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ウィキペディア(Wikipedia)の載ってるNHKテレビ中国語講座についての記載について
間違ってる部分がある。その当時のテレビ欄で確認すると、
藤堂明保先生が講師を担当されたのは、1971年10月〜1976年3月までで1978年まではやっていない。
1976年4月からは、宮田一郎先生が担当している。そして中国人ゲストには陳文芷先生の名も、その当時のテレビ欄に載っている。
それはたぶん、倉石武四郎先生がお亡くなりになって藤堂先生が日中学院学院長に就任したり中国語友の会会長になって月刊「中国語」という雑誌の編集等で忙しくなったので宮田一郎先生にテレビ中国語講座の講師を譲ったのだと推察する。
1976年以前は、週3回の放送があった。テキストも1972年3月までは、季刊で出ている(4・5・6月が春の号、7・8・9月が夏の号、10・11・12月が秋の号、1・2・3月が冬の号)。
それが、1972年4月より隔月刊(2か月に一度テキストが発売された)
になっている。
1971年は週3回の内、1回は以前放送した番組の再放送になっているが
1972年からは、週1回は、香坂順一先生が担当している。
1973年も同様。「補充と応用」となっている。
1974年・1975年は、週1回は、宮田一郎先生が担当している。
内容は不明。たぶん、香坂先生の講座と同様なものと推察する。
そして1976年より1990年までの講座のスタイル、週2回30分
の番組になっている。それと担当したのが宮田一郎先生だった。
宮田先生は、1979年のテレビ欄を見ると講座を担当してる。
そのあと、何年から輿水優先生が講座を担当したか判らないが、
1981年10月からは、榎本英雄先生が講座を担当して、
2001年3月(2000年度)まで20年間、
NHKテレビ中国語講座(後に中国語会話)の講師を担当した。
私の知る限りにおいては1990年度の講座は、1991年1〜3月は、
讃井 唯允(サヌイ タダヨシ)現・中央大学文学部教授が担当している。
1991年4月からは、20分番組に短縮され週2回、別々の講座を放送している。
陳真、山下輝彦、相原茂 各先生が講座を担当して榎本先生と交互に番組の講師を担当してる。
新しい講座は翌年も再放送して毎年、新講座を作ってた。
榎本先生の講座は、
1992年(翌年再放送)スキット「鈴木さんと高木さんの中国漫遊記」
1994年(翌年再放送)スキット「青木さんの留学豆日記」
1996年(翌年再放送)スキット「山本さん一家の中国スケッチ」
このスキットの一部を利用して全4巻のビデオが出ていた。
王京蒂先生が模範発音担当でこのビデオで出演してる。
この1994年と1995年の番組は、王京蒂、銭波、そして現在、
中国中央電視台の司会者として活躍してる朱迅が出演してた。
田壮壮監督の「ロック青年(摇滚青年)」に出演してたのは、テキストに載ってたお便りのコーナーの投書で知った。
私は、この映画を渋谷の映画館に行って見た事があったが、
番組に出てる朱迅が、最後の方で看板を画いてる少女役で出ている女の子だとは気がつかなかった。
1998年から週1回30分の番組になった。これは2004年からは、
週1回25分に短縮され現在に至ってる。
その1998年の講座のスキット「小林さんはじめての北京
(小林初次去北京)」は、1999年、2000年の講座でも使われた。
この1998年に沈建軍が初めて登場している。
このスキットの内容は、テキストとして出版されたし、
2000年の講座、生徒役として「はな」ちゃんが出て時の番組を用いて
ビデオ化された(全3巻)。
模範発音は、この講座に初登場の「陳涛」である。
陳涛が番組に出演して模範発音を担当したのは、2000年、2001年の
2年間だけだが、2002年も2001年の出演部分
「動動脳筋」のコーナーの再放送がされているし、
2007年の講座(楊達先生)のスキット「はじめての孫悟空」という影絵
のアフレコをしている。
今は、中国北京に帰ったと聞いたが、チベット族歌手の「alan」のマネージャー兼通訳をしてるのをテレビ東京の「たけしの天才ピカソ」で見た。
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あの頃、私も「藤堂」先生の講座を聴いていました。もっとも、遊びです。
今、私は、中国にいます。こんな記事を見ると、昔が懐かしいです。
2008/12/1(月) 午後 6:14 [ 出野行男 ]
>出野行男さん コメントありがとうございます。
私は、チャンネルを回してて、たまたま中国人が歌を歌ってた所を見た記憶しかなくて、その当時の中国語講座は、全く判らないのです。
ただ、テレビ中国語講座と言ってた当時の番組は週2回30分放送してて、きちんとした中国語講座をやってたと、1990年の放送の再放送を1991年に見て想像出来ます。
そういう時代の中国語講座の方が今より、ずっと良かったのでは無いかと思います。
2008/12/2(火) 午前 0:38 [ 日中韓ちゃん ]
私も思いました。いいかげんな表記に怒りを覚えたほどです。
なにせ私にとって中国との関係が始まったきっかけの番組(当時小1)であり、陳文芷先生の「請跟我説」が最初に発した中国語だったのです。陳文芷先生も34年間の記憶が確かだったので画像検索から見つけ出せたものでした。Wikipediaには私のそんな思い出が丸ごと消去されていたので、戦慄を覚えましたよ。
陳文芷先生のお名前を見つけられたのでこちらのBLOGも見つかり、こちらの記述でスッキリしました。
本当にありがとうございました。
2012/12/23(日) 午前 0:10 [ - ]