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美術史の解説で読んだが、アレクセイ・ヴェネツィアーノフ(前掲)は、パーヴェル・フェドートフ、アレクサンドル・イワーノフと並んで、移動派を先駆するリアリズムの画家だという。ロシアで初めて農民の風俗を描いた。独学で絵を学び、成功後は、獲得した絵の賞金を用いて、農奴などにほとんど無償で絵を教えたという。この絵は来日していたもの。なお、ブラクとは白樺の皮で作られた容器。 |
移動派
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移動派 Peredvizhniki (Itinerants, Wanderers, Travelers)
1870年に結成された「移動美術展協会」に由来。同協会の理念は、ロシア国民に同時代の絵画を知る機会を与える、ロシア社会の芸術愛を発展させる、芸術家の作品を売りやすくする、など。
ロシア各地を巡回して展覧会を開催し、ロシア国民の意識を啓蒙した。絵画を媒介として、ロシア社会の変革を目指した。
こうした社会や道徳に対する関心・批判を反映して、ロシア農民の生活や伝統、ロシア風景、ロシア史実にもとづいた宗教や歴史、などを主題としたのが、絵画上の特徴。
民衆に受け入れられやすい写実様式で、民衆的な主題を取り上げる姿勢は、思想的写実主義(Ideological Realism)とも呼ばれる。
アカデミーの権威主義、西欧古典絵画への偏重、に対する反撥から。また、ロシア帝政による圧政が背景にある。
ロシア絵画の写実主義の発展に寄与し、絵画の対象領域を広げた。
代表的な画家は、クラムスコイ、ペロフ、スリコフ、レーピンなど。
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ワシーリイ・スリコフ(前掲)は移動派の歴史画家。シベリア・コサックの村の出身。彼の描く歴史のテーマは、民衆が主人公となったロシア史実。彼は歴史画をたった9点しか残さなかったそう(しかもすべて大作)で、今回の企画展では会えなかった。風俗画的な人物画も多く残している。この絵はルノワールが描くようなおデブちゃんだけれど、寒い地方じゃこれくらい脂肪がなければ暮らせないかな。これは来日していたもの。 |
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アルヒープ・クインジ(前掲)も移動派に参加したロシアの風景画家。幼くして両親を亡くしたために自活、我流で絵を学んだ。我流の強みか、彼の画風には独特の光が作り出す情感があって、移動派に多かった写実的な描法とは一味異なる。 |
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ポレノフは知的な貴族の出で、父は軍の高級将校で考古学者、母はアマチュア画家で美術愛好家だったとか。科学と芸術に親しんで育ち、大学で法律、アカデミーで絵画を同時に学び、弁護士資格とアカデミー金賞を同年に獲得したという。パレスチナを二度来訪し、キリストの生涯をテーマにシリーズで描いてもいる。 |
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外光派=プレネリスム(pleinarisme)は、戸外(plein-air)から来るタームで、概ね、印象派から影響を受けて、明るい色彩で戸外の光を表現した、印象派以外(アカデミズムも含めて)の絵画傾向を指すらしい。ポレノフはフランスに滞在中、バルビゾン派から感銘を受け、ロシア帰国後は移動派に参加、戸外で制作するというヨーロッパのスタイルをロシアに導入した最初の画家となった。従来のロシア風景画の叙情性に比べると、ポレノフの絵は、より自然の光を浴びたような感じ。この絵は来日していたもの。 |



