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台湾吉野家の、
納豆とオクラが入った丼です。
納豆シリーズは、
このほかに、
納豆牛丼と納豆カレーがあります。
台湾吉野家では、
朝食の時間は納豆玉子定食もあります。
半世紀も日本の領土だった台湾では、
生活の各分野に日本の影響が見られますが、
納豆を食べる習慣はもともとはなかったです。
最近、
健康ブームと、
日本への旅行で、
納豆が好きになった台湾人が増えたのかな、
と思っていましたが、
国民的に広く受け入れられる、
というところまでは行っていないです。
でも、
吉野家のような大規模チェーン店で、
このようなものが商品として成り立つということは、
納豆が台湾人の食生活に定着しつつあるのかもしれませんね。
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これは中国語で納豆丼なのですか!?
日本のように納豆が定着し過ぎると、外食でお金を払ってまで食べる人は無く、納豆を主役にしたドンブリ物は商品として成り立ちません。牛丼太朗の納豆丼には驚きましたが、他の牛丼屋さんが追従しないのもそのためでしょう。。
2012/1/31(火) 午後 0:03 [ 荒川 文治 ]
台湾に日本統治時代から現代まで続く蕎麦屋さんが無いのか情報を募集中なのですが、日本統治時代に餃子を食べる習慣とか、出す店は存在してたのでしょうか?台湾の餃子の歴史は意外に浅いのではと最近気付きました。
2012/1/31(火) 午後 0:06 [ 荒川 文治 ]
確か、
秋葵納豆丼です。
この前、
テレビのニュースで、
なぜ台湾に輸入した納豆の有効期限は、
日本国内よりうんと長いのだろう、
ということが話題になっていました。
それだけ、
納豆を食べる台湾人が増えたのでしょう。
2012/1/31(火) 午後 0:21
荒川さん、
日本時代の新聞を見れば蕎麦屋の広告とか出てますけどね。
日本人は戦後引き上げましたから、
今まで続いている店はないでしょうね。
大体、
台北にはろくな蕎麦屋がありません。
麺は単なる主食で、
おかずに重きを置く文化だということも影響しているのでしょうか?
そういえば、
戦前から餃子はあったんでしょうか?
日本語が達者な世代のお年寄りに聞いてみるといいと思います。
何しろ、
いまや台湾を代表する料理となっている牛肉面や臭豆腐さえ、
戦前は存在しなかったらしいですから。
それでも、
北方起源の包子や油条などは
戦前から存在したようです。
2012/1/31(火) 午後 0:26
日本統治時代の台湾の中華料理店の様子がわかる資料があったらお知らせください。
2012/1/31(火) 午後 11:44 [ 荒川 文治 ]
荒川さん、中央図書館台湾分館というところは、日本時代の図書館を接収したので、日本時代の日本語の台湾出版物がとても充実しています。
そのころの新聞(もちろん日本語)を見ると、台湾の料理屋の広告が出ています。もちろん台湾料理店のものもありました。
2012/2/1(水) 午前 11:53
新聞の広告欄ですね!前に盛岡の白龍という店のことがコラムかなんかに書いていないか、新聞博物館で岩手の新聞を閲覧したことがあるのですが、1,2年分で断念したことがあります。興味が続いていれば調べようと思います。
ネットではこんなのがありました↓オムライスは現代まで続いているようです。
http://www2.odn.ne.jp/uguisu/yukio-taiwan-28.html
2012/2/1(水) 午後 0:19 [ 荒川 文治 ]
荒川さんの研究熱心には脱帽です。
とても興味深いリンクありがとうございました。
林デパートの建物はまだ残っていたと思います。
2012/2/1(水) 午後 2:29
↓から全部読めました。伝聞のようですが、貴重なお話でした。
http://www2.odn.ne.jp/uguisu/yukio-taiwan.html
2012/2/1(水) 午後 11:50 [ 荒川 文治 ]
私も、台湾から引き上げてきた日本人にあったことがあります。引き上げてブラジルに渡った人も多いようです。ブラジル歌手の小野リサさんが台湾に来たとき、インタビューする機会があったのですが、お父さんが台湾生まれだといっていました。
2012/2/2(木) 午前 10:50