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私たち塾教師にとっての最大の悩みは生徒に辞められることです。
興味をなくした子は間違いなく塾では明日の出席は望めません。確実に辞めます。
1. <一回一回の授業が勝負>
一回一回の教室が勝負です。次回の教室で今日の失敗を取り返そうなんて思っていてはすぐ教室が空っぽになります。今日の失敗は今日取り返します。
岡山で近在の優秀な子供ばかり15人の高1のクラスで in と on の前置詞の使い方を間違えたことがあります。塾稼業に入って数年のほんの駆け出しのころです。授業中調子に乗って完全な下調べができていないのに昔の記憶だけで「博学」を披露するつもりであいまいながら口に出してしまう。そんなときに限って勘違いするものである。事務室に帰って辞書を引いてみて間違いに気づく、もう生徒は帰っていない。さあどうする?自分のミスではないかのようないい繕いを考えるがどれもうそになることに気づく。
家へ到着するまで悩みに悩んで、11時過ぎに生徒の家全部に電話をしました。
「今日の授業で in と on の取り違えをしました。予習していなくてごめんなさい。僕の初歩的ミスです。ノートに書いた in を on に直してください。これからも間違えたら必ず電話するか次回の授業で謝ってから訂正してもらいます。毎日勉強していますが追いつかないことがあります。間違えたら訂正して謝るしかありません。
でも僕の授業でノートしたことは一生懸命覚えてください。その価値あることしか教えません。間違ったら訂正しますから、訂正のないものは頭に叩き込んで生涯に渡って役に立つことだと思ってください。その信頼関係を大事にしたいと思います」
生徒の反応は、きょとんとしていました。何でこんな細かいことで真夜中に電話してくるか分からなかった様です。
「来週の今日会うまでに君の学校でたまたま試験があってin と on のテストがあって僕の間違いで君が点数を取れなかったら君に実害を与えることになる。
万一授業中に in と on が問題になって、先生に君の間違いが指摘されたら、僕のことを頼りない教師と思うだろう。
もし友人同士の話で君がin とonを得意げに話して、友達に笑われたら、一生の思い出になるだろう。
こんなことは起らないに越したことはないが私の愚かな行為の結果社会に害を流してはいけないと思うんだ。よろしくね。」
内心では、本当に怖かった。in と on の基本的ミスをする教師が教える塾なんか来週からみんなこなくなるのではないか。
間違っていましたなんて言わずに、うまくごまかす方法を思いつき、優秀な間違えない完全無欠教師を装えばよかったのではないか?
頭が疑心暗鬼でいっぱいの1週間でした。
高校の授業はやっぱり無理なのかな?
次週の授業はみんなの顔が晴れ晴れしているのにびっくりしました。みんな許してくれただけでなく、信頼のまなざしで私を見てくれていることがはっきり分かりました。それ以後生徒はどんどん増えました。
それ以後も同じような間違いをしました。でも何回やっても生徒の前に謝るのはつらいものです。身が引き裂かれるような屈辱を感じます。でも正直以外生きる道はないんだと言い聞かせつつその都度、どの学年にも素直に謝ってきました。「ごめんなさい」と。
あるとき、日本一の名医の話を読んで「目からうろこ」の貴重な生き方を学びました。日本一の名医の話の要旨「日本一の名医とよく言われるが内実はそんなにきれいなものではない。失敗の連続だ。ただ、名医かどうかの基準は私は患者の前で医学書を開けるかどうかだと思う。誰だって間違える。間違えるのを1つでも少なくする努力をするかどうかなのだ」
この話を読んで初めて生徒の前で辞書が引けるようになりました。「ご免。記憶があいまいなので今調べるね。君らも調べてごらん」と言って確実性を高める様にしています。ここ20年間違えにより謝ることがとても少なくなりました。すこぶる精神が安定しています。
辞書のことで1つ蛇足。
私も一時井上ひさしにいれあげてあらゆる本を読んだことがあります。
その中で彼の辞書の使い方を今でも実行させてもらって、子供にも指導しています。「辞書を自分の勉強で賢く」することです。彼は「広辞苑」にかきこみをするとか言っていたと思いますがどんどん子供たちにやってもらっています。中学一年生が中学用の辞書で分からないことがあると、教室の横に参考用においてあるレベルの高い辞書に走ります。そしてそこに書いてある中身を自分の中学生用の辞書に書きこんで自分の辞書を賢くしています。
ところで、私は岡山市の総合塾の英語責任者として一番たくさんの生徒を持つようになりました。
併設していた幼稚園で3歳児,4歳児,5歳児から小1〜高3まで一人で受け持っていました。
塾長が一人50人の生徒を持ってくれれば給料を倍にすると言われみんながんばりました。私の生徒は120人を越えました。だが給料は上げてもらえず。結局金沢へ帰ることにしました。その塾は今「日本で最初の株式会社で学校経営」やっていらっしゃる「朝日塾」です。その塾の経営の最高責任者が鳥海十児氏でした。
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