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今朝(17日)、「犬を放し飼いにした男性を逮捕」という驚くべきニュースが飛び込んできた。報道の中で近所の人の声が挿入された。2人の女性が登場し、1人は顔にぼかしが入り、もう1人の方は首から下だけが映し出された。
ぼかしと顔なし映像を見るたびに、報道される方々の姿勢に大きな疑問を抱きます。
そもそも顔をぼかした映像は奇怪で気持ちが悪い。
人間は人と対面したとき顔を見ないと落ち着かない。まず眼を見て相手が自分をどう見てくれているか、あるいはどういう姿勢で社会に対応しているのか判断する。
人間は演技ができる動物である。口で言ったことが本当かどうかは言葉だけでは判断しかねる場合が多々ある。その言葉の裏をとる方法としていろいろな質問を浴びせる。会話を交わす。これが一つの手段。もう一つは相手の目の動き動作・ふるまいは大切な情報である。
テレビの視聴者としてはただ後者の手段しかない。それを奪われるから居心地が悪くて不安がつのる。
顔なし人間に至っては人間への冒涜と言っていい。
本来人間は、5体満足の人は安心できるし美しいと感じる。
しかし5体の一部が欠損していても目を見て、動作を見て考え方と生き方の中身を知ったとき同様に安心し美しいと感じる上に人間の偉大さに感銘を受けて生きる勇気をもらう。「五体不満足」の乙(おと)武(たけ)洋匡(ただひろ)氏に頭が下がるのはこのためです。
また、目が輝かず体が動かなくてもその思想・考えの健全さと偉大さに触れたとき同様に安心し美しいと感じる上に人間の偉大さに感銘を受けて生きる勇気をもらう。20世紀後半および21世紀初頭の世界の物理学の進歩に貢献しているイギリスのケンブリッジ大学のスティーヴン・ホーキング博士を映像で拝見すると、車いすで体のみならず手も顔も目も動かなくても人間万歳を叫びたくなるのはこのためです。
逆に五体満足な人が人としての本性を言葉以上に語る可能性を持っている部分をわざとかくして発言をするとき、その異様さに驚くばかりか本人の隠している意図が気になってしまう。取材者の黒い糸と意図を疑わざるを得なくなる。
テレビがこんな気持ちの悪い映像を流し続けることによって、顔を出して堂々と言えないことをこそこそ言う卑劣な人間を大量に養成してしまっているように思えて仕方がありません。視聴者を卑劣人間に仕立て上げたのはテレビが犯した最大悪の一つではないでしょうか。
また人のことを非難する内容になる時は慎みがなければなりません。人間は完全ではありませんから、間違いも犯すばあいもあります。明らかにウイルコや森田健作氏のように意図した間違いとは違い、人間の弱さ・錯覚・勘違いからくる「犯罪」もあります。しかしあらゆる人間の間違いには本人の立ち直りの余裕を与えなければなりません。人間は間違いを犯しても生きていかなければなりませんから。
人間とは本来「人の幸せを作る存在」です。道を外しても、立ち直って人間らしく生きたと思える道を歩む方向を閉ざすべきではありません。
明らかに顔を出すことによって本人に被害が及ぶ恐れがある場合は、あるいは何らかの他の理由で特定化することを恐れるのでしたら、そもそも映像をだすべきではないでしょう。すべて記者の責任で語るべきではないでしょうか。
ぼかしや顔出し人間は無責任な告発になりがちです。私はあらゆる場面で自分の見解を述べる場合本名と住所・電話番号を添えるようにしています。匿名がこの社会を暗くし悪くしていると思っています。
匿名で言わなければならないほど自分の背丈を忘れた暴言を吐くような無責任な人間になりたくないからです。
テレビ関係者のみなさま、堂々と顔を出してぼかさない公明正大な報道をお願いします。
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