人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

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  人間的生活の復活を願って
 
 昨年テレビで,純白の犬が人間の父親として登場するコマーシャルが大当たりしました。「なぜ」と質問すると、「理由を聞くな」。その上「無料」「安い」を連発。年末には六つの新機種を発売。「安い方への乗り換え」を大宣伝。携帯電話の会社の巧妙な宣伝でした。日本中に「安い」「のりかえ」を「考えずに実行せよ」と訴えたかったようです。

 本当にそうでしょうか。「安い」ことが,いいのでしょうか。「乗りかえる」ことが,いいのでしょうか。

 私は学生時代,大学の生活協同組合運動に3年間深く係わり合いました。生活協同組合の父ロバート・オーエンの発案に心をゆさぶられました。しかし、消費者として「安さ」を追求し、中間利潤の削減をやりぬいたあとが地獄。スーパーさんとの競争に勝てません。
                                                                     
 学生が要求する安さを追求すると,生産者である農家、工場生産者に過度の値引き要求をつきつける。生協で働く労働者の賃上げ要求,労働条件の向上に十分答えられない。学生のぶんざい分際で団体交渉に臨み,組合から「学生さん、君たちは労働者の苦しみがわかるのか、私たちの生活を破壊して平気なのか」と攻め立てられる。
 「生活協同組合運動」の限界と矛盾にぶつかる。
 
 「弱き者の友」を生涯の夢と思って勉強し、東京まで出た身にはた耐えがたく「生活協同組合運動」を去りました。その後「安さ」の背後にある人間破壊に目が向くようになりました。

 <「安さ」を追求しすぎると,生産者の真の素晴らしさを正しく評価せず、生産者を犠牲にする傾向が生まれる>

  私が子供のころ、山羊を飼っていました。中学2年から高校2年までの三年間山羊のえさ餌と取りとさくにゅう搾乳および山羊小屋の掃除が私の仕事。裏に広がる雑木林へ行って山羊の好む青葉を籠いっぱいに集め、朝晩の2回乳を絞る。乳絞りは実に簡単。10分足らずですむ。まさにお茶の子さいさい。それにひきかえ青葉集めはつらい。新緑が芽ぐむころアカシアがいっせいに緑に変わる。籠いっぱいに集めるのに20分足らず。ところが5日もすると、どうしてもアカシアを食べない。せっかく取ってきたアカシアをまるごと捨てて新しい青葉を求め雑木林をさまよう。1時間以上かかる。365日、動物には土曜も日曜も祭日も,盆も正月もない。育てると愛着が沸く。優しく接すると優しくかえしてくる。その山羊が突然異変をきたす。相談するにも近くに動物病院のない時代。ただただ弱っていくのを手をこまねいて見るだけ。ついには呼吸をとめる。ぼくのメー子(山羊の名前)が起きあがってくれない。とめどもない涙にくれるしかない。牧畜業に携わる人々の苦労と悲しみの原初形態を経験しました。
  
  生協活動に入って最初の大仕事は酪農組合から提起された牛乳値上げへの対処。酪農組合からの農家の窮状を聞き値上げやむなしの結論に至る。東京地区は私の決断で値上げを認める。ところが関西の活動はすごかった。京大,同志社大,大阪府立大の活動家を中心に学生を組織して酪農組合にデモをかけ、値上げ阻止を勝ち取る。その直後の大学生協連の全国大会で,関西の活動家はこの成果を華々しく宣伝。東京はしょんぼり。しかし農家との連帯を無視した一方的な要求の強要は,他人の不幸に乗った利益の追求にしか思えず、私にはどうしても理解できませんでした。
  関西のこの運動を先頭に立って指導したのが赤軍を作って武装闘争に走った塩見孝也氏と連合赤軍の森恒夫氏であった。

