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台湾人にとって、日本語はとても身近な言語。
日本時代に教育を受けた台湾人は、いまだに日本語を使っている。たとえば、台湾の日本語書店では、日本人だけでなく、中国語が不自由な年配の台湾人をよく見かける。
また、国民政府が台湾に来て華語が普及するまで、異なった母語を持つ台湾人同士の会話は日本語が使われていた。一部の台湾原住民の間では、いまだに日本語が共通語として機能している。
元はといえば日本(主に九州)からもたらされた台湾の日本語だが、後に台湾人同士の交流に適すように発展したので、日本国内とはちょっと違った日本語が行われている。日本人の目から見て珍妙な日本語でも、台湾人同士の交流にはまったく差支えがないし、自然なのである。これに、「日本人はこんな言い方しない、日本語としておかしい」などとけちをつけるの権利は、日本人にはまったくない。この状況は、アジアにおける英語やアフリカにおけるフランス語に似ている。
ここ数年で中国との交流が盛んになったが、それまでは日本が台湾にとって最大の交流相手だったので、台北の街角でも日本語の看板やメニューをよく見かける。これらは、主に日本人観光客を想定している。
ただし、これらは日本人相手とは言っても、日本語が達者な台湾の年配者に訳させていることが多いため、台湾式日本語である。日本人にとっては、意味はなんとなくわかるけど、かなり古風で妙な感じがすることが多い。しかし、せっかく日本語で書いてくれたんだから、感謝すべきである。
また、日本における英語やフランス語と同じように、外国人の便宜のためというより、ただ「かっこよく」見せるために、ナンセンスな日本語が書いてあって、日本人が見たらてんでんおかしいということはよくある。この場合、日本語であることを強調するために、日本人なら普通漢字で書くものを、わざわざひらがなで書いてあることが多い。僕のスリッパには「すソつぱ つよい にほんせい」と書いてあるし、近所を走っている、中国語で「故宮博物院」と書かれたバスは「こきゅうはくぶついん」とわざわざひらがなの看板も掲げている。(これは、日本人観光客のためというより、市バスが国際化に取り組んでいるということを台北市民にアピールする目的だろう。日本人なら、幼稚園児でもない限り、故宮博物院という漢字はよめるだろうから。)また、僕は時々友人がやっている創作日本料理店のメニューを日本語に訳すことがあるが、日本人にとって自然な日本語に訳すと、「あまり漢字を使わないでくれ、日本語に見えないから」と文句をいわれることがよくある。
どちらにせよ、日本人に見せるために書いているのではないのだから、目くじらを立てる必要はまったくない。むしろ、日本語をよりカラフルで豊かな国際言語にしてくれていることに、感謝すべきなのである。
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言葉についてのお言葉
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これについて語り始めると夜も眠れない。
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前にもフィリピンの言語について書きましたが、また書きたくなったので。
フィリピンを旅したことある方なら、看板や標識はほとんど英語しか書いていないことに気がついたでしょう。公用語は英語とフィリピノ語2種類のはずなのに、公式文書はなぜか英語だけ。ところが、街中で、フィリピン人同士が英語だけで会話しているのは、学校や役所、金持ちの地域以外ではあまり聞かないでしょう。
読み書き、家族との会話、同僚との会話、学校の授業など、全部が一種類の言語でできる日本や韓国のような国は、本当に珍しいです。フィリピンもその例に漏れず、毎日いろんな言語を使う必要がある国です。
まず、家で話しているのは、地元の言語であることが多いです。こういう言語はたくさんありすぎるので、さらに、付近の大都市の言語が、異なる言語を話している人々の間の共通語になっていることが多いです。たとえば、セブ島近辺なら、セブ市で話されているセブアノ語を使えば、別の言語を話している人たちとも意思疎通が図れる、ということです。
さらに、国レベルでは、「フィリピノ語」というのがあります(実質上は、マニラ周辺の共通語、タガログ語と同じです)。小学校に入ると、初めてこれを勉強する人が多いです。でも、今テレビの人気番組はほとんどこのフィリピノ/タガログ語なので、大して苦労しなくてもこれをマスターするフィリピン人も最近多いです。また、何百万人というフィリピン人が海外に出て働いていますが、彼らが海外で、言語背景が異なるフィリピン人と会ったら、この言語で話すので、海外に出た結果フィリピノ/タガログ語が上手になるフィリピン人も多いです。
また、最近国の政策に変更があり、地元言語が復活することになったとはいえ、まだ実質的には小学校は英語とフィリピノ語のバイリンガルになっています。中学までにだんだんすべてが英語になっていくシステムです。
本屋にはほとんど英語の本しかありませんし、新聞も、大新聞といわれるようなやつは英語だけです。ラジオやテレビはフィリピノ語や地元語が有力なので、フィリピン人がまとまったモノを読むときは、ほとんど英語しか使わない、ということでしょう。(以前、台湾にいる高学歴のフィリピン人に、フィリピノ語で書かれた本をあげてもあまり喜ばれないことがありましたが、彼らが読むのはもっぱら英語なのです。)
(東南アジアのほかの国と同じように、「英語のおかげで学力が弱くなっている、英語は科目だけにとどめて、まず母語で思考能力を強めたほうがいい」と主張する言語教育専門家と、「英語はやっぱり大事だから早くから教えたほうがいい、他のいろんな地元言語を習得する暇があったら、英語をやったほうがまし」とする、言語教育には素人の父兄との間で、激しい対立があります。フィリピンの場合は、幸い前者が勝ったということです。これについてはまた別の機会に書きます。)
「大金持ちのフィリピンと貧乏人のフィリピン、この二つの全く異なる国が、同じ島々の上に共存している」とよく言いますが、これと同じことが、学校でも起こっています。
富裕層の子供は、幼いときから英語を話している子も多いし、親が英語を話す幼稚園に入れたり、英語のせいで勉強に追いつけないということがあれば、英語塾に通わせることができるので、英語を使う政策は、富裕層に有利、ということになります。
一方、地元語とフィリピノ語しか上手にはできない貧困層は、自分の国の法律はおろか、普通の本や新聞もろくに読めない、つまり一生出世できない、ということになります。英語が貧富の差の拡大に貢献している、という意見が専門家の間では根強いですが、一理はあるかもしれません。
だからと言って、新しい政策が決めたように、授業で使う言語としての英語を廃止して、すべてを地元語+フィリピノ語にすれば問題は解決するかといえば、そうもいえないと僕は思います。
