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「失敗の対処法」は私にとっては教える課題ではなく、私自身の生徒への人間的付き合いの問題でした。
教壇に立って間もない頃高校生のクラスでinとonを間違えました。教壇で間違える場合は予習をちゃんとしたかどうかではない場合が多いのです。どれだけ予習をしても、授業の発展の中で予習外のことが出てきたり生徒が全く予想外の質問をすることがあります。その場合、うろ覚えのことを、博識であることを印象付けたくて言ってしまいます。
生徒が帰って事務室で辞書で確認して間違いに気付きました。言い逃れのしようがない私のミスです。まずごまかす方法を考えました。うそつき人生の将来は絶えられません。たとえin をon間違える無能力教師として生徒に辞められても、同僚教師からあの先生から英語の基礎も知らないだめ教師と陰口を叩かれようと、塾長から詰め腹を切らされようと間違いを見とめて謝ることしかすべては始まらない。それに派生することは派生した時点で前向きに考えよう。(366字)
生徒名簿を持ち出し家から全員に11時過ぎに15人の生徒の自宅に電話しました。生徒の方はきょとんとしていました。「でも来週までにテストに出たり授業で当てられたり、友達に得意になって話したとき私の間違いが元で、君がわらいものになったら、あほらしくて私の授業に出たくなるだろう。たのむノートを直しておいてください。ノートにしっかり書いて覚えておいてください。間違ったら必ず間違ったと言います。お互い正直と率直を生き甲斐にしましょうよ」
inと onを間違える無能力教師の塾は次から空っぽになるかもしれないという危惧は吹っ飛びました。生徒は信頼の目で僕を見てくれるようになりました。
私自身は、対処法を考えない様にしています。対処法を模索していろいろ考えて悩むのではなく、間違ったら相手が幼稚園児でも106歳のご老人でも「ごめんなさい」と謝ってそこからその問題では2度と間違いを犯さない努力をしていくしかないのだと思っています。
なぜなら、生きるということは、人類史の発展ばかりでなく、宇宙史的に見てもあらゆることが発展してい区一つ一つの事象に人間的に対処していくことです。受験生でも池田小事件は考えなければならないのです。命あって始めていきられるのですから。「歴史は繰り返す」ことはありません。同じように見えても必ず新しい様相と、新しい原因で起っているはずです。「輪廻転生論」は細かに物事の本質を見ることを見誤ったなまくら理論だと私は思います。
ここにマニュアル論者の限界があります。宇宙は動いています。地球も宇宙の中を旅をしながら動いています。人類はどんどん新しい時代を体験していくのです。マニュアル通りには絶対にあらゆることは発生しません。マニュアルで考えたことがもうその時点で古いコトななのです。大切なのはただ一つ、新たな事象に対処するに当たって目の前にいる人間の命をいかに最も大切に生かしていくか、その命の精神の健全性をどう保つかにすべてをかけるべきです。
生徒の教える前に自分の生き方として、世界で発生するあらゆる大切なことをその本質においてとらえ、人間的な解決を模索しつつ生きているかどうか、そして間違いを犯したと気付いたときその間違いを素直に認めて、その間違いを2度と犯さない努力をすることだと思います。
生徒のみなさんもそんな生き方を考えてください。それより良い生き方をお互いに考えていきましょう。お互いに教え合いましょう。
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