 私の親友中の親友が、徳島市の大手家具製造会社の社長になりました。家具の構造不況の中で経営に苦労。車一台で一人で全国の家具屋さんまわり。途中で金沢に立ちより15年ぶりに我が家で杯(さかずき)をか交わしました。そのとき「ダイエーは恐ろしい,付き合えば付き合うほど買い叩かれ赤字がふえる」と述懐(じゅっかい)。結局ダイエーさんへの納入が命取りになり,倒産。

 生産者は、創意と工夫を凝らしてこの地上にないものを作りだし、人に幸福をもたらそうと努力している人々です。分業に基づく人間労働の本質は,他人の幸福の創造にある。人類は分業を生み出すことによって,他の幸福の追求に一生涯をかける存在に飛翔したのです。われわれが人間として豊かに生きられるのはこの人々のひたむきな営為を基礎にしています。報酬として報われて当然です。この人々の努力・創造性を軽んじることがあってはいけません。
 とくに農業・牧畜業に携わる人々の労働は生き物を対象にしているため365日,24時間休みなしです。並大抵の努力ではないことをしっかり押さえなければなりません。

 
 <「安さ」を追求しすぎると,仲買業者を犠牲にする傾向が生まれる>


 かつて私は1年間、岡山市の魚市場に勤めたことがある。朝4時の一番早い時刻に入るのは決まってスーパーさん。セリが始まる前にべたべた自分のカードを白い発泡スチロールのトロ箱に入れて最もよい商品を先取り。地元の小売業者は残った2流商品をスーパーさんより高い値段でせ競り落とす。スーパーさんは最初から一方的ににチラシにのせた安値で持っていく。札束で顔を張る商法に抵抗できない。市場は泣き寝入り。

 <「安さ」を追求しすぎると,中で働く労働者を犠牲にする傾向が生まれる>

 世界一の利益を誇るスーパーの巨人ウォルマートのニューヨーク店で買い物をしたことがある。店全体が薄汚くて暗い。店員の質の悪さは常識はずれ。創意工夫のひとかけらも無く投げやりで、ぶすっとふてくされている。1時間4ドルから7ドルの賃金で失業保険も健康保険もない。新規採用した従業員の70パーセントは1年で職場を去る。

 <「安さ」を追求しすぎると,地域に奉仕する小売業者を犠牲にする傾向が生まれる>

 膨大な数の小売店・専門店が安売りの旋風に吹き飛ばされて日本中からなくなっていきました。
この根本原因は,「自由競争」の名の下にスーパーが繰り広げた買い叩きです。札束を振りかざしてあらゆる市場で買い叩き,無法を押しとおして安くていい商品を先に取っていく。小売商店・専門店は最初から勝負にならない。高い値段で質が劣る商品をつかませられる。そもそもスーパーと小売店・専門店は同じ土俵で戦っていない。商売の根っこである仕入れの段階で既に勝者は決まっている。この不公正を社会から追放することが豊かな地域社会を再建するうえで最も大切な点だと思います。

 <「安さ」を追求しすぎると,「もったいない」という美徳を破壊する傾向が生まれる>

「安物買いの銭失い」ということわざがある。
 本当にいいものを手に入れて生活の質を高める。人々の叡智と努力が結晶化した商品を使うと、使う人の心が豊かになり、芸術的感性はみたされ、心の平静を得る。
「安い」「薄利多売」を連日耳にすると大量消費,無駄遣いが美徳でもあるかのように錯覚する。1歩下がってゆっくり考えましょう。テレビを消して、携帯電話を切って。
 スーパーの目玉商品にだまされない賢い消費者になりましょう。

 <小売店・専門店を育てて、新しい人間味豊かな地域社会を作りましょう>

 アルコの商品の一つ一つには店長・奥さん・従業員の方々の創意と工夫がこめられている。
老人化社会。一人住まい,老人世帯が増える中できめこまかな気配りができるのは個人商店・専門店です。
 これからこそ皆様のお役に立ちたいと願ってがんばっているお店ばかりです。地域と共に栄えたいと願っているお店ばかりです。どうかアルコを育てて下さい。
零細規模の小売店・専門店に、スーパーと張り合える基礎条件を与えてください。
地域の小売店,専門店を育ててください。

