●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

宋 竹仙のブログへようこそ!! 中国陶磁に魅せられて四半世紀。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

≪私の美術館≫#20 琺瑯彩の花鳥図瓶です。


イメージ 1


                  琺瑯彩花鳥図瓶 ( ほうろうさい かちょうず へい )
                     「雍正年製」款
                    琺瑯作房・清/雍正(1723〜1735)
   
イメージ 2


「琺瑯彩磁器」は、清朝康煕後半から乾隆初期にかけて創られた、ごくごく特別な用途のために、特別に創られたやきものである。さらに、この琺瑯彩が創られた時代は、長い歴史を持つ中華文化の伝統に、西洋化の波がひたひたと近づいてきた時期に重なる。

「琺瑯彩磁器」とは、白磁胎の表面に琺瑯彩料を上絵付けして焼き付けたものであるが、今日でいう「粉彩磁器」と同じ工法で造られる。しかし、工法は同じでも「琺瑯彩磁器」と「粉彩磁器」とは全く別扱いされるものである。

「琺瑯彩磁器」の特徴は、景徳鎮官窯で特別誂えで焼かれた純白の磁胎のなかから極上品のみをを選別し、紫禁城内に特別造られた≪琺瑯作房≫と呼ばれる工房に持ち込み、表面に琺瑯彩料を上絵付けして焼き付けたものである。

この≪琺瑯作房≫には、すでにこの時代に西洋で完成されていた「琺瑯彩料(琺瑯ガラス絵具)」を特別に輸入し、なおかつ、琺瑯彩料を使い慣れていた西洋の絵付け師を特別に招聘して、白磁胎に上絵付けしたのである。

この作品≪琺瑯彩花鳥図瓶≫は、明代までの伝統的な官窯の彩絵磁器に見られた文様(パターン)は姿を消し、西洋の油絵ような絵画として白磁のキャンバスにガラス絵具を焼き付けたものである。立体面のキャンバスを使った油絵がここに完成されたのである。

琺瑯彩磁器の作品例は、この後に2作品をご紹介いたしますので、また覗いてみてください。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

開く コメント(0)

≪私の美術館≫#19 嘉靖官窯の豆彩蓋壷です。


イメージ 1


                  豆彩蓮池水禽文扁壷 ( とうさい れんちすいきんもん へんこ )
                     「大明嘉靖年製」款
                    嘉靖官窯・明/嘉靖(1522〜1566)
   
イメージ 2


豆彩とは、胚胎に薄いコバルトで下絵を細く線画し、本焼きのあとに線画の内部に緑彩料や赤彩料を乗せて上絵付けする技法であるが、とくに有名な成化豆彩は別として、この後の明代ではこの豆彩様式が上絵付け技法の中核をなすものであった。

特に、明の嘉靖や萬歴では豆彩の名人も輩出し、成化豆彩にも劣らないような作品も作られたが、成化豆彩のような女性的デリケートなデザインは出来なかったし、オリジナルティな作品からはほど遠いものであった。

しかし、嘉靖年代では当代随一といわれる緑色の彩料が開発され、成化豆彩とは一味違う鮮やかな緑色を使った豆彩が創られた。この嘉靖期に創られた緑彩料は大変な人気を呼び、そのご清朝初期まで、極上手の磁器の上絵付け彩料として少しづつ大切に使われたそうである。

この作品の≪豆彩蓮池水禽文扁壷≫は、壁か柱に掛けて花でも入れるような扁壷であるが、掌に乗る極小さな造りであることから、部屋のアクセサリであろう。ただ、口元には「大明嘉靖年製」と年款が堂々と入っており、れっきとした≪官窯≫ですよ、と主張しているあたりは、並みのものではない証拠か。

この作品にみられる≪蓮池水禽文≫は、どの時代でも代表的な吉祥文であるが、とくに嘉靖年代には良く使われた文様である。類品では≪蓮池魚藻文≫もあるが、やはり宗教的な意味合いの強い文様と言えよう。



現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

開く コメント(0)

≪私の美術館≫#18 成化官窯の豆彩蓋壷です。


イメージ 1


                  豆彩唐草文蓋壷 ( とうさい からくさもん がいこ )
                     「「大明成化年製」款
                    成化官窯・明/成化(1465〜1487)
   
イメージ 2


成化の豆彩とは、胚胎に薄いコバルトで下絵を細く線画し、本焼きのあとに線画の内部に緑彩料や赤彩料を乗せて上絵付けする技法であるが、成化豆彩がとくに有名なのは、緑彩料が「青豆」のような柔らかい色合いが、やや薄黄味を帯びた釉薬の肌色と相まって、一段のやさしさを演出していて、女性好みの美しさが陶磁史の中でピカ一であるからである。

成化豆彩の特徴は、緑彩料が「青豆」のような柔らかい緑色のため「豆彩(とうさい)」と呼ばれるほど、人の心を虜にするほどの良い色をしていたからに他ならないが、あまり知られていない事実として、鮮やかな「赤色」彩料が使われていることである。

緑色の彩料と、赤色の彩料を同じ大きさで上絵付けすれば、赤色ばかりが目について緑色は弱く感じるが、緑色一色の中に赤色1点を散らすと双方の色が引き立って美しく見えるものである。美しい赤色を引く立てるために、緑色をベースに使ったのが成化豆彩の最大の特徴である。

