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コローは最初の師ミシャロンの死後、ミシャロンの師だった、ジャン=ヴィクトール・ベルタン(Jean-Victor Bertin)に師事。ベルタンは多くの若い画家たちを教え、戸外に出て、自然に直接向き合って描くよう勧めたというが、彼自身は、プッサンやロランのような伝統的な、古典古代の牧人を配した理想風景を描き続けた。 |
新古典派
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新古典派 Neoclassicism
ギリシャ・ローマの古典古代の美術様式への回帰を目指した。
フランス革命後、主情的なバロックおよび貴族的なロココに対する反動から。社会的背景に、アメリカ独立戦争、フランス革命により主要となった、古代思想の再評価がある。
古代ギリシャ・ローマの様式を規範とする、簡素で厳格な、理知的で非主情的なフォルム、端正で壮大な形式が特徴。また、完成された滑らかな仕上げを好んだ。
考古学的な正確さに関心を持ち、古代のモティーフを多用した。
19世紀、アカデミズム芸術の基本原理として長く継承されるが、次第に変容し、形骸化した。壮大な形式をそのままに、歴史的事件などの具体的な情報を伝達し、観者を鼓舞しようとして、威圧的雰囲気や躍動感が強調され、古典古代様式に特有の端正な簡潔性が失われたため。
遠い古代や異国に対する憧憬は、ロマン派に影響を与えた。
代表的な画家は、メングス、ダヴィッド、アングルなど。
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アシル・エトナ・ミシャロン(Achille Etna Michallon)は、コローが最初に師事した画家。サロン入選を果たしてイタリアへ留学、イタリアの風景を熱心に描いたという。イタリア帰りの彼のアトリエに、コローがやって来たのが26歳のとき。その後、ミシャロンは急逝。このとき、やはり26歳だった。自然を直観し、その印象を解き明かすよう努めるように、というミシャロンの教えは、そのままコロー自身の姿勢となった。 |
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私が美術館で出会ったルブランの絵は大抵、エプロン姿に花を散りばめた、素朴で愛らしい田舎娘の肖像。名のある貴族たちの肖像画で有名なルブランだから、多分、こうした風俗画的な肖像画はマイナーなのだろう。が、お抱え肖像画家が後世でもなお人気を得る理由の一つは、こうした飾らない、自然な絵を描くことのできた力量に、あるように思う。 |
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つい最近、とある男性画家が、「絵を描く女性は生意気ばかりだ」と公言しているのを見つけた。私はその内容よりも、そういうことを平然と公言できる事実自体に驚いた。現代ですらそうなのだから、ルブランの時代は推して知るべし。貴族の肖像画家として成功した彼女は、アカデミー会員に迎えられるが、アカデミー関係の男性たちから猛反対を受けたという。ちなみに彼らは、王妃アントワネットの圧力で黙り返った。こういう男性って、権威には弱いもんだ(権力側の権威であれ、反権力側の権威であれ)。 |
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Elisabeth-Louise Vigee-Lebrun)は、18世紀で最も成功した女流画家。広く、ヨーロッパ貴族の肖像画を描き、その数は600を超える。フランス王妃マリー・アントワネットのお抱え画家だったことで有名。古い絵の企画展なんかに行って、いかにもフランス娘らしい華奢な女性の肖像画があったりすると、やっぱりルブランの絵だったことが多々あった。新古典派に括られることが多いが、私に言わせれば、ロココ的な雰囲気の肖像だと思う。 |




