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イワン・クラムスコイ(前掲)は移動派を主導した、19世紀後半ロシアを代表する画家。彼の肖像画は構図も色彩もシンプルで、その分、モデルの内面性に眼を向けさせる表現となっている。当時の著名人の肖像画も数多いけれど、身近な人物や農民などをモデルにしたものは、忘れがたい素朴な輝きを放っている。この絵は来日していたもの。 |
移動派
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移動派 Peredvizhniki (Itinerants, Wanderers, Travelers)
1870年に結成された「移動美術展協会」に由来。同協会の理念は、ロシア国民に同時代の絵画を知る機会を与える、ロシア社会の芸術愛を発展させる、芸術家の作品を売りやすくする、など。
ロシア各地を巡回して展覧会を開催し、ロシア国民の意識を啓蒙した。絵画を媒介として、ロシア社会の変革を目指した。
こうした社会や道徳に対する関心・批判を反映して、ロシア農民の生活や伝統、ロシア風景、ロシア史実にもとづいた宗教や歴史、などを主題としたのが、絵画上の特徴。
民衆に受け入れられやすい写実様式で、民衆的な主題を取り上げる姿勢は、思想的写実主義(Ideological Realism)とも呼ばれる。
アカデミーの権威主義、西欧古典絵画への偏重、に対する反撥から。また、ロシア帝政による圧政が背景にある。
ロシア絵画の写実主義の発展に寄与し、絵画の対象領域を広げた。
代表的な画家は、クラムスコイ、ペロフ、スリコフ、レーピンなど。
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ロシアの移動派は、貧困のなかで生きる人々を描いた。それらの絵に人間性を感じるのは、画家が貧困そのものではなく、人々の実直さ、質素さ、不屈さ、謙虚さなどに眼を向けていたからだと思う。貧困には無知や粗野も付きまとう。描かれる人々が温かく、力強いのは、虐げられているからではなく、虐げられてなお人間的であるからだと思う。 |
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ロシア社会の下層で暮らす人々の生活を描き続けたペロフだったが、後年は肖像画も手がけた。当時名の知られたロシア知識・文化人の肖像画も多く、なかでもドストエフスキーの肖像は有名。クラムスコイもそうだが、ペロフの描く人物もまた、思索するモデルの深い内面性が表現されている。 |
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ワシーリイ・ペロフ(Vasily Perov)は、ロシア風俗画の巨匠。若い時期から才能を発揮し、奨学金を得てパリに留学。帰国後はクラムスコイらと移動派を主導した。貧しい人々の生活を描いた絵が多く、それらの絵からは彼らへの優しい同情と共感が伝わってくる。絵は評価されたし、アカデミーの教壇にも立ったが、無償で教えたり、絵を安く売ったりなどで、貧困のなか死んだという。この絵は今回の「国立ロシア美術館展」に来ていたもの。 |
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クインジは後年、アカデミーで教鞭を取り、数々の画学生を教えた。あるとき彼は、アカデミーの権威に対して抗議した画学生たちを支持。そのためにアカデミーから免職されるが、それ以後も個人的に学生たちを教え続けた。クインジが教えたなかには、レーリヒなど、優秀で興味深い画家たちが数多く揃っている。 |


