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瀬戸内寂聴様、
また無残な殺人事件が岡山駅で起きましたね。18歳の東大を目指す成績優秀な青年だそうです。お父さんが涙ながらに語られたところによると「お年寄りに席を譲る」やさしい子だったそうです。
お父さんが、「なぜだ?なぜだ?」と叫ばれたいたそうです。
こういう若者に、絶世の美男子の浮気物語を読めとお勧めになるのですか。
次から次と女を変えていく、淫乱な男の物語をあなたは推奨なさる。あなたが淫乱男性を好まれるのは自由ですが、それを若者にまで勧めるのはいい加減にして欲しいです。
光源氏なる男性は淫乱であるばかりでなく、長く女性と付き合えず、次から次と捨てていく情緒不安定な精神的に成長していない駄々っこです。
また、人間関係、特に女性関係で外的美しか認めず、内的美、理知・知恵などが分からない、おばかさんであると言うことです。
高校時代からいつも思うのですが、明治時代から女性作家の錚々たる方々が、「源氏物語」の現代語訳をなさっていらっしゃいますが、果たしてあの光源氏というすけこましは、あの人たちが平安時代に実在していたら相手にしていただろうか、と不謹慎な妄想を抱いていました。
私は高校時代「源氏物語」だけは拒絶しました。こういう愚劣な男と付き合うのは時間の無駄です。一夫一婦制の現代にあって本当に素晴らしい女性とめぐり合って一生涯続く熱烈な恋をしたいと固く誓っていた恋愛至上主義の私には、「源氏物語」を推奨する人はどうしても頂けません。
その人の人間的感性を疑います。美意識を疑います。自由な恋愛を自分の意志でできる現代の素晴らしさを享受すべきです。もって生まれた美で人を判断するのはおろかです。
受験に出るから読めと言われた時、そんなものを出す大学なら入らなくて結構だ、こちらからお断りだと思いました。そして他の作品ならちゃんと答えようと思ってきました。
この点では国語教師の言う事は、自由ですが、同調することはできません。
今も、将来も「源氏物語」は読むつもりはありませんし、推奨する人々にはお止め下さい、とお願いはします。
今年五木寛之氏の私訳「歎異抄」を読んで、親鸞は「論争」そのものをやめることを説いてていらっしゃいます。
親鸞さんの教え全体についてはいろいろ同調できないところがありますが、これは素晴らしい提案だと思っています。世界中で宗教戦争が血なまぐさく行われているのに日本で宗派が血みどろの戦いをしなかったのは、この教えのゆえではないかと思っています。
だから、論争はするつもりはありません。
混迷する現代にあって、「源氏物語」を語るのはおやめください。
今の若者に訴えなければならないのは、
命の大切さ、生きることの大切さ、生命の躍動を教えるべきです。
労働をして人のために尽くすこと、人間は人の幸せを考え・作る動物であることを語り尽くすことです。
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