●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

宋 竹仙のブログへようこそ!! 中国陶磁に魅せられて四半世紀。

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汝官窯 #17 汝官窯青磁奩式三足香炉



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                   汝官窯青磁奩式三足香炉




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                  器肌に出来た欠落部の拡大写真




 
この作品が、北京紫禁城郊外の円明園宝物殿に大切に納められていたらしいと推察される根拠を確実に証明できるものはないが、乾隆43年(1778年)に乾隆帝が収蔵した以来は、少なくとも紫禁城か円明園に置かれていたことは間違いないだろう。

円明園は清朝・康煕帝が離宮として構築を開始し、以降、代々の皇帝が拡張を重ねた、まさに清朝皇朝の権力の象徴的な離宮であった。紫禁城での公式行事以外の時間は、この離宮で優雅に過ごしたようだ。この概要はこちらの説明を参照されたい。
この円明園の構築に最も傾注したのは乾隆帝で、≪円明園イコール乾隆帝≫と言っても良い程であり、当然に皇帝の富の全てが円明園に置かれたとしても言い過ぎではなかろうと思う。しかしながら「奢れるものは久しからず」で、清朝後期に西欧祖国の侵略の的となり、財宝の略奪と焼き打ちによって、ついに滅びてしまったのである。今から150年前の「アロー戦争と円明園」事件である。
事件以来放置されていた円明園遺跡は、近年園内の整備が進んで公園として開放されているが、当時の建築物はもちろん、所蔵されていた財宝は一切復元されていないので、当時のよすがを知る由もない。通説では総数150万点の文物が消えてしまったと言われるが、その調査は昨年から始まったばかりである。

現在公開されている円明園に行かれた方はお気づきかと思うが、園内にはいたるところ水路と池が配置されているが、これは当時を慎重に復元したそうである。もともと首都北京は北方に位置するために風光明美とは言えず、歴代皇帝は温順な南方地方の景色に強い関心と憧れを持ち、南の風景を北京に作ったのが円明園の原点であるので、遠い山脈から水路を引き、園内にはいたるところに池を作って楽しんだのである。

この作品の所在をおぼろげながらでも証明できる証拠として、この写真に見られるような、器肌の全面いたるところに釉薬が「はぜて飛んだ」跡が見られることである。これらの小穴は何十か所とあり、触手でもざらざらとすぐ判る程である。通常の汝官窯青磁(その多くは窖蔵品のため)の器肌の表面は滑らかであり、釉薬がはぜて小穴が見えることは今まで経験したことのない現象である。

次回では、なぜ小穴があいてしまったのか、推論を交えて検証してみたい。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

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汝官窯 #16 汝官窯青磁奩式三足香炉



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                   御題詩文(台底)




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                  御題詩文の一部拡大




 
器の外底に焼きつけられた詩文を拡大して見ると、金泥で描かれた文字らしいことが判った。なかなか達筆で描かれた筆文字であるが、滑らかな磁器表面に、文字はわずか盛り上がっている。

かって、この文字部分の成分分析を公立機関で測定してもらったことがある。それによると、金、銀、鉛など複数の成分が含まれていることが判った。面白いことに、その他の成分として、器体(磁器)の成分も併せて検出されていて、明らかに文字を焼き付けた段階で、金泥と磁器の融合が行われたことが証明された。

この金泥文字は800度前後の温度で焼き付けられたと推定されるが、もちろん、簡単に擦って落ちるようなことはない。文字の表面はややくすんでいるが、おそらく含まれた鉛成分の酸化被膜と思われるが、ごわごわした布などでこすると以前の輝きを取り戻すことが出来る。

乾隆帝御題詩文が焼きつけられた陶磁器類は、この作品以外でもかなりの数が見つかったようだが、金泥で描かれたものが一番多く、その他として、黒や白などの上絵彩料で描かれたものもある。さらに特殊な例として、詩文文字を丁寧に彫り込んだ作品もある。いずれも、「後世に絶対残す」とした、乾隆帝の思い入れと執念が見て取れるのである。

この作品が、西暦1778年(乾隆43年)乾隆帝67歳の時に「後世に残す名宝」と位置づけられた以降、今日までの経緯は全く謎である。前回に述べたように、この作品が乾隆帝の手に入るまでの、流転の歴史は知る由もないのはもちろんのこと、収蔵された以降も不明のままであるが、推論としても乾隆帝以降の流転顛末を知りたいものである。

この作品の所在が確実に証明できるものとして、)盟彡(960-1127)で焼成されたこと。乾隆43年(1778年)に乾隆帝が収蔵したこと。J神10年(1998年)宋竹仙が収蔵したこと。この3点だけは間違いないだろう。そこで、△らに至る経緯の中で北京紫禁城郊外の円明園宝物殿に大切に納められていたらしいと推察される根拠を探ってみたい。

次回では、この作品が放つメッセージを読み砕いてみたい。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

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汝官窯 #15 汝官窯青磁奩式三足香炉



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                  汝官窯青磁奩式三足香炉(正面と台底)




