●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

宋 竹仙のブログへようこそ!! 中国陶磁に魅せられて四半世紀。

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≪私の美術館≫#15 宣徳官窯の青花紅彩執壷です。


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                  青花紅彩海八怪文執壷 ( せいかこうさい うみはっかいもん しっこ )
                       「大明宣徳年製」款
                    宣徳官窯・明/宣徳(1425〜1435)
   
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明の永楽帝(1402-1425)の代、宦官・鄭和は皇帝の命により大艦隊を率い、南海に向けて大航海を開始したのが永楽3年(1405年)であった。この大航海は合計7回にわたって行われた。

この大航海に使われた最大の旗艦船は、全長140メートルもの巨大な木造船で、その他60余隻もの船団に3万人の船員を引き連れて、明朝永楽帝の巨大な権力を諸国に示して朝貢貿易を行ったのである。

大航海は永楽期に6回行われ一旦終了したが、宣徳帝は自分の代でどうしても大航海を行いたいと願い、宣徳5年(1430年)ついに実現したのである。宣徳帝は即位するまでの間に、おそらく、宦官・鄭和から、大航海の都度のスリリングな話を聞きながら、どんなに胸をわくわくさせていたことか、想像に難くない。

7次にわたる大航海では、語りつくせないほどの苦難難行があったであろうし、嵐にもまれて夢幻に怪獣が出現したり、異国の奇獣の夢にうなされたり…宣徳帝はその情景を焼き物に書き写したのであった。

この作品にみられる≪海八怪文≫は、宣徳帝が造らせた一連の作品群として残した、大航海のシンボル的作品である。この作品は小型であるが、中には1mもの直径の大盤や1m高さの梅瓶など、青花や釉裏紅の最高レベルの官窯磁器で構成されている。

この作品は肩に「大明宣徳年製」と入っているが、一連のものには年款銘のないものが多いので、近年まで年代確定が出来ないでいたが、景徳鎮官窯跡で発掘された陶片の遺品で「宣徳官窯」と特定された。

宣徳期の青花は4種類の色合いがあると言われ、この作品のように若干黒味を帯びた青色は、赤色とか黄色の際立つ色を引き立たせるために、あえて使われたコバルトの配合である。

永楽皇と宣徳帝が行った宦官・鄭和に命じた大航海の朝貢貿易では、最大の目玉商品は景徳鎮の陶磁器で、次いで絹織物であったそうだ。特に、元朝で味をしめた青花磁器は莫大な外貨を獲得し、歴史に残る大航海を成功させたのである。磁器が揚子江南岸で誕生してから1400年後の成果であった。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




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≪私の美術館≫#14 明朝の白磁です。


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                  白釉凸花龍鳳文長頚瓶 ( はくゆう とっか りゅうほうもん ちょうけいへい )
                       「永楽年製」暗花款
                    永楽官窯・明/永楽(1403〜1424)
   
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宋代の官窯の流れを汲む、無垢の白い磁器は元代でも造られたが、明代では永楽官窯で一群の特別な白磁が焼かれた。

それらは≪甜白釉≫と呼ばれる、少し失透性の釉薬が掛かり、景徳鎮特有の、冷たすぎるほどの純白をカバーして、奥ゆかしい白さに仕上げている。

その多くの作品は、胎土をとろとろに溶いてイッチン盛りで龍とか鳳凰の文様を描いて、その上から≪甜白釉≫を掛けている。イッチン盛りの文様はごく細いので、光線に透かして良く見ないと判別できないほどである。

本作品は掌に乗る程の小さなものであるが、長頚の中ほどには弦文があり、細口の先端は盤口である。これこそ、宋代の官窯の約束の形を完璧に踏襲しているのである。龍と鳳凰の一対の絵柄からして、皇帝と妃の祝い事に用いるためのものだろう。

高台の底には≪永楽年製≫と暗花で刻識があり、明代官窯の年銘を入れる魁となる作品である。この官窯の年銘を入れる様式は、この永楽年の次の「宣徳年」から始まるのである。

≪甜白釉≫官窯白磁の類品は近年一群として見つかり、さまざまな形のものがあることが分かってきた。もちろん、通常の官窯作品に比べれば圧倒的に数は少ないし、同じ形の作品は一対二対程度の数で造られたと思われる、希少なものである。

また、≪永楽年製≫と暗花で刻識された、≪甜白釉≫官窯白磁以外の青花磁器なども散見できるが、それらの作品の出来栄えは全て極上品であることから、この≪永楽年製≫官窯磁器は、永楽年の特別な国家行事のために特注されたものだろう。

永楽皇帝は、南京から北京に遷都した巨大な力量の皇帝であったことから、その特別行事とは遷都そのものだったかもしれない。現在の故宮の三倍もの大きな宮城を築いたそうだから、昨年のオリンピック大会を10回も開くような大行事だった?かも。


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≪私の美術館≫#13 元朝の青花磁器です。


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                  青花束蓮文梨壷 ( せいか そくれんもん りこ )
                    景徳鎮窯・元(1279〜1368)
   
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清純、静寂、落ち着き、安定などの感性にぴったりの≪青磁≫は、越州窯で始まった磁器の歴史を営々と育んできたが、元朝で始まる≪彩絵磁器≫の出現により、大きく変貌を遂げた。

なかでも、今日まで磁器の主流を占める≪青花磁器≫の発明は、2千年の陶磁史の中でも特筆すべきものだろう。白磁胎にさわやかなコバルトで描かれた、やきものと絵画の特徴を併せ持つ未知の作品に、当時の貴人たちは巨万の富を注ぎ込んだ情景が浮かぶようだ。