フィリピンの公立学校の学力が上がらない原因は、英語にあるというより、設備、教材、先生の給料、子供が働き手として必要とされていることなど、経済的なところにあるのではないでしょうか?先生が自分で学校に机や椅子を持ってこなければいけないほど貧しいところがあるそうですから、もう英語なんちゃら以前の問題でしょう。
仮に、英語を廃止して、高等教育を全部フィリピノ語にしたとします。たとえそうしても、富裕層の子供はフィリピノ語でも貧乏人の子供より良い条件で勉強するはずですから、結局ギャップはあまり縮まらないのではないでしょうか?
また、逆に、経済条件が良ければ、学校の言語と家の言語が違っても、ちゃんと勉強できる、ということもあります。たとえば、シンガポールや香港では家の言語に関係なく学校ではすべて英語ですし、台湾も僕達ぐらいの世代までは、家ではほとんど「台湾語」か客家語で暮らしていたのにもかかわらず、学校の勉強は小学校から百パーセント母語ではない「北京語」です。それでも、この3つの「国」は、学力の面で、常に世界のトップクラスです。
初等教育を自分の言葉でやらないと知能的な発展に差し障る、という説は、学会ではほとんど常識になっており、正しいのかもしれませんが、シンガポールでも香港でも、表面上は英語オンリーということにしておいて、実際には子供たちは一旦母語に置き換えて考えているから、知能発展にあまり差し支えがない、ということも見逃されがちです。確かに直接母語でやったほうが、一旦英語に置き換えるより易しいかもしれませんが、国によっていろいろな事情(シンガポールの複雑な人種関係、香港の国際金融都市としての重要性、フィリピンのいろんな言語の教材を作る困難など)があり、みんなにベストのことがたやすくできるとは限りません。それに、一旦置き換えなければならない手間が、経済力でカバー可能な部分(たとえば塾に通わせるなど)でしょう。
フィリピンが、小学校で教授言語としてのを英語を廃止して、少なくとも3年生までは地元の共通語で教えることに決めたことは、一応喜ばしいことでしょう。看板や法律も将来フィリピノ語に変更できれば、富裕層以外の人たちにとっても公平です。でも、富裕層は政策を無視して、これからも日常生活で英語を使い続けるでしょうし、英語が社会的地位アップに必要な言語であるという客観的事情も、すぐには変わらなさそうです。言語教育に関する終わりのない対立で社会的資本を費やすよりも、公立学校をめぐる経済的状況を改善することが先決なのではないでしょうか。
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Speaking from my experience, excessive attention to accent also takes away due attention from grammar and vocabulary. So it is quite possible that you can speak English more fluently when you are paying less attention to pronunciation. This is definitely the case for me. So the days of using half my brain thinking how to sound British is over. The brain is for thinking some better stuff! I studied in the UK . When I was there, I was a teenager. So, understandably, I had a lot of peer pressure to sound like other students around me. I tried very hard to sound like English young people, and I was quite successful in that attempt. In fact, many native speakers commented that my accent was native-like. But soon after arriving in Taiwan , I realized that having a native-like accent was not always so useful. The job interviewer was a native-speaker so she rated my English highly, but the problem was that many of my students found it hard to understand me. Because I sounded differently from the way they were used to (Taiwanese students are generally exposed only to American English), some even complained to the school that my “Japanese accent” was too strong! So I tried to drop my British accent. I started sounding like a “foreigner”, but it was very clear that people could understand me better. Not only that, I felt more confident because I no longer had to pretend to be what I was not in the first place: a native speaker of English from Britain. My English now reflects my unusual background and who I am. Basically it is Japan English, because that’s where I first learned the language. And I became fluent in it while I was in Britain , so that explain the trace of British flavor in my English. However, most of my interlocutors coming from Taiwan and other Chinese-speaking backgrounds, I demonstrate feature of China / Taiwan English especially in syntax and lexis. Finally, I did my PhD in the Philippines , where I extensively used English in all domains of life; so definitely, my English is greatly influenced by Philippine