 今年の私の願い

 葉っぱさんは、春に生まれ,全身を思いっきり広げると,せっせ,せっせと、ひたすら、毎日、毎日、表から太陽の光を活力源としてもらい、裏では空気中の二酸化炭素をとりこみ、根っこから毛細管現象ですいあげた水を原料にして、酸素と糖を作り続けている。 

 地上の生きとし生けるもの、あらゆる生命は、植物も動物もこの葉っぱさんの光合成から命の元をもらって生きている。 
 静かにひっそりと音も無く,生命の元を生み続けている。 
 他者に幸せのみを与え続けている。 
 緑という決して目立たない色で周囲に気遣いとあたたかみだけをふりまいて、つつましやかに生きながら全生命にとって最も大切な活動をしている。 
 糖の年間生産量は1000億トン噸におよぶ。 

 秋になると赤,黄色(きい),紫の、考えつく限りの色合いで地球を彩(いろど)り、ほんの一瞬、強烈な色で自己主張したかと思う間もなくまたたくまに静かに去っていく。 
 素直な気持ちで葉っぱさんの偉大さに感動する。 
 ひたすら与えつづける無私の精神に骨の髄から震えを感じる。 
 頭(こうべ)をたれるしかできない。 
 葉っぱさんありがとう。 
 あなた方から「生きるとは命を作り・与え尽くすことなり」と学びました。

 あなたや、立派なお百姓さん、お医者さん、饅頭屋さん、先生、すべての働く方々がそうであるように、一人一人が、自分の幸せの前に他人の幸せを考えて行動し、自分が生きているその場で、すべての生きとし生けるものを守り・はぐくみ・育てていけば、戦争もテロもいじめも無い社会が生まれ,あの世を待つまでも無くこの地上を極楽に変える可能性が生まれてくるのではないでしょうか。

 「海ゆかば」は歴史のくず篭に捨てましょう, 2006/11/3


 今までに聞いたどの曲よりも荘重に・厳粛にはじまり、簡素でありながら重々しい旋律が、胸の奥底にどしっどしっと沈んでいきます。

 2度と浮かび上がってはこれない奈落の淵に落ちていくかのような感覚に襲われます。

 歌詞の内容が今一つ飲み込めない。

 意味が分からない、そのぶん、陰うつさと憂うつさがいや増しになる。

 わかる言葉は
 うみゆかば   やまゆかば  おおきみの   かえりみはせじ だけ

 たぶん
 海行けば  山行けば  大君の  反省はしない あるいは 後悔はしない

 これだけ分かっても、全体がまったくつかみきれない。

 詩ぜんたいを確認する
 
 うみ ゆかば みづく かばね
 やま ゆかば くさむす かばね
 おおきみの べにこそ しなめ
 かえりみはせじ

 私の能力では「みづく かばね くさむす かばね べにこそ しなめ」 が判読不能である。

 大急ぎで現代語訳を見る

 海をゆくなら  水に漬つかる屍(しかばね)ともならう
 山をゆくなら  草の生える屍ともならう
 天皇のおそばに  この命を投げ出して
 悔(く)ひはないのだ  けつして  ふりかへることはないだらう

 詩ぜんたいの意味が完全に飲み込めたとき

 私は深い絶望に飲み込まれる。

 なんとすざまじい歌だろう。

 ただただ「死ぬこと」を決意している。

 天皇に尽くす手は「死をおいて他に全くない」とでも言いたいのだろうか。

 総玉砕のすすめ以外の何ものでもない。

 なんと恐ろしい歌だろう。

 この歌を聞きつつ、学徒動員で散っていった若くてかけがえのない命、連日の空襲で焼き殺されていった人々、広島・長崎の地で一瞬のうちに蒸発した人々の無念で、はらわたがたぎり狂います。

