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お釈迦様、
今日「舜」と言う名前の生徒さんがきました。
私自身、知らない名前だったので本人に広辞苑を引いてもらいました。
儒教で言う「尭(ぎょう)」「舜(しゅん)」の舜です。
中国では理想的な聖王だと分かると初めて自分の名前を辞書で調べて意味をつかんで感激していました。同じ瞬(しゅん)でも目へんがつくと「またたくあいだ」だが、目へんがつかないと理想的な永遠に尊敬される人になるのだと分かって嬉しかった様です。辞書を引くことの知的興味と自分の名前のすばらしさの両方に感動したのでしょう。
自分で勉強することの大切さが分かったようでした。
久しぶりに自分でしっかり来ます、と明言しました。
人の話が聞けるすばらしい少年です。
すばらしい出発がありそうです。
舜(しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、虞(ぐ)氏と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。
舜は顓頊(せんぎょく)の7代子孫とされる。母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。
堯は舜の人格を見極めるために自分の娘2人を舜に降嫁させた。舜の影響によりこの娘達も非常に篤実となり、また舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所には3年で都会になるほどだった。
そんな中で舜の家族達は相変わらず舜を殺そうとしており、舜に屋根の修理を言いつけた後に下で火をたいて舜を焼き殺そうとした。舜は2つの傘を鳥の羽のようにして逃れた。それでも諦めずに井戸さらいを言いつけ、その上から土を放り込んで生き埋めにしようとした。舜は横穴を掘って脱出した。この様な事をされていながら舜は相変わらず父に対して孝を尽くしていた。
この事で舜が気に入った堯は舜を登用し、天下を摂政させた。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。それから20年後、堯は舜に禅譲した。
帝位についた舜は洪水を治めるために禹を採用し、禹はこれに成功した。その後39年間、帝位にあって最後は禹に禅譲して死去した。なお、舜の子孫は周代に虞に封ぜられている。
南風歌という歌を作ったと言われている。
ちなみに白川静は舜は元々帝嚳の事であって殷の始祖とされていたと言う説を挙げている。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9C" より作成
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少年の目が輝いたワンシーンが頭の中に浮かびました。
とても素敵な光景でした。このようなシーンに関わられるということは何にも変えがたく得がたいのがあるように思いました。
2008/4/6(日) 午後 10:58
[pphotoex]さんの感性はすばらしい。
良いものを、想像力で描いて、その光景をしっかり目に焼けつけようとされていますね。
私はあまりカメラを持ち歩きません。すばらしい情景、光景に出会ったら自分の頭に焼けつけようと必死になります。私の育った千里浜の夕焼けは水平線に太陽がかかったらまん丸から半円になり円の部分がだんだん小さくなっていって、今にも消えようという一瞬だけ水平な直線が走ります。その直線が出たと思った次の瞬間ドカッと全体が落ちて何も無くなります。これが千里浜の夏の終わりの日没です。カメラでなく口で言い文章で書くと忘れなくなります。今の人は携帯を持ってバチバチ無数に写真を撮っていますがあんなにたくさんとってしまった整理をするのが大変です。あれを真似したのでは私は全体記憶にできないと思います。ちなみに私は携帯を持っていません。
ありがとうございます。
2008/4/7(月) 午後 0:20 [ chi*ih*ma20*5 ]