English. (I suspect this is what makes my English easier to understand for my Taiwanese students. I picked up the rhotic “r” while in the Philippines . Not only that the Taiwanese are more used to American English, pronouncing the “r” makes it more orthographically faithful.) Everybody can speak in more than one way. It is thoroughly natural and normal to sound differently in different situations. When I get caught up in the content and start paying less attention to accent, I notice that I sometimes switch back to my former non-rhotic accent. (Both Japan English and British English are non-rhotic, and I guess I find it more natural and easier to pronounce.) When I speak to my students or Filipinos, I notice that I immediately regain my rhotic R’s. And when I have to speak formally and pay extreme attention to speech, I suddenly start sounding British again! Another situation in which I unconsciously sound British is when I am with native speakers or my boss. I know that they look down on “foreign accents”, and that it might jeopardize my work! So my advice is: Start sounding like yourself, not like a token native speaker. |
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In Taiwan , people pay too much attention to pronunciation when learning a foreign language. Often, people who have “native-like” American accents are considered good teachers. It sometimes even seems they consider accent more important than grammar and vocabulary, or even content! As is often the case, those who have “impeccable” native-like accents are those who started in their early childhood. Because they learned English before their cognitive skills have fully developed, if you transcribe what they are saying, you might notice that their grammar and vocabulary are quite “non-native-like”. Worse still, teachers are often hired solely on the basis of their native-like accent, without taking into consideration proficiency in other respects.
But the reality is, accent and pronunciation are not that important when it come to English. English is a language used mainly for international communication. The main purpose of learning English today is not to communicate with its native speakers. If communicating with native speakers was the sole purpose, as would be the case for learning, say, German or Japanese, it does make sense to try to sound as closely as possible to the native speaker. But if the purpose is to communicate with other second language speakers of English, the target would be to be able to communicate as successfully as possible, and not how native-like you can sound with lots of “道地” idioms and slangs. And for international communication, native-speaker English is not the most useful model. There are studies that show that native speakers are not the most easily understood in international communication. Rather, someone with a strong, for example, Arabic accent, who speaks slowly and clearly without using difficult idioms and slangs, would be a more effective communicator. Actually, this fact is quite clear from experience. When I first went to England , I felt it was