●●館主・宋 竹仙の≪やきものつれづれ草≫●●

宋 竹仙のブログへようこそ!! 中国陶磁に魅せられて四半世紀。

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≪私の美術館≫#10 南宋の修内司官窯青磁です。


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                  青釉鳳耳盤口瓶 (せいゆう ほうじ ばんこうへい)
                    修内司官窯・南宋初期(1150年前後)
   
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北宋が北方の女真族の金に追われて長江南岸の杭州へ南遷し、改めて皇朝を樹立したのが南宋である。仮住まいの宮廷とはいえ、日常生活はもとより、公式行事のためには什器の調達が急がれたことは想像に難くない。

杭州に近い窯で、長い歴史を持つ「龍泉窯」に白羽の矢が立ったのは当然として、「越州窯」の本流技術を残していた旧い窯も再興して、官窯の再建を目指していたようだ。

「龍泉窯」では焼けなかった、北宋官窯独特の技術である≪素焼焼成≫の青磁を再現しようと、躍起になったに違いない。≪貫入≫の語源とされる≪官窯≫である約束は、ひびの入った焼き物でなければならなかったからである。

近年、南宋の「修内司官窯」の窯跡が発見されたとの発表のあと現地を訪れたが、後日、その遺跡が「修内司官窯」の窯跡とは言い難い、と訂正された。

≪修内司≫とは、南宋はもちろん北宋でも使われた宮廷での官庁名称とされているので、本来、「修内司官窯」は官窯として設営された窯があった訳ではなさそうだ。≪修内司≫部門で調達したやきものを総称するのが正当と思われる。

この作品は、南宋初期の「修内司官窯」青磁である。このスタイルから見れば、皆様はすぐに「龍泉窯」青磁と思われるが、明らかに素焼焼成であるので、官窯様式のやきものである。「修内司官窯」様式の作品は様々な雰囲気のものがあり、つぎの本命「郊壇下官窯」への移行期の試作を兼ねていたようだ。

日本で≪砧青磁≫と呼ばれるスタイルでもあるが、日本で見られるこの種の多くの作品は、恐らく龍泉窯献上品にあやかってやかれた作品の一部が招来したものであろう。


現代に学ぶこと多し、中国陶磁史…




この作品は、こちらの美術館で鑑賞できます。

       中和堂中国美術館

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≪私の美術館≫#9 南宋の龍泉官窯青磁です。


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                  粉青釉花稜式瓶 (ふんせいゆう かりょうしき へい)
                    龍泉官窯・南宋初期(1140年前後)
   
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長く続いた唐皇朝が滅び、五代十国期の諸藩諸国の時代を経て統一国家となった宋皇朝(北宋)は、黄河流域の開封でおおいに栄えて、中華文化の礎を築いた。

その北宋も北方の女真族の金に追われて長江南岸の杭州へ南遷し、改めて皇朝を樹立したのが南宋である。しかし南宋皇帝の心の底では、杭州での皇城はあくまでも仮住まいのつもりであったに違いない。

命からがら逃げ延びてきた仮住まいの宮廷とはいえ、日常生活はもとより、公式行事は当然執り行われる訳だから、それらを充足するための什器の調達が急がれたことは想像に難くない。

もちろん北宋の官窯(汝官窯や北宋官窯)は、敗残したときに完全消滅の運命をたどり、工匠はもちろん原材料や焼成技術はすべて闇に葬られてしまったのである。

北宋官窯の技術が利用出来ない当然の結末として、南宋皇朝では国内地域で最高の焼成能力を有する窯に外注して、俄か仕立てあろうがなりふり構わず調達したはずである。

杭州に近い窯で、長い歴史を持つ「龍泉窯」に白羽の矢が立ったのは自然の成り行きであろう。「越州窯」の本流技術を最も良く伝えながらも民窯で終始していた「龍泉窯」は、チャンス到来と大喜びしたにちがいない。

この作品は、そんな官窯リリーフヒッターとして登場した「龍泉官窯」の青磁である。(龍泉官窯の名称は近年の研究に基づく中国研究者の呼称であるが’官窯様式’のやきものと解釈した方がよさそう。) この種の粉青釉の青磁を日本では≪砧青磁≫と呼んでいる。



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≪私の美術館≫#8 南宋の景徳鎮白磁です。


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                  白釉褐斑文堆花盒子 (はくゆう かつはんもん たいかごうす)
                    景徳鎮窯・南宋(1127〜1279)
   
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唐代では「定窯」に後塵を拝した「景徳鎮窯」の白磁(白釉磁器のこと)だが、北宋では互角となるほどの発展を遂げ、南宋では「定窯」の没落とともに、頭角を現してきた。が…

しかし、残念なことに南宋では青磁が珍重されたために、またもや「景徳鎮」白磁は鳴かず飛ばずで終わり、窯業の主導権は「龍泉窯」に奪われた。

この作品は、盒子の中に、人物とハスの花葉を手びねりして造り込み、磁器として焼いた副葬品と思われる。生き写しの俑や明器を作り、没後の墳墓にそれらを納める副葬品は、漢代以降宋代まで盛んに行われた風習である。

墳墓を造れる人は、皇帝初め親王貴族武将などの貴人は当然として、庶民階級も自由に造れたのかどうかは良く知らない。しかし、副葬品が生前の生活を再現しているとすれば、残されたもののメッセージを読みくだくことだ。

この作品のように、ハスの花に囲まれた優雅な生活が出来た人とは、庶民階級には先ずおりますまい。封建制度の中でこのような生活が出来る人たちとは、いったい誰なのか?

