人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

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17匹の紹介

  

  我が家にはただいま17匹の猫がいます。みんなみんな野良さんばかりです。捨てられ誰にも拾ってもらえなかった猫ばかりです。
  みんな、みんな個性豊かな地球の大切な命です。
  

1.シシェール(めす)

2.三毛(みけ)(めす)

3.ビューティ(めす)

4.フレンドリィ(おす)

5.ブラッキィ(おす)

6.ストライプ(めす)

7.レッド(めす)

8.ホワイティ(めす)

9.ドリー(めす)

10.ショコラ(めす)

11.マーロン(おす)

12.ビービ―(おす)

13.ラーク(おす)

14.ピース(おす)

15.フレディ(おす)

16.ルナ(めす)

17.ダンディ(おす)

バリアフリーの家

  平成元年に家を建てたました。

  夫婦とも45歳。終の棲家となることは確実。2人が人生をまっとうできる家でなければならない。30年後の75歳から90歳まで生きても快適な家とはどんなものだろう、と考えました。


  私たち夫婦には子供がいません。


  二人が老いて体の自由を失ってもお互いに人間の尊厳を失わずに生きるとはどういうことだろうかと考えました。


  五体が満足に越したことはないが人間いつ事故に遭うか分かりません。いつ難病に襲われるか分かりません。


  自分が交通事故に遭うか、難病に遭って車椅子生活を余儀なくされたとき、まずバリアフリーの家のことを考える財政的・精神的余裕が生まれるだろうかと思ったとき恐ろしくなりました。万が一そんな不幸に出会ったときにはきっと気の小さい私は、自分の前途を嘆き、生きるそのことに苦労するに決まっている。とてもバリアフリーの家に立て替えたりする余裕があることなんか考えられませんでした。


  当時はニューヨークに年1回行って英語文化の吸収と語学力の研鑚を行っていました。ニューヨーク、東京、金沢どこを歩いても見本とする建築物はありませんでした。
特に専門家と思われる病院・診療所に注目を払いました。でもマイナスの教訓しかありませんでした。
すべては老後の生活、不幸に出会ったときの生活を想定した生活者の視点を第1に考えることにしました。
  完全バリアフリーの家を建築屋さんにお願いすることに夫婦の考えは完全に一致しました。


  そのとき新しい夢が生まれました。
  どんな障害者の人とお友達になっても我が家へご招待できる家を建てたいと強く思うようになりました。


  母(当時75歳)との同居が始まりました。
  まだまだ足腰も頭もしっかりしていました。
  新聞のチラシ広告で新築の家と比較するのが楽しみになりました。
  事あるごとに言っていました。
  「どこの家と比べてもこの家が最高だね」

  10年後腰が弱り市立病院に入院となりました。母の希望を入れて特別室を頼みました。室内にバス・トイレつき。ところが15センチの段差があり、歩行器を押してしか自力で歩けなくなっていた母には遠い廊下の向こうにあるトイレまで行かなければならなくなりました。
金沢市立病院は私の家と同じ年に建設されました。私の教室の窓から見える巨大な建築物に圧倒されながら毎日眺めていました。私の家の惨めなほどの小ささに気が滅入ることが何度もありました。

  我が家の2階にバス・トイレのユニットを取り付けることになりました。ところが建築屋さんはどうしても段差ができると言うのです。新築の家でありえないことです。それなら1階の天井と2階の床の間隔を広げればいいだけ。譲りませんでした。貧しい我が家にできたことが巨額の私たちの血税を使ってできた特別病室にできていないことに絶望と深い憤りを抑えることができませんでした。

  専門家が信用できないことを平然と専門家ずらをしてやってしまうのだということがしっかり分かりました。

大学の先輩を送る

  先輩を追悼する。

  私の貴重な青春であった生協活動で商学部の先輩であったあなたに先立たれたのは大きな衝撃でした。

  この正月を前後して私の周囲で3人の貴重な方々がこの世を去りました。実に寂しいお別れでした。先輩とも十分なお別れができなかったことが返す返すも残念でなりません。ここに私の涙と共に謹んで追悼文を友人に託します。

  先輩の死を決定的契機にして、今後は私はあらゆる意味で等身大に生きていきたいと思い立ちました。

  前に電話で直接お話して「おまえの人生2山説に触発されてうどん屋を始めた」とお聞きして腹の底から自分の言動の大切さを思い知らされました。

  先輩。私は今「人生2山説」には疑いを持っています。

  人の一生は本質的に一度です。途中で道を変えることがあってもそれは1度目の本質を内部に秘めたままであります。

  私の「人生2山説」は伊能忠敬の人生を井上ひさし氏に触発されて私なりに整理したものでしたが、もう一度伊能忠敬の生涯を整理してみますと明らかに一度なのであります。
  彼は若くして医学に携わりたかったが貧困のゆえその夢かなわず伊能家に養子に入り家業の興隆につとめ、家業を息子に託して江戸に出て天文学の勉強に励む。しっかり一本の道が見えます。世界の学問の発展に寄与したいという一本の道が。

  伊能忠敬の天才にしてさえこの真摯さです。
  確かに学問の道という点では寄り道していますが、彼の場合、この寄り道は決して無駄になっていません。全国を自分の足で歩いて実測した執念は、その寄り道を完全に克服しています。これこそ彼の偉大なところであります。私のような凡人にはどうにもならない違いであります。

  先輩の作るうどんのたれ、うどんのこね方、器の選び方、うどんのねたをうどんに並べる芸術的感性、店の構え、挨拶、料金の受け取り方。全ての中にあの「貧しい人々を救うためならなんでもするぞ」という思想と生き方が反映されていたことでしょう。そのうどんを私はいただきたかった。黙祷。

  私のような劣等児はただひたすらに一筋のみを最初から最後まで歩まないとだめです。

  そんな私も自分の道がどこにあるか迷い通しました。

  私の道はただ一つ「貧困、いじめ、戦争のない世界を作りたい。人間が真に尊厳をもって生きられる社会を作りたい」の一語につきます。

  その道を求めて私は早稲田大学商学部を6年かけて卒業した後、東京都交通局で「高校卒の学歴相当の」地下鉄の車掌を5年間勤めました。その後東京から逃亡を図り、岡山市の魚市場で1年朝市で帳簿付け。その後、国家資格をとりたがっている人々を対象とする会社に1年勤務。その後学習塾で英語を担当して4年過ごしました。その後金沢に帰り英語教室を開きました。

  英語を教えることを生き甲斐として、英語教育の革新をしたいと基本的には自作教材でしのいでいます。同時に社会改革の意識を一瞬たりとも失ったことはありません。

  今、戦後の大量生産・大量消費の消費革命というものの結果として、日本の社会は根本から破壊され、日本人の精神は人間性を完全に喪失しています。「安さ」を追求した結果として生協自体が「毒入り」食品を売る当事者になってしまいました。

  ダイエーの中内功氏を先頭に推し進めた消費革命の本質を見ぬけず、追随した結果です。あの消費王国のダイエーがあえなく崩壊したように、消費革命の追及したものがうそであったことを明らかにして社会と世界の再生が必要です。

  その第1段として今「葉っぱ宣言」をまとめました。先輩の忌憚のないご批判をいただきたいところです。黙祷。

  お納め下さい。

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