この作品にみられるように、全体の基本的な唐草文は緑彩(豆彩)で描き、花芯と蝶の羽だけを赤色でまとめてあって、まことに心憎い色使いである。この絵の趣旨は、花芯の蜜に吸いに来た、羽ばたく蝶なのである。

この作品の≪豆彩唐草文蓋壷≫は、左右対称に描かれた唐草と蝶が優雅に上絵付けされ、雅な中に落ち着きを感じる名品である。もちろん、掌に乗る大きさで、女性好みの造形から、奥の院での貴妃達のものであろう。

高台底には「大明成化年製」と入っているのは、官窯のしるしで、それなりの数は造られたことが覗えるが、この時期の「大明成化年製」款の作品が大変評判がよかったので、後世(17世紀初頭の明末頃)の景徳鎮の民窯で、真似して「大明成化年製」款を入れた品物が焼かれたり、日本にもその名残が伝わって、古伊万里などにも下手な字で「大明成化年製」と書いてあるものがある。



現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

開く コメント(0)

≪私の美術館≫#17 成化官窯の青花蓋壷です。


イメージ 1


                  青花唐子文蓋壷 ( せいか からこもん がいこ )
                        「天」字款
                    成化官窯・明/成化(1465〜1487)
   
イメージ 2


成化帝の乳母・万貴妃は、皇帝に寵愛され、やがて皇子を産んだが、その皇子も死んでしまい、それ以来は皇帝の子を産ませないようにと宮中の女性に目を光らせた。万貴妃の専横は皇帝を超えるほどであった。

当然の成り行きとして、宦官たちが皇帝に取り入ることはもちろんとしても、毎日きゅうきゅうとして万貴妃に気に入られることを願ったことは想像に難くない。

この作品の≪青花唐子文蓋壷≫は、万貴妃の母心をくすぐるするような、唐子らが遊ぶ様を描いていて、小ぶりで、可愛く、美しく、優しい、そんな仕上げとなっている。おそらく、皇子が存命中に万貴妃が皇帝から賜ったものではなかろうか。

高台底には「天」と入っているのは、通称「てんじかん」と呼ばれる、と前回も説明したが、天子、すなわち皇帝専用のものである。成化帝も皇子の誕生を喜び、成化帝が造らせて万貴妃にプレゼントするための作品だったに相違ない。

この作品にみられるように、成化期の青花磁器は、とても淡いコバルト青料の使い方で、柔らかく優しい感じを受ける作品がほとんどである。一説には輸入コバルトが途絶えたので、在庫を細々と使ったためといわれている。

その真偽はともかく、成化官窯作品は柔らかく優しい感じのものが多いということは、成化期の皇朝の世相が軟弱だったことを色濃く反映しているものと思われる。もっとも、成化後期においては、大ぶりで、かっちりとした造りの作品が残されているので、成化帝も後半はちゃんと治世したのではなかろうか。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

開く コメント(0)

≪私の美術館≫#16 成化官窯の豆彩蓋壷です。


イメージ 1


                  豆彩花蝶文蓋壷 ( とうさい かちょうもん がいこ )
                        「天」字款
                    成化官窯・明/成化(1465〜1487)
   
イメージ 2


明の朱見深(1447-1487)は17歳で即位し、成化(1465-1487)帝となった。皇后はいたが19才も年上の万という乳母を愛し続け、皇子が生まれたのちに万を貴妃にとりたてた程である。皇子は死んだが、万貴妃の専横は皇帝を超えるほどであった。

万貴妃は、皇帝の子を産ませないように宮中の女性に目を光らせたが、万貴妃の目を逃れてひそかに養育されたのが、のちの弘治帝である。

どの世でも同じことだが、上(かみ)にへつらう宦官たちが皇帝に取り入ることはもちろんとしても、毎日きゅうきゅうとして万貴妃に気に入られることを願ったことは想像に難くない。

奥の院にいる、貴妃や官女に気に入られるような什器備品を用意することが宦官の役目となれば、おのずと女性好みの、小ぶりの、美しいものを調達する訳だ。

この作品の≪豆彩花蝶文蓋壷≫は、まさに奥の院の女性たちを虜にするような、小ぶりで、可愛く、美しく、優しい、そんな仕上げとなっている。柔らかい緑色を中心として、鮮やかな赤色を要所に使って、花と蝶の文様が美しい。

高台底には「天」と入っているが、通称「てんじかん」と呼ばれる、天子、すなわち皇帝専用のものである。成化帝は若年であったにせよ、こんな女性好みの作品を所有したいと願ったとは思えず、天子が造らせて貴妃にプレゼントするための作品だあったに相違ない。

成化の豆彩とは、胚胎に薄いコバルトで下絵を細く線画し、本焼きのあとに線画の内部に緑彩料や赤彩料を乗せて上絵付けする技法であるが、成化豆彩がとくに有名なのは、緑彩料が「青豆」のような柔らかい色合いが、やや薄黄味を帯びた釉薬の肌色と相まって、一段のやさしさを演出していて、女性好みの美しさが陶磁史の中でピカ一であるからである。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

宋竹仙老人のコレクションに関心のある方は、こちらをごらん下さい。

       中和堂コレクション

開く コメント(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事