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…





こちらの美術館では、常設展示で美しい陶磁器が鑑賞できます。

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やきもの談義(その18) 胴継ぎ


やきものは、母体となる胎土の性質によって優劣が決まるものです。

一千年も昔に景徳鎮では、カオリンと瓷石(陶石)を混ぜ、
高火度で真っ白に焼き上げた磁器を創り、

世界中の人をあっと言わせました。


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               釉裏紅花卉文瓜稜式蓋壺(ゆうりこう かきもん かりょうしきがいこ)
                 洪武官窯:明朝洪武期( 1368〜1398 )
                 (高さ)57.0cm   (直径)36.3cm
      

                

景徳鎮窯の古い瓷石は水挽きロクロが使えなかった!!


ところが、
今から四百年前の明朝末頃に麻倉土と呼ばれた瓷石の山が枯渇してしまいました。

別の山に代わってからは、瓷石の微妙な成分の違いから、
製造方法も完成品の雰囲気も、随分と変わって仕舞いました。

旧瓷石の場合は粘りが少なく腰が強い為に、その大きな違いとして、

水挽きによるロクロ成型が難しく、
型や手作りなどで部分的に成型したものを組み上げて、
乾燥後に削り出したものです。

部分成型して組み立てた?


壺や瓶などは、胎土でお椀状の上部と下部を別々に作って、
最後に上下を継いで削り仕上げる方法で成型しました。

この工法は『胴継ぎ』と呼ばました。
明末ころまでの掌程の小さな壺や瓶、椀などもでも胴継ぎをしてあります。

『胴継ぎ』は時代鑑定にならない?!


ただ、胴継ぎの有無が時代鑑定の基準と良く言われますが、
官窯など上手の物は内外を良く削ってありますので、慎重に観察する必要があります。

新瓷石以降は水挽きロクロOK!


ところで、この旧瓷石が枯渇して清朝初期に新瓷石に変わりますと、
滑らかさが増して水挽きロクロ成型が可能になりました。

繊細な曲線、鶴首の様な極細の成型、均一な厚みの薄手の皿等も、
自由自在に水挽きロクロで一気に成型が可能に成りました。

どっちが好きかって、それはあなたが決めること…


元朝から明朝の、厚手で武骨な胴継ぎ削り出し工法のやきものが好きな人…
清朝以降の、流れる様なロクロ成型で薄手で滑らかなやきものが好きな人…

その好みは分かれるところでしょうが、
胎土の違いで、作品のイメージがまったく変わってしまう良い例です。



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やきもの談義(その17) 唯一無二


天然の岩や粘土と、
複雑に入り混じった金属酸化物を細かく混ぜ合わせ、
真っ赤に溶けるかと思う程の高温で焼くと、

今迄の素材とはまったく違った様々な姿と色合いが現れ、
それはもう別世界の雰囲気になります。

イメージ 1

                 五彩龍鳳文出戟尊一対 「大明隆慶年造」款
                 (ごさい りゅうほうもん しゅつげきそん)
                 隆慶官窯:明朝隆慶5年製( 1571年製 )
                 (高さ)80.0cm  (直径)30.0cm         

                

『やきもの』とは、人間の英知と感性を吹き込んで焼きあげた物


しかしながら、煉瓦や瓦、ブロックならばこれで良いでしょうが、
通常『やきもの』と言われるには、作者の意図とした何らかの造形と,
文様と色合いとが複雑に絡み合って、焼き上がった物でなければなりません。

この地球上の天然無機質素材に、
人間の英知と感性を吹き込んで焼きあげた物こそが、『やきもの』とも言えましょう。

永い経験の積み重ねで『やきもの』は作られた


近代工業化された窯業では、
均一大量生産方式ですから同じ物はいくらでも造れます。

それに比べて昔の手作業式のやきものは、
永い経験の積み重ねと大変な苦労を重ねて作られました。

いわば血と汗と命の結晶から出来ているのです。

条件一つでどんなにも変えられるのが『やきもの』


やきものの出来に影響を与える諸条件として、
造形の大小軽重、胎土の成分、釉薬の成分、絵付材料の成分、焼成温度、などがあります。

これらの諸条件の基でそれぞれ五種類の成分条件で焼成したとするならば、
それだけでも何とその出来上がりは、3125通りの違った雰囲気になる訳です。

微少な素材の変化も、出来不出来に直結する怖さ


特に昔の中国にやきものは、胎土、釉薬、絵付材料などは複雑に含まれた不純物の為に、
それらの組み合わせは更に多岐に亙ります。

ですから、同じ物は絶対に出来ず、
恐らく対(つい)で焼かれたと思われる物でも左右同一の物は見た事がありません。

『やきもの』は唯一無二!!


勿論、造形の差異とか、絵付の筆使いが上手下手とか、
匠人のその日の気分などの人為的要素を入れますと、

その組み合わせは天文学的数字になり、
やきものは唯一無二といわれる所以です。



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やきもの談義(その16) 水の支配者


陶磁器の水差しのことを、
水注、執壷、仙盞瓶、注子、など色々な呼び方をします。

水差しの注ぎ口の内部は一穴です。
数個の小穴があるのは、お茶を入れる「急須」や「茶壷」と云い、水差しではありません。


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               青白釉瓜稜式水注(せいはくゆう かりょうしき すいちゅう)
                 景徳鎮窯:北宋朝時代 ( 960〜1126 )
                 (高さ)28.5cm (巾×奥行)19.8cm×14.5cm          

                

水差しの別名は『執壷』『水注』『仙盞瓶』など


中国の官窯磁器の水差しは、昔から総て『執壷』と呼ばれましたが、
これは、皇帝の食事の席などで、執事が水差しとして使用したからでしょう。

日本でも『水注』と呼びますが、
室町後期に明の国より招来した背高ノッポの水注を、『仙盞瓶』と名付けた風流な人もいました。

農耕民族のとって最も大切なものは≪水≫


農耕民族である中国の人達にとって、肥沃な大地を潤す水こそ最も大切な物でした。

古代からの土器や陶磁器の歴史は、水を入れる壺や缸や瓶であったのもその証拠ですし、
歴史に残る名君は、治水に励んで旱魃から農民を守ったものです。

龍は水神。だから【皇帝=水】です。


更に、古代からの中国のシンボル『龍』は水神であり、
【皇帝=龍=水神=水】ですから【皇帝=水】なのです。

だから、皇帝は水を良く支配し、水の支配者である皇帝に、
臣民は全幅の信頼を寄せて命さえ預けた、のだと思います。

『執壷』は特別なやきものだった!


中でも【皇帝=水】の際立ったシンボルの陶磁器が『執壷』です。

だからこそ、二千年の間に焼かれた皇帝用陶磁器の中でも、
『執壷』は格段の位置を保ち続けたのです。

官窯磁器の主流は『執壷』が担った!!


水に対する敬意と畏怖の念は、
初期の稚拙な技術の中でも極限のデザインを編み出しました。

唐朝から宋朝には、その基本デザインに青磁白磁の実用性を加味させ、

元朝から清朝迄は、青花釉裏紅五彩など華やかな宮廷什器として、

官窯磁器の主流を『執壷』が担いました。



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