静岡県のお城 〜ブログ編〜

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お久しぶりでございます><かれこれ2ヶ月も放置してしまいました。。。
 
繋ぎ、ということで、史料紹介をしようと思います^^;竹さんのもろパクりですが・・・・自分の史料整理も兼ねて。
 
 
記念すべき第1回目は、 【武田信玄・勝頼の時のように木を切れ】です。
 
 
 
 
○天正10年(1582)7月嶋津淡路守宛上杉景勝条書
     掟
 
一 城中江不案成者出入、堅可令停止之事
一 屏道具鑿木、如信玄・勝頼時之可為切事
一 要害普請之時、或郡司不入、或号何悴被官、於令難渋者、其地頭へ相届、急度可申付候、其上も地頭何歟ヲ於申者、以交名註進、速可令糺明事、
(中略)
 
   天正十年
 (朱印) 七月  日
         嶋津淡路守殿
 
 
「石垣豊氏所蔵文書」(『上越市史』資料編別編2−2496号)
 
 
 
 
 
この史料は、天正10年7月に、上杉景勝が嶋津淡路守に宛てた条書です。天正10年は、3月に武田氏が織田氏によって滅ぼされ、その織田氏も6月本能寺の変で信長が死去するという混乱の時期にありました。
上杉景勝は、その混乱に乗じて信濃国に進出、嶋津淡路守を長沼城主として派遣しています。
 
 
ポイントとなるのは、2条目の文章になります。
書き下すと、「一 屏道具鑿木、信玄・勝頼時の如く切らさせるべき事」という感じになる・・・・はず。
つまり、「「屏道具鑿木」は、武田信玄・勝頼の時にやってた方法で切らせるんだよ〜」という感じです。
 
「屏道具鑿木」というのは何か??なんですが、
「屏」は「塀」のことです。「鑿」は「のみ・サク」という読みがあるんですが、ここでは「サク」と読んで、「柵」と同義と考えるのがいいのかな??と・・・・(自信ないです)。
「屏道具鑿木」=「塀に使う道具と柵の木」という感じで見るといいのかな、と思います。
 
 
で、この2条目から分かる点は、以下のようなことではないかと。
 
①塀や柵の造り方に、武田氏のやり方があった。
 
②あて先の「嶋津淡路守」は、嶋津忠直のことで、元々信濃国(長野県)に本拠を置いたが、武田氏の信濃侵攻により、弘治3年(1557)に退去、長尾景虎(上杉謙信)を頼っている。上杉氏と関係が深く、普請のやり方としては上杉氏のやり方でもいいはず。それを武田氏の方式でやらせたのは、長沼城の普請を担当する者に、武田氏の旧臣が多かったからか。実際、上杉景勝は、数多くの信濃国の諸氏に、本領安堵などの朱印状を与えている。
 
③・・・となると、武田氏の「屏道具鑿木」普請のやり方は、かなりの人が、つまり、末端の家臣クラスまで、幅広く知っていたとみるべきか。
 
 
 
ある程度、武田氏なら武田氏の普請のやり方、というものがあったようです。それは、いわゆる「縄張り」と呼ばれる平坦地の普請だけでなく、塀や柵などの「作事」と呼ばれる部分にもあったことが分かります。今でも、建築会社によって工事方法に細かな違いがあると思いますが、そんな感じでしょうか^^
 
そして、その普請のやり方は、実際に普請に従事するようなクラスの人たちまで知られていたと思われます。というより、知らないと工事できないので・・・当たり前といえば当たり前なのですが。
 
 
 
 
 
史料整理の中でたまたま見つけたので、掲載してみました。
こんな文献もあるんだよー、ってことで、参考までにどぞ^^
 

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