コバルトによる青色の色付けは、イスラム圏においてかなり古代より施釉陶としてタイルに使われていたようだが、シルクロードを通じて中国にもたらされて、13世紀半ば頃に磁器に応用されたと考えるのは難くない。

13世紀半ば頃の「磁州窯」の極初期青花磁器の作品例では、酸化コバルトで釉下彩したというより、すでに発色させたコバルトブルーのガラスを粉末にして釉の下に塗った、と思われる作風が見られる。

本作品は、元朝の景徳鎮窯の青花磁器である。南宋後半(金代後期)ころに「磁州窯」で開発された青花手法を基軸にして、景徳鎮の良質な磁土の特徴を生かして完成されたものと思われる。

発掘によって見つかったために、釉薬もコバルト層までカセが入り、表面はぼろぼろしている。とくに、つまみの獅子は釉薬が薄いので、胚胎までカセている。土に直接埋められていると、こんなように肌が侵されるのは、良くある例だ。

この作品の造形は、中国古来の梨(なし)の形をしているので≪梨壷≫と呼ばれる水注である。たいがい小型のものであるが、水注とは言いながら酒を酌み交わす酒器である。こんな酒器で優雅に酒を飲んでみたいものである。

文様に描かれた「束蓮文」は、もちろんハスの花束の文様である。ハスは仏教との関連で描かれることが多いので、酒器とはいえ、仏具の一種かもしれない。とすれば「優雅に酒を飲んみたい…」などとは不遜な事かも知れない?


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≪私の美術館≫#12 元朝の五彩磁器です。


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                  五彩纏枝唐草文高足盃 ( ごさい てんしからくさもん こうそくはい )
                    景徳鎮窯・元(1279〜1368)
   
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2千年前ころ越州窯で始まった中国磁器は、宋代の≪官窯青磁≫で頂点に達したが、それらは漢民族の代表的な文化として確固たる歴史を刻んできた。

質素な造形と、モノポリーな色彩のみで構成される≪青磁≫は、清純、静寂、落ち着き、安定などの感性にぴったりであるが、元朝支配の騎馬民族の為政者には「もっと躍動的なもの」が求められた。

青磁一辺倒の宋朝にありながら、騎馬民族支配地に近い北方の窯「磁州窯」は早くからその傾向を察知し、のちの青花や釉裏紅、五彩などの彩絵磁器の魁となった。

本作品は、元朝の景徳鎮窯の五彩磁器である。おそらく、南宋後半ころに「磁州窯」で開発された≪宋赤絵≫を基軸にして、景徳鎮の良質な磁土の特徴を生かして完成されたものと思われる。

青花磁器と違い、やや甘めに焼成された胚胎に、酸化銅と酸化鉄を上絵付けして再焼成し、緑と赤を発色させたものである。基本的には今日の上絵付け磁器(五彩磁器)とまったく同じである。

言葉でいえば簡単なことであるが、一度掛けて焼いた釉薬の上に、別の色を乗せて焼きつけることは難しい技術であったろう。釉層にキチンと溶け込むことはもちろん、彩料が流れたり滲んでは元も子もない。

本作品の≪高足盃≫は、騎馬民族の≪馬上盃≫の形である。試作間もない五彩の馬上盃を所望した貴人とは、いったい誰であったろうか?ジンギスカンの血を引く末裔の一人であったかも知れないですね…


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≪私の美術館≫#11 南宋の郊壇下官窯青磁です。


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                  粉青釉台付三足香炉 ( ふんせいゆう だいつき さんぞくこうろ )
                    郊壇下官窯・南宋(1127〜1279)
   
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南宋皇朝の官庁であった≪修内司≫部門で調達したやきものは、「修内司官窯」様式の作品として様々な雰囲気のものがあり、つぎの本命「郊壇下官窯」への移行期の試作を兼ねていたようだ。

戦前に日本人の手によって発見された「郊壇下官窯」跡は、現在≪南宋官窯博物館≫として公開されている。大型な登り窯を中心に、大規模な窯跡が再現されて、当時の官窯の盛んだった様子が良く判る。

館内では、窯跡から発掘された陶片などの復元資料も多数展示され、官窯磁器の造形見本としては大いに参考になるが、もちろん、それらの資料は不良品だったので破壊され破棄されたことを忘れてはならない。

特に、本作品のように貫入(ひび)に入った復元品はまったく見当たらず、陶片すら展示されていない。実に不思議なことであるが、今日、内外の美術館で実見出来る「郊壇下官窯」青磁の、貫入した青磁様式の復元品が見当たらないのである。

北宋朝で確立した、日本流にいう≪貫入≫したやきものが≪官窯≫様式の定型的なスタイルである、との約束を、南宋朝で踏襲したのは間違いない事実として、≪南宋官窯博物館≫に展示されている発掘復元品に、貫入した青磁が見当たらないのはなぜか?

その答えは、北宋朝の「汝官窯」青磁にあるようだ。「汝官窯」では、…たとえ不良品といえども、すべて宮廷へ納めた。…と言われ、それが故に汝官窯の窯跡からは、例の雨過天青の陶片すら見つかっていなかったそうだ。

本作品の「郊壇下官窯」青磁は、ごく小型な作品にもかかわらず丁寧な造りで、さすが官窯磁器であると感心する出来栄えである。もちろん、親王貴族などの貴人の特注品としてと特別に焼かれたものだろう。


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