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先輩を追悼する。
私の貴重な青春であった生協活動で商学部の先輩であったあなたに先立たれたのは大きな衝撃でした。
この正月を前後して私の周囲で3人の貴重な方々がこの世を去りました。実に寂しいお別れでした。先輩とも十分なお別れができなかったことが返す返すも残念でなりません。ここに私の涙と共に謹んで追悼文を友人に託します。
先輩の死を決定的契機にして、今後は私はあらゆる意味で等身大に生きていきたいと思い立ちました。
前に電話で直接お話して「おまえの人生2山説に触発されてうどん屋を始めた」とお聞きして腹の底から自分の言動の大切さを思い知らされました。
先輩。私は今「人生2山説」には疑いを持っています。
人の一生は本質的に一度です。途中で道を変えることがあってもそれは1度目の本質を内部に秘めたままであります。
私の「人生2山説」は伊能忠敬の人生を井上ひさし氏に触発されて私なりに整理したものでしたが、もう一度伊能忠敬の生涯を整理してみますと明らかに一度なのであります。
彼は若くして医学に携わりたかったが貧困のゆえその夢かなわず伊能家に養子に入り家業の興隆につとめ、家業を息子に託して江戸に出て天文学の勉強に励む。しっかり一本の道が見えます。世界の学問の発展に寄与したいという一本の道が。
伊能忠敬の天才にしてさえこの真摯さです。
確かに学問の道という点では寄り道していますが、彼の場合、この寄り道は決して無駄になっていません。全国を自分の足で歩いて実測した執念は、その寄り道を完全に克服しています。これこそ彼の偉大なところであります。私のような凡人にはどうにもならない違いであります。
先輩の作るうどんのたれ、うどんのこね方、器の選び方、うどんのねたをうどんに並べる芸術的感性、店の構え、挨拶、料金の受け取り方。全ての中にあの「貧しい人々を救うためならなんでもするぞ」という思想と生き方が反映されていたことでしょう。そのうどんを私はいただきたかった。黙祷。
私のような劣等児はただひたすらに一筋のみを最初から最後まで歩まないとだめです。
そんな私も自分の道がどこにあるか迷い通しました。
私の道はただ一つ「貧困、いじめ、戦争のない世界を作りたい。人間が真に尊厳をもって生きられる社会を作りたい」の一語につきます。
その道を求めて私は早稲田大学商学部を6年かけて卒業した後、東京都交通局で「高校卒の学歴相当の」地下鉄の車掌を5年間勤めました。その後東京から逃亡を図り、岡山市の魚市場で1年朝市で帳簿付け。その後、国家資格をとりたがっている人々を対象とする会社に1年勤務。その後学習塾で英語を担当して4年過ごしました。その後金沢に帰り英語教室を開きました。
英語を教えることを生き甲斐として、英語教育の革新をしたいと基本的には自作教材でしのいでいます。同時に社会改革の意識を一瞬たりとも失ったことはありません。
今、戦後の大量生産・大量消費の消費革命というものの結果として、日本の社会は根本から破壊され、日本人の精神は人間性を完全に喪失しています。「安さ」を追求した結果として生協自体が「毒入り」食品を売る当事者になってしまいました。
ダイエーの中内功氏を先頭に推し進めた消費革命の本質を見ぬけず、追随した結果です。あの消費王国のダイエーがあえなく崩壊したように、消費革命の追及したものがうそであったことを明らかにして社会と世界の再生が必要です。
その第1段として今「葉っぱ宣言」をまとめました。先輩の忌憚のないご批判をいただきたいところです。黙祷。
お納め下さい。
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