人工光合成

人工光合成の完成・発達によって人類は動物がもつ「生きる=他の生命の殺し」という宿命から自己解放できる。

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宿題をやらない子

  私は学校の宿題が苦手でした

  本当に宿題ができない子でした。

  日々出される宿題にやっていったことがない。

  夏休みの宿題帖はいつでも真っ白で提出できるものではありませんでした。

  工作が下手でやりだしても思い通りにできず、いつも途中で投げ出していました。

  5年か6年のころ母が業を煮やして向いの建具屋のおじいさんに小さな箱を作ってもらってきてこれを提出しろと言われ、おずおず自分の名前をつけて出しました。

  本当に簡単な箱で、横20センチ、縦30センチぐらい、高さ4,5センチにふたがついていました。すずり箱にでも使ったらよさそうでした。

  おじいさんは建具の専門家。精一杯へたくそに作ってくださいました。

  でもやっぱり専門家の仕事。きれいにカンナがかかったすべすべのいた自体が私の仕事では到底及ばないことで、誰の目にも自作でないことは鮮明でした。

  みんなにうそをついていることの罰の悪さ、おじいさんの職人気質を傷つけている様で苦しかった。

  あれが間違えて賞でも取ったらまさに私は自殺でもしないとみんなに申し訳が立たないところでした。

  この事件いらい、私の宿題嫌いはいや増しに増して、母にどれだけ口すっぱく言われても動きませんでした。

  だからといって、自閉症かといえば全く違う。家の用事は何でもしっかりしました。
  
  中2から高2までは早朝の乳酸飲料配達。6時ごろ起き出して30件くらい回る。雨の日も風の日も土曜も日曜も、風邪を引いても寝込まない限りはしっかりやらないと母親に回っていくから休めない。正月2日間だけ休みでした。中学3年と高校2年の修学旅行のときだけ母親がやってくれました。

  途中に豆腐やオカラを10円分買って帰る。買えってそれを山羊にやりつつ、乳絞り。それから20羽の鶏の餌を作って与え、食事をとり玄関を掃除して学校に出かける。これは毎日高3の春、金沢に引っ越すまで続きました。

  学校から帰ると裏山へ山羊の餌を取りに行く。夕方やぎの乳絞りと鶏の餌をつくってあたえる仕事が入ってきます。

  夕食の準備の時は母のそばに待機していて、ごま味噌作り、大根おろし、いわし・鯵でつくる団子汁のすり鉢係は全部私の仕事でした。

  また醤油が切れた、肉を買い忘れたという「非常事態」にはいつでも町まで自転車を走らせるの決まって私の仕事でした。

  そして土・日は野菜作りの家庭菜園にいつもかり出されていました。

  自分の過去を振り返ってみて必ずしも不真面目な人間ではない。

  なぜそれなのに宿題だけはしなかったのだろう。

  自分でも不思議にならなかった。

  今、この地平に立ってみて分かることがある。

  「葉っぱ宣言」にまとまる思想はいじめと戦争と貧困を撲滅する本当の力になるのではないかと感じたとき、私は1つの確信を持って言える。

  「私は、私の人生の宿題を今解きました」

  そして、小学入学前にひどいいじめを何度か経験するうちに私はいつのまにか自分に人生の宿題を課していた。それが「どうしたらいじめ・戦争・貧困を克服した社会が実現できるのだろうか」と言う課題を。

   今、私は、思う。人生の1つの宿題を解きました。

   これからは、その実現に向けた歩みを新たな宿題にしながら生きていきます。

   またまた宿題をやらない人間でもあるようで怖い。

  大学卒業後英語の勉強を本格的に始めることを決意して取りついたのがソニーの新書版タイプの超小型テープレコーダーだった。

  早速購入してNHKのラジオ・テレビの英語講座を片っ端から録音した。本文部分だけをネイティブの音を編集して歩くときも、自転車に乗っても、バスも電車もとにかく肌身はなさず聞いた。

  そのとき、わが身の重大欠陥にきづいた、どうもリスニング力が他の誰よりも弱い。

  そこで思いついたのが、イヤホン一本では私には無理だ。両耳で聞こう。

  すぐイヤホンをもう一本電気屋さんで買ってきて途中で切ってビニールの覆いを2センチほどはがして、テープレコーダーにつながっているイヤホン線の耳の部分から40センチばかりの部分のビニールをはがしてまきつけビニールテープで覆う。両耳にイヤホン二つをつなぐとちゃんと両方から聞ける。

  私が作った両耳イヤホンをとにかく聞き通した。

  数年後塾で英語を教えていると生徒が両耳イヤホンで聞いているではないか。

  嬉しくなって「君も僕と同じことを考えたんだね」と水をむけると、「先生、これはウオークマンだよ」

  しまった、もし専売特許を取っておけば?

  すべては後の祭。

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  昭和30年前後ソニーが世界で初めての磁気テープレコーダーを開発して世界中に売り出した。

  私の田舎でも、姉、兄が通う石川県羽咋町立羽咋中学校でも学校として一台購入することになり、中学生の全世帯に寄付を募ることになった。母が世話役の末端に名を連ねて近所を回ってお金を集めていた。

  全校で一台のテープレコーダーを買うのにこの騒ぎ。購入された日にはさぞかし華々しい式典がとり行われたことだろう。

  昭和38年大学に入ってどうしても欲しかったものがソニーのテープレコーダ−。夏休みに生協の売店で当時1万5千円の最も低価格の商品を月賦で購入した。月額2万5千円あれば贅沢学生と言う時代。貧乏学生の分際で何たる無駄遣いを!と思われるが、本人としては「これで英語の勉強をするぞ」の一念だった。その後月賦の支払いで四苦八苦することも考えずに買ってしまった。

  いざ勉強を始めてみて、はてなどうやって?

  その当時は英語教材がテープレコーダー用は全く売り出されていなかった。

  結局はこの機種は宝の持ち腐れになった。

  どんどんテープレコーダーは小型化してオープンリールからカセットになって行った。

  ソフトも英語教材から、歌・音楽・浪曲・落語・朗読と、さまざまな関連商品が売り出された来た。

  良い商品が出るたびにテープレコーダーとはずっと長−いお付き合いをしてきた。

  大学卒業後英語の勉強を本格的に始めることを決意して取りついたのがソニーの新書版タイプの超小型テープレコーダーだった。

  早速購入してNHKのラジオ・テレビの英語講座を片っ端から録音した。本文部分のネイティブの音を編集してテープにとった。

  歩くときも、自転車に乗っても、バスも電車もとにかく肌身はなさず聞いた。

  そのとき、わが身の重大欠陥にきづいた、どうもリスニング力が他の誰よりも弱い。

  そこで思いついたのが、イヤホン一本では私には無理だ。両耳で聞こう。

  すぐイヤホンをもう一本電気屋さんで買ってきて途中で切ってビニールの覆いを2センチほどはがして、テープレコーダーにつながっているイヤホン線の耳の部分から40センチばかりの部分のビニールをはがしてまきつけビニールテープで覆う。両耳にイヤホン二つをつなぐとちゃんと両方から聞ける。

  私が作った両耳イヤホンで、英語をとにかく聞き通した。

  数年後塾で英語を教えていると生徒が両耳イヤホンで聞いているではないか。

  嬉しくなって「君も僕と同じことを考えたんだね」と水をむけると、「先生、これはウオークマンだよ」

  しまった、もし専売特許を取っておけば?

  すべては後の祭。  

  これからはウオークマンとの長い付き合いが続いた。

  CDが主流になるまで続いた。


  この長いテープレコーダーには必ずカウンターがついていた。

  

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