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我が家は、私が3歳のとき中国の北京から引き揚げて、父の故郷に帰った。
ここの子供たちは無一文で帰ってきた一家の子を暖かくは迎えてくれなかった。
いつでもいじめの対象でしかなかった。私の記憶の中にここの子供と一度も遊んだことがない。
ある日、新しい下駄を与えられた喜びで、ぴかぴかに光らせながら遊びの輪に近づいていった。目ざとく下駄に気がついたがき大将が、無理矢理私の足からはぎとると、みんなに新しい遊びを提案した。下駄を頭(かしら)に見たてての獅子舞いが始まった。素晴らしい独創性である。だが下駄を取り上げられた方は悲しみがつのるばかり。じっとみんなが楽しく遊ぶのを傍観するばかり。
でも一縷(いちる)の望みがあった。この遊びを契機に仲間に入れてもらえるのではないか、と希望を前にのばした。
十分楽しんだころ、運悪く、荷馬車が通りかかった。みんな遊びをやめて道路の脇による。がき大将君、さも楽しそうに私の下駄を荷台にポーンと放り投げる。下駄は荷台の真中あたりに着地して、私の目線ではみえなくなってしまった。
獅子舞い遊びに飽きた一群は新しい遊びを求めて、歓声を上げて走っていく。私は大事な下駄を求めて反対方向に走りつつおじさんに懇願する。「下駄とっーて。下駄ちょーだーい」。目は何も見えなくなっていた。くやしくて、なさけなくて、ただただ悲しくて心のやり場がなかったことが今でも鮮明に覚えている。
母に訴えるには悲しすぎた。姉や兄に語るにはつらすぎた。父はひたすら働き5人家族の生活を維持するのに必死だった、新たな悲しみを分けてあげるにはかわいそうなほどたくさんの重荷をたくさん持っていることは幼子にも分かっていた。みんな苦しんでいた。
じっと耐えるしかなかった。
結局、父の田舎では1人の友達もなく、一回も周りの子らと遊ふこともなく、我が家は母の姉がいる千里浜に引っ越した。
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