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                  御題詩文の記載年銘




 
この作品には、清朝(1644-1911)の乾隆帝が入手した年銘が器底に記載されています。青磁の器体は1千年ほど昔の北宋朝(960-1127)に汝官窯で焼かれたものですが、惜しげもなく金泥で自作の詩文を焼きつけさせた乾隆皇帝は、はるか遠い昔にこの器を愛でたであろう北宋朝皇帝に思いをはせたことでしょう。

異民族の満州族出身の皇帝でありながら、漢民族が残した最高権威者だけが持つことを許されたこの器を「皇帝の名にかけて未来に残す」とした、その執念は、今日の我々が学ばなければならない、重大なメッセージであると思います。その根底には、この器は単なる権威者の象徴としての価値ではなく、人類共通の先人たちの生きざまが焼き込められている、と乾隆帝は見抜いたからに他なりません。

底裏の詩文最後に記載されている≪乾隆戊戌御題≫の戊戌(ぼじゅつ、つちのえイヌ)年は西暦1778年(乾隆43年)に当たり、乾隆帝(1711-1799)67歳の時です。乾隆帝が文化芸術に深い思いを持ち続けた円熟期の収集です。

この作品が乾隆帝の手に入るまでの、流転の歴史は知る由もないですが、収蔵された以降は、北京紫禁城郊外の円明園宝物殿に大切に納められていたものと推察されます。その当時、乾隆帝が最も力を入れていたのが円明園の構築と言われております。


この作品のが秘めたるその後の流転劇をご紹介いたしましょう。ただし、お断りしておきますが、あくまでも宋竹仙老人の推論を交えてのフィクションとしてご覧ください。



現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




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汝官窯 #14 汝官窯青磁奩式三足香炉



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                  汝官窯青磁奩式三足香炉(正面と台底)




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                   台底の御題詩文




 
汝官窯青磁を収蔵している博物館美術館として、台北故宮博物院はもっとも著名ですが、やきものの頂点に立つと言われる「雨過天青・汝官窯青磁」の美しさに、ただうっとりとされた方が多いのではないでしょうか。

台北故宮博物院に納められているそのほとんどは、清朝・乾隆帝が在位中に中国国内から集めた歴代文物の一部が、蒋介石によって北京から台湾に移されたと言われておりますが、その中心は漢民族が育んだ文化財ですから、我々日本人も共有している文化のルーツにつながるものでもあります。

乾隆帝が集めた歴代文物の中で、陶磁器も膨大な数がありますが、官窯と呼ばれる特別な磁器などには、あまりにも素晴らしいので、自作の詩文を金文字で書き込ませ焼き付けしてしまった物が数多く含まれております。

それらの詩文は、書き込まれたその作品に対する乾隆帝の解釈かと思われますが、実態は、その年度に集められた一群の作品全部に同じ詩文が書き込まれておりますので、恐らく乾隆帝が目の前にした沢山の文物の中で、意中の作品に対する思いを詩文にしたためたのでしょう。ちなみに、この作品と同じ年銘・同じ詩文が書き込まれた、南宋官窯作品が台北故宮博物院所蔵品にあります。

この作品もその例で、乾隆帝が入手した嬉しさに、1千年ほど昔に汝官窯で焼かれた器体の底に、惜しげもなく金泥で自作の詩文を焼きつけさせました。最高権威者であったから出来た所業でしょうが、皇帝の単なる所有欲から行った所業と言うより、ごく貴重な文物として、未来永劫に残すために印をつけたという方が正しいかも知れません。

この詩文の解釈は、浅学の私には残念ながら出来ません。どなたか、ご専門の諸氏からのご教授を頂ければ幸いです。



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汝官窯 #13 汝官窯青磁奩式三足香炉



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                  汝官窯青磁奩式三足香炉




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                 汝官窯青磁奩式三足香炉の台底付近

 


私のコレクションの中でもっとも重要な、北宋朝祭祀用の祭器「汝官窯青磁奩式三足香炉」をご紹介いたしましょう。この作品は、清朝乾隆帝も手に触れたであろうと思われ、数奇な運命をたどった痕跡を色濃く残す、歴史を背負った汝官窯青磁器です。

近年数多くの窖蔵品が見つかった汝官窯の青磁器は、そのほとんどが、ピカピカの焼かれたままの姿で忽然とこの世に現れましたので、多くの人々が大変驚いたものです。窖蔵品特有の新品同様に見える発見は、中国文化史を紐解くうえで、十分理解しないといけない現象と言えますが、日本人にはなかなか理解しにくいことかも知れません。

そんな中で、この作品のように、間違いなく伝世品(人の手に渡って伝えられた品)と思われる汝官窯青磁器は、類い稀な例と言えるでしょう。もちろん汝官窯青磁器の伝世品の代表例として台北故宮博物院の21点は有名ですが、この作品は、今まで見つかっている全ての汝官窯青磁器の頂点に立つ、大変貴重なものと確信しております。

次回以降では、この作品にまつわる検証をお話しましょう。



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