much easier to understand my fellow overseas students from Spain , Germany and Indonesia , than English people. For starters, native speakers, especially students, don’t enunciate very well, and also tend to speak very fast. And they use lots of peculiar slangs and unfamiliar idioms that are difficult for second-language users of English to understand. Nor is it that attaining native-likeness is desirable. How we use language reflects our identity. So the way I use English should reflect my own culture and identity, not that of an American or British. By trying to sound like a North American, you are assimilating yourself to North America , thus trying to become someone you are not. Besides, it is better nowadays not to be mistaken as an American, especially in certain countries! In the first place, anyway, a native speaker accent is not attainable for many of us. If you didn’t start very early in your life, it is likely that you will never drop that “foreign” accent no matter how hard you try. There are theories that indicate that this is so because you want to protect your own identity unconsciously. Besides, if you are a teacher, you should already know very well how “unteachable” pronunciation is. So why waste our time trying to attain something which many specialists have already proven to be unattainable? (To be continued) |
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僕は中国語の繁体字が好きです。日本のNHKで初めて中国語の勉強をしたときは簡体字だったし、文字は記号だから、分かりさえすればどっちでもいいのですが、やっぱり繁体字(台湾での正式名称は「正体字」)の中国語が格好いい。
その個人的な理由はいくつかありますが、まず一つは、僕が子供のころ初めて接した書面の中国語が繁体字だったからです。おばあちゃんの会社にあった香港の製品の説明書が、繁体字でした。それがあまりにかっこよかったので、近所の中国語教室の門をたたきましたが、教えているのは「怪しい」簡体字で、がっかりして入るのをやめました。また、小学生のころ家の近所に華僑がやっていた「中国物産店」があり、その頃珍しかった共産中国製のかわいい雑貨などが売っていて、放課後毎日のように入り浸っていました。そこに売っていた雑誌や音楽テープだけは、なぜか台湾のもので、もちろん繁体字でした。また、四谷の中華学校に通う子供が、電車の中で中国語の本を読んでいて、ものすごくかっこいいなと思いました。あの学校は台湾系ですから、読んでいた本はもちろん縦書きの繁体字でした。子供なのにあんな難しい漢字がずらっと並んでいる本が読めて、超かっちょいい!と思いました。
二つ目の理由は、中国が強くなった今でさえ、海外華人社会ではまだ繁体字が主流、ということがあります。僕は世界のチャイナタウンが大好きで、漢字の看板を見ると興奮するのですが、たいがいは繁体字ですよね。マレーシアやタイも、漢字の看板はほぼ例外なく繁体字です。マレーシアなんか、学校で教えるのは簡体字に正式に決まったのに、看板や見出しは繁体字ばかり。日本でも、新華僑たちの新聞は、編集者も読者も中国大陸出身であるにもかかわらず、なぜか繁体字が多いです。(パソコンで変換しているだけだから、間違いだらけだけどね。)
三番目は、月並みな理由ですが、美しいということです。これは個人的な好みの問題ですから、簡体字のほうが美しいと思う人もいるでしょう。でも華人に聞くと、繁体字が美しいという人が多いし、習字で簡体字を書く中国人はあまりいないでしょう。
しかし、最近は中国の文化的影響力が強くなって、世界的に簡体字を学ぶ人が増えました。台湾などちっぽけな島に過ぎないし、いまや大陸の金持ちは海外華人よりよっぽど多いのではないかとも感じます。また、台湾の人は簡体字が正しくないと思っているから、繁体字を正体字と呼ぶのですが、今使っている繁体字がすべて中国古典で使われていた字体と同じとは限りません。字体は時の流れと共に変化するので、簡体字はさらに進化した字体といえるかもしれません。
それでも、中国大陸でも繁体字は格好良いと感じる人もいっぱいいて、法律で簡体字しか使ってはいけないと決まっているのに、国営企業でさえ看板や商品のパッケージは繁体字にしている所も多いです。そうなると、中国大陸でしか仕事しないからと言って、「繁体字全く読めません」、じゃ済まないでしょう。
それに、今はパソコンで打つのだから、簡体字と繁体字を打つのにかかる時間は変わりません。(手書きなら、簡体字のほうが断然速いですけどね。)書く手間が同じなら、格好良いほうがいいに決まっています。
また、中国は昔、文盲率が高く、教育を普及させるために、速く覚えられる(ような気がする)簡体字を採用しましたが、いまや目覚しい発展で、中国の識字率は世界でもトップクラスです。繁体字しか使っていない台湾が、欧米先進国家以上の識字率を誇ることは言うまでもありません。
そんなわけで、記号なんだからどっちでもいいでしょうといわれたらそれまでなんですが、僕はやっぱり繁体字びいきなんです。台湾では最近、新鮮さを求めて商品名にわざと大陸の簡体字を使ったりするし、大陸の大都市ではもう両字体がごっちゃで共存状態なんですが、そういう、何かにつけてどっちかにピシッと統一しないで、いろいろ共存したままにしておく中国人の鷹揚さも大好きです。
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