蒙古の相撲を見たことがあるでしょうか。
日本とはまるで違う。
まず土俵がない。
草の上で囲いも何も無いところで、
いきなり2人が組み合って倒し合いをする。
相手を地面につけたほうが勝ち、
それまでいつまでも続く。
儀式性がまったくない。
塩はまかない、しこは踏まない。
ある面からすれば優雅な戦いである。
日本の相撲との格闘技としての決定的違いは、
最初のぶつかり合いがないことである。
私の田舎の高校には相撲部があった、真中に土俵だけがあるのっぽな小屋である。さびしい建物である。
ただし、
その横を通るときは50メートルも先からドシーンという音が聞こえて一瞬足が止まる。
恐る恐る近づくと相撲のぶつかり稽古。
頭をまともにぶつけていくから、
頭同士がぶつかる音なのだ。
いつも恐怖におののきながら、
見ていたものである。
私のようなひ弱なものの頭だと一回で頭蓋骨が破裂しそうな勢いである。
どういうわけか3,4人しかいない傍観者の中に私はいた。
大相撲の地方巡業にはよく付き合った。
あの肉弾戦は恐ろしい人たちがするものとして見ていた。
でも鍛えればあそこまでいくのかと感心していた。
本場所をテレビで見るようになって、
怖さは倍化された。
張り手である。
血が出る場合がある。
一瞬脳震盪を起こすこともあるそうである。
私の高校にはボクシング部もあった。
県で3高ぐらいしかやっていない。
すぐ全国大会にいけるうまみがあってか、
部員が少ないので大会になるとにわか部員にほかの部から借り出される。
その練習していない選手が殴り合いをやるから30秒足らずに鼻血が出始める。
真っ赤に全身を汚して、
1分も過ぎると足も動かなくなってフラフラに闇雲に手をブランブランやっている。
そのリング上にいるさまは、
すざまじいの1語である。
人間の血は簡単に鼻の当たりを叩くとすぐ出てしまう。
あの相撲の最初のぶつかりのような怖さはない。
なぜならボクシングは練習してぶつかることをよける練習をする。
だからアリの様に「蝶のように舞い、
蜂のように刺す」こともできるのである。
相撲はよけないでぶつかることを稽古する恐ろしいスポーツと言うのが私の高校時代の感じである。
どういうわけか県大会なのに10人未満の観衆の中に私はいつもまじっていた。
私の知る限り、
大相撲のぶつかりはあらゆる格闘技の中で最も戦闘的で残酷である、
と言うことである。
あの頭同士をぶつける怖さを格別である。
韓国相撲は見ていないから分からないが蒙古の相撲であったらあの戦闘性はいらない。
ボクシング、
プロレスにもあの怖さはない。
そのうえあの張り手はすごい。
日本の大相撲はこの格闘の中の最も残酷な場面をしのいでからの技の出しあいである。
だから拳骨で叩いて怖がらないことを教えるのである。
あれは大相撲から必然的に出てくる練習方法である。
大相撲を改善したいなら、
張り手の禁止、
仕切りでの頭のぶつかり合いを禁じるしかない。
ふぁと立って勝負が始まる柔道のように、
ボクシングだってレスリングだってk1だって最初から体をいきなりぶつけてはいない。
日本の大相撲だって改善していいのだ。
私が断言できるのは、
朝青龍関は蒙古相撲だったらあんなに闘士を剥き出しにしなくてもよかったのである。
あの戦闘性が生まれた根拠は
日本の大相撲が持っている戦闘性、
残虐性にある。
時津部屋のリンチ事件も本質は同じだと言うことを見ない本当の解決にならないし、
あの事件を起こした親方、
力士個人の深層心理にあるやりきれなさをぬぐうことはできないと思う。
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スイス相撲も見てください。
2008/4/28(月) 午前 0:57