 私たち人間は、「生きているから」、よりよき明日を信じて歩んでゆける。

 より良き明日を一切否定したこの歌は、まさに狂気の歌である。

 230万人のわが同胞を死に追いやった環境作りと人類史上最悪の人殺しに関与した元凶として、この歌は歴史のくずかごにいれましょうよ。

 日本列島の8千年の人口変化が眺望できる遠大な本, 2006/11/6


 みなさん、人口問題を真剣に考えましょう。

 驚きました。

 壮大な気分で日本の60万年の歴史に思いをはせることができました。

 60万年前くらいに日本列島に人が住み始めたらしい。
 
 16,17ページの表1は圧巻。まさに8千年の人口史が一望できます。

 今から8000年頃前に始まった縄文時代は狩猟採取生活を基調としたため、人口は2万から最高で26万人くらい。4000年ほどかけて24万人増えただけである。狩猟採取生活の生産力の限界を思い知らされる数字です。ところがこれが「環境の人口支持力の限界」で、気候の変化と乱獲、免疫のない疫病の流行で一気に7万5千人に激減する。人口は自然に増えるものと思っていた私の頭をガーンと1発食らわして次に進む。1347年から4年間アジア・ヨーロッパに猛威を奮ったペストでさえ人口の3分の1から4分の1の減少だったはず。
 
 弥生時代の水稲農耕生活の始まりとともに人口は飛躍的に上昇し、1800年前には59万人、奈良時代451万人、平安末期には684万人と急増していく。

 第3の波は14,5世紀に始まった経済社会化システム。室町時代に始まった市場経済の展開。1823年には3258万人に達する。

 第4の波は19世紀から始まり現代まで続く工業化システム。最高潮は1億2778万人におよぶ。

この後の後退予想がすざまじい。2050年には1億50万人まで減少し、2100年には6734万人にほぼ半減するという。

昔は男性の方が長命だった。大正まで男性は死の直前まで働き続けていた。(p.232)

未来への提言があまりにも弱いのが残念。

  命とは、だいじにだいじに、はぐくみ、いつくしみ、育てるもの, 2004/6/18


  
  まだ学校に上がらないちっちゃい子も、小中高校生から大学生も、大人になってしまった人も、みんな、みんなよんでほしい。
  ゴンタの39態をゆっくりみつめてほしい。

  どのゴンタも生き生きとえがかれています。しっぽの先っちょ、うしろ姿に作者のゴンタへの愛情をひしひしと感じます。

  ゴンタは決して名犬ではありません。

  別に人助けをするわけでもありません。人間に奉仕するわけでもありません。ふつうの犬としてのびのびとほんぽうに生きています。喜び、冒険し、迷い、傷つき、躍動し、悲しみ、そしてついには静かに老いて死んでいきます。その一つ一つをお父さん、お母さん、ゴンタは共有していきます。

  一枚、一枚、読み進めるうちに、静かな感動が、喜びが心の中に芽生えてきます。いつのまにか涙にくれつつ、ゴンタとは友だちになっています。これこそ生きる喜びにほかなりません。

  まぎれもなく、黒澤明氏の「生きる」が映画史上さんぜんと輝く第一級の作品であるのと同じく、人類史の財産であると思います。

  万巻の書にも書きつくせぬ生命の尊さを、喜びを、か弱さを教えてくれます。いや心のしんから感じさせてくれるからすばらしい。

  佐世保の小学6年生同級生殺人事件の直後に、この本が出た意義は大きい。「仲良し」だった同級生が数ヶ月のうちに殺し殺される関係になる現代の悲劇性にこの本はしっかりした解答を与えてくれています。

  本来人間はある非日常の行動をとる場合立ち止まり、思い悩み、逡巡する。この逡巡の中に命とは何か、生きるとは何か、自分の生命とは、他人の生命とは、と考えて成長していく。また、家庭内、学校内、友人間で「命をはぐくむ」体験を通して成長していく。

  この渡辺氏の新著は読者に「命とは、だいじに、だいじに、はぐくみ、いつくしみ、育てるもの」と感じさせてくれるでしょう。

  あの少女が実行する前にこの本を手にして考えを深めていてくれていたら…

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