盒子の蓋には、6点ほどの褐斑文は薄くつけられている。これはハスの実(蓮子)を表しているが、蓮子は皇帝への貢物として古代より珍重されたものであるから、この作品は恐らくそんなレベルの貴人の副葬品であろう。

南宋の「景徳鎮窯」は官窯陥落の悲哀を味わいながらも、陶彫で献上品を作って活路を見出そうとしていた可能性が見て取れる作品であり、武骨な作行きの「龍泉窯」では真似のできない境地のようだ。



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≪私の美術館≫#7 北宋の定窯白磁です。


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                  白釉刻花蓮花文葫蘆式水注 (はくゆう こっかれんかもん ころしきすいちゅう)
                    定窯・北宋(960〜1127)
   
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唐代から喫茶の風習が始まり、お茶の雰囲気が白磁の茶碗と相性は良いので、盛んに白磁の茶碗が焼かれるようになりました。唐代の白磁では「?癆州窯」白磁がもっとも有名です。

「?癆州窯」以外にも、唐三彩を焼いた他の多くの窯でも白磁がありましたが、その多くは素焼に近い半陶半磁のものです。(*前にも申し上げましたが、唐三彩は低温焼成の陶器で、高温焼成の磁器とは別種です)

北宋朝で一斉に花開いた「北方窯の磁器」といわれる諸窯の中でも「定窯」は、同じ河北省の「?癆州窯」を超える白磁の窯として頭角を現しました。

「定窯」の白磁は、しっかりと焼けた磁胎に、やや粘りのある透明釉(白釉)が薄く掛かった、たいへん優雅な作品が多く見受けられます。この白釉はときたま釉が流れてまるで涙のような跡をつくるので、≪涙痕≫などと呼ばれます。

「定窯」白釉は、やや黄みを帯びた独特の象牙色をしていますが、おそらく燃料の石炭による酸化炎焼成の影響と思われますが、観る人に気品と安らぎを与えてくれる、とても柔らかい色合いです。

この作品は、五代期の雰囲気を残す、北宋期の「定窯」の葫蘆式水注です。流れるように流暢な曲線で浅く掘られた蓮花文は、格調高い造形と相まって、モダンで気品ある作品に仕上げています。

葫蘆(ころ)はヒョウタンの事ですが、中国では古代より吉祥文として文様や造形に良く見られるものですし、水注も宮廷什器の中でも重要なものとして扱われて来ましたので、この作品もおそらく献上品の一つだったと思われます。



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≪私の美術館≫#6 北宋の耀州窯青磁です。


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                  青釉刻花牡丹文盤口瓶 (せいゆう こっかぼたんもん ばんこうへい)
                    耀州窯・五代〜北宋初期(907〜960頃)
   
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唐朝の都に近かった「耀州窯」は、磁器が全盛となる宋朝以前から≪唐三彩≫などの陶彫に長けていた。

≪唐三彩≫の中でも貴妃俑とか特別仕立ての鞍馬俑などは、生前の生き写しとなるように匠人が小刀で要所を修正したと言われるが、これが後の≪片切り彫り≫と呼ばれる「耀州窯」独特の様式につながった。

北宋朝で一斉に花開いた「北方窯の磁器」といわれる耀州窯・定窯・鈞窯・磁州窯などの諸窯は、素材と技術の違いを生かし、それぞれ独自の様式を編み出し、競い合った。

中でも「耀州窯」は、文様表現の技術である、胚胎の表面深く切り込む≪片切り彫り≫工法では他を寄せ付けず独壇場であった。

流れるような曲線で≪片切り彫り≫された彫跡には、ややくすんだ青緑色した飴釉が溜まり、文様の線に力強い濃淡のアクセントを与えている。

この作品は、五代〜北宋初期にかけて「耀州窯」で造られた磁器と思われるが、北宋朝での洗練された片切り彫りに昇華する前の、さきがけ的作品である。

造形に見られる≪盤口≫式の口作りは、官窯様式の一つで、古代からよくつかわれる様式として表現されてきた。今日まで丁寧に残されたことを勘案して、おそらく献上品の一つだったと思われる。

「耀州窯」の窯だき燃料は石炭だったと言われているが、この飴釉を拡大鏡で覗くと、ごく微細な石炭灰らしきものが見られることから、間違いないだろう。

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